螺旋物語(81) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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悪魔には問題があるが、神についても疑問はある」 この言葉は刺激的ですよね。門外漢がとりあげるには重いテーマですが、マグダラのマリアを語るには避けて通れません。
《シオン修道会》
シオン修道会は1099年に設立されたヨーロッパのヒミツ結社であり、実在する組織である。1975年、パリのフランス国立図書館が“秘密文書”として知られる史料を発見し、シオン修道会の会員多数の名が明らかになった。そこには、サー・アイザック・ニュートン、ボッティチェルリ、ヴィクトル・ユーゴー、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチらの名が含まれている。http://www.voynich.com/rennes/
《公平性のために・・・》
シオン修道会やレンヌ=ル=シャトーに関する多くの「事実」は、二十世紀になってから捏造された文書を根拠にしたものであり、歴史的にまったく信頼できません。当初これらの文書を信じてしまって番組を放送してしまったBBCも、1996年にはその誤りを認める番組を放送しています。ソニエールは、ミサ謝礼を多重に受け取る違法行為によって蓄財していたにすぎず、テンプル騎士団が隠したお宝などどこにも見つかっていません。Paul Smithによる詳細なシオン修道会研究がネット上に公開されていますので、それを参照することをおすすめします。という意見もある。
《テンプル騎士団》
テンプル騎士団は第一次十字軍の直後、エルサレムに生まれました。ソロモン寺院の貧しき騎士修道院は1112-1124年の間に敬虔な戦士の集団が創設した。彼らは巡礼者が上陸するパレスチナの港ヤッファからエルサレムまでの危険な道の警護の任務に就きました。彼らは聖アウグスティヌスの宗教的規則の下に生き、そしてエルサレムの聖母教会の指導と規則がありました。騎士団の背後には秘密の修道会が存在し、それはテンプル騎士団を軍事的、管理上の目的で作った。この修道会は様々な名前で活動し、もっとも知られた名前はプレウリ・ド・シオン(シオン修道会)です。プレウリ・ド・シオンは1956年フランスで作られた近代の結社です。中世のシオン修道会とのつながりは、鍵となる歴史文書が偽物と認められたことで疑わしいものとなりました。何人かの作家はテンプル騎士団がヨハネ派またはマンダ教の異端に汚染されていたことを指摘した。それら異端はイエスを偽預言者であると非難し、(洗礼者)ヨハネが真のメシアであるとした。テンプル騎士団が中東で活動中に、確かにヨハネ派と関係がありました。この教団(ヨハネ派)はキリストの称号をもつ教皇を持ち、太古から断続しないで続く儀式の正当性を主張した。テンプル騎士団の設立時(1118年)には、教皇Theocletesはユーグ・ド・パイヤンと知己であり、彼に教団の奥義と特権を与え、かれに最高位と組織を約束し、最終的に彼を後継者に指名した。真のイエスの歴史と初期のキリスト教は(ナザレまたはヨハネ派の)テンプル騎士団の教皇Theocletesによってユーグ・ド・パイヤンに伝えられた。その後パレスチナでさらに高位の更に知的なヨハネ派の騎士数名によって奥義を教えられた。知的自由と唯一の普遍宗教の復興が彼らの秘密の目的だった。服従・清貧・貞節を誓い洗礼者ヨハネの最初の騎士は荒野で泣き、蜂やバッタを食って生き延びた。http://www.voynich.com/templar/
《レオナルドは・・・》
彼は正式な教育をまったく受けてはいませんが、熱心にニコラス(of Cusa)の新しい世界観(宇宙には限りがなく、時間には始まりも終わりもない)を受け入れ、旧来の権威(修道士や、彼の敵であるプラトンやアリストテレス)を否定しました。イオニア人以来初めて、彼は科学を完全に、宗教的教義・概念に基づかない概念として打ち出し職人、科学者、発明家は同じであるとしました。
《ルネサンス》
ルネサンスの人間主義によって、人間は“神の代理人”の位置に押し上げられました。中世キリスト教神学の新たな意味替えです。それによって、人間は神と同じく“万能”たるべきものとされ、そこにルネサンスの理想主義があります。レオナルドはその理想主義を最も良く体現した人物でした。レオナルドの音楽・数学・自然科学あるいは美術等は、今それぞれ独立の専門領域に分化してしまっています。しかし西欧中世ではこれらはすべて一つながりの連関のなかにあり、音楽は地上にくだる“天上の声”であり、一定の秩序に従って調和的に運行する星辰の音とされました。“和声=harmony”という音楽用語は今もその伝統の跡を伝えています。だから音楽を究めることは、音の調和的比例関係を深めることだったのです。すなわち数学、数学の目的はまたしても数の調和的比例関係を探ることにあったのです。その調和性の根源は、宇宙・星辰・森羅万象の秩序性に求められます。神学の前提によれば、神の創造にかかる万物は秩序ある法則性のなかに存在しなければならないからです。こうして数学はまた天文学であり、万物の法則性を探ることすなわち自然科学でありました。美術もまた視覚像を再現することにほかならなかったのです。こうしてすべては一線に連なり、芸術は科学と一致する。レオナルドにおいても、造型(造形)の活動は常にそうした綜合的な自然探究の一環として進められてきたのです。