青の伝説(59) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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カースト

この「青の伝説」は、仏典に「藍染めは虫を殺して染料を得る」とあり、そこから「青屋」が差別されてきたという根も葉もない根拠に対する研究としてスタートしている。仏典を「仏教」の側面から調べてはみたが、これといった成果が得られず、やはりその原点にある「インド」そして「ヒンズー教」を調べてみる必要がある。

《カースト(Caste)》インドの相互に序列づけられた排他的な社会集団をいう。語源はポルトガル語のcasta(家柄、血統)で、16世紀インド西海岸を支配していたポルトガル人がインドの社会集団の呼称として用いはじめ、それが今日に及んでいる。カーストは、広義では、ヴァルナ(varna)とジャーティ(jati)の二つを含む概念、つまりヴァルナ=ジャーティ制を意味するものとして用いられる。ヴァルナは、本来、「色」という意味であり、紀元前1500~1200年頃インドへ侵入したアーリア人が、アーリア(高貴な、神則を守る)ヴァルナと肌色の黒い先住民ダーサ・ヴァルナというように、肌色で自他を区別するために用い始め、ここからヴァルナに身分・階級という意味が生じ、制度ができた初期に身分を色で表した。司祭階級、王侯、農民・商人、奴隷の4つの種姓をそれぞれ白、赤、黄、黒で表した。1年に一度、新年を祝う無礼講のお祭りがあり、その祭りでは人々は身分から解放される。身分に関係なく色粉や色水を掛け合い、みんながぐちゃぐちゃな色になることで身分の色も無くなる、ということ。このヴァルナは社会の大枠であり、以下の4つ(5つ)に分けられる。

バラモン   Brahman  司祭        再生族(dvija)
クシャトリヤ Kshatriya 王侯、武士      〃
ヴァイシャ  Vaisha   庶民(農・牧・商)  〃
シュードラ  Shudra   隷属民       一生族
パンチャマ  Pancama  第5ヴァルナ    不可触民

これに対し、ジャーティは、「生まれ」の意味であり、インド社会にある実体的な社会集団で、全体で2000~3000もあるとされる。カーストという場合、具体的にはこのジャーティを指す場合が多い。カースト制は、このようなヴァルナとジャーティにより序列づけられた社会制度であり、正確には「ヴァルナ=ジャーティ制」ということになろう。ヴァルナは、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』(BC1000年頃)の中にすでに見られる。「プルシャ(原人)の歌」(後世の追加とされるが)において、神々は巨大な原人プルシャの身体から万物をつくり、そして4階級をつくった。

彼らがプルシャを〔切り〕分かちたるとき、いくばくの部分に分割したりしや。彼(プルシャ)の口は何になれるや、両腕は。両腿は何と、両足は何と呼ばれるるや。彼の口はブラーフマナ(バラモン、祭官階級)なりき。両腕はラージャニア(王族・武人階級)となされたり。彼の両腿はすなわちヴァイシア(庶民階級)なり。両足よりシュードラ(奴婢階級)生じたり。

『マヌ法典』では、世界の創造主ブラフマンの息子にして世界の父、人類の始祖たるマヌが世界創造と4ヴァルナの成り立ちを次のように説明している。
宇宙ははじめ「暗黒」であった。その中から尊いスヴァヤンブーが立ち現れ、自らの身体から世界を創造するため、まず水をつくり、その中に種子をおいた。やがてこれが黄金の卵となり、その中から世界の祖ブラフマンが生まれた。ブラフマンは卵を二つに分け、天と地をつくり、そこに世界の万物を創造した。そして自らの身体を二つに分けて男と女をつくり、世界の繁栄のためにその口、腕、腿、足からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラをつくった。

このようにヴァルナ制は、『リグ・ヴェーダ』においても『マヌ法典』においても、神が自らつくったものであり、それぞれのヴァルナの義務(仕事)も神によって最初から割り当てられたものとされている。また、仏典『ジャータカ』(前4~3世紀頃)では、貴い生まれ(ジャーティ)、家柄(クラ)はクシャトリヤとバラモン、卑しいのはチャンダーラ、プックサと区別されており、4ヴァルナ以下のチャンダーラ身分が古代においてすでにあったことがわかる。文献上、第5ヴァルナとしての不可触民(アスプリシュヤ)という語が初めて出てくるのは、100から300年頃成立の『ヴィシュヌ法典』であり、5~6世紀の『カーティヤーヤナ法典』になると不可触民規定がさらに明確となる。この頃、4ヴァルナと不可触民というヴァルナ体制が成立したと考えられる。こうして、社会の大枠としてのヴァルナ体制ができあがると、問題は(1)5ヴァルナとジャーティの関係、(2)同一ヴァルナ内のジャーティの序列、ということになる。カーストの序列化はヒンズー教により宗教的に正当化された。まず第一に、ヒンズー教の教義の中心には浄・不浄思想があり、すべての物事はこの浄・不浄により序列づけられる。汚れをもたらすとされるものは、血、精液、糞尿、汗、痰などの生理的汚物、不浄な人や動物、出産や死などであり、また罪も汚れと考えられていた。バラモンは汚れることなく生きることは、実際上不可能である。バラモンの最終目的は、現世への一切の愛着を断ち解脱する(ブラフマンの世界に入る)ことだから、それを妨げるものすべてが汚れ、罪とならざるをえない。しかしながら、バラモンは最も厳しく規律を守り最大限汚れを避けているから最清浄カーストである。他のカーストは、この最清浄カーストの下に、それぞれの清浄度に従って序列づけられ、最下位に最も汚れたカーストとして不可触民がくることになる。ヒンズー教社会において、カースト序列は浄・不浄序列なのだ。逆にいえば、上位カーストは、生活に伴わざるを得ない汚れ(血、糞尿、ゴミ、死など)、あるいは不浄とされる仕事や物を下位カーストに順次下送りすることにより、自己の相対的清浄性を保っているといえる。第二に、この浄・不浄思想と不可分の関係にあるのが、業・輪廻思想である。霊魂は前世の行為(業)に従い、現世に様々な形を取って生まれ変わる。現世のカーストは、前世の行為の当然の報いであり、人はそれを宿命として受け入れ、そのカーストの仕事に専念しなければならない。それ以外に、来世の幸福を得る道はない。『マヌ法典』では、人は現世の罪に応じて来世では次の物に生まれ変わる。

バラモン殺し → 犬、豚、ロバ、チャンダーラ、プッカサ、(肺病)
スラー酒を飲む → 虫、蛾、糞を食う鳥、危険な動物、(歯黒)
黄金窃盗 → クモ、蛇、トカゲ、水棲動物、悪鬼ピシャーチャ、(悪爪)
師の妻との姦淫 → 草木、ツタ、肉食獣、残忍な人間、(皮膚病)

このように、現世の低い身分、不幸、心身の病気は、すべて前世の罪の報いなのである。さらに忘れてならないのは、汚れや罪は本人のものである以上に所属カーストのものだということである。汚れは、汚れた者と接触するカースト仲間にも汚れをもたらす。カーストは汚れた罪人をカーストから追放することによって、カースト全体の清浄性を維持しなければならない。こうして、カースト序列はカーストの自己規制によっても維持され強化される仕組みになっていた。カーストは、地縁、血縁、職能が密接に絡み合った排他的な集団で、その構成員の結婚や職業、食事にいたるまでを厳しく規制し、また自治機能ももっている。ふつう、カースト名から職業がわかるほど、カーストが特定の職業と結び付いていることが多いが、近代化の波に洗われ崩れ始めた今日では、カーストと職業の関係は薄まりつつある。1947年、インドの独立とともに憲法でカースト差別は禁止され、49年の議会で不可触民制の廃止も宣言された。その間、不可触民の解放を強く主張した人に、ガンディーがおり、不可触民にハリジャン(神の子)の名をあたえた。差別をきらうハリジャンは差別のない仏教に大量に宗教をかえる動きもみられる。

「ジャーティ」その集団はインドに3000あるとも4000あるともいわれる。仮に4000あるとしてヒンドゥー教徒の人口を八億としてもジャーティの平均人口は20万になる。その特徴は、内婚をする。その集団でしか結婚をしない。職業と結びつく(靴職人のジャーティの人間は代々靴職人)上下のランキングあり。ジャーティ間にはどっちが上か下かという上下関係がある。地域性がある。どこにいっても4つのヴァルナは存在するがジャーティは比較的限られた地方にしか存在しない。同じ洗濯屋の集団でもデリーではドービー、マドラスではワンナーンという異なるジャーティに属す。話す言葉もちがう。例:マハージャン(商人)、ラージプート(地主)、ジャート(農業)、ナーイー(床屋)、ドービー(洗濯人)、チャマール(皮革職人)、バンギー(汚物処理)、以上はラージャスタン州のスィハーナ村に存在するジャーティ、浄、不浄の観念によって層ができる。マハージャンやラージプートは上層に位置するが汚物の処理や皮職人のチャマール、バンギーなどは下層に位置する。インドの農村には大体20から30くらいのジャーティ集団が住み着いている。ジャーティの数はそのまま職業の数に対応する。「不可触民(アウトカースト・アンタッチャブル)」は、触れてはならない人間として、社会生活の全ての面で差別されてきた。同じヒンドゥー教徒でありながら、カーストヒンドゥーの使う井戸は使用できずヒンドゥー寺院にも入れず、また沐浴場や学校、公共施設なども利用することはできないとされている。職業についても同様で、道路掃除、糞尿処理、洗濯、家畜の屠殺などに制限され政治的にも経済的にも無権利の状態に置かれてきた。インドの街中で路上で這うように生活している人達は「不可触民」がほとんどである。