螺旋物語(64) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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もっとガウデイ・・・
《サグラダ・ファミリア》
サグラダ・ファミリアの螺旋階段を実現できた理由のひとつは、当時、カタルーニャ・ヴォールトという強固な曲面構造を安価にしかも容易に施工できる技術があったからだ。薄く平べったいレンガをしっくいで交互に貼り合わせたカタルーニャ・ヴォールトは、乾燥すると岩より硬くなる。グエル邸の地下やグエル別邸の屋上、サンタ・テレーサ学院の外壁など、そのむき出しの施工を見ることができる。カタルーニャ・ヴォールトを使ったほとんどの建築物は、その外観を積み石や化粧石、漆喰やタイルでおおっているため、レンガ作りだとはわかりづらい。ガラフのグエル酒造がその典型だろう。バルセロナにある建築物のほとんどの床材はカタルーニャ・ヴォールトでできているらしい。頑丈で安価で曲面構造を施工しやすい原産レンガが、ガウディ建築に螺旋構造を可能にしたといっても過言ではない。
《グエル公園のエントランス》
正面左手には、典型的な二重螺旋構造の塔がそびえている。ガウディはどこからでも十字架が十字に見えるように、二つの十字架を貼り合わせた。グエル公園にある塔にも、ガウディの意図が反映されている。その塔をよく見ると、単なる螺旋構造ではなく、螺旋が二重に巻いていることが容易に見て取れる。この構造は設計図で表現できたのだろうか?ガウディが得意とする模型を使わなければ、職人たちにこの構造を伝えることはできなかった違いない。
《サンタ・テレーサ学院》
正面入り口から少しだけ右に寄った角に螺旋がある。
ガウディ建築の原点として考えられるのは・・・バルセロナからバスク地方へ抜ける街道の北にモンセラの山々はそびえ立つ。放物線に似た曲線を有する山々は安息を与えてきた。ガウディはフニクラの実験を経て重力に逆らわぬその曲線を、コロニア・グエル教会やサグラダ・ファミリアに活かしたという。ガウディは螺旋を多用した。螺旋には何か生臭い人間的な魅力を感じる。双曲放物面。イズラム(ムデハル)様式から脱却した後年のガウディは、カテナリー曲線と放物線との間にある局面を、建築に多用するようになった。重力に屈することのない屈強な直線でなく、重力を吸収する緩やかな二次曲線をガウディは使おうとした。建物の模型を逆さづりにして重力のかかり具合いをみる実験が何年も続けられた。
《ガウディの伝記("Gaudi, the life of a visionary" by J. Castellar-Gassol)》
ガウディ姓はフランス、スイス、スペインなどを往復する商人がルーツと思われる。ガウディの父親も母親も銅細工師をルーツとし、父親自身、銅細工師であった。時はおりしもバルセロナの産業革命期、父親は酒造業のニーズに答えて蒸留用のパイプや容器を作っていた。田舎には小さな葡萄畑があった。蒸留用のパイプの螺旋、ぶどうの螺旋、幼少の頃から関節炎に悩む病弱なガウディはそれらの形を静かに見ており、それがガウディの形の基調を為した。イタリア統一とローマンカソリックの危機は、カタルーニャに新たな宗教運動を巻き起こした。それが、聖ヨセフ信仰であり、聖家族教会の運動である。イエスから父権へ、そして家族へ。ガウディの家族の運命は悲惨というほかない。ガウディは五人兄妹の末っ子で、兄妹のほとんどは早死している。未来を嘱望された上の兄も25で死に、姉は飲み助の夫と結婚し一人娘を残して30代で死ぬ。後を追うようにガウディの母親も死ぬ。90まで生きる父親と、残された姪とともにガウディは暮らし、鬱からくる拒食と衰弱を繰り返しながら、ありえない形に打たれ、それを実現していく。ガウディの線はヘッケルを思い起こさせる。ヘッケル発、アール・ヌーボー経由、ガウディ行き。顕微鏡を覗き、自然の形に打たれたヘッケルの膨大なスケッチは、アール・ヌーボーの曲線を生み、それはバルセロナにも流れ込む。ヘッケルの画集は19世紀末にバルセロナで出版されている。それを自然科学のサークルにいたガウディが見なかったはずはないだろう。しかし、ガウディはおそらく、その曲線に、単なる科学流行をみたのではなく、どこまでも伸びようとする力、線が新たなる線を生み線を分岐する力を見出した。その力を、聖家族を称えるために行使し、それは巨人の曲線を産み出した。巨人が称える自然、人間の力の及ばない自然としての聖なる力。