《「青」研究の契機について》
平成6年度(1994)中学校同和教育講座「部落史研究の現状」大阪教育大学の中尾健次教授が講師で、部落史研究についての話を伺った。その説明の中に、昔「青屋(あおや)」が賤視されていたという内容が出てきた。説明によると、農業以外の雑業の中でも、その技術や技能が一般人から見ると不思議で神秘的であればあるほど、不安や恐れをともなって近寄りがたい⇒差別の対象とされてきたということであった。その年の暮れ、青森県弘前市を訪れる機会があり、偶然にも江戸時代後期の「紺屋・川崎家」を見学することができた。それまで特に「藍染」に興味を抱くこともなかった私であるが、その神秘的で不思議な染物に魅せられてしまった。実は、講座の最後に受講者から次のような質問があった。“技術や技能という点から差別の対象とされたという説明であったが、「青色」そのもののイメージが差別される要因になったとは考えられないだろうか?”と。確かに、「青色」と言えば、青白い死人の顔色に通じる。講師からは、そういう点については十分に研究・調査していないので応えかねるということで終わってしまったのである。
《読者の皆様へのお願い》
以上のように、「青」の研究にあたっては、差別の歴史をひもとくことになる。21世紀は「人権と共生」の時代と言われているが、残念ながら私の知る限りにおいてまだまだ差別と偏見の意識が強く根付いているように思う。このブログを進めるにあたって、様々な過去の差別的表現をそのまま使用・記述する部分も出てくることになるが、戦争の歴史と同様に私たちの祖先がなしてきた行為に対して真摯に振り返り、科学的な認識と分析を加えて、これからの私たちがどうあるべきかを多くの方々に考えていただきたいとの思いからである。差別と偏見をなくすための営みであることを理解いただきたい。