螺旋物語(54) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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音楽と「螺旋」の関係もありました。
《シュトックハウゼン:シュピラール(螺旋)~ソロと短波受信機のための》
「短波ラジオで受信するものの多くがすでに,言葉,ニュース,音楽,モールス信号の彼方の,まったく違った世界から届いているように聞こえないだろうか?」(彼自身の発言)
1968年に作曲された「シュピラール」は、一人のソロイスト(どんな楽器、声を使っても良い)が短波ラジオを使いながら演奏する作品で、特殊な記号で記譜された楽譜に基づき、短波ラジオから聴こえる音を演奏者が楽器や声を使って模倣、変形していく非常に特殊な演奏能力を要する作品です。「螺旋」の楽譜の中には「螺旋記号 Spiral-Zeichen」と呼ばれる記号を使った部分があり、ここでは直前の(音楽的)イヴェントを何度か繰り返すのですが、その際に全ての音楽的パラメーターをそれまでに演奏した楽器や声のテクニックを超えるまで、もしくは楽器や声のテクニックの「限界を超越する」までに変化させることが求められています。この独特な演奏指示の表現方法は、「螺旋」の数ヶ月前に作曲された「7つの日より」における幾分神秘的な雰囲気を持つ詩のようなテキストによる演奏指示からの影響だと思われます。一連の短波ラジオを使った作品群「短波」「螺旋」「ポーレ」「EXPO」と「7つの日より」と「来るべき時のために」の2つの直感音楽の作品集は同時期に並行して作曲されています。1968年初頭「短波」1968年5月「7つの日より」1968年9月「螺旋」1968年8月~1970年7月「来るべき時のために」1969/1970年「ポーレ」「EXPO」、一連の「短波もの」と直感音楽との間には、作曲時期が同時期である、という以上の作曲上の共通点も存在します。直感音楽で使われているテキストを読んでみると、「宇宙のリズムで演奏せよ」などといった表現がしばしば見られるにも関わらず、音楽的イヴェントをどのように変容させていくか、という点においては「短波もの」とそれほど大きく違いがある訳ではないことが分かります。解説に、シュトックハウゼン自身がテキストからどのように演奏の内容を決定していくか、というプロセスが書かれていますが、非常に具体的且つ論理的に演奏内容を決定していることが良く理解できます。「短波もの」と直感音楽の間には演奏のきっかけとして短波ラジオから聴こえる音響を使うか、「超意識」が感じるものに従うか(心を一種のラジオとして捉える)という違いはあるものの、そのきっかけとして得た音楽的イヴェントの変形プロセスの考え方には共通する部分が多く、「直感音楽」という概念はその表面的な語感に反して、実は非常に論理的な音楽であり、1950年代以来のセリー的な思考の延長線上に位置すると考えることもできるものです。直感音楽第2集の「来るべき時のために」と、現在まで続くフォルメル・コンポジションによる最初の作品「マントラ」(1970年5月~8月作曲)の作曲時期が重なっているという事実も非常に興味深いです。
《リゲティ・ジョルジュGyorgy Ligeti》(1923-)ハンガリー-オーストリア
ポリフォニックの音を細かく螺旋状に使うことから「ミクロポリフォニー」といわれた手法を用いることで知られる作曲家だが、創作の作品としての現れ方は時代によって変化している。初期にはバルトークの影響が強く見られるが、亡命後はケルンスタジオでの電子音楽制作、セリー主義批判、ミクロポリフォニーを用いたクラスター的な音響作法、ミニマルとの微妙な関係から生まれた作品群、ポリリズムの嗜好が強い近作、などといった具合である。そういった表層的な問題とは別に、創作活動における「着想を確定させ、それにかなった素材を限定し、その枠の中で創作する」という基本姿勢は変わらない。
《ルイジ・ノーノ》
「沈黙の悲劇」とも呼ばれるノーノの『プロメテオ』は、まさにカッチャーリ自身の手になる台本によって「群島性」を特殊な音楽形式へと昇華させた作品だと言うことができる。ノーノは、第二次世界大戦後間もなく開始されたドイツの芸術家村ダルムシュタットでの現代音楽夏期講習会でピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンと知りあい、互いに論戦を戦わせながらセリエリズム、電子音楽、アンガージュマンといった前衛的音楽思考を敢然と遂行していった。一方、ダルムシュタットより以前、イタリアでの一学生として法学と音楽を学んでいたノーノは、周囲の多くの学生とともにレジスタンスに共感し、1952年には共産党に入党する。50年代のイタリア共産党と最前線の音楽創造との結びつきは、ファシズムへの対抗、権力への反発、19世紀的世界観・形式意識への疑念などと同義であった。オペラ劇場での、19世紀的でわかりやすいストーリーもまた、作曲家たちが対峙すべきラディカルな問題であった。『イントレランツァ』『愛に満ちた偉大なる太陽のもとで』(1972-74)、そして『プロメテオ』(1984-85)という三作品は、上演形式の観点からノーノの舞台上演作品三部作であるといってもよいだろう。いずれも「オペラ」と呼ばれることを作曲者自身が厳しく否定し、「テアトル・ムジカル」という音楽史の一般名称または「舞台行為ないし舞台筋展開(azione scenica)」という呼称を付されている。「舞台行為」は、視覚と聴覚という二つの面で、そして舞台上の行為を自らの身体を通して受容する観客たちの認知システムの面でも、互いに異なる複数の個性を並置していくプロセスを意味する。ほぼ10年ごとという間隔で実現したノーノ三部作の舞台リアリゼーションは、それぞれに異なる視聴覚上演技術を打ち出してきた。『イントレランツァ』はチェコの異才ヨゼフ・スヴォボダの技術に支えられた「幻灯機(lanterna magika)」によってマルチ・スクリーン・プロジェクションでの演出を実現し、『愛にーー』ではロシア人演出家ユーリ・リュビモフとの共同作業でミラノ・スカラ座とクラウディオ・アッバードの力を得て、センセーションをより多くの観客にアピールした。『プロメテオ』では、アシンメトリカルに立体螺旋を描いていく音の道を、音響的変容による静寂を「聴く」ための道具として実現したのだ
《楽譜の風景》http://homepage1.nifty.com/iberia/index.htm