螺旋物語(53) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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なぜ螺旋にこだわるのか・・・その理由の一つを思い出しました。
《ソフトクリーム》
普通のアイスクリームは、子どもでも近所のお菓子屋さんで簡単に買えますし食べなれていますが、ソフトクリームは昔、デパートやレストランに行かないと食べさせてもらえない特別なものでした。あの螺旋形のソフトクリームの看板は、子どもにとって憧れでもあったわけです。
《起源は・・・》
(1)BC2000年頃から中国では家畜の乳しぼりが始まり、そのミルクはとても貴重な飲み物でした。ミルクを長時間煮てから雪で冷やしてやわらかい糊状にした氷菓(現在のシャーベットに近い「アイスミルク」)は、大金持ちのシンボルでした。また、果肉入りのジュースを雪やアイスミルクと混ぜたフルーツアイスも作られていました。
(2)日本に初めてソフトクリームが登場したのは、1951年(昭和26年)7月3日に、米軍がアメリカ独立記念日を祝って明治神宮外苑で開催したカーニバルの模擬店でした。コーンカップに盛られたソフトクリームが初めて公開販売されたのです。それまでのアイスキャンディとは全く異なった柔らかい感触、しかも容器(コーンカップ)まで食べられ、冷たいクリームとサクサクしたコーンカップのマッチした味は、物珍しさも手伝って大変な人気を呼びました。同年9月には有名百貨店の大食堂で、当時はとても高級なデザートとして、約50円で販売され、いよいよ日本にもソフトクリームの文化が生まれました。
(3)日本に登場したソフトクリームは、またたく間に人々の心をつかみました。街には飲食店が増え、有力店はいち早くソフトクリームに着目し、まもなく、各地デパートの食堂や有名レストランでも販売されるようになりました。国産フリーザーの開発や、粉状・液状ミックス(クリームの原料)の販売とともに1954年以降、第一次ブームに火がつきました。
(4)1970年に大阪で開かれた日本万国博には、6000万人もの人がつめかけ、超ビックなイベントとなりました。この会場にも約200台のソフトクリームフリーザーが設置され、ソフトクリームを食べながらパビリオンをめぐる人たちの姿が大いに目を引きました。これが絶好のPRとなり、第二次ブームやソフトクリームの食べ歩きを定着させることとなりました。大都市の繁華街で流行した立ち食いスタイルは、1967年頃より次第に地方都市へと広がっていきました。当時、次々に建ち始めたスーパーマーケットや駅ビル、ショッピングセンターが、ソフトクリームの新しいマーケットとなったのです。
(5)ソフトクリームは外食産業、商業施設、コンビニエンスストアなどでも取り入れられ、これと時を同じくして北海道の牧場自家製ソフトクリームが話題となり、また地方の特産物を取り入れたご当地ソフトが次々と登場、有名レストランチェーンのソフトクリームが話題となるなど、テレビ、雑誌などにもたびたび取り上げられるようになりました。今や、ソフトクリームは幅広い年齢層に愛される嗜好品として定着し、夏限定品から年間を通じて食べられるようになりました。また、グルメ志向の乳脂肪分の高いソフトクリームやファッション志向、健康志向に合わせたソフトクリームなどとバリエーションも増え、日本の生活の中にしっかりと根付いているのです。1991年、日本上陸して40周年にはソフトクリームの歌、イメージソング大会を開催。1996年、45周年には第1回ソフトクリームフォトコンテストを実施、日本ソフトクリーム協議会では多くの方々に7月3日をソフトクリームの日として知っていただき、より一層ソフトクリームに親しんでいただけるよう活動しております。(HPより)http://www.softcream.org/history_folder/history-1.html
《アイスクリーム・コーン》
コーンの原型は、アイスクリームに添えられて来るウェハースでした。アイスクリームとコーンの出会いは1896年にアメリカで製造されたが話題にならず。評判になったのは1904年ワッフル焼き器特許所有者が屋台のアイスクリームを売っていた男のためにワッフルを円錐形に巻いてあげたのがキッカケだったそうです。シチリア島出身のハンウィさんというアイスクリーム・メーカーが、ウェハースを巻いてアイスクリームを持ちやすくしたらどうかと考えたのでした。この形は世界的に大ヒット。コーンの材料も柔らかいウェハースから、もっとしっかりしたクッキー・タイプまで、様々に工夫・改良されています。ソフトクリームの誕生は、1934年アメリカで「凍ったカスタード」を行商で売り始めたのが最初だそうです。パフェはアイスクリーム・サンデーにフランス語の名前をつけたもの。何故パーフェクトの意味なのか、不明です。サンデーもフランス語綴りから来ていますが、こちらは「日曜日に宗教的禁制品を食べてはいけないのを誤魔化す」という背景がありました。 美味しいものを安息日に食べてはいけない、という気持ちがあったようです。
原料はほぼ同じですが、-30度C以下で固く凍らせたものが「ハードタイプ(アイスクリーム)」で、「ソフトタイプ(ソフトクリーム)」はそれほど低温で凍らせません。美味しくいただいてもらうには、ソフトクリームは-6~-7度Cくらい、アイスクリームは-14~-15度Cくらいが適温です。形ができたアイスクリームは、なめらかなクリーム状にするために、らせん型のスチールネット(スパイラル急速冷凍装置)の上を移動させながら40分程かけて-40度C以下で急速に冷やされ、固められます。品質を安定させるため、冷凍保管庫(-25度C以下)で24時間以上保管してから出荷します。
《なぜ螺旋形?》
ソフトクリームの形は、あの自由の女神がモデルになっている。などという噂もありますが、ソフトクリームはやわらかいのでスプーンなどで盛るのではなく筒から連続的に出てくるようになっており、いかに少ない量で、コーンの上のクリームがボリュームあるように見せられるか、工夫した結果の形です。ソフトクリーム製造機のクリーム抽出口は今も昔も固定されていますから、☆型等の口から抽出される一筋のソフトクリームをコーンカップで受け止める必要があり、一定量を綺麗に均等に盛るにはコーンカップをクルクル回して徐々にクリームを重ねる結果、特徴のある渦巻き状のソフトクリームが出来上がるわけです。また、あのうずは中に空気を内包させることによりソフトクリームの口当たりをよくしていると考えられます。
《イオ・ミン・ペイ(Ieoh Ming Pei、貝聿銘)》
「貝」という名前にふさわしく・・・ベルリン観光の中心部であるウンターデンリンデン通り。ここにあるドイツ歴史博物館は、完全新装オープンに向けて工事が進んでいるが、その一部が先ごろオープンした。歴史的な建築に隣接してできたのは、ガラス張りのユニークな建物。螺旋階段が特徴的で、外観はソフトクリームにもカタツムリにも、あるいはトーチのようにも見える。内部は、シンプルな白基調ながら幾何学的なデザインだ。空から見ると、V字型とL字形の建物が並んでいるようで、実にユニーク。歴史的な部分をそのまま残して、新しい部分を付け足した試みは、ドイツ連邦議会議事堂に似ている。この斬新な建築を担当したのは、中国・広東州出身のイオ・ミン・ペイ氏だ。米マサチューセッツ工科大学を卒業し、世界各国で建築を手掛けている。特に博物館建築では世界でも第一人者で、米国ワシントンのナショナル・ギャラリー東館、仏ルーブル美術館内のピラミッド建築、そして滋賀県にあるミホ・ミュージアムを手掛けている。「ペイ建築」と言われる新館のオープニング・イベントには、ご本人も登場。設計を採択したコール首相(当時)に謝意を述べ、館内を吟味。そして、その国の建築特長を生かしながら、現代的なものと融和させることの重要性を強調した。(ニュースより)