青の伝説(22) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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帝王紫

《画像》サン・ヴィターレ聖堂の有名な「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」のモザイク。東ローマ皇帝ユスティニアヌスは527年に即位し、ペルシャ、ヴァンダル族、西ゴート族、東ゴート族など、数多くの外敵と度重なる戦いを経験し、一時的には旧西ローマ帝国の領土の一部を奪還しています。首都コンスタンティノポリスの聖ソフィア教会(ハギャ・ソフィア)を537年に建立するなど、教会の建設にも力を注ぎました。実際には、ユスティニアヌスはサン・ヴィターレ聖堂の献堂式に参列することはかなわなかったのですが、このモザイク画には皇帝がミサの捧げ物として黄金の聖体皿を持って参列している姿が、荘厳かつ生き生きとした表情で描かれています。また衣装は「貝紫」と思われます。皇帝の向かって右は実際に献堂した大司教マクシミリアヌス、その間の後方には教会の費用を負担したユリウス・アルゲンタリウスと言われています。ユスティニアヌス帝のパネルの反対側には「皇妃テオドラと従者たち」が対になっています。《マヤの染色》マヤには4つの代表的な天然染料がありました。《天然藍》アニ-ルと呼ばれた藍は儀式などでも使われた大切な色でした。中南米での藍染めに使われるのはナンバンコマツナギという植物です。そして遺跡に残る壁画や、土器・絵文書を彩るマヤンブルーも藍から作られたものだったのです。マヤンブルーと言うのは明るいトルコブルーかかった青色のことで、インディゴ顔料にある種の鉱物を混ぜて加熱すると鮮やかなマヤンブルーになるのだそうです。藍染めには沈殿藍が使われていましたが、藍草であるナンバンコマツナギから、インディカと呼ばれる染料を取り出して沈殿藍とするためには、高度な技術が必要になります。藍草を水につけて発酵させるのですが、その時間が短ければインディカの取れる量は少なくなります。しかし長すぎると雑菌で水が腐ってしまい使い物にならなくなるのです。その最も適した時間を知っている人はプンテーロ(ちょうど良い時間を知る人)と呼ばれ、口伝で技術が伝えられて行きました。植民地時代になってからも藍は生産されていました。そして17世紀にそれまでのカカオに変わって輸出品のトップになります。中南米原産のナンバンコマツナギはインド藍より藍の含有量が多いとされており、その品質の高さから、当時の副王領だったメキシコやペルーは勿論、本国のスペインを経由して全ヨーロッパにまで輸出されていたのです。その際藍を運んだ道は今でも残っています。しかしその生産は19世紀始めにはコチニールへと移ることになりました。グァテマラではすっかり廃れてしまいった藍産業ですが、隣国のエルサルバドルでは現在でも沈殿藍を作る知識を持ったプンテーロたちが残っています。また藍を沈殿させるのに使われていた設備やナンバンコマツナギも残っているのです。児島先生は、天然藍の復活に力を入れているそうです。そうなれば、染めはエルサルバドルで、そして織りはグァテマラでと、天然染料を使った手織りが復活することになるのです。《貝紫》貝紫は美しくて堅牢度の高い染料です。世界各地にこの貝を使った染色は見られますが、中米ではプルプラ・パトラ・パンサ貝が使われました。糸束を担いで貝紫染めに海岸に来た男たちは貝を見つけると、岩場からはがし息を吹きかけます。するとミルクのような液体が貝殻の口まで溢れます。それを糸束の上に滴らせ、貝は元の場所に丁寧に戻してやります。濡れた綿糸は始め無色ですが、太陽にさらすと黄色になり、輝くような緑を経て最後に鮮やかな紫色になります。一束の糸を染めるのには大きな貝6~7個で十分で、染の始めと終わりに海水につけ、広げて太陽にさらします。染めつきのむらをなくすためには夜露にさらしました。グァテマラには岩場の海岸がないので、自国で貝紫染をすることはありませんでした。しかし、儀式用の民族衣装を作るためにそれを買い求めました。現在では貝紫を使った衣装はほとんど残っておらず、とても貴重品です。《ログ・ウッド》ログ・ウッドはマメ科の植物です、学名はヘマトキシロン・カンペキアヌム。マヤ語でエク(黒の意味)グァテマラではティンタ(染料)と呼ばれています。メキシコのカンペチェ湾原産で、グァテマラでは古典期のマヤ文明が栄えたペテン低地の湿地帯にたくさん自生しています。モモステナンゴで毛織物の染色に多少使われるほか、民間薬としての需要もありますが、産地では柵や建材としても利用されていているそうです。多色性染料で媒染材によって染まる色が変わります。錫媒染で紫、クロム媒染でグレー、銅媒染でこげ茶に染まりますが、黒染染料として最もよく使われてきました。現在でもイギリスの礼服産業や京都の染色業界では欠かせない染料です。《コチニール》コチニールとはラテンアメリカ特産の、ウチワサボテンに寄生する臙脂虫の一種で大きさは1ミリくらいです。色を出すのは雌だけです。染料として使うためにはサボテンに寄生させて飼育した雌虫を刷毛やブラシで布の上に落とし、これを集めて乾燥させるのです。潰すと血液のような赤色がつきます。しかし綿繊維には染まりにくい性質のため、グァテマラの民族衣装にはほとんど使われることはありませんでした。このコチニールの生産量も1870年代頃まで世界一を誇っていました。これもまた本国スペインに輸出されていましたが、この染料の正体が虫であることを隠し、穀物の粒と言っていました。しかしカナリア諸島に流出したことにより過当競争時代にはいり、人々はコーヒーを作るようになりました。現在では人体に無害であることが証明されたため布より、食品や経口薬品のカプセルなどの着色に使われています。日本の猩猩緋の陣羽織もコチニールを使って染めたものだそうです。これは日本人の好みに合わせてコチニールとキハダで朱色に染めたものです。