《貝の仲間》
約11万種、日本には約5千種います。うち、食用になるのは約50種ほどです。貝の誕生は約6億年前といいますから随分古いです。当時は陸上に生物はいない時代です。(植物の上陸が約4.1億年前、動物の上陸が約3.6億年前と言います)食用の歴史は古く、日本では縄文時代の貝塚から350種もの貝の殻が見つかっています。
《「貝」の字》
「貝」の字は二枚貝を表す象形文字です。(子安貝の形からと言う説も)一方、巻貝には、「蜷」、「螺」、「?」の三つがあります。もともと、「蛤(こう)」が二枚貝全体、「蚌(ぼう)」が淡水産の二枚貝を表しましたが、その後、「貝」が貝全体をあらわすようになったといいます。
《「貝偏」の字》
貝のうち、タカラ貝類(子安貝)は美しく、希少価値があったので、中国で紀元前11世紀以上も前から貨幣として用いられました。現在、お金に関係する字が貝偏なのはこれによります。紀元一世紀でも亀甲、布、貝は鋳貨と併用されていた記録があります。子安貝は竹取物語に「ツバメの子安貝」として出てきます。なお、貝で貝偏の字は無いそうです。
《貝紫》
「帝王紫」とも呼ばれ、紀元前1600年もの太古から高貴な色として珍重され愛された貝紫染め。原料の採取に大変手間がかかるため、大量生産には向かず、とても貴重な素材です。染料は1gあたり16,000円で売られており、着物用の絹の原反で原価200万円もする高価なものです。古代ローマ、ギリシャではアクキガイ科の貝の鰓下腺(さいかせん=パープル腺)から採れる紫色の染料、貝紫が珍重されました。この紫は、シーザーの紫衣やクレオパトラの帆船などに使われたことで有名ですが、ローマ時代には凱旋将軍のみに許された色で、ローマが帝政になってからは皇帝の色とされました。一枚のマントを染めるのに15,000個の貝を必要としたと言います。この、高貴な緋紫の染料のもととなる貝紫を始めたのが、後にフェニキア人(緋紫の人々という意味)と呼ばれる人々です。現在のレバノンあたりに住んでいました。彼らはアルファベットのもとになった、フェニキア文字の発明者としても有名です。後ローマと対決するカルタゴもフェニキアの殖民都市でした。この貝の仲間で日本に住んでいるのがイボニシです。日本で、イボニシのパープル腺を使って皇帝紫の再現実験に成功しています。このイボニシ、環境ホルモン(有機スズ化合物)の影響で絶滅を危惧されています。雌の雄化による繁殖力低下が著しいのです。貝から紫色の粘液を分泌するパープル腺を取り出し、色素を分離抽出し染料にします。(わずか1gの染料をとるのに約5Kg(約20個)の貝が必要)染色の最初の段階では黄色ですが、自然乾燥(酸化)させ紫外線を吸収することで、徐々に黄~緑~紫へと変化します。発色の美しさはもちろん、堅牢度が高い(色があせない)ため、染料として非常に優れています。※天然の動物性染料のため、貝特有の臭いがする場合がありますが、使用につれてなくなります。《悪鬼貝》画像右から・・・レイシ、シリアツブリ、ツロツブリボラ。アクキガイ科で貝を食べることから貝仲間に恐れられている。なんとも恐ろしい名前の貝です。
《日本の紫》
紫草の根から採られました。清少納言も「花も糸も紙もすべて、なにもなにも、むらさきなるものはめでたくこそあれ」と記しています。「紫衣」は紫の法衣で、僧正でなければ着られない衣でした。