青の伝説(78) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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タイセイ

南の島・沖縄について書いてきましたが、日本では鹿児島県から青森県にかけては蓼藍(たであい)を使用し、沖縄では琉球藍です。北海道では蝦夷大青(北海道藍)を使用していたようです。そこで、北から順に「藍」について辿っていきたいと思います。

《蝦夷大青(アブラナ科)》細葉大青、菘藍(ショウラン)、浜大青、学名:Isatis tinctoria L.英名:Woad。北海道はヨーロッパと緯度が近いので、ウォードと同じアブラナ科に属する二年生草。江戸時代の中ごろ中国から渡来し、茎は円錐状で、草丈は70センチ内外。葉は長楕円形で互生する。花は小形の十字花冠で黄色、多数集まっている総状花序をつくる。全草にインジゴを含み、天然藍の原料になる。根や茎、葉を煎じて服用すると解熱、解毒作用がある。北海道または樺太の方々に野生しており、アイヌの集落には必ず自生していたとあるが、タデ藍のように収量が多くないので、現在はほとんど利用されていない。http://www007.upp.so-net.ne.jp/ko-ya/newpage016.htm より

《大青》藍の成分を含むアブラナ科の越年草で英名をウォードといい、南ヨーロッパから中央アジアに分布しています。中近東ではブラックヘナとも呼ばれ、染めものだけでなく、中近東で行われる眉をつなげる特有のメイク等にも使われてきました。日本へもシルクロードを経て伝わり、染めものやメイク等に使用されていたといわれています。水に溶くことにより含有されているインディカンという成分がインドキシルに変わりそのインドキシルが酸化すると、インディゴになるというメカニズムにより染まります髪を直接染めることはありませんが、髪についたヘナを染めるのでヘナとの併用で髪を落ち着いた暗めの色に染めることができます。トリートメント効果はありませんが、自然素材で髪を落ち着いた暗めの色に染めることができる。http://www.rakuten.co.jp/saikashop/282303/293751/293757/ より

《板藍根》漢方、生薬の古典『本草綱目』によると、「板藍根」はアブラナ科の植物で菘藍(和名:ホソバタイセイ)と草大青(和名:ダイセイ)の根の二つに大別される。中国で商品化されている物の多くは、菘藍を使っている。温暖な気候に適し、土壌が深くて厚く、排水の良好な砂質壌土および腐植質壌土で育つ。高さ40-90センチまで成長する。薬剤として使われる根は、細長い柱形で、長さ10-30センチ、直径3-8ミリ。表面は浅灰黄色で粗く、縦じわ及び横向きの瘢痕がある。主産地は河北省、江蘇省など。《細葉大青(ほそばたいせい)》ホソバタイセイはアブラナ科の1年草で、地上部を発酵させてとれる藍色の染料は草木染めに利用されます。また、ホソバタイセイの根は解毒の効果があるとされ、板藍根(ばんらんこん)と呼ばれる生薬になります。北京でインフルエンザが流行した時に、北京動物園では、生まれたばかりの双子のパンダの赤ちゃんの母親の餌に板藍根を混ぜ、授乳を通して赤ちゃんの風邪を予防していた、と中国の新聞で報じられたことがあるそうです。《中国の民話(浙江省)》ある金持ちに雇われた若い作男がいました。作男の仕事は、金持ちの屋敷で必要な量の薪を山へ行って刈ってくることでした。作男は早朝から弁当持参で夜まで働いていました。山には年とった板藍和尚のいる馬藍寺があり、作男はその寺で昼の弁当を食べていました。馬藍寺には井戸がなかったので、作男は毎朝寺に水を運んであげ、和尚は作男にとても感謝していました。ある時、作男が何日も山寺に来ない日が続きました。和尚は心配して毎日作男を待ちました。しばらくして作男がやってきて、和尚に悩みを打ち明けました。「お屋敷のお嬢さんが私に好意を寄せてくれています。しかし、お嬢さんの両親はお嬢さんを役人の妾にするつもりです。お嬢さんはわたしと駆け落ちできなければ、川に身投げすると言うのです。」和尚は作男に他言しないように言い含めて、飲む量に応じて仮死状態の日数を決めることができる還魂根という薬草を渡しました。そして、娘に5日分を渡して自分の部屋で飲ませ、4日後に娘をかついで寺へ連れて来るように、言いました。娘は作男にもらった薬を飲んで仮死状態になり、両親は娘を棺に納めて埋葬しました。4日目の夜、作男は墓を掘って棺から娘を出して、墓を元通りに埋め、娘をかついで山寺へ行きました。翌朝、娘は目を覚ましました。和尚は二人に薬草を採って丸薬をつくる方法を教え、疫病のはやっている浙江へ行くようにすすめ、餞別に銀貨50両を渡しました。二人は浙江へ行き、結婚して、疫病の治療にあたりました。薬がよく効いたので二人は豊かになり、子供も産まれました。しかし、二人が望郷の念にかられて板藍和尚を訪ねた時には、和尚は既に亡くなっていました。そこで、二人は和尚の恩に報いるために、和尚に教えてもらった根を使う薬草に板藍根という名前をつけました。http://members.jcom.home.ne.jp/tink/botan/flower1/hana3hagyou.htm より