インドの竜(ナーガ)は、竜宮(ボーガバティー)に棲むと言われている。仏教の上での竜は釈迦の教化で仏法の守護神となる八部衆の一員と言われ、水辺にいて降雨をつかさどり、ボーガバティーは「快楽の町」を意味している。竜宮に棲む難陀竜王(なんだりゅうおう)、優婆難陀竜王(うばなんだりゅうおう)は、釈迦に浄水を注ぐ役目を果たしていると言う。八大竜王は釈迦の侍者としても知られているともある。法華経に登場する。難陀(なんだ - Nanda)歓喜。跋難陀(ばつなんだ - Upananda)亜歓喜。なんだの弟。姿伽羅(しゃから - Sagara)海、龍宮の王。 和修吉(わしゅきつ - Vaski)多頭。徳叉迦(とくしゃか - Taksaka)多舌現毒。阿那婆達多(なばだった - Anavatapta)無熱。摩那斯(まなし - Manasvin)大身大刀。優鉢羅(うはつら - Utpalaka)青蓮華。特にその中でもシャカラ(娑羯羅・沙伽羅とも)が雨乞いの神として深く信仰されており、弘法大師が京都神泉苑で八大竜王に祈って雨乞いをし、雨を降らせたという話が残っている。
《八大竜王》神奈川県茅ヶ崎
昔々、茅ケ崎の遥か沖の海底に竜宮がありました。竜宮には赤竜、白竜、青竜など、全部で8匹の竜神がこの世を支配して暮らしていました。竜神の力は偉大で、さまざまの現象を、納めていました。ある年、よその国が日本を攻めてきたので、スサノウノミコト(海王)は、竜神に頼みました。竜神は海を荒らし、豪雨を降らせ、敵を撤退させました。竜神が空へ昇れば、垂れ込めた雲も、一瞬のうちに吹き飛ばし、青空を呼びます。農民が、稲作の心配をしていれば、雨を降らせ村人を、喜ばせました。うば島(えぼし岩)には、竜宮様が、祭ってあります。海の災難、風の災害を防ぐ、八大竜王神です。うば島と浜辺には、八大竜王神の祠も建っていました。人々は竜王神に願をかけました。南湖の網元では、地引に魚が多くかかると竜神様のお陰と、朝あみで、取れた魚を、八大竜王神にかけおい、「俺んちでアジがとれた」「俺んちでカマスがとれた」と声を張り上げ、八大竜王神までふれ歩いた。八大竜王様に供えた魚は“すぐ下げる”のが習わしなので、近くの人が、速やかに、竜神様のおすそ分けに、あやかりました。1月11日が竜神様の例大祭で、最近まで、南湖ではお神楽が奉納されていました。
《金毘羅》
中国の貴洲と言う所に地底の鍾乳洞の舟遊びをさせてくれる龍宮があり、プイ族の若い船頭の操る小船で少し漕ぎ出すと龍門(ロンメン)があり、そこから龍宮(ロンコン)に入ったとあります。竜宮はインドでも中国でも存在しています。さらにインドではクンピーラというワニを水の神と奉り、そのクンピーラそのものが竜と同一視されていたようです。金毘羅様はクンピーラが転じた名称であり、その神様は舟運、漁業など、舟を必要とする所に奉られています。
《乙姫》
竜宮の主人は竜王で、乙姫はその娘ではないかと考えられますが、中国で生まれた竜の定義では、龍は男であり、皇帝・武・闘争・陽、とあります。乙姫は浦島太郎に恋をしてしまう。竜王は、人間に恋する娘にあきれて「竜の娘にあるまじき」と失望する。それが竜宮の姫に「乙」をつけた理由なのかもしれない。乙(きのと)=2は柔弱にして繊細であるから凶。
《甲と乙》
この字を見ていると蛇や竜の形をイメージするが、字義を調べると「獣骨」の形であると出ていた。ちなみに「甲」は亀甲とある。風水学では、「乙」は陰の木で草花と出ている。字源では、「かがまる(屈)、とどまる、とどむ(止)、をはり(終)、魚のはらわた(魚膓)魚のアゴノホネ 、ひとつ(一)に通ず」などと出ている。
《竜と龍》
中国の1900年ほど前の辞書に「竜は龍の元字也」とある。竜の元字は甲骨文字や金文から来たと考えられる。象形文字は言うまでもなく、その物の形をとらえたものであるから、目に見えて存在した物から作られたと考えられるが、それは一体何だったのだろう?
紹介した画像は雨乞いに欠かせない「龍頭観音」です。