螺旋物語(20) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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歴史的に螺旋を考えると、ブリューゲルの絵画に象徴される「バベルの塔」を欠かすことができません。
《バベル(バビル)の塔》
ブリューゲルの描いた「バベルの塔」は、次のような伝承に基づいています。
旧約聖書創世記第11章によれば、世界の言語がひとつであった昔、人々は集まって天まで届く塔を造り始めた。神はこれを見て、人間の尊大をこらしめるため、言葉を乱してお互いに意志が通じ合わないようにした。そのため、塔の建設は中止され、人間は以後各地に分散し、それぞれの地方の言葉を話すようになった。
この「バベルの塔」は、実際に存在したようです。新バビロニアの王ネブカドネザル2世が造ったといわれる神殿がそれです。現在はその基盤の跡しか残っていませんが、推定される塔は縦・横・高さともに90mの大きさの四角錐で、7段になっており、頂上へは螺旋状の階段が設けられていました。そして各階が曜日の始まりといわれています。1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月です。
のち、アレキサンダー大王がバビロンに立ち寄って、このバベルの塔を再建しようと計画しましたが、崩壊した塔のれんがを取り除くだけで、1万人の労働者を使って2ヵ月もかかるほどだったということです。
以上の記録を見ると、建物そのものは「四角錘」ですからピラミッドのような形をしていたようです。ということはブリューゲルの描いた「円筒螺旋」状の建物は表現上の工夫であったと考えられます。「バベルの塔」は16世紀後半ネーデルラントにおいて非常に流行した主題であり、現存するだけでもこの時期に制作された作品が180点以上残っています 。彼以前に描かれた塔を調べましたら、確かに「方形や多角柱」が主流でした。しかし以後は、ブリューゲルの影響を受けて「円筒螺旋」が大半になっていきます。
《ジッグラト》
実現不可能な計画をたとえて“バベルの塔”といいます。バビロニア文明の発祥地であるメソポタミアには、伝説のもとになったと思われる古代遺跡がいくつも発掘されています。階段状ピラミッドに似た重層構造をもつジッグラト(ziggurat)と呼ばれる建造物です。ジッグラトがピラミッドと異なるのは建築材にレンガが使われていること。広大な沖積平野であるメソポタミアでは、石材の入手は困難なので、周辺にふんだんにある粘土が利用されたのです。日干しレンガよりも耐久性のある焼成レンガが、メソポタミアで使われはじめるのは紀元前2000年ごろのこと。『創世記』には、人々はレンガを焼き、瀝青(れきせい。天然アスファルト)をモルタルのかわりにしたとも記されているので、バベルの塔とはこのころ建設されたジッグラトと推定されています。メソポタミアのレンガ技術はその後、イスラム世界やヨーロッパに受け継がれて発展を遂げました。コンスタンチノープル(イスタンブール)を中心として、各地に建てられた重厚なビザンティン建築の多くもレンガ造りです。