古代遺跡としての「バベルの塔」は残念ながら「方形・四角柱」であったようですが、「円筒螺旋」の建造物がイラクに現存しています。紛争・戦争の絶えない地域だけに、今後どうなっていくかとても心配です。人々が私たちのように「ブログ」しながら良好な人間関係の螺旋を築いてくださることを願います。
《サーマッラー》
イラク中部,バグダードの北西約110km、ティグリス川東岸にある町。アッバース朝時代に約50年間(836~892)首都として繁栄した。現在も重要な宗教上の要地とされていますが、この町の郊外に広大なアッバース朝時代の遺跡があります。カリフ、ムタワッキルが建てたアッバース朝最古で、しかもイスラーム最大の多柱式モスクと螺旋状ミナレット・アブー=ドゥラフのモスク・バルクワーラー宮殿をはじめ多くのモスク・宮殿の廃墟です。このうち都城址は1910~14年に、E.ヘルツフェルトの指揮するドイツ調査隊によって発掘されました。各遺跡から出土した遺物類は,製作年代がほぼ明確なため、資料的価値が大きい。サーマッラーの都市址の下には、先史時代の文化層があります。堆積の最下層からサーマッラー期のサーマッラー式土器が発見されました。螺施階段のミナレットは世界に3つしかなく,ここにその2つがあり、遠方からの眺めはとても幻想的です。
《ミナレット》
祈りの時を告げるモスクの塔。ミナレットは英語で、アラビア語ではマナーラ。尖塔または光塔と訳します。マナーラとは「光または火をともす所」の意。古くはミナレットの頂部で火がともされ隊商の目印となったと言う。起源としては、[1]ウマイヤ朝時代にシリアの教会の鐘楼を模倣、[2]物見台、[3]烽火台、[4]隊商のための灯台など、いろいろ言われていますが、[4]が最も蓋然性が高いようです。かつては礼拝の度に呼びかけ人(ムアッズィン)がこの上に登り礼拝を呼びかけましたが、今日では頂上にスピーカーを取り付けた所が多いそうです。ミナレットの位置は必ずしも一定していません。一般にミフラーブを中心とした軸線上に造られることが多いのですが、門の両側・中庭などに造られることも少なくありません。オスマン=トルコ時代にはモスクが宏壯になるとともにミナレットも巨大となり、その数を増しイスラームとスルタンの権威を示す象徴となりました。イスタンブールのスルタン=アフメト=モスクの6本のミナレットは,その好例です。