DNA構造モデルを見て美しいと感じたのと同様のことを大学時代に経験している。日本古来の紋様(文様)「立湧」に出会った時である。
《立湧》
大学では「泉が大地から湧き立つ様子から名付けられた」と習った気もするが、波状の線が縦に規則正しく並ぶ文様で、水蒸気・雲気が立ち上る状態に見たて、この名が付けられたという。波の膨らんだ部分に雲・波・花などが組まれるのが普通で、それぞれ雲立湧・波立湧・藤・松・菊など立湧と呼ばれる。
《流れひょうたん》
港町として栄えた漁業の町・熱海市網代町の阿治古神社に伝承される御神船「両宮丸」御神船両宮丸は阿治古神社の例大祭7月の三日間のうち、本祭りの御神幸行列にのみ引き回される。行列が町内を巡りお旅所に着く「お下り」(巡幸祭)と、お旅所から神社までの「お上り」(還幸祭)の際に、神が乗る乗り物として引き回される。引き回しには、昔から厳しい定めがあった。例えば、天王祭前に旅行や所用で網代を出たものは祭り前には帰ってきてはいけない。帰ってきても祭りには出られないなど。御神船にたずさわるのは網代八町内のうち片町と南町の二町内と決まっている。もともと阿治古神社の祭典そのものは片町のものと伝承され、南町は片町から分かれた町内のため、今でも昔のしきたりに基づき片町、南町の二町内と決められている。
片町南町の若者が御神船を引き回す際の祭り衣装(浴衣)は独特の模様をしており、古老よりの伝承によれば「流れふくべ」(流れひょうたん)と言われている。流れひょうたんの由来は、天正十八年、豊臣秀吉が小田原征伐の際、網代より軍艦三十艘を出し、相州厚木城を攻めた際、軍功があったことから秀吉の旗印である「千成瓢箪」に因んでひょうたん印の船幕を許された。しかし世が徳川の天下となったことから秀吉ゆかりのひょうたん印を徳川家に遠慮し、ひょうたんを割って流れひょうたんにしたと言われている。 http://www.ajiro.com/
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