《翡翠(ひすい)》古来中国では「ひすい」には仁、慎、勇、正、智の五徳が備わっているといわれ、王の宝石「玉」と呼ばれ、人に超自然的なパワーを付与する宝石として珍重されてきました。「ひすい」を所有するだけでこれらの徳が備わるといわれ、美しい「ひすい」を持つだけで人は、敬われ、他者を支配できたといわれています。中国の文献からも戦国時代の秦の昭王などはたった一個の「ひすい」のために15の城との交換を申し出たそうです。日本においても「ひすい」は縄文時代より神のパワーを宿した宝石として尊ばれてきました。古代神道呪術において呪術の中心として日本人は「ひすい」で勾玉を作成しそれを崇めていました。日本人にとっての「ひすい」の歴史は4000年以上にもさかのぼるといわれています。邪馬台国の記述によると、魏志倭人伝の時代に持たせた貢ぎ物は、真珠が5000に対して、勾玉はたったの2つであったとされています。古事記では、天照大御神は高天原を守るために完全武装したうえに全身が埋もれるほどの勾玉を付けて須佐之男命に立ち向かったとされています。中華民国の国立故宮博物院の玉器の解説によると、古人は、玉を広義に表現し美しい石をすべて玉といったものだそうです。鉱物学的には、白玉、青玉、黄玉、碧玉、墨玉などの軟玉と硬玉、つまり、ダイヤモンド、ルビー、「ひすい」などの2種類に大別されています。これを言い換えると現在「ひすい」とよばれている宝石の多くは、軟玉であり、厳密に「ひすい」と呼ぶに値するのは、「本翡翠(ジェダイトジェイド)」だけであるということです。翡翠が採掘される産地は、世界でも限られており、大半がミャンマーです。しかし、ミャンマー政府は、年2回のオークションでのみ輸出を許可しているだけです。さらに年々産出量は減少し、原石の価格は、上昇の一途です。勾玉や他の彫刻品は、古来よりの製法を重視すれば、一つ一つが手作りです。翡翠は、最も割れにくい鉱物であり、その点では、ダイヤモンドをしのぐ特性をもっています。その手間は、アクセサリーなどで使われる水晶やめのうとは、比較になりません。本翡翠(ジェダイトジェイド)の産出はきわめて少なく、数多くの類似石を一般には、翡翠と呼んでいます。翡翠は東洋を代表する宝石であり、ダイヤモンドやルビーのように原石の結晶が、母石の中にあるというようなものではなく、時には、何屯もあるような石の塊として産出します。台湾翡翠(ネフライト)、印度翡翠(アベンチュリンクオーツ)、その他にも翡翠と呼ばれるものは、非常に多く、緑色の石の大半には、翡翠という名が付けられているようですが、その価値は本翡翠(ジェダイトジェイド)とは比較になりません。正式には「ヒスイ輝石、Jadite --NaAlsi2O6--」と言われます。「ひすい」というと、ほとんどの方が緑色だと思われがちですが基本的にヒスイは鉱物的には白色ないし無色であり、ここに微量のクロムが混じると美しい緑色になるそうです。ヒスイ海岸のヒスイは輸入品に比べ鉄分の含有量が少し多いのでやや黒緑の傾向にあるようです。「ひすい」には、白、緑、青、ラベンダー、オレンジ、黒、紫、等多くの種類が有るようです。基本的に緑色の「ひすい」よりラベンダー色の「ひすい」の方が産出量が少ないそうで、このラベンダーヒスイは、質の良いものとなると、色の薄い綺麗なものもあります。そしてさらに珍しいのが青い「ひすい」だそうです。ヒスイの強さは、硬度(硬さ)6~7で、ダイヤモンドは10。靭性(耐久性)は、良質の「ひすい」では独特の結晶構造により衝撃に対しては宝石の中では最も強く、ハンマーで割りとることはほぼ不可能です。ダイヤモンドよりも強いそうです。良質の「ひすい」とは、硬さ、割れにくさ、美しさの三拍子そろったものを言います。ハガネに匹敵する堅牢性を持つ「ひすい」に穴を開けたり削ったりと、自由に細工するにはかなり高度な技術が要求されます。遺跡などから発掘された勾玉や玉管などは、古代の人たちはどのようにして細工・加工したのか不思議です。日本には10ケ所の翡翠の産地がありますが、弥生・古墳時代の透明な緑の翡翠を含め古代の翡翠は、糸魚川周辺のものです。現在も姫川や青海川から運ばれた翡翠原石が海岸で採集することができます。出雲大社本殿の裏の真名井遺跡から、最高品質の翡翠の勾玉が、銅戈(どうか)とともに出土しました。現在は出雲大社に保管されています。当初はミャンマー産のものと疑われていましたが、ミャンマー産の翡翠の発見がはるかに遅いことから、現在では糸魚川産とされています。出雲大社が奉る大国主命は、翡翠の産地・糸魚川がある越の国にいた奴奈川姫(ヌナガワヒメ)や、北九州の多紀理毘売(タギリビメ、宗像三女神の一神)らと結婚しています。両文化圏を代表する翡翠と銅戈が埋められており、真名井遺跡に葬られたのは出雲地域の重要な人物と考えられています。
《治療石》として使うには、特定の必要とされている患部に置く必要がある。情緒的問題には「ラベンダー翡翠」が良い。ラベンダー色は愛と美と安定性を放って、精神体に関係する障害の治癒に有効。左手の薬指に指環としてつけて、患者の頭頂部のチャクラにかざすのが一番効果的方法。「赤い翡翠」は、エネルギー化する波動を持つと同時に、人の怒りを招来する力もある。そのため情緒的問題は撹乱されるが、底から撹乱することでアクが浮かび上がり、対処すべき問題が明確になる。「黄色の翡翠」は太陽神経叢に作用する。それは胆汁を刺激し不消化や便秘に有効。方法は石を直接肌に付けずに、患部にかざす。「青い翡翠」は、精神・想念・アイデア・想像力・瞑想など頭部に関わるずべてのことに作用する。臓器などには作用せず、頭や心中の触れがたいものにのみ作用する。首の周囲に付ける。(レノーラ・ヒュイット)
《島崎藤村「新生」より》・・・同じ水を眺め同じ土を踏むというだけのこんな知らないもの同志の手紙の上の交りが可成長い間続いた。時にはその青年は旅から岸本の許へ葉書をくれ、どんなに海が青く光っていても別にこれぞという考えも湧かない、例の柳並木の方が寧ろ静かだと書いてよこしたり、時には東京の自宅の方から若い日に有りがちな、寂しい、頼りの無さそうな心持を細々と書いてよこしたりした。次第に岸本はそうした手紙を貰うことも少くなった。ぱったり消息も絶えてしまった。「あの人もどうしたろう」と岸本は河岸を歩きながら自分で自分に言って見た。曾てその青年から貰った葉書の中に、「あの柳並木のかげには石がございましょう」と書いてあった文句が妙に岸本の頭に残っていた。岸本はそれらしい石の側に立って、浅草橋の下の方から寒そうに流れて来る掘割の水を眺めながら、十八九ばかりに成ろうかとも思われる年頃の未知の青年を胸に描いて見た。曾て頬へ触れるまでに低く垂れ下った枝葉の青い香を嗅いだ時は何故とも知らぬ懐かしさに胸を踴らせたというその青年を胸に描いて見た。曾てその石に腰を掛け、膝の上に頬杖という形で、岸本がそこを歩く時のことをさまざまに想像したというその青年を胸に描いて見た。・・・
・・・結婚生活を繰返すまいと考えた。両性の相剋するような家庭は彼を懲りさせた。彼は妻が残して置いて行った家庭をそのまま別の意味のものに変えようとした。出来ることなら、全く新規な生涯を始めたいと思った。十二年、人に連添って、七人の子を育てれば、よしその中で欠けたものが出来たにしても、人間としての奉公は相当に勤めて来たとさえ思った。彼は重荷を卸したような心持でもって、青い翡翠の珠のかんざしなどに残る妻の髪の香をなつかしみたかった。妻の肌身につけた形見の着物を寝衣になりとして着て見るような心持でもって、沈黙の形でよくあらわれた夫婦の間の苦しい争いを思出したかった。