青の伝説(36) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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淡路島

《おのころ島》古事記、日本書紀によると、伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が天上の「天の浮橋」に立って、「天のぬ矛」をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに、矛の先から滴り落ちる潮(しお)が凝(こ)り固まって一つの島となった。これが「おのころ島」で、二神は、その島に降りて、夫婦の契りを結んで国生みをされた。はじめに造られたのが淡路島でつぎつぎと大八洲(おおやしま)の国々(日本列島)をつくられたとあります。この神話は、もとは、淡路の海人族(あまぞく)が伝えた「島生み神話」であったといわれています。それが、大和朝廷の起源を語る『古事記』や『日本書紀』に取り入れられ、その冒頭にすえられるようになったのは、大和朝廷が淡路に屯倉(みやけ)をおいて、淡路島を直接の支配下におき、さらに御饌都国(みけつくに)と呼んで食料貢献の特別な地としたことに関係します。このようなことから、淡路の海人が朝廷に出仕するようになり、淡路の神話が宮廷に伝えられて、古事記や日本書紀の編纂の時期(奈良時代)に壮大な「国生み神話」となって語られたのであろうといわれています。《淡路島》かつては「淡路国」と呼ばれていましたが、豊臣秀吉の時代には洲本藩が興ります。その後徳川家康の時代になると洲本藩は廃藩され阿波国(徳島県)の一部となり、阿波国領主である蜂須賀氏が治めるようになります。その家臣である稲田氏が管理のため淡路に移り住みました。もともと「淡路」の意味は「阿波路」で、明治時代までは阿波藩でした。洲本城主稲田氏の独立騒動、いわゆる稲田騒動(NHKドラマ「お登勢」)で、兵庫県に編入される事になりました。《淡・青、阿波・藍》「青」は恐らく、awaが原型で、「淡」(awa LL)→「青」(awo LL)→「藍」(awi LF)と語尾の母音を変えることによって明度が小さい事を表現するという実に不思議な語形変化を示す。語頭アクセントは一貫して低声調で、珍しい語形成法である。「藍」は恐らく「淡」よりも後の時代に成立した語だと思われるが、blue の色相を表す語でなかった事は、「紅」(くれなゐ)の語義が、kure-no-awi(呉の藍)とされることから分かる。awa/awoの母音交替形が存在することは、「白」(sira/siro)、「黒」(kura/kuro)、「キラ(キヨ)」(kira/kiyo)と同じであるが、単独形に見られる音変化であるし、wという両唇音が語中に存在するので、語末子音の脱落の有無で音変化を説明するのは難しい。「青」は、「透明」「青」「淡」「寒色系の色彩」をすべて包含する語であった事から考えれば、「空」か「海」が語源ではないかという事になる。ある説では「空」(avaŋ)、別の説では「灰」(abuq)である。後者では原義である「淡」(awa)と第二母音が合わないし、blue に意味変化して更に「緑」を制圧するに至った経緯を説明するのが困難と思われる。日本を象徴する色の起源が「灰」というのは物足りない気もする。アクセントについては、イロカノ語に、awa'ngという対応語があり、vacant/emptiness(空虚)という意味になっている。日本語でも「空」が似たような意味変異を示すことは、「空」が「虚」と表記されたり「空耳」という表現があることから分かる。前者説の先駆けとなる日本語のアルタイ・オーストロネシア混合起源説を提唱したポリワーノフは、近畿方言に残る下降調アクセント(Fと表記)の起源を、語末子音ŋの脱落の痕跡と考えたのであるが、もしかしたら、「藍」のアクセントLFも、ŋの脱落の痕跡なのだとすれば、その同源語である「淡」の古形は、awaŋだったということになる。

考察:「淡路島」の形が「琵琶湖」に似ていたり、「阿波」と「難波」が何らかの関連がありそうだったり、四国(死国)のいろいろな地名が近畿圏にも多くあったり、国産み神話が「淡路島」を中心点としながら様々な展開をとげることを考えると、「青の伝説」は「日本の伝説」でもあるような気がしてならない。それは「空」と「海」そして「陸」の伝説でもある。