もう一度フランスにもどろう。「シャンボール城」の「二重螺旋階段」と同様のものが「ブロア城」にもある。
《ブロア城》
ゴシックやルネサンス様式の見事な調和がみられる城。ロアール川北岸に位置し、アンリ4世がパリに宮廷を移すまで王城として使われ、後に16世紀のベルサイユ宮と呼ばれた。ブロアとはフランス先住民族のケルト人のことばで狼という意味。あるガイドブックによると「13世紀から17世紀わたってのゴシック、ルネッサンス、そして絢爛豪華な古典様式を、いながらにして一度に体験できる、という恐ろしくも便利なお城」がブロア城。たくさんの王様や女王様が代々この城に住み、増改築を重ねた結果、一つのお城にいろんな様式が混然とすることになったようだ。
ブロア城は、約千年の歴史を持つ古城で、何代ものフランス王が、ここを居城として住み、華々しき王朝貴族の生活が繰り広げられたことから、城下町ブロアは首都として繁栄した。特に14世紀末ブロア伯爵の称号を得たルイ・ドルレアン公はフランス王シャルル5世の息子だったのでブロアの町は一挙に繁栄した。更に、その息子シャルル・ドルレアンはイギリスでの長い捕虜生活を終えるとブロアに居を構え、25年間小規模ながら知識人や詩人を中心に文化的
水準の高い宮廷を開いた。1429年にジャンヌ・ダルクがオルレアン解放のためにこの城から出陣したことは意外と知られていない。1498年その孫が国王ルイ12世として即位すると、生まれ故郷のブロアに宮廷を置いたので、ブロアは一挙に繁栄した。ルイ12世は、即位すると直ちにブロア城の改築に着手し、わずか3年で中庭三方を囲んだ建物が完成した。イタリアに感化されたルイ12世は、「開かれた外交」と呼ばれる革新的な外交政策を始め、なかでも、1501年に対戦国オーストリアの大公を招いて祝典を開いたのは有名だ。ただし、この時建築された建物は、ゴシック様式。
ルネッサンス様式の建物は、次のフランソア1世の時代の作である。フランソア1世棟の中央に築かれた八角形の壮麗な螺旋階段はブロア城最大の見どころとして有名。この棟の建設は1515年に始まったが、この頃からイタリア・ルネサンスの影響が色濃くなっていく。
フランソア1世はダ・ヴィンチのパトロンであり「シャンボール城」の建設でダ・ヴィンチの考案した「二重螺旋階段」を設置している。しかし壮大な建物の中にあって螺旋階段は外観においてそれほど目立ったものではない。ところがこの「ブロア城」の「フランソア1世棟」はまるで「二重螺旋階段」のために建てられたような様相を呈している。広場で繰り広げられる儀式やイベントを多くの者が眺められるように設置したようでもある。http://www.ville-blois.fr/tourisme/chateau-blois.htm