《ナスカの井戸》
NHKで世界遺産「ナスカの地上絵」についてやっていた。世界遺産の番組はついつい引き込まれてしまう。とうとうビデオのセットまで購入してしまった。地上絵も不思議だが、その地にある井戸を見て驚いた。より低い場所を掘るために土地を螺旋状に掘り下げ、その最下部に井戸がある。水をくむときはぐるぐると道を回りながら下におりる。
アクアドゥクトス=地下水脈の取水口です。雨の降らないナスカでは水は貴重です。アンデスからの地下水を利用する術を、ナスカの人々はプレ・インカの時代から考えていました。地下に水路を造り地下水を利用するのです。その水を汲む場所がアクアドゥクトスなのです。地表では水が土に吸収され蒸発してたちまちなくなってしまいます。それで取水口は地表から数メートル下にあります。取水口に向かって渦巻き状につけられた道に沿って降りていきます。辿りつくと50~60センチほどの穴が開いていてその下をきれいな水が音もなく流れています。インカ帝国に統合される前、ナスカ文化は紀元前900年から紀元900年にかけて開花したという。少なくとも千数百年以上前に造られたこの水道は、時を経て今も農業に欠かせない大切な水源となっているのです。取水口は水脈に沿って合計18個あります。
このような井戸が日本にもあるというので、調べてみた。
《まいまいず井戸》
形状がまいまい(かたつむり)に似ていることから付いた名前らしい。人間のアイデアというのは遠い国や地域であっても共通するのかと思うと本当に不思議な気がする。
《東京都指定史跡まいまいず井戸》所在地:羽村市五ノ神1丁目1番地
まいまいずとは, かたつむりのことで, 井戸に向かって降りる通路の形がこれに似ているため名づけられたものである。 この井戸は地元伝説では 大同年間(806~ 810)に創始されたものとしているが 典拠はない。 形態および板碑などの出土から見て, 鎌倉時代の創建と推定される。 さく井技術の未発達の時代に 筒状井戸の掘りにくい砂礫層地帯に井戸を設ける必要から, このような形態をとるにいたったものである。 おそらく, 隣接の熊野神社(現在・五ノ神社)とともに村落の中心になって 継続して使用されてきたものと思われる。 元文6年(1741)に, 当時の五ノ神村の村中の協力で井戸普請が行われた記録があり, その後も 数回修復されてきたが, 昭和35年 町営水道開設に伴い使用を停止した。地表面での直径約16メートル, 底面の直径約5メートル, 深さ約4.3メートル, スリバチ状の窪地の中央に 直径約1.2メートル, 深さ5.9メートルの掘り井戸がある。地表面からは周壁を約2周して井戸に達するようになっている。 東京都教育委員会
《狭山市立博物館》
古代井戸の「まいまいず井戸」に似ていることから「舞い舞いホール」と呼ばれる円筒形の多目的ホールを囲うスロープを通って昇る2階に、タイムトンネルになぞらえた展示室がある博物館。常設として、アケボノゾウの骨格標本や、入間馬車鉄道の原寸大模型をはじめ、自然・地質・考古・民俗の資料を展示する。また、土器作りや映画作りワークショップなど多彩なイベントも行う。