画像は「桂離宮」まるでアブストラクト。ブルーノ・タウトはドイツで活躍した新進気鋭の建築家で「ジードルング」と呼ばれる都市型集合住宅の設計で注目を集めました。第一次大戦中に、1915年に物故した詩人パウル・シェアーバルトの詩にインスピレーションを得て、山岳と都市とが一体化したようなユートピアを夢想し、それを一連のスケッチ「アルプス建築」(アルプスの尾根にガラスの建造物を建てる)として出版しました。その後、ナチス政権から逃れて昭和8(1933)年5月に来日し三年半の間に、日本各地の建築だけではなくさまざまな文化を見聞し『ニッポン-ヨーロッパ人の眼で見た』(1934)と『日本文化私観』(1936)という二冊の本を出版しました。タウトの没後昭和14(1939)年に『日本美の再発見』という編集本が出版されると、反響は大きく以後タウトは「伊勢神宮」や「桂離宮」飛騨高山の「合掌造り」などを高く評価した外国人として、建築界のみならず文学界や映画の世界にまで取りあげられるようになりました。その結果「日本美の再発見者」という評価がタウトの代名詞のようになりました。