青の伝説(44) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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「青と緑」という講義録を見つけた。とても興味深い内容なので、少し長くなるが紹介しておきたい。lecture note: blue and green in Japanese,2000.8.14 this is coded by EUC-code.日本語は青と緑の色を正確に分離して表現しません。青信号は実際は緑色である。アオガエルも緑色である。青田、青木、青葉どれも皆草木の緑色を指している。対して英語は両者を明確に区別する。中国語も区別する。日本の風土には青と緑は至るところに存在し、両色を判別し難い自然環境ではない。両者を区別しない言語になる必然性がないように見える。これは奇妙なことです。日本語の音に本来「ら行」は無かったといわれています。現代日本語にはRL音の区別がない。「日本人はRL音の区別が出来ない」ことは今では世界的に良く知られている事実です。人間の言語音認識機能は十三才ごろまでに完成し、母語が確定すると言われる。日本人が日本語の音声構造の中で暮し、それを母語としたのならRL音の区別の出来ないことは必然である。人間は未経験のことを今までの経験で理解しようとする。中国人欧米人にはL音はR音とは違って聞こえるそうです。しかし他の音よりはR音に近い。従って日本人がL音をR音と感じても不思議ではない。色彩感覚の正常性を調べる科学的な試験で日本人の多くが色に関する異常性を示したり、外国人と日本人の混血児の多くが視覚異常人にはならないから、日本人が特に青緑色を識別する能力に劣るとは考えられません。虹の色は中国、日本では七色であるが、欧米では六色です。彼等は虹の菫と藍色を区別しません。ただ色彩単語はヴァイオレット、インディゴとして存在するので、彼等が両者を区別出来ない、のではない。医学書に人間は極度の栄養失調になると紫色の感受性が鈍化するとある。欧米人が過去に極度の貧困にあったことはありません。日本人の青と緑の色彩表現上の問題は、虹色識別と同様、感性の問題と考えざるを得ません。日本人の感性は世界的に見れば「繊細」に属します。美的色彩感覚は中国人欧米人とは違うが、色に鈍感な民族とは思えない。青と緑に対してだけルーズな言葉使いをする。それがふに落ちません。「日本語の青色は緑色を含む」は答えになっていません。何故青色は緑色を含み、その逆では無いのかという理由が示されなければなりません。こういう問題を解くには言語の性質を歴史を含めて良く調べる必要があります。言語は人類が自然を認識する一手段です。青と緑色の言葉遣い場合は「あお」という単語の過去に遡る必要があります。「言語は民族の過去を反映する」これは私見ではなく言語学者の等しく認めるところです。⇒つづく