杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
        

2024年6月16日(日)、甲羅文庫の哲学室にて、「人には人の自殺予防〜乳酸菌より大切なもの〜」というテーマでお話しさせていただきました。

 

 

定員を超えるお申込みをいただき、感謝・感激・雨・A・RA・SHI。今回ご参加いただけなかった方は、ぜひまた次の機会に!

 

さて、当日はまず「日本における自殺問題の現状」を確認してから、「杉原流自殺予防(らしきもの?)」を12個ご紹介しました。

 

ここではその中から、僕が最近編み出した「とっておきの自殺予防」を、ひとつご紹介したいと思います。

 

自殺の要因になりがちなもののひとつに、「お金の問題」があります。それを華麗に解決するための方法です。

「10億稼いだら1億ください」


とりあえず会う人、会う人に、これを言いまくるのです。

 

すると、みんなけっこう「いいですよ」って言ってくれます(笑)。

 

向こうは冗談だと思っているのかもしれませんが、もちろんそうはいきません。相手と一緒に「はははは……」なんて笑いながら、家に帰ったらすぐに「10億円稼いだら1億円くれる人リスト」に追加です(笑)。

 

これをとにかくたくさんの人に言っておけば、1人くらいは10億円稼ぐ人も出てくるのではないでしょうか。となれば、もはや将来は安泰。枕を高くして眠れるというものです。

 

ここで注意が必要なのは、間違っても、「すでに10億円持っている人」に「1億円ください」と言ってはいけない、ということです。それはただのカツアゲですし、絶対に「いいですよ」とは言ってくれません。

 

でも、考えてみれば不思議なものです。人は、まだ手に入っていない10億円については、「1億円あげてもいいよ」と思えるのに、すでに手元に10億円ある場合には、決してそうは思えません。

 

ここには、人間の「所有」に関する、深い深層心理が関わっている気がします。ぜひこの謎を解き明かし、「すでに10億円持ってる人からも1億円もらえる」ようになりたいものです。

 

さて、ここからが重要です。実際に誰かが10億円稼いだとしましょう。こちらとしては、さっそく取り立て……じゃない、約束を履行していただかなければなりません。

 

こうしたチャンスを逃さないためにも、SNSなどを駆使しつつ、「彼らが活躍してないかどうか」を常にチェックしておきましょう。

 

急にテレビなんかに出始めたら、いよいよその時は近いでしょう。さりげなく会う約束を取り付けるタイミングです。仮に、10億円稼いでそうなその人を「Aさん」とします。Aさんをお茶に誘い、探りを入れるのです。

 

すぐに1億円もらえればそれに越したことはありませんが、世の中そんなに甘くはありません。「損して得取れ」という、先人の言葉を思い出しましょう。

 

たとえば、こんな具合です。

 

僕「最近、かなりご活躍のようですね」


A「いやいや、そんなことないですよ(笑)」


僕「10億、稼いでますよね?」


A「まあ、そうですね……」


僕「10億稼いだら1億くれるって、言ってましたよね?」


A「ああ、確かに言った気はしますけど……マジですか?」


僕「約束を、破るんですか?」


A「いや、あの時はノリで言いましたけど、さすがに1億はちょっと(笑)」


僕「ははは。わかってますよ!僕も鬼じゃないんですから!1,000万円でいいです」


A「えー。1,000万円ですかー。いやー、1,000万円ですかー」


僕「正直、僕はどっちでもいいんです。でも、約束したからには払わないと、Aさんが気持ち悪いと思うんです。僕は全然いいんです。……じゃあ、ここはお互いのために、100万円で手を打ちましょう!」


A「え、100万円でいいんですか?じゃあそれで!ありがとうございます!」


僕「いえいえ、こちらこそ!ありがとうございます!」

 

 

まるで絵に描いたような「WIN WIN」です。

 

「1億って言ったんだから1億よこせ!」なんて欲張ってはいけません。

 

真面目な話をすると、「本当に1億円もらえるかどうか」なんてことは、実はどうでもいいのです。重要なのは、1億円もらえる「かもしれない」と思えることなのです。

 

たとえば、多様な人とのつながりを持っている人は、比較的自殺のリスクが低いと言われます。そこにはいろんな要素がありますが、そのひとつに「いざという時に助けてもらえそう」ということがあるでしょう。

 

けれども、実際にその時になって、本当に助けてもらえるかどうかなんて、誰にもわかりません。でも、それでいいのです。大事なのは、「いざとなったら助けてもらえるかもしれない」と思えることなのではないでしょうか。そう思えるだけで、人はずいぶん生きやすくなる気がします。

 

さて、僕のエキセントリックな自殺予防の話はこのへんにして、ここからは、参加してくださったみなさんが発表してくれた、それぞれの自殺予防をご紹介したいと思います。僕がメモした内容ですので、適当ですがあしからず!

 

散歩/嫌な会社は退職する/呼吸でリラックス/いろんな人に話す(同じ人にばかり話すと敬遠されがち)/運動する/泣く/時間が経つのを待つ/何もしないでいられる場所にいる(甲羅文庫とか)/「ベトナム帰還兵式セルフカウンセリング」をやる(PTSDを乗り越えたベトナム帰還兵はネルソンさんという方のメソッド。 映画『松本ヒロの世界』参照とのこと!)/自分と同じ状況の人を見る(自分を俯瞰できる)/漫画『男組』を読む/久しぶりの人と会う(元気だった時の自分を思い出す)/ものすごい善人と会う/「死は第三者のもの」/何もしない/もう一人の自分とつながる(自分の自転車に名前をつけてみたり)/自分と離れる/養老孟司のYouTubeを聴く(「自分が変わることが希望」とか名言!)/行ったことのない飲み屋で話す/その時の状況ごとに行ける場所をつくっておく/お笑い芸人のYouTubeを見る/嫁に愚痴る/亀に聞いてもらう/いろんな生き方を用意しておく/ものづくり/痛いところ探し/ストレッチ/自分を客観視する/調子悪い時の心当たりチェックリストを作っておく/今日と明日のことだけ考える/話を聞いてくれる人を用意しておく(LINEし放題などの有料サービスも!)

 

まさに「人には人の」自殺予防がズラリ。

 

なかには、「10億稼いだら1億ください」以上にエキセントリックなやつも見受けられます。みんなどうかしてるぜ!(笑)

 

さて、みなさんは、死にたくならないために、あるいは楽しく生きるために、普段どんなことをしていますか?そして、死にたくなったとき、どうやって乗り越えましたか?

 

そんな個人的な自殺予防をシェアすることで、逆説的に「自殺の本質」が見えてくるかもしれません。

 

「そういえば、なんかおもろい自殺予防を紹介してたな。ちょっと試してみるか」なんてやっている間に、気づけばちょっと元気になっていた、なんてこともあるでしょう。

 

「教養とは、人の心がわかる心だ」

 

これは、養老孟司さんの、解剖学の先生がおっしゃっていた言葉だそうです。

 

「死にたくなる気持ち」を抱くことは、より「人の心がわかるようになる」ことでもあると僕は思います。だからこそ、そういう人がちゃんと生き延びることで、世界はどんどんやさしくなっていくのではないでしょうか。

 

そういう世界をつくっていこうとするところに、本当の意味での「教養」がある、と、個人的にはそう思いたいところです。

 

改めまして、ご参加くださったみなさま、そして甲羅文庫さん、楽しい時間をありがとうございました!「それええなぁ〜♩俺もやってみよー!」という自殺予防をたくさん聞けて最高でした!

 

乳酸菌より大切なものが見つかりました……(笑)。

 

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スーパーでヤクルトを買って行くつもりだったですが、隣にあったピルクルがヤクルトの半額!気づいた時にはピルクルをレジに持って行ってました……。器の小ささはこんな時に露呈しますね。それにしても、いい大人がみんなで一斉にピルクルを飲んで、乳酸菌をチャージしている様子は、なかなかシュールで良かったです!(photo by 甲羅文庫さん)

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会場の様子。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!(photo by 甲羅文庫さん)

2024年5月11日、「【人生のピンチ生き延びメソッド】をシェアしよう!」を湯島サロンで開催しました。

 

 

当日は思いがけず15名もの方が参加してくださり、うれしい誤算(笑)。

 

まず参加者のみなさまに簡単な自己紹介をしていただき、そこから計11個の「杉原流生き延びメソッド」をご紹介しました。

 

  1. 今までと逆のことをやってみる
  2. 周りに弱音を吐きまくる
  3. 「とげぬき地蔵」に参拝する
  4. 鶏肉を食う
  5. 自分と他人を比較しない
  6. 「生きてるだけで丸もうけ」
  7. 今が「ゲームのスタート地点」!
  8. 心療内科に行く
  9. 役所・法テラスなどに相談する
  10. 夢中になれることをする
  11. 湯島サロンに参加する

 

ここで最も強調したいのが「⑪湯島サロンに参加する」であることは言うまでもありません(笑)。

 

その後に、参加者全員にそれぞれの「生き延びメソッド」を発表していただきました。

 

これがまたバラエティに富んでいて最高!僕のメモなので適当ですが、気に入ったものがあればぜひマネしてみてください。たくさんあるので一気にいきます!

 

大切な人のために手足を動かす/表現する/ただ一緒にいる/違うレイヤーの現実を見出す/映画館に行く/自然に入る/じたばたせずに落ちるに任せる/「でも地球はひっくり返らない」/神(大いなるもの?)に祈る/瞑想する/信心/苦しみには意味があると思う/歩くと風景が変わる/自分のルールを変更する(ダメな自分で生きる!変わらなくていい!)/苦手な場面で聴く曲のプレイリストを作る(映画の主人公になれる!)/鉄分を摂る/ラジオを聴く/全然違う場所へ行く(海外とか)/自分を幸せに浸らせる/友達と笑い転げる/プッと笑う/隙間を作る/自分を否定しそうになったら肯定する/会社を辞める(ストレスが明確な時はそこから離れる)/佐藤さんに相談/『夜と霧』を読む(もっと最悪な状況がある!)/巡礼する(四国、サンティアゴ・デ・コンポステラ)/「最悪生活保護がある!」/散歩して雑草を見る/執着しない/「人間は生まれて死ぬだけ」/農業をする/「金が全て」と思っていたとき、どこからか「あなたに1円ももらわなくても空気をあげ続けてる」という声が聞こえてきて、愛されていることを知る/人の悪口をやめる/誰かに話す(放す)/ピンチを楽しむ/ガンが見つかったけど民間療法とかむしろ楽しむ/複数の自分を持つ

 

……改めて見るとすごい数ですね(笑)。

 

もっと同じようなメソッドがかぶるかな、と思っていたのですが、まさかこんなにバラバラだとは思いませんでした。

 

ピンチがいろいろなら、その克服法もいろいろ。そのプロセスこそが人生の醍醐味なのかもしれませんね!

 

ちなみに湯島サロンの主宰者である佐藤修さんが、フェイスブックで今回のサロンの報告をしてくれています。そちらもぜひ読んでみてくださいませ!

 

 

改めまして、参加してくださったみなさま、そして参加できなかったけど遠くから見守ってくださったみなさま、ありがとうございました!とっても楽しかったです!

 

生きていれば誰しも経験するであろう「人生のピンチ」。

借金、孤独、失業、離婚、困窮、うつ、失恋……。いろいろあると思いますが、そんな時こそ、人は自分なりの「生き延びるための技や考え方」を編み出すのではないでしょうか。

 

「あの時、どうやって乗り越えたんですか?」

 

そう聞かれたら、みなさんどう答えるでしょうか。

 

ひとまず話題提供として「杉原流生き延びメソッド」をいくつかご紹介し、みんなのメソッドを交換し合えたらいいなーと思っています。

かつてピンチを乗り越えた人も、いままさにピンチを乗り越えようとしている人も。互いの小技(?)をシェアしながら、面白おかしく生き延びましょう!

 

直前のお知らせになりますが、どなたでも参加できますので、よかったら遊びに来てくださいー!飛び込みもアリです♪

 

 

〇日時:2024年5月11日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス

http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「【人生のピンチ生き延びメソッド】をシェアしよう!」
〇話題提供者:杉原学さん(高等遊民会議主宰/歌う作家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

僕は左利きだ。だからボールを蹴るときも左足で蹴る。

 

「何で左足でそんな上手に蹴れるんですか?」

 

と聞かれたら、「左利きなので」と答えるだろう。

 

でも、これは半分合っているけれど、半分間違っている気がする。

 

たぶん本当は、「左利きだから、左足で上手に蹴れる」のではなく、「左足でずっと蹴ってきたから、左足で上手に蹴れる」のである。

 

たとえば、僕は左利きだけど、鉛筆と箸は右手で使う。これは子どもの頃に矯正されたのである。こういう人はけっこういるのではないか。

 

矯正したのは親の意思だが、その理由を聞いたらこう言われた。

 

「ひとりで書いたり、食べたりするぶんにはええけど、他人と並んで書いたり食べたりするときに、隣の人の腕とぶつかって、迷惑かけてしまうかもしれんやろ」

 

だから、投げたり蹴ったりは左のまま。書いたり食べたりは右になった、というわけである。

 

おかげで、もともと左利きであるはずの僕でも、左手で書いたり、食べたりするのは上手くできない。当然ながら、圧倒的に右手の方がうまくできる。

 

つまり、右手が得意なのは「右利きだから」ではなく、「右手をずっと使ってきたから」だし、左手が得意なのは「左利きだから」ではなく、「左手をずっと使ってきたから」である。

 

この「利き手」を「才能」に置き換えても、同じことが言えるのではないか。

 

「あの人は才能があるから」とよく言うけれど、実際は「誰よりもそれをよくやっているから」という場合がほとんどなのではないだろうか。

 

もちろん、最初の一発目で何かしらの賞を獲ったり、他の人よりずっと上手くできたり、ということはあるかもしれない。けれどもそれは、たとえば小説なんかで言えば、その小説に書かれたような問題、たとえば人間の心の機微について、その人は「ずっと考えてきた」に違いないのである。

 

そういうことも含めて、「向いている」「向いていない」というのは確かにあると思うけれど、「それをたくさんやる」ということの前では、そんなことは些細なことにすぎない。

 

さて、自分は何をたくさんやってきただろうか。これから何をたくさんやっていくのだろうか。好きだからたくさんやる、ということもあれば、仕方なくたくさんやる、ということもあるだろう。

 

いずれにせよ、たくさんやっていればそれなりに上手になるし、得意になる。有限の人生の中で、何をたくさんやっていくのか。それを考えてみるのは、そんなに無駄なことじゃないと思う。

去年(2023年)の秋ごろに拾ったどんぐり。

 

二つのプランターに植えてみたけど、いっこうに芽が出ない。

 

「やっぱりそううまくはいかんよなあ」と、そのまますっかり忘れていた。

 

ところが今年(2024年)の2月末に、プランターのひとつから、ピョコンと芽が出始めた。そうすると後は早いもので、いまでは15センチくらいにまで生長している。

 

だが、もうひとつのプランターのほうは、うんともすんとも言わない。なんだかんだでまだ寒いので、土から出るのを恐れているのかもしれない。

 

そこでふと、こんな話を思い出した。

 

「植物は、人間にはわからない仕方で、お互いにコミュニケーションをとっているらしい」

 

だとすれば、芽が出ていないプランターを、芽が出ているプランターの近くに置いてやれば、

 

「おーい、もう出ても大丈夫でっせー」
「そうなん?じゃあぼちぼち出てみるわー」

 

となるかもしれない。

 

お互いに少し離れた場所に置いていたので、まだ芽が出ていないほうのプランターを、芽が出ているプランターの近くに置いてやった。

 

するとどうだろう。

 

その2日後くらいには、思惑通りにピョコンと芽を出したのである。

 

「思惑通りかよ!」

 

あんまり思惑通りにいったので、ついついそのまんまのツッコミを入れてしまった。正直、ここまで思惑通りにいくのは、僕の思惑とは少し違った(どないやねん!)。

 

……という「思惑遊び」はこのへんにして、考えようによっては、そのプランターを置いた「場所」が、たまたま芽の出やすい環境だった、というだけのことかもしれない。

 

けれども僕としては、やっぱり植物同士が会話をしていて、「おーい、ぼちぼち出てこいやー!」「あ、もう出ても大丈夫なん?ほなオレも〜」となって出てきた、と思いたい。

 

どんぐりの発芽に限らず、人間だって、近くにそんな「先達」がいてくれれば、きっと新しい芽を出しやすいはずである。あるいは、そんな仲間がいれば。

 

「絶対不可能だ」と言われてきたことでも、ふいに誰かがそれを突破してしまえば、後はどんどんそれを突破する人が出てきたりする。

 

ちょっと違うかもしれないが、こんな話がある。

 

ある水泳の選抜チームでは、毎朝4時から練習をすることになっていた。

 

そこに入る前の選手は、誰もが「そんな練習を続けるのは無理だ」と思うらしい。僕だってそう思う(笑)。

 

ところが、そこに入ってしまえば、すぐにそれが「あたりまえ」になってしまい、脱落者はほとんど出ないという。

 

環境の力は、その人の常識を塗り替えてしまうほどに強い。その力は、良く働くこともあれば、悪く働くこともあるだろう。

 

たまには、自分のいまいる環境を、そういう視点で見つめ直してみるのもいいかもしれない。

 

「いるべき場所にいること」以上に大切なことは、あまりないような気がする。

 

そういう意味では、広い公園から僕の家のプランターに引っ越しを余儀なくされてしまったどんぐりさんには、大変申し訳なく存じます……!

「ここまで来れば、もう逃げ切れるだろう」と、知らず知らずのうちに油断していたのかもしれない。

 

ついにコロナに捕まった。

 

せっかくなので、コロナに感染してから回復するまでのプロセスを、「新型コロナ感染記」として、適当ながら残しておいた。というのも、僕自身が、他の人の「感染記録」をネットで見て、いろいろためになることが多かったからである。

 

恩送りではないけれど、これからコロナにかかる予定のある方(?)に、少しでも役立てていただければ幸いである。

【0日目】若干の吐き気

前日に参加した懇親会で食べ過ぎ、この日はその懇親会の残り物を温めて食べた。寝る前に若干の吐き気を感じながら床に就く。僕が体調を崩すのはだいたい胃が弱っているとき。おそらく免疫力も低下するのだろう。

【1日目】嘔吐と発熱

朝の5時頃、いよいよ吐き気が強くなる。念のため、ベッドの脇にゴミ袋を用意。これが正解だった。「あ、ヤバい」と体を起こしたとたんに嘔吐。準備していたゴミ袋に顔を突っ込んで、滑り込みセーフ。これがなければ大惨事になっていたことだろう。吐き気は1度では収まらず、午前中にさらに4回、午後にまた1回吐く。やっぱり嘔吐はつらい。

 

ベッドでひたすら休みつつ、友人が買ってきてくれたポカリを飲む。ネットで情報を調べると、「飲み物は温めた方がよい」とあるが、吐き気がある時には、わざわざポカリを温めるのもしんどい……。そんなことを考えているうちに、水分補給がおざなりになってしまった。いまにして思えば、水分が不足するよりは、温かくなくても水を飲んでおくべきだった。

 

そういえば、僕が子どもの頃は、嘔吐の後は母親に塩水を飲まされたものだ。それを思い出して、塩水も少し飲んだ。夜になると熱っぽさを感じ始め、測ってみると38.5度。熱は吐き気に比べればなんてことはないが、それでもやはりしんどい。

【2日目】高熱とコロナ陽性

朝起きると少し体が楽になっていたので、近くの公園を軽く散歩。帰ってまたベッドに横になると、胃のあたりに若干の痛みが。少し心配になる。次第に熱っぽさが増してきて、咳が出始めた。夜に熱を測ると39.2度。僕はできるだけ病院には行かない主義なので、「一晩寝ればまた下がるだろう」と思っていた。

 

だがそれを友人に伝えると「絶対病院に行くべき」と言われ、とりあえず救急相談センターに電話。僕はてっきり、「それぐらいでしたら家で安静にしててくださいね」と言われると思っていたのだが、電話口で症状を伝えると、病院を5件紹介された。どうもそれなりの症状らしい。

 

1件目の病院に電話をすると、「解熱薬をお持ちでしたら、今夜はそれで凌いで、明日の朝に来てください」とのこと。2件目の病院には、「インフルエンザとコロナの可能性があるのですぐ来てください」と言われ、準備をしてすぐに向かう。インフルエンザとコロナの検査してもらった結果、インフルは陰性だったが、コロナは陽性。解熱剤と胃の薬をもらう。

 

あのまま病院に行ってなかったら大変なことになっていたかもしれない。勧めてくれた友人に感謝。帰ってから解熱剤を飲み、床に就く。次第に熱が下がり始めたのか、ずいぶん楽になった。

【3日目】熱がぶり返す

朝起きると、びっくりするくらい汗びっしょり。「服のまま海に落ちたんか?」と思うくらい、着ていたスウェットやらが水浸し状態になり、ズッシリ重くなっていた。震えながら着替え、これまたビショビショになったベッドのシーツや毛布をドライヤーで乾かし、再び床に就く。

 

昼間は熱も37度台くらいまで下がり、もうこのまま治るかな……と思っていたら、夜になるとまた39度まで上がる。あえて解熱剤を使わずに寝たが、さすがにしんどい。ベッド脇にお茶とポカリを用意して、飲んではトイレ(小便)の繰り返し。熱はなかなか下がらず、結局あまり眠れなかった。

【4日目】熱と咳が続く

朝に熱を測ると、38.2度。あまり下がっていない……。今夜も高熱が続いているようなら解熱剤を飲もうと決意。さすがにしんどい。この日は、ほぼほぼベッドの上で過ごす。食事は、昼にカロリーメイトのゼリー、夜にリンゴを半分ほど。食欲もあまりないし、できるだけ胃を休ませてあげたい。

 

夜になって熱を測ると、37度くらいまで下がっていた。ここまでくると、ずいぶん楽。ちなみに、僕が家で使っている体温計は、デジタルではなく、水銀タイプの古いやつ。これは使う前に体温計を振って、遠心力で水銀を体温計の先端に戻さなくてはならない。熱が高かった時は、この作業すらつらかった。いや、本当は今も少しだけつらい。

【5日目】熱は下がったが咳は続く

朝、熱を測ると、ついに36.9度。もう熱は大丈夫だろう。咳は相変わらず。咳のしすぎでみぞおちまわりが痛む。骨折とかしなければいいが。味噌にだししょうゆを少し足しただけの味噌汁を作る。胃に染みる美味さ。やっぱり日本人は味噌ですな。

 

昼は胃のリハビリも兼ねて味噌汁うどん。美味かった。夜はなぜかキムチを食べ過ぎる。ベッドで横になり、お尻が冷えるなと思って触っていたら、蕁麻疹のようなものが。夜に風呂に入ると、それが下半身を中心に全身に広がっていた。びっくりしたが、ユーチューブでそのような後遺症の報告があったので、「これがそうか」と落ち着いて受け止めることができた。

【6日目】熱は下がったが咳は続く

目覚まし時計をセットせずに寝たら、10時過ぎまで寝ていた。けれど久々に体ポカポカ。気力も湧いてきた気がする。カーテンを開けると、天気が良かったせいもあり、視界がクリアになってパッとひらけた感じ。熱を一応測ってみたら、36.4度。僕の平熱はまさにこの体温だが、いつもきっちりこの体温に調節するこの身体の仕組みはすごすぎて理解できない。精密すぎるだろう。

 

それにしても、ここにきて思うのは、人間そんなに食べなくても全然大丈夫なんだなということ。体調を崩してから、普段の食べる量の10分の1以下だった気がするが、それでも全然問題ない印象。逆に普段よくあんなに食べてたな、そりゃ体調崩すわ、と今は思う。胃に負担をかけすぎていたのだ。

 

それに加えて朝晩のプロテイン。ほとんどイジメやな。内臓さん、すんませんでした。まあ46歳という年齢のせいもあるだろうが、これからはとにかく少食にしよう。夜、風呂に入ったらまた蕁麻疹。これはしばらく続くのか。

【7日目】ほぼほぼ回復したが胃は弱っている

ほぼほぼ回復。風呂に入ると湿疹が出るのは相変わらず。味覚がちょっと弱まっている気がする。とはいえ生活には支障なし。コロナに感染してからおよそ1週間。普通の風邪よりはやっぱりしんどい印象。高熱が2日間続くのはさすがにしんどかった。

おわりに

僕の「コロナ感染記」は、とりあえずこんな感じである。この後も、結局感染から10日目くらいまでは外出を控え、それ以降も、しばらくはマスクをしながら、人混みを避ける生活となった。

 

コロナの症状は人によって大きく違う。なので人によっては全く参考にならないかもしれない。けれど、いきなり蕁麻疹が出たりした時に、僕と同じように「あー、そういえば蕁麻疹出たって書いてた人いたな!」と、ちょっとでも安心してもらえたらありがたい。

 

後遺症に悩んでいる方も多いと聞く。僕の場合は今のところ特に後遺症はなさそうだが、目に見えない影響もあるかもしれない。何はともあれ自身の免疫力をしっかり高めて、健やかな日々を送りたいものである。

2023年の個人的No.1ヒットとなった『BLUE GIANT』(石塚真一著)。幼い頃に母親を亡くした宮本大が、世界一のジャズプレーヤーを目指して成長していく物語である。

 

友人に勧められて観た映画で感激し、漫画を全巻買い揃え、一気に2周読み切った。2023年は人と会うたびに「『BLUE GIANT』観ました?」ばっかり言っていたので、周りにはウザがられていたと思う(笑)。

 

さて、そんな『BLUE GIANT』だが、コミックでは日本編(1〜10巻)、ヨーロッパ編(「SUPREME」1〜11巻)、アメリカ編(「EXPLORER」1〜8巻)、ニューヨーク編(「MOMENTUM1巻」)が刊行されている(2024年3月現在)。

 

とにかく主人公の情熱が熱すぎるこの物語は、名言の宝庫でもある。今回は、僕が「ええなあ」と思った名言を独断と偏見でご紹介したい。ネタバレを含むので、まだ読んでいない方は、これから漫画喫茶に走って、全巻読み終えてから戻ってきてください(笑)。それでは始めます!

 


その日、その時、
その瞬間のメロディーをかます!!
毎日違う!!
ハゲしくて自由な音楽がジャズ!!

宮本大(『BLUE GIANT』1巻)

 

高校生の宮本大が、クラスメイトの女子に「ジャズの何たるか」を説明する場面。宮本大にとっての理想のジャズが表現されていると同時に、それは彼にとって理想の生き方そのものでもあるのかもしれない。確かにこんなふうに生きられたら最高かも。


へでもねえや。

宮本大(『BLUE GIANT』1巻)

 

サックスの練習を始めてから、初めて他人と一緒にステージに立った宮本大。しかしそこで大失敗し、ステージを降ろされる。ひとり公園で物想いにふけり、涙する……のかと思いきや。この名言である。何か失敗して落ち込んでいる人がいたら、このシーンだけでも読んでほしい。宮本大は物語が進むにつれてその強靭なメンタルに磨きがかかっていくが、その片鱗をいきなり見せつけた。


ジャズプレーヤーに、なる。
世界一のジャズプレーヤーになる。
世界一のジャズプレーヤーになる。
世界一のジャズプレーヤーになる。
世界一の、ジャズプレーヤーになる。
世界一のジャズプレーヤーになる。
世界一の、ジャズプレーヤーになる。
世界一の、ジャズプレーヤーになる。
世界一の、ジャズプレーヤーになる。
……オレは、世界一のジャズプレーヤーになる。

宮本大(『BLUE GIANT』2巻)

 

親友である玉田に、「何を根拠に音楽の世界で勝てると思うんだ」と聞かれ、「そういうのは、毎日自分で作るんだ」と答える宮本大。「どうやって?」と聞かれて、それを実践したのがこの言葉。まさに暗示、まさに呪文。これを聞いた玉田ら友人たちは思わず「……ヤベエ…オレ……お前なれる気がしてきた」「……オレも…」。宮本大の一途な思いが象徴的に表現されたシーン。


オレら…ゼッテー大丈夫だかんな。

宮本雅之(『BLUE GIANT』2巻)

 

母の葬儀中に泣く弟の宮本大に対して、まだ中学生である兄の雅之が、歯を食いしばりながらかけた言葉。雅之は大にサックスを買ってあげた恩人でもあり、作中にわたって大を支え続ける。会社員として働きながら大の夢をサポートする雅之にとって、大の夢は自分自身の夢でもあるのだろう。その溢れる家族愛と、内に秘めた強さに胸が熱くなる。


吹くの。毎日吹くの。
毎日毎日毎日毎日ずっとずっとずっと
ずーーーーーっと毎日吹くの。
きっと上手くなる。
先生応援してるから、ね。

黒木(高校の音楽教師)(『BLUE GIANT』3巻)

 

サックスを始めたばかりの宮本大に、「どうしたら上手くなるのかなあって……」と聞かれ、音楽の先生が答えた言葉。その後の大は、ただひたすら、この言葉を実践し続けているだけのようにも見える。でも実際、上手くなるにはこれ以外にはないのだろう。それはサックスに限らず。


兄ちゃんは仙台にいる。
オレはずーーーーーっと仙台(ここ)にいる。

宮本雅之(『BLUE GIANT』4巻)

 

またまた登場、お兄ちゃん。弟の大が東京に行くことを、まだ幼い妹の彩花に伝えた時の言葉。大は東京に行くけど、オレは何があってもここにいるから、心配するな。気持ちよく大を送り出してやってくれ……。そんな思いがこもっている。世界に飛び出していく大もカッコいいけど、家族を支えるために仙台(ここ)に居続ける兄貴もめちゃくちゃカッコいいし、胸が熱くなる。しかもまるで葛藤を見せることもなく、そういうことをさらっと言い、やってのける。おそらく兄貴の中では、人生の優先順位が明確なのだろう。一番は家族。それが揺るがないから、選択も揺るがない。こういう人を本当の意味で「大人」というのだと思う。


「やりたい」ってだけで…十分じゃねえの?
「楽しそう」ってだけが、入口なんじゃねえの?
「音楽をやりたい」って気持ちに、
お前、「ノー」って言うの?

宮本大(『BLUE GIANT』5巻)

 

ピアニストの沢辺雪祈は、バンドのメンバーに素人である玉田を入れることに反対する。それに対して、宮本大が反論した時の言葉。おそらく常識的には雪祈のほうが正論なのだが(笑)、大と玉田の情熱は実を結び、雪祈もやがて玉田を認めるようになる。「やりたい」「楽しそう」そう思ったら何でも気にせずやればいいのだ。


カケてるよ。
オレは、でっかいのにカケてっから。

宮本雅之(『BLUE GIANT』9巻)

 

ふたたび登場お兄ちゃん!こうやって書いてると、「オレ、お兄ちゃん好きなんやな〜」ということに気付かされる(笑)。大のお兄ちゃんである雅之が、会社の後輩とランチ中のシーン。後輩は、雅之の面倒見の良さ、堅実さ、真面目さを尊敬しつつも、ギャンブルさえ一切やらないことに少しあきれる。けれども雅之はそれに対して「やってるよ」とつぶやく。兄貴は馬や艇や自転車には賭けないが、弟の大に人生を通して賭け続けている。兄の雅之と弟の大は、まるで陰と陽、コインの裏表のような関係に見える。不可分にお互いを支え合っているのだ。


「ソーブルー」のステージに立った時、
オレは、「これが最後かもしれない」
そう思ってプレーしたんだ。
大、お前は?
これから何度も立つステージの、
その一回目だと思っただろ?

沢辺雪祈(『BLUE GIANT』10巻)

 

人間の潜在意識は、その人の人生に計り知れない影響を与えるものなのだろう。周りからどう見えていようと、その人にとって「あたりまえ」に思えることは、「あたりまえ」に実現する可能性が高い気がする。天才ピアニスト・沢辺雪祈が大怪我をして、大と玉田とのバンドの解散を切り出した時の言葉。誰よりも大を認め、その可能性を信じる雪祈の思いに涙。


音大じゃなくていい。
アメリカじゃなくて構わん。
勝負はそもそもそんなとこにはない…
「世界のプレーヤー」になる奴は、
どこから始めても「世界のプレーヤー」になる。

由井(大のサックスの師匠)(『BLUE GIANT』10巻)

 

アメリカ以外の海外に行きたいという宮本大に、師匠である由井が言った言葉。山頂はひとつでも、そこに至る道は無数にある、といったところだろうか。由井は早くから大の才能に気付き、サックスの基本を叩き込んだ。やはり何をするにも「師匠」の存在は大きい。由井に出会っていなかったら、大のここまでの活躍はあり得なかっただろう。


いいバンドの条件は?
って聞かれたら、オレはこう答えるね。
「結成初期に困難をくぐり抜けることだ」ってね。
今夜の君らは最悪だったけど、ラッキーだ。
お前ら全員くそラッキーだ!!
忘れるなよ!!

ガブリエル(『BLUE GIANT SUPREME』5巻)

 

ドイツで結成したバンドの初ライブが大失敗に終わり、絶望感が漂う楽屋。そこに姿を現したのが、後に彼らのマネージャー兼ツアードライバーとなるガブリエル。彼のこの言葉が、バンドに希望の光を当て、未来を暗示する。ちなみに、ガブリエルがここで例に出すのが、伝説的ロックバンド「U2」。何かを始めたとたん困難にぶち当たったなら、すぐにガブリエルの言葉を思い出そう。「今日は最悪だったけど、ラッキーだ。オレはくそラッキーだ!!」と。


お前の本番は、
いつでも今日じゃなくて明日なのか?

宮本大(『BLUE GIANT SUPREME』8巻)

 

大と同じテナー奏者でライバルの、アーネスト・ハーグリーブス。自分のキャリアを計算して、ステージを選ぶアーネストに対して、大は「毎日ステージに立つべきだ」と言い、この言葉を放つ。読みながら我が身を振り返り、ギクリとした人もいるかも。「その瞬間の“フル”」を出すことにこだわる大と、計算されたエンターテインメントを志向するアーネスト。やがて互いを認め合う二人の、意地と意地とがぶつかり合うシーン。


理由がないってことは、
アナタは本気ってこと。
そして、本当に音楽が好きってこと。

シェリル(『BLUE GIANT EXPLORER』2巻)

 

コーヒー店で働くシェリルに、「なんで、世界一になりたいの?」と聞かれ、「分からない」と困惑する大。それを聞いたシェリルが大に言った言葉。ともすれば、「理由がないということは、本気じゃないということ」と思ってしまいがちだが、シェリルに言わせれば、それは逆なのだ。確かに、理由があってやっていることは、その理由がなくなればやめてしまうだろう。損得、利害を超越した、魂レベルの動機。それが本当の「本気」というやつなのかもしれない。


私は、あんな風には思えなかったな。
私は途中で負けたと思った。
でも、彼は吹き続けたんだ。
きっと本人が負けたと
思わなかったら勝つんだね。
「オレなんて」、
そう思った瞬間に終わるんだ。
全てがね。

かつてジャズをあきらめたオジイさん(『BLUE GIANT EXPLORER』4巻)

 

夢を叶えられなかった自分を顧みるように語るオジイさんの言葉。「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」という言葉を思い起こさせる。夢はいつか終わるかもしれない。でも、夢はいつだって始まるのだと僕は思いたい。


オレのサックスは全力です。
「シリアスだ」ともよく言われます。
オレの中の全部を出します。
昨日も明日もない。
お客の心を動かすにはそれしかない。
計算なんかしない。

あんたは勝負の前に計算してる。
負けることが前提にあって、
小さく勝ちを重ねようとしてるんだ。
そんな奴がオレ達を値踏みするだ?
ふざけるな!!

宮本大(『BLUE GIANT EXPLORER』7巻)

 

ポーカーのゲーム中に、「ステージでは、どんなプレーをするんだい?」と聞かれた時に大が答えた言葉。同時に、ドラムで生きていくことから逃げているように見えるゾッドに向けたメッセージでもある。僕は人生には計算もある程度は必要だと思うけれど、サックスのプレイに、音に、それは絶対に出る。大はそのことを知っている。それが混じってしまったら、もう「大の音」ではなくなってしまうのだろう。そして、大に言わせれば、そんな計算を織り込んだ人生は、もう「自分の人生」ではないのだろう。


オレだったら絶望して音楽辞めてるよ。
偉大なことだよ。

アントニオ・ソト(『BLUE GIANT EXPLORER』9巻)

 

ピアニストの命ともいえる右手が交通事故で動かなくなり、それでも作曲を通して音楽を続ける沢辺雪祈。同じピアニストであるアントニオは、「ちょっとは動くのかい?右手。左手は?」と尋ね、その後にこの言葉をかける。いつも陽気なアントニオだが、彼自身も、普通ならピアノを続けることなど到底できない、過酷な環境の中から這い上がってきた。だからこそ、雪祈の「偉大さ」を誰よりも感じたのだろう。


………アレ? 今 気付いたけど…
練習って、タダじゃね?
練習って凄えな…!!
練習って…………尊いな!!

宮本大(『BLUE GIANT MOMENTUM』1巻)

 

サックス狂(?)である宮本大の、変態性が表れた言葉(笑)。ニューヨークの物価の高さに苦労する大たちのバンドだが、「練習は無料(タダ)」という事実を発見した大は、いっそう張り切って練習に励む。何をするにもお金がかかる資本主義の世の中で、「無料」の生きがいを見つけられたら、けっこう「無敵」なのかもしれない。「練習はタダ!」。練習嫌いなあなたにとって、処方箋になる言葉かも?(笑)。


NYには無数のジャズプレーヤーがいるが、
その誰もが“個性的”でありたいと思っている。
だが…ライチはライチでしかない。
それに自分で気づくのに何年もかかる。
何年もかかって気づかないプレーヤーもいる。

サム・ジョーダン(『BLUE GIANT MOMENTUM』1巻)

 

ジャズ界の大御所・サム・ジョーダンが、ニューヨークに来て間もない宮本大にかけた言葉。この言葉には、2つの意味が込められているような気がする。1つは、「どれだけ努力しようが、才能がなければ成功はできない」という現実の厳しさ。そしてもう1つは、「誰に憧れようとも、自分は自分にしかなれない。そのことに気づき、“自分のプレー”を追求した者だけが成功する」ということ。「ライチはライチでしかない」。それを肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるかで、生き方は大きく変わる気がする。


★番外編

「やる」を選ぶ

石塚真一(エウレカラジオ

 

これは、著者である石塚真一さんがラジオ番組の中で、『BLUE GIANT』のテーマとして語っていた(ような気がする)言葉。人生にはいろんな選択がある。右か、左か。やるか、やらないか。その時に、「やる」を選ぶ。『BLUE GIANT』は、「やる」を選んだ人間の生き様を描いた作品とも言えるのだろう。


 

以上、僕の独断と偏見による『BLUE GIANT』名言集でした。まだまだ他にも、人生を変えるような名言が盛りだくさん。ぜひあなたも『BLUE GIANT』を読んで、自分の心に響く名言を見つけてみてください。

 

 

 

 

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東京都北区十条の住宅街にあるコミュニティスペース「しかのいえ」。ここで開催されている「小説作法ゼミナール」が、第3期生を募集しています。

 

講師は、数々の名作小説を世に送り出してきたベテラン編集者・大久保雄策さん。

 

渡辺謙主演で映画化された荻原浩『明日の記憶』などが有名かもしれませんが、最近の話題で言うと、この秋公開される映画「おしょりん」の原作者である藤岡陽子さんを発掘し、そのデビュー作を手がけたのも大久保さん。

 

他にも池澤夏樹『新世紀へようこそ』、大西巨人『深淵』、門田泰明「黒豹シリーズ」、桐野夏生『ハピネス』、佐藤正午『ジャンプ』、白石一文『僕のなかの壊れていない部分』、辻内智貴『ラストシネマ』、土居伸光『望』、永瀬隼介『誓いの夏から』、又吉栄喜『鯨岩』、三浦光世『死ぬと言う大切な仕事』、宮本輝『三千枚の金貨』、盛田隆二『ありふれた魔法』、山本譲司『螺旋階段』……などを担当されてきたそうです。

 

しかも大久保さんの父親は、遠藤周作、吉行淳之介ら「第三の新人」を陰で支え、「純文学の鬼」と呼ばれた大久保房男氏。親子二代にわたって名編集者というのは、ちょっと聞いたことがないです。「小説」あるいは「文壇」というものを歴史的な視点から俯瞰できるのは、そういう背景があるからかもしれません。

 

大久保さんはそんなすごい人なのですが、いわゆる「いい人あるある」で、あまり自分をPRしようとしません(笑)。僕は「小説作法ゼミ」でそういうことを知ってしまったので、小説好きの知り合いとかに「何で早く教えてくれなかったんだよ!」と後から怒られないために、これを書いています(笑)。

 

そんな大久保さんが講師を務める「小説作法ゼミ」ですが、参加するデメリットが1つだけあります。それは、「1期生である杉原の後輩になる」ということです。当然、焼きそばパンを買いに行かされることになるでしょう。「そんな屈辱耐えられない……!」という方には残念ながらオススメできません。

 

……という冗談はさておき、北区十条「しかのいえ」で開催される「小説作法ゼミナール」、気になる方はぜひ下記リンクをご覧くださいませ!

 

 

僕でよければ質問などもぜひー!ゼミの後は十条銀座商店街をぶらぶら→喫茶「梅の木十条店」でまったりがオススメです(笑)。

下北沢のお寺で、古着、カフェ、雑貨、本、心のワーク(?)を楽しめる、ゆる〜いイベントを開催します。

 

会場となる永正寺は、下北沢駅から徒歩7分ほどの住宅地にたたずむ、地域に開かれたお寺。ふだんから写経の会、座禅の会、ヨガの会、子ども食堂など、さまざまな催しを行っています。

 

そんな永正寺さんのご好意によって、今回のイベントが実現しました。このお寺にゆかりあるメンバーが集合し、それぞれ好きな分野で出店します。ゆったりとした空気が流れるお寺の本堂で、思いがけないご縁に巡り合える……かもしれません。

 

シモキタ散歩の休憩がてら、ふらりとお立ち寄りくださいませ。

 

インスタグラム(@detaramevintage)でも情報公開中です!

 

日時:2023年7月29日(土)、30日(日)13時〜17時
場所:
永正寺(世田谷区北沢2丁目39-6)
出店予定:
【古着】
MicroMacro &デタラメヴィンテージ
【カフェ】立石BASE281
【雑貨】YASUHIRO IGUCHI STUDIO
【本】時間堂書店
……and more!?

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【古着】MicroMacro &デタラメヴィンテージ
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【カフェ】立石BASE281
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【雑貨】YASUHIRO IGUCHI STUDIO
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【本】時間堂書店
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ワンコインお悩みすっきりワーク
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永正寺の本堂
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下北沢駅から徒歩7分ほど(下北沢 曹洞宗 永正寺のホームページはこちら

 

5月20日の土曜日、湯島でサロンをやることになりました!

 

「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」というテーマのゆるい会です(笑)。サロンを主宰されている佐藤さんは僕の大尊敬する賢人。会ったことのない方は、この機会にご縁をつないでくださいませ〜!

 

 

以下はイベントページからの転載(主催者の佐藤さんによる案内文)です。

 

■湯島サロン「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」のお誘い

 

「しっかり自分を生きている」(と私が思っている)歌う作家の杉原白秋さんに、「善く生きる」のサロンをお願いしたら、こんなメールが来ました。

 

最近、習慣や日課の大切さを改めて感じています。
「習慣がその人自身をつくる」とよく言われますし、よい習慣を身につけて、悪い習慣を捨てたいと思ってもいます。もちろん、それがすんなりできれば苦労しないのですが(笑)。
その人の習慣には、その人の価値観や考え方が否応なく反映されているようにも感じます。

 

たしかにそうですね。
それに、ルーチンを入れこむことで、話題になったスポーツ選手も少なくありません。

 

杉原さんは、他人の日課や習慣を聞く機会というのは意外とあまりないような気もするので、みんなの習慣や日課をシェアしあって、自分の習慣や日課を見直すような集まりはどうか、と提案してきました。
ただ、なかには自分の生活をそんなに話したくない人もいるでしょう。
そこは杉原さんらしく、こう言ってきました。

 

自分の習慣や日課を話したい人も、ただ他人の習慣や日課を聞きたいという人も、みんなで適当に話せたらいいかなと思います。
もちろん僕の日課や習慣も話しますが、むしろ話題提供と進行役がメインになるかなと思います。

 

杉原さんにお願いすることにしました。
自らの日課を話し、他者の日課を聴く、そんなサロンが何を生み出すか。
面白いサロンになりそうです。
 

善く生きるを目指している方、ぜひ参加されませんか。もちろん、目指していない方も。
私もこれを機会に、自らの日課や習慣を考えてみました。意外とあります。
みなさんはいかがですか?

 

杉原さんの著書と楽曲の一覧は次をご覧ください。
著書一覧→ amzn.to/2HGdGf0
楽曲一覧→ https://goo.gl/y2am9Y

 

〇日時:2023年5月20日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス

http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」
〇話題提供者:杉原白秋さん(高等遊民会議主宰/歌う作家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)