去年 noteに「運命の赤い糸」という記事を書きました。

 

まるで運命の赤い糸が1本しかなく、

ぷっつりと切れたかのように書いてしまいましたが

旧カルマシステム時代の運命の赤い糸の実相をお伝えしておこうと思います。

(またまた昔話ですのでご容赦くださいませ。)

 

 

 

24歳の時、イベントで東京ドームで踊り、合唱する機会がありました。

2ヶ月程の短期間で振りとフォーメーションを憶え、本番という過酷なプランでした。

合唱のレッスンの際に 天女のように美しい先生が来ました。

普段は声楽とピアノ講師をされている方でした。

 

発声や歌唱指導は最低限しかなさらずに

 「歌う」ということは、その表現で何を伝えるか?です。

 上手さを披露する場ではありません。

 自分の中の歓喜や愛をどのように声にのせてお伝えするかなのです。

ご指導くださる内容が違うなぁ?と思っていたら

オーラや過去世など、すべて観えてしまう方だったのです。

 

 

 

車座でランチをいただくことになり、

たまたま私が新婚さんだったこともあり、

男女の結婚の縁についてのお話をしてくださいました。

 

すべて観える、ということは運命の方とご結婚されたのですか?

 観える=人生・運命を思い通りにできる、ということではないの。

 ただ、こちらからは「あ、約束の人だ!」というのはわかるわ。

 でも相手もわかってくれているとは限らないの。

 

 私は出生前に7人の人と結婚の約束を結んだわ。

 現在の夫はその5番目の契約の人。

 7人も契約を結ぶなんて不誠実に聞こえるかも知れないけれど

 人生で結婚を予定している方はみな保険で3~5人位契約してくるはず。

 

 結婚を予定して契約して来ても、

 地上に出て忘れるといろいろ人生がかわってゆくの。

 亡くなってしまった人、海外で活躍して出逢わなくなってしまった人、

 研究職について仕事が面白くて結婚に興味がなくなってしまった人…

 ようやく5番目の候補の今の主人と出逢えて結婚したの。

 

えええ? 7人も?

縁やカルマというものもあるかもしれないけれど

地上に生まれてそれぞれの意志、それぞれの環境で
人生のパラレルを乗り換えて行ってしまうのですね。

 

 

ちゃんと出逢えていると

魂の縁の深さで強烈に引き合うこともあるのでしょうけど

亡くなってしまったり、出逢えない環境になってしまっては

共体験が積めないのですね。

 

 

私の肉体を持たない魂の兄弟に

生まれ変わり申請事務所のソーシャルワーカーをしている魂が居ります。

その都合か、普段は観えないのですが

お父様と来世夫婦になる娘さんの設定、

お兄様と来世夫婦になる妹さんの設定の2組に逢ったことがあります。

あまりに女性側の愛情が深すぎて、

来世絶対に縁を逃すことはないだろうな、と感じました。

 

旧カルマシステムの終了後は

もうそんなに保険を賭けなくても

必要に応じて縁が拓けるようになるといいですね。

2枚目の自分用セーターを編みました。

 

 

いただいたのは真っ青な並太毛糸。

 

 

 

RIKAさんのタートルネックセーターに挑戦。

 

 

RIKAさんは細いモヘア調の毛糸を

10号の太い鍵針でザックリ編まれたので

少ない玉数で編める 春秋向けのレーシイなセーターです。

 

私は並太の濃い原色毛糸を8号針で編んだので12玉使用し

ずっしりと重たいセーターに仕上がりました。

裾や袖口のシェルステッチでややフレアの7分袖です。

 

 

 

完成着用画像

 

 

 

このところ なぜ編み物ばかりしていたかというと

いただいた毛糸はすべて 一昨年亡くなった

母方の伯母(Mさん)のものだったのです。

 

 

祖父は国鉄に勤めており、

祖母は最高裁の裁判官のお宅に奉公にあがっており、

結婚して最初に生まれた子がMさんでした。

 

戦後のヤミ米騒動で国鉄を辞め、親戚の牧場で働いていましたが

7人の子供を養うのは大変でした。
Mさんは中学校を主席で卒業し、当時高給であった某時計会社に就職します。

その後Mさんの縁故で兄弟7人中5人がその会社に就職します。

 

大卒の男性と社内恋愛をして求婚されます。

ところが「大卒と中卒なんてお門違いだ。やめなさい!」

母親の大反対で結婚を許してもらえませんでした。

その後独身を貫き、家に給料のほとんどを入れ、家族を養いました。

 

随分経って 亡くなった祖母(Mさんの母)の霊と対話をした時に

「あの時はとても言えなかった。

 大黒柱として家族を養ってもらわなければ食べていけなかった。」

祖父母がなくなった後、2世帯で住んでいた長男夫婦に家を出され

独身の妹と公団住まいでした。

 

家を出てからもずっと

何かと姪っ子甥っ子の経済的援助をしてくださいました。

我が家が酷く貧乏な上、父が障害者でしたので

夏休みの宿題ができるよう旅行に連れて行ってもらい

クリスマスにはケーキやご馳走を持ってお祝いに来てくれました。

 

私の実母が授業参観、運動会、文化祭等、一切見に来ない人だったので

祭日に行う運動会などは必ず参観に来てくれました。

 

Mさんが肺炎で危篤状態の時、呼ばれたのですが

私は脊髄小脳変性症でほぼ寝たきり状態でした。

会えずに亡くなり、葬儀も参列できませんでした。

 

随分前に公団住宅の退去時に荷物を整理して

母が大量に引き取った伯母の毛糸をパラパラと持ってきたのです。

私も体が上手く利かなくなって できることは少ないですが

伯母への感謝と 思い出を思い起こして編み物をする時間が

せめてもの供養になるのではないかと思いました。

いただいたまとまった量のある毛糸は一段落つきました。

想いが届きます様にラブラブラブラブラブラブ

ご無沙汰しておりました。

 

その後も毛糸を続々といただいて

今度は自分用に

OBasanのSweater を編みました。

 

 

 

今回は赤ちゃんのおくるみを編むような細い細い毛糸を5玉づつ。

写真では違う色に写ってしまうけど

クリーム色とペールグリーンです。

 

 

 

いつの間にかさんのチュニック風Aラインベストが素敵だったので

 

 

 

 

ベストは着ないので

こちらをアレンジして

①脇を5㎝程詰めて

②長編みでお袖を付けて

③2色の毛糸を配置して

④襟ぐりと袖口も模様編みでフリンジにして

セーターを編みました。

(細い毛糸なので編み終わるまでに夏が来てしまった…ガーン

 

 

 

完成着用画像はこちら

初号機に続き、もう一種類難しい毛糸を預かりました。

志茂田景樹先生レベルのセンスでないと着こなせない高難易度の配色ガーンアセアセ

しかも 80m×8玉と少なすぎて何もできない…。

 

 

極小の毛糸で方眼編みでザックリ編める、たきさまのプルオーバーに挑戦。

 

 

 

完成着画像はこちら

意外と可愛らしい配色になりました。

BBBとは、なんぞや?

 

残念ながら

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の主役

バスチアン・バルタザール・ブックスでは御座いません。

 

BaBaAのBest ですので悪しからず。

 

 

 

さて、

母から古い毛糸を6玉もらったのですよ。

う~ん、渋すぎて 寅さんの腹巻にしかならんガーンアセアセ

 

 

母は帽子はかぶらないし、

長女が以前 傘とスカーフのメーカーに勤めており、

我が家にはショールは売るほどあるのです。

 

「チョッキなら着る?」ということで

いつの間にかさまの 花びらヨークベストに挑戦。

 

 

 

完成着画像はこちら

寅さんの腹巻がちょっぴりお洒落にミューテーション致しました。