「決めることから逃げていた」──私が母から独立するまで〜
みなさま、こんにちはまこっちゃんです。今日は 私の依存性について書いてみます。人生というのは、選択の連続ですよね〜 私たちの進化?は、『どれだけ「決断」し、どれだけ「責任を引き受けたか」で決まる』と言われています。でも、『私は、35歳になるまでそのどちらも避けていた』 と今なら わかります。依存していた私が 自立し始めた時のことを書いてみます。私はずっと、決めることから逃げていた・・誰かが決めてくれるのなら、それに従う方が楽だった・・責任を取らずに済むから〜私は 母に依存していて 母の判断を 頼りにしてきました。 「何かを決める前に母に相談する」それが私の依存性で、なんでも母のOKがなければ 前に進めなかった・・・18歳で起業することも、結婚することも、30年以上前 私が28歳の時 3歳と1歳の子を連れて 初めてのアメリカで親子留学することも・・・そんな私は 35歳になって やっと自立しようと 決めたのです❣️35歳になった私には、3人の子どもがいました。11歳、9歳、5歳。でも、心のどこかで 私はまだ子どもでした。責任を取りたくない。誰かに導いてほしい。そんな風に、無意識のうちに「大人になること」を拒んでいた・・・そんなある日、母から電話が来ました。「車、買っておいたから」「え???」それは突然の内容だった。本当に 驚いたし、戸惑いました・・勝手に 車を買ってくる母に 怒りも湧いてきました・・私は「車なんて必要ない」と 何度も言ったけど、でも母は「もう申し込んだから。断れないよ・・・」と 軽く言うだけ・・・・その瞬間、私はようやく気がつきました・・・これは母の問題ではない・・・私が「自分で決めることを拒否してきた」結果だ、と・・・あの日、私は決めた。「もう、母から精神的に独立する」それは一夜で終わるほど簡単ではなかった・・・そこから、15年かかった。共依存だったと思う。依存は根深い。でも、面白いことに、その“決断”がすべての始まりだった。自立を選んだことで、私の資産は10倍以上になった。数字だけじゃない。自分の人生に責任を持つことが、これほどまでに自由で、クリエイティブなことだったとは❣️今なら、わかる。もし、35歳のあの時点で「思考を見直す」技術に出会っていたら〜私はもっと早く、『自分自身を生きることができて』 いたと思う。資産も、10倍どころか100倍になっていただろう。私が 『思考の学校に出会った』のは56歳ころ・・そこから、人生は劇的に変わり始めた。でも、それは「劇的な出来事」というのではなく、『今、私の人生は とても幸せだ❣️』としみじみ感じる ことができる こと。『思考を見直す』習慣は、歯を磨くような、日々のシンプルな習慣です。それが、人生を変える。最後に❣️自分の思考を、毎日1分 見直し続けてください。変化は、日々の小さな“選択”の積み重ねの中にあります。最後まで読んでくださり ありがとうございました。感謝して司眞