ドゥランゴは街歩きが本当に面白い街だった。精気に満ちた街の匂いや、雑踏のざわめきを、そのまま伝えることはできないけども、写真だけでもディープなラテンワールドを感じて頂けるとうれしいなぁ、と思います。
歩道の片側がタコスの屋台街になっている。福岡の長浜の屋台街みたい。このエリアのタコスは安くてウマイ。店によって具が微妙に違っていたりする。牛肉をクタクタに煮た物や、ホルモンをいためた物、レバーを焼いたもの、正体不明の物、etc。タコス屋を食べ歩くだけでも面白い。
市場は街の台所なので、その街の人たちが何を食べているのかがすぐに分かる。唐辛子だけでも何種類もあったりして面白い。アメリカ・カナダでの外食はジャンクフードの食べ放題(ケンチキ、ピザハット、etc)ばかりになってしまっていたので、なんだか少しグッタリしていた。なので、基本的にどんな料理にもフレッシュな野菜がタップリ入っているメキシコ料理は、内臓を洗われるように美味しく感じる。サイクリストは、胃袋が自転車に乗って走っているようなものなので、メキシコに入ってから調子が良い。
5つで10ペソのタコス屋。安いっ。玉ねぎを山盛りに乗っけて、ライムをギュッと絞って、ボロボロ、グチャグチャとこぼしながらほお張ると激ウマ。メキシコのタコスは最高だっ。
グリルマシーンで焼かれる鳥達。なんとも言えない匂いがあたりに立ち込めている。じっくりローストするので、鳥自身の油で表面はカリッと揚げたようだけど、中は煮込んだようにトロッとしている。激ウマ。
25ペソ(だいたい250円)で鳥半羽を食べられる定食。この店では「ロースト」と「炭焼き」の2種類の焼きかたが選べた。これは炭焼きバージョン。スモークされたように香ばしくて最高にウマイ。そしてトウモロコシの粉をつぶして焼いたトルティージャは食べ放題。はらぺこサイクリストには最高の食事。
宝石のようなトマト。太陽の恵み。日本のトマトよりも水気が少なくて肉厚で味が濃い。基本的に料理用。スープスパゲティを作る時にいれるとウマイ。トマト、玉ねぎ、唐辛子、アボカドは小さな村の雑貨屋でも必ず売っている。
製品名を特定した上で、ブログに批判的なことを書くのはいかがなモノかとも思うけど、ムカついたので書いちゃいます。
スペシャライズド社製のニンバスというタイヤ。アルマジロバージョン。アメリカのアリゾナ州で購入。一本$35。2000km走った辺りから、トレッドが剥がれ始める。おそらく、アルマジロとよばれるアラミド繊維とトレッドとの接着不良。
しかも、このパンク防止をうたったアルマジロ、普通にパンクする。全く意味がない。なんじゃそりゃ。はがれたトレッドをダクトテープを張り付けて、なんとか3200km走ったけれど、最後の方は本当にひどい状態だった。カーブを曲がるときにトレッドが剥がれれば、バナナの皮で滑るみたいに、スルっとこけちゃうと思う。
と、いうことで、スペシャライズド社製のニンバスというタイヤのアルマジロビートバージョンを買ってはイケナイ。 スペシャライズドは良い製品を作り続けている会社なのですごく残念だった。改善を望みたい。
《銅峡谷(Barranca del Cobre)周辺》銅峡谷を眺めるだけならディビサデロ(Divisadero)が一番よいかも。クリール(Creel)から西へ約50km。チワワ太平洋鉄道の駅と展望台がある。
駅前には土産物屋やタコス屋がたくさん並んでいる。ドラム缶ストーブで焼かれたタコスは激ウマ。展望台は柵がウザイし人も多いので、峡谷のリムにそって西に歩けばいくらでも絶景ポイントがある。
谷の底へはアレポナプチ(Areponapuchi)からガイドを雇って歩きで行ける。ディビサデロからさらに西へ5kmの小さな村。 バトピラス(Batopilas)やウリーキ(Urique)ならバスで谷底へ行けるけれど、両者共かなり観光化されているらしいので(そもそもバスで行ける時点で)微妙。
ガイドはアレポナプチのCopper Canyon Trailhead Innで交渉した。ドームで一泊80ペソ。場所がすごく分かりにくい。村の人に聞けば分かると思う。ロイという英語の通じる気の良いオーナーがいて、彼がタマウマラのおじさんガイドとの交渉を仲介している。
イギリス人二人とシェアして一泊二日の行程で400ペソ。シェアする人数と交渉次第でもっと安くなるハズ。
《Creel→Hidalgo del Parral》全線舗装。絶景シーニックルート。1600mから2600mの間をジェトコースターのようにアップダウンを繰り返す。クリールでしっかり補給してから出発すべき。 交通量は比較的少ないけど、時々材木を満載にした巨大なトラックがやって来るので要注意。路面も荒れている。
バトピラスとの分岐を過ぎた辺りから銅峡谷のリムを縦走するように走る。とにかく絶景。だけど、登りが嫌いな人にとっては地獄のような道かもしれない。バトピラスとの分岐に小さな雑貨屋があるのでしっかり補給しとくべき。思った以上に距離が伸びない。
アップダウンが落ち着いてくる、Guachochic手前の道が分かりにくい。町の入口のPEMEXで左(町に向かって)がパラルへ向かう道。デフォルトで町に入るような道の造りになっているので、ボーとしてると10kmぐらい余計に走ることになる。
ただしGuachochicは比較的大きな町なので補給・宿泊可。宿を数軒目視。おそらくクリール・パラル間で唯一の宿。食堂やミニスーパーなどもあり。
国道24号へ下る坂道の手前で軍の検問があった。とくにチェックはなく、そのままスルー。この先の下り道はえらく荒れていた。自分はここでキャリアーを折ってしまった。要注意。
《Hidalgo del Parral》見所は少ない町だと思うけど、ごちゃごちゃとした町並みを歩き回るとなかなか面白い。一時間10ペソでマトモなPCを使えるネット屋がいくつかある。安い食堂も多い。
クリールから来るとセントロまでの道が分かりにくかった。Plaza Principalまでの道を人に聞きながら走ると良いかも。
宿はカテドラルの西側のHotel Fuentesがそこそこキレイで居心地が良かった。一泊140ペソ。二階の部屋なら裏門を開けてもらえば、そこから直接部屋に自転車を入れられる(ホテルの裏は小高い丘になってる)。
《Hidalgo del Parral→Durango》メーター読みで約440km。村がポツポツあるけど、その間は穀倉地と放牧地が延々と広がる。標高が1600m程度なので、10月は暑く感じた。
有刺鉄線の切れ目が少なく、民家も柵を閉ざしている所がおおかったので、野宿場所を探すのに苦労させられた。
下手をすると道路のすぐ脇のブッシュで野宿するハメになる。普段より早めに野宿場所を探した方がよい。ちなみに、ホテルはDurangoまで100kmぐらいの所に来ないとない。
《Durango》かなり大きな町。美しいカテドラルと大きなセントロがある。マトモな自転車屋が2軒あった。一軒は5 de Febrero通りをセントロから東へ3kmぐらい行ったところ。MTB系のショップ。もう一軒はセントロを南に下ってPino Suarez通りを東へ数ブロック行ったところ。ママチャリ系のショップだけど、シマノのハイグレードなパーツやマトモなタイヤを置いていた。ママチャリ系のショップは他にもたくさんあった。Plazuela Baca Ortizの東にジャンク系のショップあり。小物の修理なんかに良いかも。
食堂や屋台はPlazuela Baca Ortiz周辺とその東側のブロックが安くてうまかった。この辺はかなり面白いエリア。ディープなラテンワールド。5 de Febrero沿いのMercado Gomez Palacioも歩き回ると面白い。怪しい土産物が多い。 安宿は150ペソ以下の宿がいくつもある。セントロから東へ4kmのバスステーションから400m南にユースもあるらしい。
キャリアーの修理や、自転車の掃除と整備、メールのやりとりなどで、イダルゴ・デル・パラル(Hidalgo del Parral)に3日間停滞した後で、約440km南のドゥランゴ(Durango)にむけて出発した。チワワ(Chihuahua)から九州を一周出来るほど遠回りしたけれど、ようやく本格的な南下の開始である。
標高1600mの広大な穀倉地帯を延々と走る。つねに標高が2000m以上だったクリール(Creel)周辺と比べると、かなり暑く感じる。道の両側に張られた有刺鉄線の切れ目が少なく、野宿する場所に苦労させられる。
300kmほど走ると、ようやく大きな町が現れ始めた。ドゥランゴはもうすぐだ。 結局、イダルゴ・デル・パラルを出発して5日後にドゥランゴ州の週都であるドゥランゴに到着した。
昨日、ようやくイダルゴ・デル・パラル(Hidalgo del Parral)にたどりつきました。クリールからこの街まで僕がたどった道は、標高1600mから2600mまで激しくアップダウンを繰り返すカテゴリー超級なルートで、350kmたらずを走るのに5日間もかかってしまいました。体力的にはハードでしたが景色はサイコーで、坂バカスイッチ全開な毎日でした。
が、重大なトラブルが発生。
リアキャリアーが見事におれました。。。おいおい。。。
メキシコの道は舗装路であっても、まるでダートのように荒れているところがあって、パラルの街に下る長いダウンヒルで、調子に乗ってギャップを潰すように疾走している時に折れちゃいました。
ようやく、海外長期チャリ旅らしくなってきましたが、、、さてさて、どうなることやら。
ちなみにリム(MAVIC XM719)にもクラック発見。フリー側のハト目数カ所にわずかなクラック。これから徐々にクラックが広がって、フレフレ、ヨレヨレなリムになることでしょう。ちなみにMAVICのリムのハト目が割れやすいってことは、チャリダーの間では有名な話らしい(最近知った)。
ほんとに、どーなっちゃうんでしょう。ああ、こまった、こまった。
銅峡谷を越えて200kmほどは何ごともなく過ぎた。だけど、国道24号へ向かう最後の長い下り坂でトラブルが起きた。
巨大なトラックが一日に何百台も通過する峠のアスファルトは、波打ちながらヒビ割れていて、堅く締まった林道のように荒れていた。荷物を満載にしたキャリアーが、突き上げるような振動に耐えきれず、『パキン』という乾いた音をあげて、あっけなく折れてしまったのだ。
イダルゴ・デル・パラルを目の前にして、5日ぶりのシャワーとベットに、気持ちがはやっていたのかもしれない。僕は時速50kmでわざとギャップをつぶすに走っていたのだ。キャリアーが折れない方がおかしい。明らかに僕の不注意だ。日本やオーストラリアも含めると2万km近い旅を共にして来た大切なキャリアーを自分の不注意で折ってしまったのだ。
愛着が芯まで染み込んだ使い慣れた道具を自分の不注意で壊してしまえば、普通は少なからず落胆してしまうものだと思う。けれど、僕は少しも落胆することはなかった。落胆どころか、コトバはおかしいけれど、実はちょっと嬉しかったぐらいだ。僕は、ようやくこの鉄の塊が自分のモノになったような気がしたのだ。「ついにこのキャリアーを折ってやったワイ…」という気持ちだった、といえば分かりやすいかもしれない。
この量産品のキャリアーが貧弱この上ないことは出発する前から十分すぎるほど理解していた。日本で新しくオーダーメイドの頑丈なキャリアーに付け替えることもできた。だけど、僕は今回の旅でもこのキャリアーを使うことに決めていた。このキャリアーは、その欠点も含めて、かけがえのない時間を共にして来た戦友のようなものなのだ。
どんな道具でも手垢にまみれ、傷つき、変形していくほど、いとおしくなるものだと思う。その道具と共に過ごした時間が傷や変形として刻み込まれるからだ。
僕は針金とスパナで折れた部分を固定して、なんとかイダルゴ・デル・パラルの街にたどり着き、鉄工所でその部分を頑丈に溶接してもらった。
この旅はいつかは終わってしまう。だけど、僕は今後何十年たっても、このキャリアーの荒々しい溶接痕を見るたびに、国道24号へ下る長い坂道の、空の色や、風の匂いを思い出すことができるだろう。道具に刻み込まれた時間は風化することはない。