侍ジャパンの歴代メンバーを調べてみる④ 2008年北京オリンピック編 | まぶたはともだち

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最近はプロ野球もお熱です。

今更ですが、侍ジャパンの試合始まりましたね。

 

 

初戦からかなり采配に疑問と不安が残る展開でしたが、勝てばよかろうなのです。

文句は全部終わったときにぶちまければいいので、今はとりあえず見守っておきます。

 

 

さて日本代表のメンバーを振り返る企画、第4回。

ついに2008年、あの北京オリンピックを振り返っていくことにします。

 

就任会見は2007年1月25日。準備期間は充分でした。

 

 

【監督】

星野仙一

 

【コーチ】

田淵幸一(ヘッド)

山本浩二(守備走塁)

大野豊(投手)

 

【投手】

川上憲伸(33)右右(中日)

岩瀬仁紀(33)左左(中日)

田中将大(19) 右右(楽天)※現役

涌井秀章(22) 右右(西武)※現役

成瀬善久(23) 左左(ロッテ)※独立Lで現役

ダルビッシュ有(21)右右 (日本ハム)※現役

上原浩治(33)右右(巨人)

和田毅(27) 左左(ソフトバンク)※現役

藤川球児(28) 右左(阪神)

杉内俊哉(27)左左(ソフトバンク)

 

【捕手】

阿部慎之助(29)右左(巨人)

里崎智也(32)右右(ロッテ)

矢野輝弘(39)右右(阪神)

 

【内野手】

荒木雅博(30)右右(中日)

中島裕之(26)右右 (西武)※現役

宮本慎也(37)右右(ヤクルト)

西岡剛(24)右両(ロッテ)※独立Lで現役

新井貴浩(31)右右(阪神)

川崎宗則(27)右左(ソフトバンク)※独立Lで現役

村田修一(27)右右(横浜)

 

 

【外野手】

青木宣親(26)右左(ヤクルト)※現役

森野将彦(30)右左(中日)

稲葉篤紀(36)左左(日本ハム)

佐藤隆彦(G.G.佐藤)右右(30)(西武)

 

ついに人数制限なしでのフルメンバー。

ボクが認識している限りでは、最も妥当な選手選考が行われた大会だったと思います。

あくまで発表地点(7月17日)での話ではありますが。

選出直後にマー君が怪我しましたが、本番では好投してくれましたし。

今大会からマー君、ダルビッシュ、涌井といったパ・リーグ黄金時代を象徴するエース格が続々参戦。

先発再転向した上原が大不振にあえいでいましたが、国際試合無敗の経験を買われ、防御率5.44ながら抜擢。

まあ先発と抑えばかりで中継ぎタイプのピッチャーが全くいませんが、それはこの大会に限ったことではないですし。

 

 

例によって前年のオリンピック予選(アジア選手権)から観ていきます。

今大会も4か国総当たり戦でしたが、1位だけが出場決定、2位、3位は翌年3月の世界最終予選に回り、4位は不出場というルールになっていました。

 

 

【オリンピック予選】(2007年)

 

(リーグ1位、本大会出場決定)

 

そういえば、この時愛知工業大学の長谷部康平がアマチュアで1人だけ選ばれ注目を集めた(気がする)のですが、その後楽天にドラフト1位で入ったものの、通算119試合登板、11勝とパッとしないまま引退してしまったのが惜しまれます。

 

当時ボクは中3、高校受験の真っ最中でしたが、かぶりついて見ました。

フィリピン戦は流石に勝てるだろうと流し見でしたが。

 

韓国戦は1点のリードを川上、岩瀬がそれぞれ3イニングまたぎで守りきるハラハラリレー。

翌朝、月曜日の朝礼で校長が話題に上げていたのを今でもよく覚えています。

 

前回も書きましたが、中学生の頃はプロ野球を観ている人間が周囲に1人もおらず、家族からも変人扱いされていたので、自分以外の人間が野球を話題にしていることが珍しくて嬉しくてたまらなかったのです。

 

台湾戦は6回にダルビッシュが逆転2ランを浴びるも、7回に満塁からサブローに同点スクイズを命じる奇策を足掛かりに大逆転し、終わってみれば大勝。

(ダルビッシュの被弾が5分17秒~

サブローのスクイズが6分14秒~)

 

胴上げされる星野を観て、ボクは「この人なら来年絶対金メダルを穫れる」涙を流しながら確信していました

来年は花の高校生。

当時は受験のストレスで社畜時代より酷い過食と下痢を繰り返していましたが、来年の夏休みには金メダリストになった青木たちの姿が見られるのかと思うと勉強の励みになったものでした。

 

 

 

【壮行試合】(2008年)

 

今にして思うと、ここでちょっとは不安を感じるべきだったと思います。

3日には村田が風邪をひき、4日には川崎が左足の甲に痛みを訴え骨膜炎で練習を欠席。

同じく4日に西岡も疲労による首の張りを訴え、欠席。

 

更には壮行試合は1試合雨で流れて、調整試合は2試合だけ。

パ・リーグ選抜にはかろうじて勝ったもののダルビッシュの調子が明らかに悪く、3回2失点。

 

セ・リーグ選抜には川上がアウトを1つもとれないまま9失点(!)を喫するなど惨敗。

それでも藤川、岩瀬、上原のクローザー3人組は盤石で、6回までリードしてれば勝てるから大丈夫、と楽観視していました。

 

リーグ戦の組み合わせはこの通り。

以前と同じ通り、総当たり戦で上位4チームが決勝トーナメント進出。

準決勝で4位対1位と2位対3位がぶつかるところも含めて全く同じです。

 

いくらWBC王者と言えど、苦しんでの世界一。

中国以外は安全パイではない」とは宮本の弁。

 

しかしそうはいってもフルメンバー。

開催地は気候も比較的近い隣の国。

おまけにデーゲームはカナダとの1試合のみと、金メダルをとるための条件はそろっているはずでした。

 

でした……。

 

【オリンピック本戦】

 


(日本は4位通過。1勝しかしてないカナダが得失点プラスなのビビる)

 

前年の予選が嘘のように、本大会では苦しみました。

やはり明らかにダルビッシュが不調でした。

前後のペナントでは好投して16勝もしてるので、未だに不思議です。

 

野手陣では初戦で川崎が負傷。西岡もわき腹を痛め、後半は指名打者での出場を余儀なくされました。

打線で固定できたのは4番ファースト新井と、5番ライト稲葉だけ。

 

スタメン推移表(守備位置は省略)

 

前試合と違うところは緑で塗ってみました。下位打線が全く固定できてない

 

オーダーが極めて非常に流動的で、選手も気持ちの準備が出来ていなかったかのような発言が散見されました。

初戦でピリッとしなかったダルビッシュがご自慢の長髪をスポーツ刈りに。

あったなあこんなこと。

 

ただ、5月に日程が発表された地点で、星野は「カギは4勝できるか」と発言しており、その点は有言実行だったとも言えます。

あとは決勝トーナメントで2勝すれば、誰も文句はない……はずでした。

 

 

【決勝トーナメント】(金;韓国、銀;キューバ、銅;アメリカ、4位;日本

 

準決勝

image

3位決定戦(最後の方みんな明らかに気持ちが切れてて辛かった)

 

準決勝での2回の落球は、いずれもこぼした瞬間、TVの前で「あーっ!」と声が出ました。

3位決定戦の落球では、もはや絶句することしか出来ませんでした。

 


本人が持ちネタにしてるの時々辛くなる。

流石にこれは身体張りすぎだって

 

 

準決勝翌日の朝日新聞朝刊では、G.G.佐藤は一切責められず、このようなことがつづられていました。

同点の8回だ。韓国の左打者が3人づづく場面で、左の岩瀬。

1死1塁で、打席には李承燁 (巨人)。1次リーグで打率1割3分6厘と大不振の韓国の4番。

日本もここまで7打席ノーヒットに封じていた。これまで通りに外角攻め。直球中心で2ストライク0ボールと追い込む。

ここで暗転した。この試合、李への14球すべてを外角に配してきた矢野が、初めて内角低めへ要求する。ややボール気味に構えたミットに、狂いなく岩瀬が直球を投げ込んだ。それを文句なしにとらえられた。右翼の稲葉は、ただ見上げるだけ。

勝ち越しツーランを浴びた岩瀬は「何もないです。すいません」。

(中略)

 

7月。星野監督が二十四選手全員に送った手紙に、必ず付け加えた言葉があった。

「北京の夏に、季節外れの桜を咲かそう」。

日本代表監督に就任し、576日。

桜は咲かなかった。

締めの4行が名文だな~と思います。

やっぱ新聞記者って文章うまいっすね。

 

結果論ですが、闘将・星野仙一の悪いところが前面に出た大会でした。

非情に徹することが出来ず、結果を残せなかった選手を何度も起用する。

ペナントレースならそれでもいいんでしょうが、短期決戦では通用しなかった。

G.G.佐藤ばかりやり玉に挙げられていますが、打率0割8分7厘(23打数2安打)の村田修一があまりに酷すぎると思います。

 

決勝トーナメントでは投手起用も崩壊。

前年のアジア予選で大車輪の活躍を見せた川上と岩瀬の重用は仇となりました。

特に岩瀬は予選リーグのチャイニーズタイペイ戦、韓国戦、アメリカ戦、準決勝と4試合投げて0勝3敗、防御率11.57

川上も常にピリッとしない感じながらなぜか勝ちパターンで起用され続け、3位決定戦では同点の場面でリリーフに送り出され、ボコボコに。

 

かつての覇気のある笑顔とのギャップが激しい
 

衣笠祥雄も予選リーグが終わった地点で「選手起用に気遣いや優しさを感じることがある」と指摘していましたが、まさしく悪い予感が的中した格好です。

 

当初は岩瀬-藤川-上原の1イニング必殺リレーが予想されましたが、実際にそのような継投がなされたのはチャイニーズタイペイ戦のみ。

後日放送されたNHKスペシャルで、星野は「間に別の選手を挟めば万が一同点にされて延長戦に入っても頭数が足りる」と語っていた覚えがあるのですが、その結果上原までこぎつけないという本末転倒ぶり。

 

あんまり書いてるとキリがないので、最後に、スポーツ面編集委員・西村欣也氏のコラムを引用して終わります。

 

投手起用・組閣に疑問

投手起用に納得がいかない。エースはダルビッシュだったはずだ。初戦のキューバ戦に先発した後、調整登板を経て準決勝か3位決定戦(当初は決勝)に先発する予定ではなかったのか。20日の米国戦で先発して2回で降板したのはその布石だと思われた。ところが、ダルビッシュが登板したのは3位決定戦の勝負がほぼ決した8回からだった。

台所事情は分からない。ダルビッシュに何らかの故障が起きていたのかもしれない。そうだとしても、監督責任は問われるべきだろう。

この五輪は星野監督の継投にさえがみられなかった。予選の韓国戦で和田から川上への継投が遅れ。逆転負けのきっかけを作った、俺の作戦ミス。「新井の本塁打を俺が帳消しにした」と自身も認めたが、疑問の残る采配はこれだけではない。準決勝の韓国戦では同点の8回から岩瀬をつぎ込んで撃ち込まれた。この大会での岩瀬はペナントレースと違い、結果を残せていなかった。エースは不動であるべきだ。しかし、継投パターンは臨機応変に見直す必要があった。

3位決定戦では守備走塁ミスが出た。3回、G・G・佐藤が簡単な飛球を落とし、3点本塁打につながった。4回無死一塁では中島がバスターエンドランを失敗して、一塁走者の稲葉が二塁で刺された。個人のミスではあるが、山本守備走塁コーチが、意識を徹底させることが出来なかった。

もともと、守備走塁コーチの経験のない山本コーチを入閣させたところまで話はさかのぼる。コーチにスペシャリストを選ばずに、田淵コーチを含む大学同期仲良し三人組で挑んだところから間違いは始まっていた。

(8月24日朝日新聞朝刊18面より)

 

13年も経って、本人が鬼籍に入っているにも関わらずこの采配がおかしい!みたいな話でマジトーンで文句垂れてる自分が狂っているのは承知の上ですが、なにせ当時はTVの野球中継くらいしか娯楽がなかった。なにより純粋に金メダルに期待していた。

中日・阪神時代を直接知らないボクが、星野をまともに評価するようになるのには更に5年、楽天の日本一まで待つことになったのでした。

 

続きます。