お待たせしました。まさか前回から3週間もかかるとは思いませんでした。
※前回のアテネオリンピック編はこちら
日本代表のメンバーを振り返るシリーズ第3弾は、2006年のワールド・ベースボール・クラシック。
もうあれも15年前ですか。
ここからはリアルタイムで観てたから、そんなに頓珍漢な話にはならない……はず!
【監督】
王貞治(ソフトバンク監督)
【コーチ】
鹿取義隆(投手)
武田一浩(投手)
大島康徳(打撃)
辻発彦(内野守備)
弘田澄男(外野守備)
【投手】
清水直行(30)右投右打(ロッテ)
藤田宗一(33)左左(ロッテ)
松坂大輔(25)右右(西武)※現役
上原浩治(30)右右(巨人)
薮田安彦(32)右右(ロッテ)
和田毅(25)左左(ソフトバンク)※現役
藤川球児(25)右左(阪神)
渡辺俊介(29)右右(ロッテ)
大塚晶則(34)右右(レンジャーズ)
小林宏之(27)右右(ロッテ)
杉内俊哉(25)左左(ソフトバンク)
久保田智之(25)右右(阪神)※黒田と入れ代わりで合流
石井弘寿(25)左左(ヤクルト)
馬原孝浩(24)右右(ソフトバンク)※2次ラウンドから合流
【捕手】
里崎智也(29)右右(ロッテ)
谷繁元信(35)右右(中日)
相川亮二(29)右右(横浜)
【内野手】
岩村明憲(27)右左(ヤクルト)
小笠原道大(32)右左(日本ハム)
松中信彦(32)左左(ソフトバンク)
西岡剛(21)右両(ロッテ)※独立リーグで現役
今江敏晃(22)右右(ロッテ)
宮本慎也(35)右右(ヤクルト)
新井貴浩(29)右右(広島)
川崎宗則(24)右左(ソフトバンク)※独立リーグで現役
【外野手】
和田一浩(33)右右(西武)
多村仁(28)右右(横浜)
金城龍彦(29)右両(横浜)
福留孝介(28)右左(中日)※現役
青木宣親(24)右左(ヤクルト)※現役
イチロー(32)右左(マリナーズ)
最初は黒田がいたの、今回調べて初めて知りました。
おおまかなオーダーはこんな感じ。
一気に現役の選手が増えてきましたね。
オリンピックはシーズン中のメジャーリーガーは参加できない、というのがMLBのスタンスでしたが、開幕前の3月に開催が決定。
ただ辞退する選手も多く、手元にある1月1日の朝刊には松井秀喜に加えて井口忠仁が招集予定のような書かれ方をしてましたが、結局参加せず、結局イチローと大塚晶則の2人にとどまりました。
元日の朝刊でワールドシリーズチャンピオンになるために辞退した、と述べる松井秀喜。
ご存じの通り3年後に報われました。本当に良かったね
国内組では前年度日本一のロッテが8名と、極端に多いことに気づかされます。
先発の3本柱が上原、松坂、渡辺俊というのは冷静に振り返ってみるとすごい。
ロッテファンの先輩が「王さんが前年15勝の斉藤和巳を選ばなかったのはペナントレースで自分が楽するためではないか」と仰っていたのが思いおこされます。王さんなんだかんだで情け容赦ないしありそう……
このころボクは丁度プロ野球に興味を持ち始め、新聞記事のスクラップを始めた頃でした。
少年サンデーを買い始めて、MAJORのW杯編で野球のルールを覚えていた気がします。
正捕手がケガしたので指名打者で出ていた寿くんがマスクをかぶることに……という展開がなければ、大谷翔平が出てくるまでDH解除というルールを知らなかったかもしれません。
【壮行試合】
明らかに調子が悪いやつとか見当たらなかったので、特筆することはありません。
まあ、マスコミもどれくらいの温度で扱えば良いのかつかみかねていただけで、実は隠れてヤバいやつとかいたのかもしれませんが。
【1次ラウンド】(東京ドーム)
今では信じられない話ですが、
(チャーニーズタイペイ戦31,047人、韓国戦40,353人)
当時はまだ各国の実力もよくわかっていなかったので、初戦の中国戦で上原が同点ホームランを打たれて2-2のまま5回に入ったときは、このまま負けるのではないか?と本気でハラハラしたものです。
そうそう、触れておかなくてはならないのが球数制限。
本来ならオープン戦でゆっくり調整しているはずの時期にガチンコで投げるということで、保険会社からの要望で球数制限が設けられることに。
(1次リーグ65球、2次リーグ80球、決勝リーグ95球。3連投は禁止など)
こんなので世界一決定戦と言えるのか?というごもっともな意見もありましたが、結果的には第二先発の清水、和田、杉内がかなり適応してくれたおかげで、日本代表にとっては追い風となりました。
韓国が3戦全勝、日本も2勝1敗で2次ラウンドに進出します。
【練習試合】
当時2次ラウンドはアメリカでやってたんですよね。
イチローがチームメイトと戦ってる!とか一人で盛り上がっていましたが、練習試合なんてニュースでもものすごい小さい扱いでした。
地上波中継もブルワーズ戦以外ありませんでした。
【2次ラウンド】(エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)
ここで一気に世論の流れが変わります。
2次リーグはメキシコがやや格下で、アメリカ、日本、韓国が2つのきっぷを争う構図になっていました。
日本は初戦で疑惑の判定の末、サヨナラ負け。
確かアメリカ戦の日は日曜なのに学校があったのですが、熱を出して休んでいて中継を見ていたんですね。
多分両親もいなくて家に一人だけだった気がするんで、やっぱり授業参観日かなんかだったのかな。
で、西岡のタッチアップで「よし!勝ち越したな!」と思ってトイレに行って戻ってきたら、スコアが3-3に戻ってるんですね。
あの時は頭がもうろうとしていて、夢か幻覚を見ているのかと思いました。
この大会は全試合MLBの審判が仕切っていましたが、次の大会からは中立国から審判を集めてジャッジさせることになったのは、間違いなくこの一件があったからでしょう。
日本代表は続くメキシコにこそ快勝しましたが、韓国戦も接戦の末落としてしまい、韓国は3戦全勝。
王ジャパンは最後、敗退が決定しているメキシコがアメリカから2点以上奪った上で勝利した場合のみ2次リーグを突破できるという、絶望的な結果待ちに追い込まれました。
新聞にも「王ジャパンの戦いが、終わろうとしている。」とまで書かれている
……ところがどっこい!
なんとメキシコは1-2でアメリカに大金星を挙げ、3チームが1勝2敗で並ぶことに。
めっちゃ紙がゴワゴワになっとる。お茶でもこぼしたか?
失点の少なかった日本が逆転で準決勝進出を決めることになりました。
サンキューメヒコ。
【決勝ラウンド】(ペトコ・パーク)
準決勝はあまりに劇的な展開でした。
0対0で迎えた8回、不振でスタメンを青木に譲っていた福留の代打2ラン。
主に3番で起用されていた福留は、ここまで19打数2安打の絶不調。
うち1安打は超格下の中国戦、もう1安打はメキシコ戦での内野安打と、ヒットのうちに数えられるかさえ微妙なもの。
ですが、左投手から右投手への継投直後の代打起用がドンピシャでハマりました。
ここまで全勝で勝ち上がった韓国にまさかの土をつけるとは。
何せこの時の視聴率は紅白に肉薄する36.2%。
当時は周囲に野球を見ている知り合いが一人もいなくて、野球=オワコンくらいの認識でしたから、驚きましたねえ。
決勝戦は4時間越えの熱戦。初回に4点先制して5回終了地点で6-1と、あまりの楽勝ムードに途中で寝てしまいました。
しかしじわじわ追い上げられてふと目を覚ますと8回、わずかにリードは1点。
こいついつも肝心な時に観てないな。
日本代表はここでクローザー・大塚を投入。
ここで流れを断ち切った姿にしびれた!
大塚はこの時すでに34歳。レンジャースに移籍したばかりで実力が試される時期でしたが、海のものとも山のものともつかない大会で身を粉にして投げてくれました。
胴上げの瞬間は無事に観られました。
世界の王貞治が、監督としても世界一になった瞬間でした。
新聞の号外が飛ぶように受け取られていたのも懐かしいですね。
日本中が世界大会初代王者の美酒に酔いしれた2年後、星野ジャパンが北京オリンピックに挑みました。
続きます。