松坂選手、現役お疲れさまでした!
スポーツナビ 野球編集部@sn_baseball_jp【西武】松坂大輔が現役引退「平成の怪物」日米通算170勝の輝かしい功績 #松坂大輔 #seibulions #npb https://t.co/4ZmmSIQcKO
2021年07月07日 06:33
晩年はケガに泣かされましたが、プロ入り直後から09年WBCまで、10年にわたって日本のエースであり続けた事実は決して色あせないと思います!
さて、突然始まりました過去の日本代表のメンバーを振り返っていくシリーズ。
第2回は2004年アテネ五輪を見ていきます。
※前回はこちら
2001年のIBAFワールドカップとかもあったけど、全部書いてるときりがないからね、しょうがないね。
シドニーではプロアマ混合で参加したものの、初のメダルなしという結果に終わった日本代表。
雪辱を果たすべく、次の大会では挙国一致体制、ミスター・長嶋茂雄を監督に据え、オールプロで挑むことになります。
2004年というと、球界再編問題が勃発したさなか。
セ・リーグは1年目の落合中日が優勝し、パ・リーグは伊東勤率いる西武が黄金時代最後の日本一を飾りました。
まだまだ大昔だな!
【監督】
長嶋茂雄(※本大会には同行せず)
【コーチ】
中畑清(巨人)
高木豊(横浜→日本ハム)
大野豊(広島)
【投手】
清水直行(28)右投右打(ロッテ)
岩瀬仁紀(29)左左(中日)
黒田博樹(29)右右(広島)
安藤優也(26)右右(阪神)
三浦大輔(30)右右(横浜)
松坂大輔(23)右右(西武)※現役
上原浩治(29)右右(巨人)
岩隈久志(22)右右(近鉄)
和田毅(23)左左(ダイエー)※現役
小林雅英(30)右右(ロッテ)
石井弘寿(30)左左(ヤクルト)
【捕手】
城島健司(28)右右(ダイエー)
相川亮二(28)右右(横浜)
【内野手】
小笠原道大(30)右左(日本ハム)
中村紀洋(31)右右(近鉄)
宮本慎也(33)右右(ヤクルト)
金子誠(28)右右(日本ハム)
藤本敦士(26)右左(阪神)
【外野手】
福留孝介(27)右左(中日)※現役
谷佳知(31)右右(オリックス)
村松有人(31)左左(オリックス)
高橋由伸(29)右左(巨人)
木村拓也(32)右両(広島)
和田一浩(32)右右(西武)
やっぱみんな若い
スタメンは完全固定。
(打順も少しいじってます)
松坂、中村紀が連続選出。
現在のNPBは山田哲人、浅村栄斗、菊地涼介、外崎修汰とやたらセカンドがタレント揃いであることを思うと……。
この大会も前年のアジア選手権がオリンピックの予選となりました。
開催地は日本ハムファイターズの本拠地になる直前の札幌ドーム。
(1位通過で出場決定)
ちなみに松井秀喜が1年前にヤンキースに入団した際、この予選に参加できるという約束を取り付けていたとの記事を観ました。
皆さんご存じでしたか?無事反故にされたみたいですが。
大会前は「日本シリーズに参加したのが3人だけ、大丈夫か?」などと書かれていましたが、ふたを開けてみれば3試合すべて圧勝。
3試合目は13失点しなければ本大会出場決定という、実質消化試合でしたが、それでもこのものものしいムード!
宿敵・韓国はチャイニーズタイペイにも敗れ、本大会出場を逃すことに。
翌年の本大会に向けて弾みをつけた、ハズでした。
しかし3月にミスターは脳梗塞で倒れてしまいます。
スポンサー事情やチームの士気を鑑みてか、代役を立てられることはありませんでした。
最終的には8月に入ってから、酷暑のギリシャで采配するのは無理、とドクターストップがかかり断念。
この時ボクはまだプロ野球に興味を持っていませんでしたが、一連の騒動と一茂の「最悪電話で指揮をしてほしい」というコメントはなんとなく覚えています。
実質的に代表を任されたのは、「絶好調男」ヘッドコーチの中畑清。
今でこそDeNA初代監督として名高いですが、当時は巨人で数年コーチをやったことがあるのみ。
あくまで長嶋ジャパンという看板にこだわったためコーチの補充もせず、大野豊はブルペン、高木豊が三塁コーチに立ったため、中畑は基本的に1人でベンチで采配を振るうことに。
地獄かな?
自分なら何がなくとも過呼吸になりそう。
(余談ですがボクは中畑と同じ市に住んでおり、当時自分の通っていた小学校に講演に来たことがあったのですが、まだ野球に興味がなかったのでスルーしてしまったことがあります。なんて惜しいことをしてしまったんだ。)
さて大会直前、日本代表は東京で強化試合を組んだのち、今回は一週間前から合宿を組むことに成功。
え?セリエAってサッカー?と思ったのですが、イタリアにもプロ野球リーグがあるのです。
そういえばG.G.佐藤とかいってましたね。
っていうかイタリアでキャンプやってたのか。ギリシャの隣の国だけど、遠くね?
予選リーグの組み合わせはこんな感じ。
当時はキューバがまだめちゃくちゃ強い時代ですからね。
ギリシャ以外は決して楽に勝てる相手ではないと思いますが、当時の新聞記事からは「良くて全勝」「悪くて金メダル」というムードがひしひしと感じられて、プレッシャーたるやペナントレースの比ではなかったのではないでしょうか。
6時間という時差もあるとはいえ、オランダ戦とキューバ戦以外はデーゲームで開始時間は日本の17時30分。普通のナイトゲームよりちょっと早いくらいなのですが。
個人成績を確認したところ、極端に成績が良かった・悪かった選手はおらず、強いて言えばオランダ戦で岩隈が2回途中で降板したことくらいでしょうか。なんだか風邪をひいていたそうで。
あとその岩隈が降板したあと、黒田が5回無失点のロングリリーフを果たしたのはちょっとすごい……いや、3試合・9イニング投げて防御率0.00はすごいですね。しかも全部本職ではないリリーフ。
この大会でさんざん言われたのは伏兵・オーストラリアの存在。野球王国のキューバに念願のオリンピック初勝利を挙げた直後だけに衝撃だったようです。
予選で負けた時、朝日新聞ではこのように書かれていました。
日本不覚、9失点 野球アテネ五輪2004・第6日
完敗だった。前夜のキューバ戦の勝利が、帳消しになった。主将の宮本は言う。「ミーティングでは今日が大事と話したんですが……」
ライバルに勝ち、心のどこかに隙が出来たのか。ナイター明けのデーゲームで、体力的な疲れが残っていたのかもしれない。これまでにない、集中力に欠けるプレーがいくつか見られた。
(中略)
1次リーグで対戦を残すカナダと台湾は、オーストラリアより総合力は上とみられる。決勝トーナメント進出は堅いとしても、順位次第では準決勝の対戦相手が想定と変わってくる。「全部勝ちたかったが、仕方ない」と中畑ヘッドコーチ。「勝負事は分からない」とも言った。ただからこそもう一度気を引き締める必要がある。
嘱託の衣笠祥雄のコラムもこの通り。
(前略)破れてしまった豪州戦だが、そう心配はいらない。救援した三浦、石井が踏ん張りきれなかったわけだが、日程的に酷だった。あの日は前日にナイトゲームをやった後のデーゲーム。セリーグの投手はそういう経験がないから、コンディション作りが難しかったのではないか。
しかし……。
(金;キューバ、銀;オーストラリア、銅;日本、4位;カナダ)
アテネ五輪第十二日の24日、野球の準決勝で日本は豪州に0-1で敗れ、念願の金メダル獲得はならなかった。日本は先発の松坂が8回途中まで13奪三振の力投で1失点に抑えたが、散発5安打。1次リーグで唯一の黒星を喫した豪州に連敗した。25日の3位決定戦で、96年アトランタ大会以来のメダルを目指す。
長嶋ジャパンはこんなにも、もろかったのか。1次リーグに続いて2度豪州に破れた。
1点を追う七回、日本の内実が浮かび上がった。2死1、3塁で9番藤本敦士(左打)。豪州は同じ阪神の左腕・ウイリアムスを投入して来た。右の代打を送りたい。だが、適任がいない。結局、三塁フライに倒れた。
1球団二人ずつという制約の中でチームを編成した。初のプロアマ合同チームでメダルを逃したシドニーから4年。その反省からドリームチーム構想を掲げながら、各球団の現場や営業の思惑もあり、乗り越えられなかった二人枠の壁。その足かせが、最後まで障害となった。
豪州は一次リーグ最後のカナダ戦でメンバーを落として大敗した。準決勝の相手をキューバでなく、日本にするためのしたたかな戦略だった。キャッチャーの二ルソン(ディンゴ、元中日)、ウイリアムスらがおり、日本の情報を十分に持っていた。ニッポンは一次リーグでのデータから立て直し、守りでは一点に抑えたが、打線が不発だった。長嶋ジャパンにこだわったゆえの指揮官不在。監督経験がないコーチ陣によるベンチワークに限界があったかもしれない。
野球は北中米と極東アジアだけの競技ではない。ライバルはキューバだけではなかった。
一応書いておきますが、一次リーグの記事を書いた人とは別の記者です。
日本をくみしやすいと見たオーストラリアは、予選リーグ最終日に半ばわざと負け、準決勝でわざと日本と対戦。先発のオクスプリング、7回途中から9回まではジェフ・ウイリアムスのリレーの前になすすべなく敗れ去りました。
キューバとかならともかく、オーストラリアは2021年現在においてもアテネ以外の国際大会でベスト4に入ったことすら一回もないですからね。地元開催のシドニーですら6位。そんな格下に舐められていた、こちらも見くびっていたという中での敗北は、あまりにも屈辱的。
松坂の力投も実りませんでした。
シドニー五輪が終わったあと「これがただのいい経験で終わるか、経験を活かして財産に残るか自分次第。4年間の過ごし方で変わってくる」と雪辱を誓うコメントを残し、再び日本の大エースとしてマウンドに上がったのですが、16イニングで20奪三振、防御率1.69の力投も報われず。
衣笠さんは3位決定戦の次の日、このように書いています。
オールプロで臨んだ長嶋ジャパンだったが、金メダルを取ることは出来なかった。これだけの選手を集めても勝てなかったのは、気持ちが空回りしていたとしかいいようがない。アテネ入りした時から準決勝からが本当の勝負だとチームは思っていたはず。準決勝の豪州戦で松坂は良く投げたが、打撃の方は入れ込みすぎて普段の力が出なかった。
先発のオクスプリングは日本にいないタイプとか、特別に早い球を投げるタイプとかの投手ではない。ただ、制球力は非常に良かった。2回、中村紀がたった3球で見逃しの三振をした。そしてさっさとベンチに返った。あっさりしすぎ。それまでこのチームに言われていた「粘り」とか「つなぐ野球」といったものが消えて行ったようにも思えた。
城島が9回に見せたセーフティーバントも信じられない光景だった。ファウルになったが、チームの4番。先頭打者として何とか塁に出たいという気持ちは分かるが、あそこはじっくり打って欲しかった。
全体を通してみれば、1次リーグのキューバ戦で日本はテンションが上がりきってしまった感じがする。その直後の豪州に負けてしまった。豪州には投手のウイリアムス、キャッチャーの二ルソンと日本の事情をよく知っている選手がいた。かなり研究されているな、と感じた。特に準決勝で松坂がキングマンに右前に決勝打を浴びた。外角のスライダーをうまく運ばれた。あのあたりに研究の成果が見える。
25日のカナダに勝って銅メダルは獲得できた。最低限の仕事は果たせた.プラスに考えれば、新たにまた金メダルという目標が出来たわけだ。それにしても1度負けた豪州に2度もやられるとは。それが何とも悔しい。
直木賞作家・奥田英雄のエッセイ「泳いで帰れ」でも、準決勝での体たらくはボロカスに書かれていました。
アテネオリンピック全体の観戦エッセイなのですが、野球中心。
途中までめちゃくちゃうまくいっていただけに最後の悪い意味でのどんでん返しがなんとも。
当時野球に詳しくなかった自分は、「3」と書かれた日の丸をベンチに掲げているのを本気でどうかしていると思っていました。
ただ丁寧に調べて思わされたのは、ミスターも担がれただけの存在ではなかったこと。のちにドキュメンタリーの再現ドラマで娘の三奈に「負けたら日本にいられなくなるかもしれない」と険しい面持ちで語っていましたが、大げさでなかったんでしょうね。
この時の反省を踏まえ、さらに続く北京オリンピックでは人数制限なしのフルメンバーを編成することになります。
まあその前に王ジャパンのWBCがあるんですけど……続きます。
【参考資料】
オリンピック野球日本代表物語(ダイヤモンド社)
ヨミダス(読売新聞データベース)
(これめっちゃ面白かったっす。こんな駄文読んでないでこっち目を通してどうぞ!)