侍ジャパンの歴代メンバーを調べてみる① 2000年シドニーオリンピック編 | まぶたはともだち

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最近はプロ野球もお熱です。

いよいよ東京オリンピックが3週間後に迫りつつあります。
ボクの住む街では自転車、サッカー、近代五種をやることになっています。
まあ見に行けるかどうかは未だに不透明ですが……。
 
正直に言うと、自分は野球競技が楽しみで仕方ありませんでした。

山田哲人と村上宗隆の首に金メダルがかかるところが見たい……はずでしたが、今のところかなりモチベーションが下がっています。

それはずばり、稲葉ジャパンの選手選考にあります。

 

 

詳しくは割愛しますが、昨年おととしは活躍したけど今年はパッとしない選手と、キャリアの浅い新人が目立つラインナップ。

特に巨人の中川が辞退して左のリリーフが阪神の岩崎しかいない状況でなお、防御率0.75・奪三振率11.50(6月27日地点)の松井裕樹に声をかけない点は、誰か直接問いただしてくれよと言いたいところです。

 

とはいえ、代表選考は毎回そんなにすんなり決まるものではないということが、最近調べて分かってきました。

今日からしばらく、過去の侍ジャパン(野球日本代表)メンバーについてつづっていくことにします。

 

 

初回はプロ解禁後初となる、トップ代表がプロアマ混合で挑んだ、2000年のシドニーオリンピックについて書いていきます。
(もちろん当時は侍ジャパンという愛称はありませんでしたが、便宜上そのように表記します)

 

さも今書いているような導入ですが、以下の文章の大半は去年の秋、就職活動のふりして図書館に通い詰めて新聞のバックナンバーをシコシコ読みながらまとめたものです。

家族がこの事実を知ったらぶん殴るやろな~。

 

 

かなり入念に調べたつもりですが、所詮リアルタイムで観ていたわけではないので、おかしなところがあったら指摘してください。

 

 

さて2000年というと、プロ野球では長嶋巨人対王ダイエーによる、ON対決の日本シリーズが開催された年。

 

新庄・イチローがNPBにいた最後の年でもあり、新人王はセ・リーグは横浜の金城龍彦、パリーグは該当者なしという年でした。

当時から現役の選手はもう福留しか残っていません。大昔っすね。

 

 

【監督】

大田垣耕造(東芝)

 

【コーチ】

林裕幸(ヘッド)

野村収(投手)

長崎慶一(打撃)

 

【投手】

土井善和(30)右投右打(日本生命)

河野昌人22)右右(広島)

渡辺俊介(24)右右(新日鉄君津、のちロッテ)

吉見祐治(22)左左(東北福祉大、のち横浜)

石川雅規(20)左左(青山学院大、のちヤクルト)※現役

山田秋親(22)右右(立命館大、のちダイエー)

杉内俊哉(19)左左(三菱重工長崎、のちダイエー)

松坂大輔(20)右右(西武)※現役

杉浦正則(32)右右(日本生命)

黒木知宏(26)右右(ロッテ)

 

【捕手】

鈴木郁洋(25)右右(中日ドラゴンズ)

阿部慎之助(21)右左(中央大、のち巨人)

野田浩輔(22)右右(新日鉄君津、のち西武)

 

【内野手】

松中信彦(26)左左(ダイエー)

平馬淳(25)右右(東芝)

中村紀洋(27)右右(近鉄)

田中幸雄(27)右右(日本ハム)

沖原佳典(28)右右(NTT東日本、のち阪神)

野上修(26)右左(日本生命)

 

【外野手】

田口壮(31)右右(オリックス)

梶山義彦(30)右右(三菱自動車川崎)

飯塚智広(24)左左(NTT東日本)

廣瀬純(21)右右(法政大、のち広島)

赤星憲広(24)右左(JR東日本、のち阪神)

 

大学生5人、社会人11人、プロ8人。

現在も現役なのは松坂と石川だけです。そう考えると石川すげーな。

 

みんな若いな……

験担ぎで金髪に染めた中村紀が目立つ。

 

 

 

多少変動はありましたが、基本的なスタメンは以下の通り。

 

 

 

 

アマチュアは実績十分の選手ばかり。

吉見はともかく山田秋親ってパッとしない選手のイメージでしたけど、大学時代は無双してたんですね。

 

一方のプロですが、パ・リーグは全球団一線級の選手を1人ずつ派遣したにもかかわらず、セ・リーグは広島の河野、中日の鈴木郁と、実績の微妙な選手2人だけに留まりました。

ここで見落としてはいけないのは、今でこそオリンピックは7~8月にやるのが当たり前になっていますが、シドニーまでは9〜10月開催だったこと。球団幹部のみならず、ファンでさえ「ペナントレースの終盤に主力に抜けられては困る」と考えている人は多かったようで、まだ国を挙げてメダルを取りに行く、という空気ではなかったのですね。

「オリンピックはアマチュアのものじゃなかったの?」という意識も強かったようで、新聞のデータベースにアクセスすると、社説や投書欄にはそういった意見が数多く見受けられました。

調べて初めて知ったのですが、かつてはオリンピックのために有望な社会人選手はドラフト指名されないよう指名凍結するなんてこともやっていたそうですから、「プロが出られるようになったから出ろ」と言われてもなかなか難しかったでしょうね。

 

 

本大会の前に、前年度の予選からネットリ観ていきましょう。

1999年にソウルで開催されたアジア選手権には、日本、韓国、チャーニーズタイペイ、中国、フィリピン、タイの6か国が出場。

上位2か国がオリンピック出場の権利を得ることができます。

日本代表で合宿を行えたのはアマチュア組のみ。

プロは博多から飛行機で直接向かった松中のみ1日練習できましたが、他7人はぶっつけ本番の強行日程。

 

 

 

【アジア選手権(予選)】(1999年)

・予選リーグB組

 

 

A組はタイ、B組はフィリピンが敗退。

 

 

・決勝リーグ


 

(韓国が全勝で1位、日本は2位で本大会出場決定)

 

Youtubeで松坂が登板した時の動画が出てきました。

ざっと見たけど「え、それストライクになるのか?」ってボールがかなり目立ちます。

国際試合の審判のジャッジが良く分かんないのは昔からなんですね。

 

このアジア予選では古田敦也(ヤクルト)や野村健二郎(広島)なんかも参加していました。

松坂×古田なんて、オールスターでも実現してないはずの、夢のバッテリーですね。いや日米野球だと実現してるのかな?

 

そんなこんなでプロアマ混成チームでなんとか本大会出場を決めた野球日本代表。

翌2000年秋、オーストラリアに向かう前に東京ドームで壮行試合が行われました。

 

【壮行試合】2000年)

 

試合後のコメントを見てみると、やはりアマチュアの枠を奪ってまで出ているプロたちには重いプレッシャーがのしかかっていたようです。

 

一方、キャッチャーの鈴木郁は壮行試合のキューバ戦で「巨人の方が怖い」とかぬかしてたんですけど、これがフラグになってしまうことに。

 

 

本大会は8か国による総当たりのリーグ戦。

上位4チームが準決勝に進出するというシンプルなルールでした。

 

広沢克己、正田耕三、宮本和知らを擁したロサンゼルスは金。

野茂英雄、潮崎哲也、古田敦也らを擁したソウルは銀。

(ここまでは公開競技)

 

伊藤智、小久保裕紀、大島公一らを擁したバルセロナは銅。

福留孝介、今岡誠、井口忠仁らを擁したアトランタは銀。

 

5大会連続5回目の参加となる今回も、当然金メダルが目標でした。

 

 

【本大会予選リーグ】

 

(予選4位通過)

 


視聴率を調べてみたところ緒戦のアメリカ戦は34.2%を記録するなど、それなりに注目度は高かったようです。

エースは高卒2年目の松坂と、ジョニー黒木の2本柱。

2人を強豪にぶつけつつ、谷間は山田、吉見に任せるというローテーションでしたが、競り負ける展開が続き、結果的にギリギリ決勝トーナメント進出。まあプロアマ混合であることを考えると明確に格下といえるのは南アフリカくらいのものですし。

4位通過でも1位通過でもアドバンテージはありません、準決勝と決勝を勝てば問題のないはずでした……。

 

 

【決勝トーナメント】

 

 

 

 金:アメリカ 銀:キューバ 銅:韓国 4位:日本

 

 

現実は非情である。

 

4大会連続でメダルを取ってきた日本代表でしたが、この年はプロを動員してまさかのメダルなしという結果に。

同格以上のアメリカ、韓国、キューバには全敗。

特に最終日の12時30分から開催された3位決定戦は、前日の準決勝が12時30分からだった日本と、19時30分試合開始で半日も休めなかった韓国とではコンディションに相当差があったはずなのですが、0対0で迎えた8回、松坂はイ・スンヨプ(のちロッテ)に打たれ力尽き、具臺晟(ク・デソン のちオリックス)に完投勝利を許す始末。

松坂や中村紀が人目をはばからずボロボロ泣いているのは、のちに特番で何度も見た覚えがあります。

 

 

個人成績を調べてみると、プロで固められた中軸、あと1番の沖原(のち阪神)はかなり奮闘しましたが、やはり下位打線がほとんど打てず苦杯をなめる格好に。

 

松坂は緒戦で10回投げた後、中5日の韓国戦でも9回161球、更に3位決定戦では中3日で完投してるんですよね。

まだエースは完投してなんぼ、という時代だったとはいえ、投げすぎ!

身を粉にして投げまくったのにメダルどころか1勝も出来なかったなんて、さぞ屈辱だったでしょうね。

これ、リアルタイムで観てたらボクも悔しさのあまり歯ぎしりしてたんだろうなあ。

 

 

敗因としては、プロアマの連携不足、そしてオールプロで参加している韓国をはじめとした他国との根本的な実力差がやり玉に挙げられていました。

インタビューとか見る限りでは最善は尽くせたのでは?という気もしますが。

あ、でも「古田がいれば」「鈴木には荷が重い」的なことが執拗に書かれていて、鈴木郁がかわいそうでした。

 

この時の反省を踏まえてか、4年後のアテネではついにオールプロで挑むこととなります。

続きます。

 

 


【参考資料】

オリンピック野球日本代表物語(ダイヤモンド社)

朝日新聞記事データベース 聞蔵II

ヨミダス(読売新聞データベース)

NPB公式ホームぺージ

Full-count 太田垣監督、のインタビュー記事

Web sportiva 松坂の特集記事