侍ジャパンの歴代メンバーを調べてみる⑤ 2009年WBC編 | まぶたはともだち

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最近はプロ野球もお熱です。

※前回、北京オリンピック編はこちら


 

5回にわたってつづってきた野球日本代表の紹介コーナーも今日で最終回!

もうオリンピック終わっちゃったよ!

最後は今なお語り継がれる伝説の決勝戦が行われた、2009年第2回WBCを振り返っていきます。

めっちゃ長いです!

【監督】

原辰徳(巨人監督)

 

【コーチ】

伊東勤(総合)

山田久志(投手)

与田剛(投手ブルペン)

篠塚和典(打撃)

高代延博(内野守備走塁)

緒方耕一(外野守備走塁)

 

【投手】

ダルビッシュ有(22)右右(日本ハム)※現役

馬原孝浩(27)右右(ソフトバンク)

田中将大(20)右右(楽天)※現役

涌井秀章(22)右右(西武)※現役

松坂大輔(28)右右(レッドソックス)※現役

岩田稔(25)左左(阪神)※現役

岩隈久志(27)右右(楽天)

藤川球児(27)右左(阪神)

内海哲也(26)左左(巨人)※現役

小松聖(27)右右(オリックス)

渡辺俊介(32)右右(ロッテ)

山口鉄也(25)左左(巨人)

杉内俊哉(28)左左(ソフトバンク)

 

【捕手】

城島健司(32)右右(マリナーズ)

阿部慎之助(29)右左(巨人)

石原慶幸(29)右右(広島)

 

【内野手】

中島裕之(26)右右(西武)※現役

片岡易之(26)右右(西武)

岩村明憲(30)右左(レイズ)

小笠原道大(35)右左(巨人)

川崎宗則(27)右左(ソフトバンク)※独立リーグで現役

村田修一(28)右右(横浜)※2次ラウンドで離脱

栗原健太(27)右右(広島)※決勝ラウンドから合流

 

【外野手】

福留孝介(31)右左(カブス)※現役

青木宣親(27)右左(ヤクルト)※現役

内川聖一(26)右右(横浜)※現役

亀井義行(26)右左(巨人)※現役

稲葉篤紀(36)左左(日本ハム)

イチロー(35)右左(マリナーズ)

 

 

今大会から原監督の提案で侍ジャパンという愛称がつけられ、以後定着しています。

また、メジャーリーガーが5人も参加したのは今となっては特筆に値することでしょう。

黒田博樹(34)、斉藤隆(39)も直前になって辞退したため、本来なら7人が参加していたかもしれません。

(翌2013年は国内組のみ、2017年は青木1人だけ)

松井秀喜(35)もヤンキース側から出場を却下され、結局出場はかないませんでした。

観てみたかったな~、日本代表の松井秀喜。
 

先発の3本柱は、ダルビッシュ、松坂、岩隈。

岩隈は前年21勝を挙げる大活躍で満を持しての選出。まあこの4年後に田中が23勝するわけですが。

スタメンは原監督らしく、相手先発によって4番・5番を入れ替えるツープラトン仕様。

 

(あくまで基本オーダーです)

 

オチだけ先に言うと、9試合中5試合がサウスポーとの対戦だったのもあり、4番DH稲葉という独特の打線を見る機会はわずか3回にとどまりました。

 

それにつけても、メジャーリーガーを7~9番に固めて納得させた原監督の求心力たるや。

1月1日の朝日新聞別紙のインタビューでは、打順の構想として「1~3番が出塁率重視、4~6番が状況に応じた自在なバッティング、7~9番が意外性」と述べていましたが、福留たちは「えっ、俺意外性扱いですか!?」と戸惑わなかったのでしょうか。気になります。

 

 

北京オリンピック代表の多くがトラウマになったのか出場を辞退したため、半年で一気に世代交代が進むこととなりました。
また宮崎での合宿には33人を招集し、大会11日前の2月22日になってから和田毅(28)、岸孝之(25)、細川亨(29)、松中信彦(36)、栗原健太(27)の5名を外すという形をとりました。これには当時張本などから苦言を呈されていましたが、ペナントより1か月も早く身体を仕上げろと言われても、28人もいれば調子が上がらない選手が何人も出てくるわけで、やむを得ないことだと思います。落とされた選手からしてみれば非情以外の何物ではないでしょうが。

 

あと松中とか栗原を外してまで、なんで規定打席に乗ったこともない亀井を?とは誰しもが思ったことでしょうが、結果論ではありますが、あえてベンチ固定の存在を設けるという発想は一流選手たちの集団に欠かせない発想だったと思います。

てか亀井、今39歳で1億円プレイヤーですからね。あんなに大器晩成型だったとは。

当時の自分が考えたメンバーが出てきました。

辞退したらしい中日勢を除くとほぼ順当に的中させていますが、キャッチャーは相川亮二に二重丸をつけています。

よっぽどFAでヤクルトに入ってきたのが嬉しかったんでしょうね。

 

 

この大会はイチローに始まりイチローに終わった大会でした。

 

そもそも当初は星野がオリンピックから続投する予定だったところを、あまりの惨敗に再選考の機会が生まれ、それでもナベツネの「星野しかいない」という鶴の一声で押し切られそうになったところを、イチローの「オリンピックのリベンジだととらえているようでは足並みをそろえることなど不可能」という至言で流れが変わり、原監督起用で決着した経緯があります。

10月はマジで毎日選考会のニュースを追っていました。

果たして心の底から応援できる人物が就任してくれるのか、気が気でなりませんでした。

 

というわけで今回は試合結果の横にイチローの成績を併記しておきます。

2月17日付の朝日新聞スポーツ面。

やはり北京オリンピックでのトラウマがあるのか、レフトの守備事情に関する記事が目立ちます。

最後に外された松中を除いて、結局本職がレフトの選手はゼロ。

イチローを除く外野手全員がレフトでノックを受けたようです。

 

【壮行試合】

 

 

おおむね皆順調に結果を残している中で、イチローの不振が際立ちました。

23打数3安打で打率はわずか1割3分。しかもヒットはすべて内野安打で、外野に飛んだヒットはゼロ。

当初は3番を任されていましたが、あまりの不振に巨人戦からは1番に変更。

それでもまさかの5タコという結果に、プロ野球ファンは焦りを隠せませんでした。

 

自分もどうしよう、どうしようと一人で慌てふためいていたものの、高校生の当時はネット環境もなく、周囲に観てるやつが一人もいなかったので誰とも不安が共有できないのが辛かった。

(多分1人くらいいたはずでしょうけど、相変わらず若者はサッカーにしか興味がない、という偏見に凝り固まっていたので、相変わらず探そうとも思いませんでした)

 

 期待と不安の入り混じった状況の中、1次ラウンドが始まりました。

 

【1次ラウンドA組】(東京ドーム)

 

(グループ2位通過)

 

 

今大会は不公平感を出さないよう、敗者復活制度のある変則トーナメントに。

前回大会で6戦全勝だった韓国が3敗もした日本にアドバンテージなしというのは、助けられた側からしてもちょっとひっかかっていましたからね。まあ2次ラウンドで韓国と同じ組に入れられたのは相変わらずで、そこは要改善だったと思いますけど。

 

カストロ議長が「(アメリカは)キューバ、日本、韓国と準決勝まで対戦しないで済むよう3強を1つの組に押し込んだ」と批判していたのが思い起こされます。

やっぱ国全体で野球エリートを養成してるところは言うことが違うわ。

 

1回目の韓国戦では、北京で2度日本の前に立ちはだかった左腕・金廣鉉(キム・グアンヒョン)を2回途中8失点と完膚なきまでに粉砕。

TVの前でハラハラしていましたが、イチローが第1打席で軽くヒットを打って出塁したときの「いける!」という安心感はすごかった。

 

しかし2回目は左腕・奉重根(ポン・ジュングン)やヤクルトの林昌勇の前に打線が沈黙。

李承燁は不参加でしたが、のちにNPBでもプレーする4番・李大浩、5番・金泰均、7番・李机浩(イ・ボムホ、ソフトバンク)といった打線は迫力ありました。てかバリバリのメジャーリーガーの秋信守(チュ・シンス)が控えだったのか。

 

 

 

 

【練習試合】

 

 

舞台がアメリカに移ってもイチローはパッとしません。

ジャイアンツ戦で松坂が調整登板をするはずでしたが、レッドソックスからNGがかかり、2次ラウンドの初戦にぶっつけ本番で挑むことに。

 

 

【2次ラウンド】(ペトコ・パーク)

 

 

(グループ1位通過)

 

舞台はアメリカに移り、時差の関係で試合は午前中からに。

このころは学校が春休みに入る直前で授業もなく、AEDの使い方とか自転車のマナー講習とかそういうのを受けるためだけに通っていて、下校の合間とか休み時間にずーっとラジオで中継を聴いていました。

周囲から見たらガチの不審人物だったでしょうね。

 

 

3回目の韓国戦で、日本はまたしても奉重根に抑え込まれ敗戦。

4回目の韓国戦で雪辱を果たすも、ここまで好調だった村田がふくらはぎを痛めまさかの戦線離脱。

入れ替わりで栗原が緊急招集されることとなったのですが、3回打席に立って2三振、1併殺、守備もせず、と本当に全く貢献できなかったのが可哀そうでした。

 

6-0、5-0というスコアだけ見るとキューバは大したことなさそうですけども、松坂と岩隈が優秀なだけです。

だって3番・セペダ、4番グリエル、5番デスパイネでっせ。

チャップマンとかいうMAX164キロの怪物をどうやって打ち崩すのかとも散々議論されてきましたが、制球が良くないところにつけこみノックアウト。

1次ラウンドで9打数0安打とイチロー以上に不振を極めていた岩村も、2次ラウンドでは10打数5安打と息を吹き返しました。この辺はきっとスコアラーの貢献も大きかったんでしょうなあ。

この大会以降、キューバは亡命者が急増し(グリエルやチャップマンもそう)一気に弱体化しますが、かつては手も足も出なかったキューバにこの時連勝したことは誇ってよいでしょう。

 

イチローも、2回目のキューバ戦の第3打席でバントを失敗し、「自分だけキューバのユニフォームを着ているのかと思った」という悲しすぎるセリフを残しますが、大勢が決まってから2安打。

状態は少しずつ上向いているのでは?というほのかな、でも痛切な期待を残しつつ、一行はロサンゼルスへ。

 

【決勝ラウンド】(ドジャー・スタジアム)
  

イチロー通算成績.273(44打数12安打5打点)

 

トロフィーが恐ろしく似合う男
 
 

決勝は改めて言うまでもなく、日本の野球史に残る名勝負ですが、準決勝もなかなかです。

前年度17勝のオズワルドを打ち込み、6得点。3失策のアメリカに対して日本の守備の固さが光りました。

村田に代わり、片岡や川崎が本職でないながら三塁守備を無難にこなしていたのも、2週間近い合宿の成果だったと思います。

 

そして、クローザーにダルビッシュを投入したのも素晴らしい判断でした。

カッコよすぎる

 

大会当初から気がかりな点として、藤川球児が本調子ではないっぽいという指摘がありました。

WBC専用のボールが合わないのか、無失点ではあったものの制球もいまいちで全然空振りが取れない。

 

当時の藤川は一番脂がのっていた時期で、分かっていても打てない火の玉ストレートで三振の山を築き上ける、名実ともに日本一の守護神でした。しかし2006年のWBCでは2次ラウンドで2度の救援失敗、北京オリンピックでも準決勝で救援失敗するなど、そもそも国際試合との相性が良くないのでは?とも感じていて、そんな中で準決勝の9回ダルビッシュ投入は大胆な采配でした。

5点もリードがあるがゆえの起用だと思い込んでいましたが、翌日の決勝戦での連投には意表を突かれました。

結果的に同点に追いつかれた賛否の分かれる作戦ではありますけど、原監督にしか出来ない策だったと思います。

お前さんたちは素晴らしい、真の強い侍になった!」とはシャンパンファイトの際の掛け声ですが、強い侍にしたのは他ならぬ原監督の功績によるところが非常に大きいでしょう。

 

第1回プレミア12で世紀の大逆転負けを喫したあたりから、「先発タイプをリリーフに使うのはリスキー」という風潮が強い気がするんですけど(そうでもないか?)、プロ野球って基本的に優秀な奴は先発を任されるものなので、適正次第では全然ありなんじゃないでしょうか。

 

打線も15安打と頑張ったのですが、韓国投手陣はやっぱり粘り強かった。

奉重根を4回3分の0で96球も投げさせたのはすごいけど、結局1点しか取れなかったし。

 

でもやっぱり最後はイチローなんですよね。決勝では文句なしの4安打。

 

同点の10回表、2死2,3塁で迎えた林昌勇の対決は、今なお滾るものがあります。

カットしまくって完全に投げるところがなくなっているの本当に震える

 

9回、同点に追いつかれた場面で堪えきれなくなって、TVを消してラジオに切り替えていたボクは今でも、ニッポン放送の師岡アナウンサーの、

真ん中変化球……抜けた~!川崎、世界一へのホームイン!、イチロー、連覇へのタイムリー!」という絶叫を正確に覚えています。

 

やっぱり、強いチームにはカリスマがいるのです。

プロ野球選手なんだから、身体能力が優れているのは当たり前で、代表なんだから一生懸命やるのもある意味当然。

でもイチローというチームを強烈に引っ張る存在がいたからこそ、競った展開を何度も何度も制して連覇できた。

もっと他の選手を起用したら、それこそ稲葉とか松中を使ったらもっと打ってくれたかもしれませんが、果たして彼らにそこまでの求心力があるのか。

そして、何より最後の最後、あの場面で打てたのか。

そういう意味でもやはり、12年経った今なお語り継がれるべき素晴らしいメンバーだったんじゃないかなと思います。

 

 

蛇足になりますが、最後にボクの大好きな編集委員・西村欣也氏のイチローに関するコラムを引用して終わります。

このシーンについては何度か書いている。イチローがイチローになった瞬間の話だ。

10年前になる。99年4月11日、オリックス時代、ナゴヤドームの西武戦だった。9回、ぼてぼての二塁ゴロを打った。これがただの凡打ではなかった。一塁に走りこむ間に彼の頭の中で何かが動いた。

「自分の中にイメージに描いたフォームと二塁ゴロになってしまった実際のフォームとを重ね合わせて方程式を解くように、解答が見つかった」。あるインタビューにこう答えた。この二塁ゴロが誤差を修正するセンサーになったのだという。

なぜそんな瞬間が訪れたのか。「失敗し続けた結果でしょうね」と彼は言った。練習を積み重ね続けた一流のアスリートにまれに起こる「開眼」の瞬間だった。それ以降も小さなスランプは当然ある。「でも、あれ以来迷いのトンネルに入り込んで抜け出せないということはないですね」

(後略)

(朝日新聞2009年3月9日夕刊スポーツ面「Behind the Scene」より)

 

イチローは最後までイチローだった。

「苦しいところから始まって辛さになって、辛さを超えたら痛みが来て、心がね」。2連覇を達成したWBCをそう振り返ったが、最後の打席はイチローにしか表現できないバッターボックスだった。「日本からの目がすごいことになっていると自分の中で時間した。視聴率とか。そう思ったら普通、結果が出ないんですけどね。一つの壁を越えたというか

このコメントから、彼の焦燥感や迷いを感じる人もいるだろう。それは違う。

何度か書いているが、イチローは自分を客観視する、もう一人のイチローを持っている。だからこそ、自分の置かれた状況が、彼は自ら把握できたのだ。焦りとは対極の自己コントロールが、10回2死2,3塁の場面でできていた。「自分でそんな自分を実況していた」とも話した。同じ言葉を巨人監督時代の長嶋茂雄から聞いたことがある。「佐倉の家の庭に柿の木がありましてね。中学、高校時代その木の下で素振りをしました。長嶋、ホームランです、ってね」

自分を客観視する能力と、自分の中に入り込む能力。このふたつを兼ね備えたアスリートを超一流と呼ぶのだろう。シャンパンファイトのさなか、容赦なく酒を浴びながらイチローは言った。「この先輩をリスペクトしない態度が、世界一の原動力なんです」。日本でプレーする若手が成長し、世界を勝ち抜ける。バトンをつなげていけているという時間もあっただろう。前回のWBCで王貞治監督が「イチローは個人主義かと思っていたが、チームリーダーだった」と振り返った。衰えを指摘する評論家たちを、彼のバットが最後に封じ込めた。

 (朝日新聞2009年3月26日朝刊スポーツ面「EYE」より)

 

やばい、7000字を超えてしまいました。

Numberのインタビューとか、ガッツとか岩隈とかにもガッツリ触れたかったのですが、この辺にしておきます。

では!

 

 

第3回以降は当時適当に書いたやつあるので、一応リンク張っておきます。