何から書こうか、書くのをやめようか、誰にも読まれないことを承知で少し文章を打とうと思います。お久しぶりです、こんにちは😌☘️
スマホのブックマークを整理していてふと、そういえばわたしのブログはどうなったんだっけ?と思い久方ぶりに開いてみたら、、最後に書いた記事から約1年が経っておりました。
出来事として残しておきたいこと、人に言うようなことではないこと、つらいこと、驚いたこと、信じられない様なこと、
この1年で本当に色んな出来事がありました。
わあ懐かしい。笑 世田谷公園ですね😂
息子と連絡がつかなくなってから約1年。もう今、4年生になるのかな?
3年生の息子を丸々見ることが叶わないまま終わってしまったこの1年、わたしは最初の半年間仕事をしていない時間の全てを泣いて過ごしていたと思います。毎日夕方になると希死念慮が生まれ、日が暮れる度に黄昏泣きの様に涙が出る。
毎晩「死にたい」と言いながら布団に埋まり、部屋を徘徊したりノートに懺悔の言葉を書き綴ったり煙草を吸ったり飲めないお酒を飲んでみたり。煙草もお酒も身体に合わず脳が酸欠になるのを感じると強制的に横になり、体調の回復を待っているうちに意識がシャットアウトされて眠りにつける。そんな毎日でした🌃
(文字にするととても重い。重すぎる。やはり書くのをやめようか、、🫠)笑
そんな半年間の気の浮き沈みを支えてくれたのは紛れもなく婦人科で処方された低容量ピル。そして命の母ホワイト。
どちらもホルモンバランスを整えてくれるらしく、毎日毎晩だったヘドロの様な時間が週に2〜3回に減り、そこからはよく眠れる様になりました。
睡眠ってとっても大事。
区役所に行き、離婚相談もしました。親身に話を聞いてくれたのですが結局区役所で出来ることは何もなく、法テラスを紹介され弁護士さんに5千円の相談料をお支払いして自分がやるべきことを教えて頂く。そんな感じ。
現在離婚調停中なのですが夫は東京裁判所からの連絡も無視するほど常識のない人なので、ここから先はこちらが本当の正式な裁判を起こすしかないとのことでした✍🏻💭
もう今までの人生の全てを諦めて息子の親権も慰謝料も財産分与も何もいらないと伝えているのに、それでも尚【わたしの人生を自由にすること】が嫌なのだろうな、と思います。
ほんと、とんでもない人と結婚しちゃった。
もし15年前に戻れるなら自分の頭を叩き割りたい。でもそしたらわたしの人生のいちばん楽しかった記憶もなくなるのかと思うと、、🙄💭
いや、そもそもわたしはこの世に生まれてきたくなかったなあ。
地獄みたいな人生だもん。
それと子犬も飼いました。
歩き始めた子供のような、後追いをして何でも口に入れて小さないたずらを繰り返すベビーゲートを必要としていた頃の育児を思い出します👶🏻
まだ息子からLINEの返信がきていた頃、何度も「子犬を一緒に見に行こう?」と誘ったけれど返信がなくスタンプで「😢」とだけ返ってきたり、スタンプの意味を聞いても教えてくれず電話をかけても出てもらえず、
本当に何を考えていたのか何ひとつ教えてくれなくて。
何かモラ夫からあることないこと吹き込まれたのかもしれない。でも一緒に住んでいないから、何度誘ってもわたしのお家には来てくれないから、会いに行くことも許してもらえないから、もう何もわからない。わからないまま、遂には既読すらつかなくなって完全に何もなくなりました。
一度、学校帰りの息子を待ち伏せして話しかけるという手段をとろうとしたことがあります。
しかし待ち伏せしていることで通報されたらどうしよう、そもそも息子を驚かせたくない。伝える手段がないから学校に連絡をしようと思い学校にお電話をさせて頂き、「子供に家の鍵(わたしの家のスペア)を渡したく迎えに行きたいので昇降口で待つように伝えてもらえますか?」と伝えたことがあります🏫💭
すると、「◯年◯組の◯◯君のお母様でしょうか?お父様の方からご連絡を頂いており、妻が精神を病んで勝手に家を出て行ったので子供を拉致して誘拐する可能性があるのでもし迎えに来た際にはこちらに連絡をください。と言われています。家庭内のご事情に関しては学校は何も関与出来ませんのでお迎えはご遠慮ください。お父様の方には学校側からご連絡させて頂きます」と、、
校長先生からお言葉を頂きました。
ああ、もう、そこまでするのか、と。
モラ夫の異常性、執着心。そして学校も、本当に、色んなことに驚いた。
保護者会に毎回顔を出しPTAでワンシーズンお手伝いもしたけれど、もちろん覚えてなくて全然構わないのだけれど、
それでも尚、なぜ保護者会に一度も顔を出したことのない男の言い分の方を信じるのだろう?
学校は関与出来ないと言いながらもしっかり精神異常者と見なされたわたしから息子を守り父親に受け渡す学校側の行動を見てわたしはそこで全てを諦めたように思います☁️
息子のこの先の人生をモラ夫と学校に託そう。わたしは精神異常者。そうか、それなら、それなら仕方ない。消えよう、このまま。この世からも。
そう思ってふらふらと、行くあてもなく道路をずっと歩き続けて数時間ぼんやりと歩き続けて、一体ここはどこなんだろうと思うほど知らない場所まで来てしまい、すっかり夜になって靴擦れでボロボロの足が痛くて。歩道橋でひたすら行き交う車を眺めながら「死にたい、でも迷惑かけたくない、でも死にたい、お母さんのとこ行きたい」と呟きながら、流れ続ける涙が風で乾いて頬がカサカサと痛くて。
8年間のワンオペ育児、何だったのかなぁ。
毎月5万円の生活費でそれがなくなったら「お金なくなりました。ください」と頭を下げて補充してもらう。そんな15年。好きな美容室にも行けなくて生活用のクレジットカードを切ると何に使ったのか全て報告しなくてはならない。
ゴミ箱を漁られて変なものがないか確認される。ネイルも美容もお金がなくて出来ないから10代の頃の自分の貯金から捻出して、それもなくなって仕事をしたいと言ったら「出会いが欲しいだけ、浮気がしたいだけでしょ」と言われ許可がもらえず。内緒で働き始めて息子を学童へ預けたら「学童いやだ、ママお仕事やめて」と言われ、謝りながら「あと1年、あと1年だけ頑張って」と伝え続けてお金を稼いで別居が出来るまでの貯金が貯まった頃には息子からの信用もなくなってた。
こんなに、こんなに頑張ってきたのに。
結局、誰からも何からも信用されなくて、手元に残ったものは少しの貯金と腰掛け程度で始めた仕事だけ。どっちもいらない。わたしが欲しかったものは楽しく息子と一緒に過ごせる時間とほんの少しの自由だけだったのに。
もしこのとき国に安楽死の制度があったら迷わず申請に行ったと思う。
それくらい、この世から消えたかった。
ブログには書かないでいたのですがわたしが内緒で仕事を始めた頃に実母が病気で急死して、そのときは親を失った悲しみでいっぱいだったけれど、今はそれよりただ母と話したい気持ちの方が大きくて。わたしはどうしたら良かったの?お母さんは「あんなに良い人なかなかいない。夫婦なんだから少しのことは我慢しないと」と言ってわたしの話を聞いてくれなかった。
でも今、あなたが生きていてわたしが今「死にたい」と目の前で口にしたら、もう少しだけちゃんとわたしの話を聞いてくれていたんじゃないかって。
親孝行はもうした。たくさんした。
だから今度はお母さんがまたわたしを助ける番だよって。
歪んだ視界にキラキラぼやける歩道橋で、ずっとひとりで喋りました。誰も人が来なかったから、ずっとずっと喋り続けて、疲れて、座りたくなって、帰りました。ナビをつけていちばん近い駅に向かって歩きながら、「ひとりだとどこでも行けるなぁ」なんて言いながら、帰りました。
・・・色々書きすぎてしまって、涙で服の襟がびしゃびしゃ😭
思い出したくないような、それでいて、忘れてはいけない。今でもたまにひとりで夜道を歩いているとお母さんに話しかけてしまいます。もはやイマジナリーフレンド。笑
離婚が成立したら何しよう。新しい家族をもたないといつかどこかでまた糸が切れてしまいそうな気がする。
だけどもう誰のことも信用出来ないから再婚なんて出来ないだろうなあ。
息子のことを思い出さない日なんて一日だってなくて、ただ平和に、わたしのことなんて気にもしないで楽しく生きてくれてたらそれだけでいい。
でも、もし。もしも、叶うなら、
わたしが本当にこの世の全てを諦める前に、
あなたの代わりに、
わたしの人生の残りの全ての愛を捧げることを許してくれる誰かを、
あなたの妹か弟を、産みたいです。
……… うん。
だいすきよ、いちばん。だぁいすき。
幸せでいてね、ずっと。 絶対よ。
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はあ!泣きすぎた〜顔洗ってこよ😂
ここまで読ませてしまってすみません🙇🏼♂️
ありがとうございました!笑











