当教室は体育教室ですが、脳みそまで筋肉な子どもを育てたり、精神論だけでどうにかしようとするような体育会系バカな指導はしません。運動にだってインテリジェンスは重要です。生きることとは学び続けること、人間死ぬまで勉強です。というわけで、今日も一見体育とかけ離れた歴史のお勉強、行ってみましょう♪

 

さて、今日は前回の『平家物語』から歴史的には続きとなる『吾妻鏡』です。

この『吾妻鏡』は源頼朝の挙兵に始まり、鎌倉幕府の成立、その後の幕府の動きが元寇手前の頃まで書かれています。なぜそこまでなのかというと、その頃に『吾妻鏡』が鎌倉幕府によって編纂されたからです。つまり、この『吾妻鏡』は物語ではなく、鎌倉幕府による公式記録集なわけです。

となると当然、内容は鎌倉幕府にとって都合よく書かれていて、逆に事実であっても都合の悪いことは書かれていない or 改竄されていると考えられます。なので、そういう面があると踏まえて読んでいくべきなのですが…。

これ、ホントに鎌倉幕府が編纂したの?
都合の悪いとこ相当抜いたはずだけど、それで「これ」なの?(呆れ顔で)

いや、とても鎌倉幕府にとって都合の悪いことを抜いた記録とは思えないんですよ…。だってこれ、どう読んだって「ヤクザかヤンキーの抗争物語」にしか見えませんよ?タイトルつけるなら「実録!鎌倉幕府の仁義なき戦い」!なんか三流週刊誌のゴシップ記事のタイトルみたいですが、マジでそんな感じなんです。

確かに幕府に敵対したから倒した、謀反起こそうとしたから倒したって例もあるのですが、「あいつ、最近ちょっと調子こいてね?邪魔だし、ちょっとヤっちゃおうか?」「もしあいつが謀反起こすとやべぇな。じゃあヤられる前に先にヤっちゃう?」と勝手に疑って勝手に謀反の嫌疑かけて勝手に謀殺したというのが多い多い…。

まず頼朝の時代。
初期には「あいつ、うちで一番多い軍もってるよね?あいつが謀反起こしたらヤバくね?」という理由で頼朝の命によりヌッコロされてしまった上総介広常さん。後で嫌疑となったことがただの濡れ衣だったとわかり、頼朝「ゴメンね、テヘペロ♪」。ちなみに甲斐源氏の皆様も同じような理由で超冷遇されます。

これだけでもドン引きなのですが、頼朝と言えば平家キラーというより源氏キラー(笑)

「親同士の仲悪かったし、あいつ邪魔だし、上皇もそうしろって言ってるから」という理由で殺された従兄弟の木曽義仲さんに、「生かしておいたら将来仇討ちされそう、俺がやったみたいに」とまだ少年だったのに殺された息子・義高くん。ちなみに義高くんには頼朝の娘・大姫が超懐いてて、このショックで心身共に病んで父・頼朝を恨んで早死にします。

腹違いとはいえ弟なのに「あいつ、やたら人気あるし、戦上手いし、俺の立場がないよね?」という理由で徹底的に冷や飯食わされた挙句、使い捨てられて殺された源義経さん。ついでにもう一人の弟、範頼さんもイチャモンつけて流刑にしてから謀殺してます。あと叔父にあたる行家さんとか義広さんもいろいろモメた挙げ句、殺っちゃってます。

こんな感じで自分の身内ヌッコロしまくりの将軍頼朝ですが、広常さんの件はともかく、まだ頼朝自身は部下に厳しいものの優秀な者や忠義を尽くす者は大事にしていたフシがあります。本格的な「仁義なき戦い」が始まるのは頼朝の死後です。幕府の有力者同士で散々に争い合います…。

まず目をつけられたのは、義経ら多くの者をその讒言(虚偽の密告)によって陥れた梶原景時さん。まぁ、この人の場合かなり自業自得なのですが、追い詰められて一族皆殺しの憂き目に。

次に目をつけられたのが、なんと実直・誠実・実力を兼ね備え東国一の武士と言われた忠臣・畠山重忠さん。ありもしない謀反の疑いをかけて、証拠もなしに大軍派遣して潰すという念の入れよう。

畠山さんをハメたのはさすがに周りから非難GOGOで、頼朝の義父(妻政子の父)にしてこの件の首謀者だった北条時宗は殺されこそしないものの事実上の島流し状態で完全隠居させられます。

その後も比企、和田、三浦、千葉など、鎌倉幕府初期の主な重鎮だった一族はその多くが味方同士で「仁義なき戦い」やって滅びます。完全に「昨日の味方は今日の敵」状態。アホですね。

そして何より、頼朝の実子の二代目将軍・源頼家、三代目将軍・源実朝。「そういえば鎌倉時代って、いつの間にか源家から北条家にトップ変わってたよね?」と思う方が多いかと思いますが、それもそのはず。頼家、実朝ともに暗殺されちゃってますw 平家を源氏が滅ぼしたように外の敵にやられるのならまだしも、幕府内の内部抗争でトップが二代続けて身内に暗殺されてお家断絶ってどうなのよ?

こんな感じで初期から一貫して権力争いの内輪もめを繰り返した鎌倉幕府。「いざ鎌倉」とか「一所懸命」とか「御恩と奉公」とか言ってますが、中身は酷いものです。鎌倉幕府の公式記録でこれですから、都合が悪くて削除&改変された部分があることを考えると、もう弁護も情状酌量の余地もないほどのグダグダっぷりです(笑)

ここで疑問に思う人もいるかもしれません。「鎌倉時代からが武士の時代でしょ?でもどこに武士道があるの?」と。
 

はい、お答えします。この時代に「武士道」なんてものはありません(笑) 少なくとも源氏にそんなものはなく、むしろ壇ノ浦で潔く討ち死にや自害をした平家の方がまだあったかもしれません。(清盛の三男で平家の総大将だった平宗盛は生き残ろうと無様な姿を晒してますが)

そもそも今の私たちが考える「武士道」の形は、実は江戸時代に出来上がったものだったりします。その成り立ちや変遷についてはそれだけで1シリーズになっちゃうのでここでは省きますが、鎌倉、室町、戦国と武士同士が仁義も忠もあったもんじゃない泥沼の抗争を数百年繰り広げ、それを最後にまとめた江戸幕府が「これ、武士の道徳心なんとかしないとヤバイよね」となって、武士の美徳である「武勇」に儒教道徳や仏教的信条などを織り交ぜて広めた文化が「武士道」なわけです。(江戸幕府が一方的に作ったわけじゃないのですが、それを推奨して上手く利用したのは確かです)

というわけで、「鎌倉幕府の公式記録なのに身内争いしまくってグダグダ&泥沼な仁義なき戦い」「武士道?そんなもの知らん。勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ」というのが『吾妻鏡』で、感想をまとめると「平家の方がマシなんじゃね?」(苦笑)

さて、次回は最後『太平記』です。まぁ、これもグダグダなんですが…身内・仲間同士で争いまくった『吾妻鏡』よりはマシっちゃマシ…かもしれません(笑)

それでは、また次回♪

起きたら昼過ぎ。ヤバっ!完全に遅刻じゃん!13時の営業開始時間には間に合わない…今日の授業前の予定は…来客予定なし!よし、シャワーあびて15分で支度すれば遅刻ではあっても大丈夫!誰にも迷惑はかけない!にしても、なんで目覚ましで起きなかったんだ…二度寝した記憶もないんだが…

で、服を脱いで風呂場に入って鏡を見ると…あれ?髪が長い。今日は…水曜日だっけ?毎週月曜に髪を剃ってるのでこんなに長いはずないんだが…

あっ!今日は月曜か!定休日じゃん!休みじゃん!!

と、自分の髪の伸び具合で今日が月曜定休日だと気が付いたマンモスコーチです。普段から髪を坊主にしているとこんな使い方もできるのでお勧めです。つーか、以前もこんなことあって、このブログに書いたような気が…。


さて、今日は前回に続いて『平家物語』についての感想です。

作画が「三国志」で有名な横山光輝なんで、「ジャンジャンジャ~ン!」とドラの音と共に「げ~、関羽!」とか「待て、これは孔明の罠だ」ってセリフが出てきそうですが(笑)、中身はちゃんと「祇園精舎の鐘の音…」で有名な平家物語です。

平安時代後期から武力集団として武士が表れ、なかでも力をもっていたのが「西の平家と東の源氏」と呼ばれた二大派閥。そうした武士の武力を背景とした皇族や公家のクーデターといえる保元・平治の乱が起き、敗者側についていた源氏は没落、勝者側についていた平家は棟梁「平清盛」が大出世を遂げ、「平家にあらずんば人にあらず」と呼ばれるほどの栄華を極めます。

そんな平家に対し不満をもつ公家や源氏の残党たちはリベンジの機を伺い、清盛の死後、ついには源(木曽)義仲の蜂起によって平家は京都から追い出されます。逃げた平家は西国で巻き返しを図るものの、源頼朝によって追討軍として派遣された源義経らの働きにより壊滅的な打撃を受け、最後は壇ノ浦の戦いで一族のほとんどが討ち死、自害となります。
 

こうして一時は栄華を極めた平家は滅ぼされ、「驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」という平家物語の冒頭に繋がるわけです。

で、読んだ感想なんですが…まず、後白河上皇クズ過ぎ(笑)

上皇とは元天皇で、天皇の地位を息子等に譲位し引退するものの、それは表向きに過ぎず、天皇という地位=縛りが外れたことを逆手に取って天皇以上の政治権力や発言権を行使する「院政」を行います。鎌倉時代や室町初期にもこの院政が様々な争いの元になるのですが、その初代「院政による権謀家」がこの後白河上皇といえるでしょう。

そもそも清盛を出世させたのがこの後白河なのですが、平家が力をつけ過ぎたと見るや寺社や源氏に平家討伐を求め、義仲が平家を追い出すと「よく来てくれた」と大歓迎。でも義仲一党が京都で略奪ばかりするので今度は頼朝に義仲討伐を依頼。で、頼朝に派遣された義経が義仲を追い出すと「よくやってくれた」とべた褒め。

更に義経が平家を滅ぼすと、義経が頼朝から「絶対俺以外から官位をもらうな、それ上皇の罠だから」と厳命されていたのに無理矢理官位を与え、それにより頼朝と義経の仲を裂き、挙句義経には「頼朝討伐」、頼朝には「義経討伐」をそれぞれ出すという…。その後も死ぬまでこんなことし続けます。

要は、自分の権力や保身のために人を駒のように動かし、自分に都合の悪いやつはその敵を抱き込んでけしかけて、決して自分の手は汚さず、勝った方に「俺はお前を信じていた」と吹き込むという節操のなさ。したたかなんて可愛いものじゃありません。頼朝が「大天狗」と評したのも頷けます。

源平の戦いというと清盛が悪役、争いの元にされがちですが、後白河上皇に比べれば清盛の方が遥かにマシ。むしろ後白河こそが争いの元と言っても過言ではないでしょう。

むしろ清盛の政治力やカリスマ性は評価すべきとさえ言えます。次回で詳しく述べますが、源氏は平家に勝つ前も勝った後も散々身内争いをします。ですが平家は清盛の元で一致団結しており、栄華を極めている最中も「あいつ邪魔じゃね?」と身内同士で足の引っ張り合いをすることもないし、清盛死後に京を追い出されて形勢不利になってからも一族から目立った裏切者は出ていません。この辺の清盛のカリスマ性や平家の団結力は、この時代において評価すべき点と言えます。

そんな平家が滅んだ原因は色々あるのですが、なかでも清盛の長男「重盛」が病気で早くに亡くなったことが大きいです。親分肌だがそれゆえにカッとなりやすい直情型の清盛に唯一意見できた人物で、思慮深くてその判断は公平。スジを通し、行動力も兼ねるという超傑物。平家と朝廷の仲介役、バランサーだった重盛が生きていれば…と当時の誰もが思ったことでしょう。

また、平家一門が次々と高い官位を得たことで公家化してしまい、それによって本来の武力集団としての強さが失われていったのも大きいでしょう。下手に繁栄するとそれに溺れ、危機意識がなくなり、組織の弱体化を招くというのは今の時代も同じ。そうした人間の愚かさはいつの時代も変わらない、人は種として成長しないということでしょうか。

あともう一つだけ感想を。当時の神社や寺、ならず者集団過ぎ(笑)

今の時代と違って当時は寺社というものが相当の権力と自治権を持っており、大きな寺はそれで一つの中規模戦国大名のような存在でした。そのため、寺社は天皇や公家と組んで平家と武力争いをすることが多く、何かあるとすぐ武装した大量の僧兵使って武力行使で暴れるという…。しかも寺社同士も仲が悪かったりして、坊主同士が互いの寺を焼き討ちしあったりともう散々…。

お前等は一体なんのために出家したんだ?どこに悟りの道があるんだ?と。ぶっちゃけ、その辺のヤ○ザやヤ○キーと何ら変わりありません。

ずっと後の世で明治政府は廃仏毀釈などで寺社の力を削ぐ政策を行っていますが、それってただ天皇中心の国家を作ろうという意味だけでなく、こうした寺社の資金力、自治力、動員力を警戒したからなんでしょうね。うん、これって今の警察の暴力団対策と変わらんよね。

そんなわけで、感想をまとめると「後白河クズ過ぎ、権力構造グチャグチャ、庶民いい迷惑、でも平家は仲いいよね」といった感じでしょうか。でも、やはり平家物語の冒頭、これに勝る感想とまとめはないでしょう。

祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらは(わ)す
おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ

昔も今も、人はまだまだ悟りの道には程遠い…。

というわけで、以上、『平家物語』の感想でした。次回は平家物語の時代からそのまま続きとなる(というか結構被ってる)鎌倉時代、一族総ヤンキーの本家ならず者集団「源氏」のお話、『吾妻鏡』の感想となります。

それでは、また♪

すっかり秋になり、コロナで中止された春の運動会を今やっている学校が多いようですね。なので、今回から何回かに分けて、最近読んだ本の紹介をしたいと思います。え?運動会ネタじゃないのかって?いや走り方とかは以前書いてますし、確かに運動の秋でありますが、読書の秋とも言うじゃないですか。

 

授業や指導にやる気は溢れていても、宣伝営業に全然やる気がないのがうちの教室のスタンスです(笑) 皆さん、こんにちは。

 

さて、今まで当ブログの「図書室シリーズ」では、私が過去に読んだ本からお勧めのものを紹介してきましたが、今回から数回に分けてご紹介する本については「お勧め/紹介」というより純粋な「感想」という形で書いていきたいと思います。

で、何の本について書くかといえば、こちらです。


教科書にも名が出てくる有名な古典、『源氏物語』『平家物語』『吾妻鏡』『太平記』、その漫画版です。さすがに古文の原本なんて読めませんからね。大まかな内容を掴むだけなら漫画版で十分です。この4冊で平安→鎌倉→室町前期という流れになっているので、それぞれの時代の概要や歴史の移り変わりというものを掴むにはちょうど良いです。
 

私は歴史好きではあるのですが、得意なのは一般的にも人気の高い戦国、幕末、太平洋戦争といったあたりで、平安~室町にかけては教科書レベルのことしか知らなかったのもありまして。大学受験も日本史ではなく世界史でしたし。でも、一般教養としてこの辺はやはり抑えておいた方が良いかなと思いまして、その辺の歴史を勉強する気で読んでみました。漫画でですが(笑)

というわけで、歴史の順番的に最初に来るのがまずは平安時代、『源氏物語』です。

平安時代中期に紫式部が書いた物語/小説で、他の三冊と違い史実的記録ではありませんが、書かれた時代が平安中期と平安時代最も華やかなりし頃のため、当時の文化や宮中の様子というものに触れることができます。

さて、源氏物語といえば主人公「光源氏」。光源氏といえばあちこちの女性に手を出した稀代の女たらし。マザコンからロリコンまでこじらせた最低男。という程度が読む前の私の予備知識でした。私の価値観からして絶対に合わない、決して友人にはなれそうもない主人公なわけですが、まぁ、最低男呼ばわりするなら一度くらいはそれなりに内容読んでないといかんわなと思って読んでみることに。

で、感想ですが…「光源氏、やっぱ最低」(笑)

美人と見初めりゃとりあえず手ぇ出すのは当たり前。旦那がいる人妻に手ぇ出すわ、噂で聞いただけの女にも手ぇ出すわ、自分の父親の後妻(=義理の母)にまで手ぇ出すわ、挙句の果てに「この幼女、俺好み」と連れ去って成長してから妻にするわと、異性関係については本当に節操なしのクズ野郎です(笑)

ただこの光源氏、女絡みのことじゃなければ意外とまともだったりもして。物語の中で宮中政治を勝ち上がって権力を拡大していくなかである程度の策略は用いますが、誰かを故意に陥れたりするようなことはありませんし、他人を軽んじて蔑ろにするようなことも恋愛がらみ以外ではありません。

むしろ自分の女に手を出した若者に対し若かりし頃の自分を重ねて咎めなかったり、その若者が死んだときに同情的だったり、恩を受けたらそれを忘れず返したりと、権謀術数渦巻く宮中貴族の中で異性関係以外はかなりまともと言えます。そうして、光源氏は最終的に実質的最高権力の座にまで上り詰めます。

でもぉ…以前手ぇ出した女の嫉妬から生まれた生霊や怨霊によって本気で愛した女性(一人じゃないのですが…)が呪い殺されたり、世の無常を感じて寂しさを募らせる晩年であったりと、傍から見る限り幸せだったとはあまり思えない人生を送ります。

というか、光源氏に限らず、登場人物のほとんどが実は不幸、少なくともあまり幸福とはいえない最後を迎えます。同時代の『枕草子』を代表する語が「おかし」なのに対し、この源氏物語を代表する語が「あはれ」だというのがこの辺にあります。人の世の無常、無情、悲運といった「もののあはれ」を感じ、静かに嘆く。特に中盤以降くらいはそういった感じになっていくのですが…

それ、みんな「身から出た錆」じゃん!

いや、ホント登場人物みんな自業自得なんですよ…。自分のやったことが後々返ってきて不幸になるという、因果応報といいましょうか…。なのに、「あぁ、なんの咎(とが)もないのにこうなってしまう私はなんと哀れなんだ…」って嘆いているのが多く、いやいや、それ世の中や人の世がどうこうじゃなくて、あんたの行いのせいだから、とツッコみたくなる場面が多いこと多いこと。まぁ、光源氏を中心とした感想はこんな感じなのですが、作品全体を通しての感想としてもう一言。

お前ら、まともに仕事しろ

この源氏物語自体があくまでフィクションですし、作者の紫式部が世話役の女性みたいな立場なので当時の時代的にも男性の仕事に対して知る機会がなかった、知ってても面白くないので作中に書かなかった、ということは多々あるかと思うのですが、作中に出てくる男性キャラ達、ホント仕事してないんですよね(苦笑)

珍しく仕事で忙しい様子が書かれてるかと思えば宮中行事の準備ばかりで、基本的には女の尻追っかけてるか、男同士で駄弁ってるか、蹴鞠してるか、そんなのばっか…。これを見ると、現代の政治家たちがものすごく働き者に見えてきます(笑) つーか、よくこんなので400年近くもったね。もっと早く武士たちに取って代わられなかったのが不思議なくらい。こんな連中が統治してたらそりゃ平将門も独立国作ろうとするよね、って感じです。

まぁ、実際にはいろいろ実務もやっていたのでしょうが、それでも今に比べれば格段にのんび~りした時代だったんでしょうね。平安初期やそれ以前に比べたら謀はあっても、暗殺や討伐といった直接的な暴力は極端に少ない時代っぽいですし。逆に平安貴族から現代を見れば、皆ワーカーホリックに見えるでしょうね。

というわけで、『源氏物語』の感想でした。まぁ、結構ぼろくそに書きましたが、それは今の時代の価値観で当時の時代を見ているからであり、純粋な歴史考証としてならご法度なんですけどね。でもこれ、私のただの「感想」なんで。

 

また、ぼろくそに言うからには面白くないかと言われると、物語としては意外と面白く…。実際、続きが気になってついつい読み続けてしまい、2,3日睡眠時間を削ってしまいました。個人的には女に手ぇ出し続けてた前半の若い頃よりも、一度それが元で左遷(流刑)されてから復活して宮中政治に関与していく中年期以降の方が面白かったです。

 

さて、次回は歴史順的に『平家物語』(平安末期)についての感想を書きたいと思います。で、『吾妻鏡』(鎌倉時代)、『太平記』(鎌倉末期~室町初期)と書いていくのが当面の予定ですが、飽きたり疲れたりしたら他の雑談など入れたりもするかもしれません。

とりあえず4作品全部の感想は書き切るつもりです。単純に書きたいんですよ。だって、4作品ともツッコミどころ満載のネタの宝庫なんだもん(笑)
 

え~、1ヶ月ほどブログもyoutubeも更新しなかった間に、外は厳しい暑さが過ぎて涼しい気候に変わってきました。今くらいの気温がずっと続いてくれればいいんですけどねぇ…。

 

で、1ヶ月の間、更新する間もないほど忙しかったのかというとそうでもなく、ただ単に特にネタがなかったのと、夏疲れか私が授業外では比較的のんびり過ごしていたせいだったりするのですが。それでも刀は相変わらず毎日振っているのですが。

 

さて、先日授業中に「プラモデル」という単語を話したら、子どもたちから「プラモデルって何?」と言われまして…。え?プラモデルだよ?ほら、自分で組み立てて遊ぶ…。マジで?知らんの?

 

なので、プラモデルがどういうものかを実際に見せようと、イオンで買ってきました。

こうして置いておくと子どもたちが「これ何~?」と聞いてくるので、「これがプラモデル。こうやって最初は全部の部品がくっついてて、それを自分で切り取って、説明書見ながら自分で組み立てるの。これはガンダムのキャラだけど、車とか飛行機とか船とかお城とかいろいろあるんだよ」と、知らないという子に各クラスで説明(笑)

 

まぁ、知らないという子は低学年がほとんどで、さすがに高学年になると「作ったことはないけど知ってはいる」というのがほとんどでしたが。あと、お父さんがガンプラとか作ってるので知っているという子も結構いました。

 

とはいえ、やはり今の子はゲームばかりなのかなぁ…。でもゲームってぶっちゃけ大人が作ったレールに沿ってボタン押して消費するだけじゃん…。プラモも確かに原型は大人が作ったものだけど、自分で悪戦苦闘しながら考えて組み立てていくプラモの方が想像力・創造力ともに教育にはいい気がするんだけどなぁ…。「自分で作る楽しさ」を知らんのは勿体ないよなぁ…。と思うのは私が歳をとったからなのでしょうか?

 

でも、「作りたい!作っていい?」と言ってくる子も結構いて、プラモ自体に興味がないのではなく、純粋に知らなかったり、接する機会がなかったりするだけなんだな、とそこは安心しました。

 

世のお父さん、お母さん。プラモ売り場は昔と比べてすっかり縮小しておりますが、一応あることはあるので、たまには連れて行って「この中から一つ、好きなの買ってあげるから、自分で選んで組み立ててごらん」という感じで勧めてみてください。たまにはいつもとは違う遊びをして、いつもとは違う経験を得るのも良いかと思いますので。

 

そういえば、私が昔子どもの頃、月に1回本屋で「漫画以外なら好きな本を一冊買っていい」と親に言われて、図鑑やら何やら買ってました。今思い返すと、我が親ながら、自分で選ぶということを含めて良い教育の仕方だったなぁと思います。

 

ときにはこちらから与えたり指定してあげることも必要ですが、やはり「自分で選ぶ、自分で考える」というのは教育の基本です。逆に、子どもをダメ人間に育てる一番の方法は「なんでもしてあげる。なんでも与えてあげる」ことですから…。

 

ちなみに今日は月曜定休日だったので、実家に行って昔自分が作ったプラモを持ち帰ってきました。

昔作ったたくさんのガンプラ、まだ実家に残してあると思っていたのですが、探してみたらこれが唯一残っているものでした。とりあえずプラモの完成品として(塗装も何もしていないですが)、しばらく教室に置いておこうと思います。子どもたちに壊されないかと心配で仕方ないですが…(苦笑)

 

マンモス体育教室ではこうして運動指導だけでなく、運動以外にも知識や常識を教えたり、興味関心の幅を広げられるよう、日々努めております(笑)

休みの日とは…

 ・普段できない仕事をする日

 ・普段やると面倒な仕事をする日

 ・普段の仕事の準備をする日

 ・授業や時間を気にせずやりたいように仕事をする日

であり、

 ・仕事をしないで時間と体力を気にせず刀を振る日

 ・仕事をしてから時間と体力を気にせず刀を振る日

でもある、マンモスコーチです。皆さん、こんにちは。

 

いや、これ、会社員として「やらされる」のであればブラックの極地なのですが(苦笑)、「自分でやりたいからやってる」「自分がやりたいことをやるために必要だと思うからやってる」のであれば、意外と平気だったりします。やりたいことを仕事にした自営業者の強みとも言えます。

 

まぁ、会社員時代から換算すれば、もう十数年こんな生活してきたので(会社員時代も休日は今同様、基本週1だったので)、慣れきってしまっただけとも言えなくもないのですが。

 

もちろん、自分以外の他人にはやらせませんし、推奨もしません。あくまで「自分で勝手にやってる」から平気なのであって、「他人にやらされてる」ではとても気力体力がもちません。私だって「やらされてる」だったら、不平不満溜まっての反乱クーデターか独立戦争しかないでしょう。

 

世の中には「自分がそうやってきたから」「自分はこういう苦労をしてきたから」という理由で「他人にもそれをやらせるべき/やらせても構わない」と考える人がいます。しかし、それは誤りです。自分は自分、他人は他人です。生まれ、育ち、経験、環境、状況がすべて異なる人生を歩んできたのだから、優先順位や価値観は違って当然。同じになる方が奇跡的な確率です。

 

あくまで自分の経験は「俺は昔、こういうときに、こうして、こうなったよ」という実例の一つに過ぎず、それが唯一全ての解決方法ではありません。なので、かつての自分と似たような目標をもってその過程にいる人がいたときに、自分の経験を参考例や選択肢の一つとして提示することはあっても、「あなたもこうしなければならない」と考えるのは誤りです。その参考例や選択肢を採用するか否かは相手次第です。

 

昔、こういうことがありました。以前に何度か私の中学時代のことを書いたことがありますが、中2の夏に引っ越しをするまでいた中学は、市内でも有名な荒れてる学校でした。そういうこともあってか、後輩は先輩に会ったら学校の中、外問わず、どこで、どの距離であっても頭を下げて礼をしなければならない、という無駄で無意味な馬鹿馬鹿しい決まりがありました。

 

もちろん校則で決まっているとかではなく、生徒間での勝手な、いつ誰が決めたのかもわからない決まりに過ぎないのですが、それをしないと「お前生意気だ」と先輩にシメられるという暴力的権威主義によってそれは続けられていました。もちろん、すべての先輩がそんな暴力的なのではなく、そうでない先輩も結構いたのですが、そういう先輩が「別に俺にはいいよ」と言っても、他のイキがった先輩が「お前、なんであいつに礼しなかったんだ」とイチャモンつけてくるという袋小路。

 

私の代も、小学生まではただの先輩/後輩だったのに中学に入ったら急にそんな決まりを押しつけられ、先輩達が怖くて皆渋々それに従ったものの、やはり理不尽だと皆感じていたので「俺らが先輩になったら後輩にはそうさせないようにしよう」と1年のときには言い合っていました。

 

ところが、うちらの代が2年になり、これで悪しき伝統を捨てられると思っていたのもつかの間、うちらの代の中心メンバーの多くが悪しき伝統をそのまま新1年の後輩たちに強いるようになったのです。礼をしないと「あいつ生意気だ」と。

 

なんでや?俺等の代でそんなバカな決まり辞めようって言ってたんじゃん?自分がされて嫌なことは人にするな/させるなって親に教わらなかったの?自分でそう思わないの?自分が下の立場のときには散々文句言って、自分が上の立場になったら「俺もそうだったから」で下に強いるの?バカなの?アホなの?

 

結局、私は後輩達に「俺だけのときは礼なんてしなくていいよ。でも他の連中がいると面倒になるから、そのときはすまないけど頭下げといて」と言うのが限界でした。2年の夏には引っ越して転校したため、あの馬鹿馬鹿しい愚かな伝統がいつまで続いたのかはわかりません。さすがにとっくになくなってるとは思いますが。

 

転校先の学校は全然荒れてなく、そういうアホな伝統もなかったので、非常に楽でした。あぁ、普通はこうなのか、と思いました。しかし、その先様々な場面で、大人になっても、程度の差はあれそれと同類の「俺がこういう苦労したのだからお前等も苦労しろ」と考える人間が多いことを知りました。正直、そういう人に対しては今でも「バカじゃないの」と思ってます(笑)

 

特に今いるような「人に教える」仕事をしていると、このことをよく思い出します。まず、そういった理不尽なことを相手に強いてはいけない。それがスタッフであれ子どもたちであれ。もちろん、何らかのルールというものは必要ですが、その理由や根拠は常に明確にしておかねばならない。いつ、誰に聞かれても堂々と答えられるように。「俺がそうだったから」なんていう客観性と論理性の欠片もない理由で決めないように。

 

また、「自分がA地点に行くまでに100の苦労をしたのだから、お前もA地点に行くときには100の苦労をしろ」というのは、教育者として無知無能の極地です。自分が100の苦労をしたのなら、その経験を活かして教える相手は70の苦労で済むように、更に教える経験の蓄積によって70が50、30で済むように教え方を改良していく。

 

そして何より、自分より早くそこを超えさせ、いつかは師である自分さえも超えてもらい、自分が到達できなかったより高く深いところで悩んでもらう。そして、その相手がまた下の代を教え、その下の代がいずれは更に高く深いところへ…と。これが教えるということ、世代を積み重ねるということ、だと私は思っています。

 

後輩に無駄な決まりを強いていた、かつての先輩たちや同期たちは、今どこで何をしているのでしょう?おそらく大半の人は社会人や親になっていると思うのですが、そこで部下や子どもにも自分と同じ苦労、同じ理不尽な決まりを強いているのでしょうか?それとも、ようやく自分のしたことの愚かさに気づき、それを悔い改めて違った接し方をしているのでしょうか?

 

人間とは、他人に迷惑をかけない限り、何をやっても自由です。すべての結果と責任を自分で引き受ける限りにおいて、どう生きても自由です。でも、それは「自分の中」に対してだけです。

 

自分の中だけで勝手にブラック的に働くのは自由ですが、それを他人に強いる自由はありません。だから、私は休日でも勝手に働きます。自分に対して必要だと思うから働き、必要だと思うから勉強し、必要だと思うからトレーニングします。でもそれを他人にも強いる気はありません。参考例として話すことはあっても、そうするか否かを決めるのは相手の自由です。

 

休みの日まで小難しいこと考えてるなぁww と友人達には笑われそうですが、一人でいるときの私の頭の中は大抵こんな感じです。これもまた、私が選んだ、私の自由です(笑)