皆様、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

皆様はどのような年末年始を過ごされたでしょうか?子どもにとっては冬休み&お年玉で楽しみばかりの休みですが、大人は年末の慌ただしさを考えると楽しんでばかりもいられなかったのではないかと。

 

ちなみに私の年越しは教室で一人「年越し稽古」をしようと思っていたのですが、教室用年賀状の最終調整をやっていたらその間に年が明けていたという…。

 

ちなみに教室用年賀状は送ってくれた子への返信用で、年明け2週間までは拡大コピーしたものを教室入口にも貼り出しています。教室及び私個人の年賀状は毎年「どれだけ笑わせるか」の1点に絞ってデザインしており、原則的に私の「おかしな(キモい)コスプレ画像」となっています。そのためのみに毎年衣装も購入しているので、衣装だけがどんどん溜まっていきます。

 

まぁ、そんな感じで年明けて、年賀状作成を終えて初稽古(剣術&キック)をしたら、あっという間に夜中の2時。そしてそのまま、教室近くの神社2つに初詣に行きました。この時間なら人なんてほとんどいないでしょうから、コロナ的な密も避けられますしね。

 

冬の寒空の中、真夜中丑三つ時に一人歩いて神社へ向かうという、これが元旦でなければただの不審者です(笑) 

 

でもその神社へ初詣に行くのは実は今回が初。休日に近くを通ったときに挨拶程度でお参りすることはあるのですが(一応教室の安全祈願的に)、初詣としては今まで行ったことなかったんですよね。九十九里の海とかは行ったくせに。(2年前の記事「真夜中の海からあけましておめでとうございます」参照)

 

 

で、最初に行ったのは私が買い物がてらよく立ち寄る八幡神社。成田街道沿い、ニトリのすぐ側です。すごく小さな神社なので誰もいないかなと思ったら、さすが元旦、神社を管理している組合の人?らしき人たちが、かがり火焚いていました。参拝客は全然いませんでしたが(苦笑)

 

参拝を済ませてそこから歩いて15分ほど、今度は高津比咩(たかつひめ)神社へ。この神社、由来がちょっと面白くて、菅原道真を左遷に追いやった中心人物に藤原時平という人がいるのですが、道真の死後、京では道真の祟りとされる災いが多発し、時平は妻と娘を祟りから遠ざけるために京から東国へ避難させます。その娘の名が「高津姫」。

 

時平は道真追放の件で悪人として後世で語られることが多い人物ですが、時平が中心で政治を行った醍醐天皇の世は「延期の治」と呼ばれ、実は評価が高かったりします。時平の娘、高津姫は心優しき人だったようで、父の身を案じながらも京へ戻ることなく亡くなった後、この神社にご神体として祭られることになったとのこと。ここら一帯の「高津」という地名もそこから名付けられたそうです。そんな感じの八千代小話(笑)

 

まぁ、こっちの神社は私の生活上の通り道にないので滅多に来ないのですが、せっかくだしということで。こちらも参拝客はいないものの明かりは灯されており、お守りが売ってる売店も開いていました。で、参拝を済ませて帰宅の路へと。

 

実はもう1つ、更にここから15分ほど歩いたところにもう一つ、最初の八幡神社とは別の八幡神社があるのですが(なぜこんな近くに二つも?とは思うのですが)、寒さと眠さで今回はパスすることに。来年の元旦はそこも行って神社3つをはしごするのもいいかもしれません。まぁ、来年も行くのは真夜中でしょうが。(昼間の初詣は混んでるので絶対に行かないと決めているので)

 

さて、そんなこんなで年末年始の連休が終わって授業再開したかと思いきや…なんですか、昨日の雪は?ちょっと振る程度かと思いきや、数年ぶりに雪かきする羽目に…。まぁ、滅多にできない良いトレーニングだと思えばいいんですけど。

 

そんなこんなで2022年が始まりましたが、なんと今年の夏でマンモス体育教室10周年!すげぇ~!こんな小さな教室がよく10年も続いたもんだ(苦笑) まぁ、10周年だからといって別にイベントとか特別な何かをするつもりはありませんが。コロナを言い訳に実は面倒だからとか、そういうわけじゃありません。うん、違うよ?(目をそらしながら)

 

それでは、本年もよろしくお願いします。

12/27(月)~1/3(月)は年末年始の休校日となっております。

1/4(火)から1月度授業開始となります。

 

というわけで、今年の最終授業も終わったのですが…疲れました(苦笑)

いや、授業自体は問題なく行えているので特に疲れるということはないのですが(伊達に10数年この仕事してるわけじゃないので)、今年は全般的に、特に最後の2ヶ月ほどで一気に授業以外でいろいろあったもので…。体力的には問題ないのですが、精神的に疲れたというか、厄年ではなかったはずなのですが…。まぁ、長い人生そういう波のときもありますよね。

 

さぁ、気を取り直してゆっくりじっくり休みを満喫するぞ~と言いたいところですが、同じ一週間ほどの休みでも年末年始はGWやお盆休みと違って、大掃除やらなんやらな何かとやることも多く、少なくとも年内はほとんど休めないですよね。きっとどの仕事、どのご家庭もそんな感じだと思います。

 

まぁ、少なくなったとはいえコロナがあるので、どこかに気軽に遊びに行くという気分にもなれず、独身一人暮らしの身としては特にやることもないので別にいいんですけどね。たぶん、また3~4日も休めば「暇だ~授業やりてぇ~」とか言い出すのはわかりきってますし(笑)

 

そういえば今年の後半はこのブログ、かなり頑張りました。今のうちの教室や指導における「核」や「ウリ」ともいえる身体理論や膝立ちカードについて、結構ガッツリ書きました。ある意味、今年一番自分を褒めてあげたい点かも(笑)

 

まぁ、来年の夏にはうちの教室も開校10周年なので、ひとまずは無事そこを迎えられることを目指し、その上で更なる飛躍を遂げられるよう来年も頑張っていきたいと思います。

 

それでは皆様、今年一年お世話になりました&ありがとうございました。良いお年を♪

 

充電式の単一電池を買おうと思って店に行ったら、電池はあるけど充電器が売ってなく、他の店もいくつか回ってみましたが、どこにもありませんでした。仕方なくネットで買いましたが、充電式なのに充電器が売ってないってどういうこと?と腑に落ちない気持ちのマンモスコーチです。皆さん、こんにちは。

さて、今日は「運動とはそもそも人間にとって何なのか?」ということについて話してみたいと思います。

当たり前のことですが、人はこの世に体を使って干渉します。体がなければ何もできません。何かを見たり聞いたりすることもできません。生まれたときから何も見えず聞こえず、何も感知することができなければ、そもそも考えるという機能や「私」という意識すら発生しないでしょう。つまり、体とはまず「感知・認識・思考」という「私」の土台になるわけです。

では、体はあって「感知・認識・思考」はできたとして、でも体が動かなければどうでしょう?気温が上がれば暑い/寒いと感じる、時間の変化で明るい/暗いを感じる、どこからか音が聞こえる、でも自分は動けないのでそれらに対して何もできない。そうなると、この世界(環境)は自分に対して常に一方的に何かを押し付けてくる存在となります。

体を動かすことができれば、寒ければ布団をかけたり、音がすればそちらを見たりと、世界に対して多少なりとも自分から干渉することができるようになります。つまり、体が動かなければ「世界」は一方的な支配者、「私」はされるがままの隷属者であるのに対し、体が動けば「世界」と「私」の関係は一方的で絶対的な支配/隷属関係ではなくなります。その関係は決して対等ではありませんが、「私」が体を動かせば多少なりとも「世界」に干渉できるわけです。

人は、生まれた直後は神様であり王様です。なにせ、きちんと親が世話をしてくれているなら、ちょっと泣けば母乳で腹を満たしてくれて、おしめを代えてくれて、寂しければあやして慰めてくれて、と至れり尽くせりの状態です。この状態は「私」にとって「世界」を一方的に支配している状態に近いといえます。

しかし、徐々にその幸福な幻の支配は終わりを告げます。自分が泣いても母乳をもらえないときがあり、その後には自分で食べ物を口に運ぶことを促されるときがきます。泣けばおしめを代えてくれたのが、自分でトイレに行かなければならないときがきます。母親(世界)は自分と一体ではなく、自分の召使でもない、「私」とは別の存在であると気づかされます。いわゆる母子分離と呼ばれるものです。

これにより、「世界」は「私」が支配できるものではなくなります。そして当の「私」は、多少動けるとはいえ、実際にできることはまだまだ非常に少ない状態。「私」は「世界」の支配者から、無力な隷属者へと一気に転落させられるわけです。

人間とは母体から出たときを物理的誕生としますが、この「世界との一体感の喪失」「絶望的な無力感」を知ったときが人間としての精神の誕生の瞬間であると言えます。

無力な「私」が成長と経験を通して少しずつ「世界」に干渉する術を身につけていく。まずは1m先にあるものに興味をもって、そこまで歩いてそれを手に取る。徐々にその距離は広がってゆき、部屋の外、家の外、更には自転車で隣の町、車で隣の県、飛行機で隣の国、と自分が干渉し得る世界を広げていくわけです。

前置きが長くなりましたが、運動というのは実はこれと同じことです。ジャンプで1mしか届かない世界を、2mまで届く世界に変えていく。10kgすら持ち上げられない世界を、50kgまで持ち上げられる世界に変えていく。ボールが思いどおりに動いてくれない世界を、思いどおりに動かせる世界に変えていく。つまり運動とは、それによって「私=体」を動かす術を知るとともに「世界」に干渉する力を広げ、それにより「私という世界」を広げ、増やし、変えていくことなのです。

運動ができないというのは、単にそれを他人にバカにされてコンプレックスになるからできるようになった方がいいというような問題ではなく、「世界」に対する干渉力の低さになります。「世界」に対する干渉力が低ければ、それだけ世界に支配されるという無力さを感じ、それは「私という世界(私自身、自己像)」に対する無力感や不信感へと繋がります。

では、「できない」ことが全面的に悪いかというと、実はそうではありません。むしろ逆です。「できない」を何もせず「できない」で終わらせたら悪いままですが、「できない」からこそ「できる」ようにしようとする。これこそが「私という世界」を広げ、変えていく根源になります。

先程、
>「絶望的な無力感」を知ったときが人間としての精神の誕生の瞬間
と書きましたが、なんでも他人にやってもらって自分の「できない」を知らなかったり、そこから目を背けてたりしている人間は、決して「できる」ようになろうとはしません。それは無力な自分を知らない/受け入れられないがゆえに、赤ん坊のときの、母子分離前の王様幻想に引きこもって心理的退行をしているに過ぎません。

「できない」自分を認め、受け入れ、そこで初めて「できる」ようになろうと「意志」する。この「意志」こそが人間の精神、人間存在そのものといえます。だから「できない」でもいいんです。それを変えようとする「意志」と、そこから生じた「行動」に繋がるのであれば。むしろそれは「できない」からしか生じ得ません。

それが成功するか失敗するか、どれだけ短期間で成功するか、どれだけ大きな成功をするか、実はそんなことはただの結果論であって、ハッキリ言ってしまえばどうでもいいことです。人間の精神、人間存在の価値として大事なのは、その基となる「意志」することと「行動」すること。そして更にその根源となる「できない」という自分の無力さを認めること。それだけです。

運動というのは自分の身体という最も原初的な機能を使うことなのでそれが最もわかりやすいのですが、実はそれは運動だけでなく、勉強でも仕事でも趣味でも日常生活でも、人間の活動すべてが同じだったりします。運動も勉強も、できない/知らない自分を認め、それを克服しようとする意志によって「自分という世界」を広げていくことです。

だから、運動が苦手なら練習してそれを克服しようとするのも良し、運動以外の別の何かを「できる」よう意志するも良し。すべては「できない」を認め、その自分を受け入れた上で「意志」すること。それさえできれば「自分という世界」は少しずつ広がって、高まって、深まっていきます。

その中で、運動を通して「体育で」子どもたちのそれを手伝うのが、コーチである私の努めなわけです。

さて、最初に戻って「運動とは人間にとって何なのか?」という問いについてですが、「『自分という世界』を広げる方法の一つ」というのが私なりの答えです。ただ、様々な方法がある中でも、身体と運動とは原初的であるがゆえにそれに対して最も共通的で、最も効率的ではないかなと。

勉強や仕事は時代や場所、環境に応じて前提や仕様が変わりますが、運動という「身体の使い方/在り方」はそういった変化を最も受けにくいと思うので。あと、最もごまかしが通じない、言い訳がしにくい、という点でわかりやすいのも良いかなと。だから教えるだけでなく、いまだに自分自身でもキックやったり刀振ったりして「私という世界」を広げようとしているのでしょう。

そんなわけで、運動というのを単に健康に良いからとか、試合に勝つためとかいう点だけでなく、「私という世界=人間としての自分自身の在り方」という、ちょっと哲学的観点から述べてみました。世間一般の運動に対する「脳筋」イメージを少しでも払拭できれば幸いです(笑)

 

う~ん、ここ最近、シリーズもの二つに今回と真面目な話がずっと続いていますね。そろそろ私に禁断症状が出る頃じゃないかと。「もっとネタを…もっと笑いをー!」と。

それでは、また♪

今シリーズ第6回です。

前回紹介した手作りシリーズの続きで今シリーズのラストになります。
 

さて、最後に紹介する手作りカードはうちの自信作にしてお勧め、「質問」カードです。

先程の「問題」カードは答えが決まっているのに対し、この「質問」カードは答えが決まってません。たとえば「好きな教科は?」「今、欲しいものは?」という主観的な自己紹介系のものもあれば、「自分の好きなところは?」「自分を動物に例えると?」といった多少自分を客観視して答える類いのもの、更には「神様が目の前に現れたらどうする?」「どこでもドアがあったらどこに行きたい?」といった完全に空想・想像系のものなど、いろいろな質問があります。

これ、もしかしたらピンと来た方もいるかもしれませんね。実はこれ、発想の元ネタは昔女子の間で流行った「プロフ(プロフィール)帳」だったりします。

こんなやつですね。

私の子どもの頃にはプロフ帳というのはなかったですが、コーチになってから生徒に「これ書いて~」と頼まれたことが何度かありまして。で、実際やってみると、何を書いたらいいか結構悩むんですよね。まぁ、私の場合は主に「真面目に書くべきか?それともネタに走るべきか?ネタに走るならどこまで走っていいのか?」でしたが(笑)

でも真面目に書こうとしても結構悩みます。自分のことだというのに、答えが決まっているわけでもないのに、意外となかなか手こずるんです。人間って普段はあまり自分を客観視して見たり、内省したりして生きてはいないものですからね(苦笑)

この「質問」カードには、二つの狙いがあります。一つは私たちコーチが子どもたち一人一人のことをもっとよく知るため。私たちは教室内での子どもたちの様子や運動能力はよく知っていても、それ以外のことについてはなかなか知る術がありません。うちは授業前後や柔軟中など、余所に比べてかなりコーチと子どもの間での雑談的会話が多い方だとは思いますが、それでも限界があります。

でもこのカードによって子どもたちの意外な一面を知ったり、それを元に話を膨らませたりすることで、ただ練習を見て指導しているだけの「コーチ」として以上のことをいろいろと知ることができます。確かに最初は「コーチ」と「生徒」という役割同士の関係かもしれません。しかし、どんな人間関係も最終的には「個人と個人」に凝縮され、同時にそこを基に発生するものだと私は思っています。

このように役割ではない「個人」としての相手を知るには、このカードはなかなか優れものです。答えを元に話を弾ませることもできますので、初対面の人同士が多い場面などで自己紹介がてらのゲーム感覚でやるとメンバーの親近感を高めやすくなるかと思います。

さて、「質問」カードのもう一つの狙いですが、それは子どもたち自身の「自己観察」「自己表現」を高めることにあります。自分は何が好きで、何が得意なのか。最近何が嬉しかったか、
自分はどういう人間なのか、想定外の場面に出くわしたらどうするだろうか、そしてそれらをどう表現して伝えたらいいのか。

実際やってみると、自分のことなのに、自分のことだからこそ?なかなか答えられないという子が結構います。特に「自分の好きなところ/嫌いなところは?」とか「最近あった○○なことは?」といった主観的な自己像(自己観察)についての質問は、苦手とする子が多いですね。考え込んで黙ってしまって、そのままタイムオーバーということも結構あります。

 

これは自己観察(内省)による自己像やアイデンティティがまだ未成熟というのもありますが、逆算の話の際にあったように「正しく答えなければならない」というのも引っかかっているのだと思われます。実際、優等生タイプが苦手とすることが多いです。でも「自分は自分をこう思う」「私はこう感じる」ということの答えは自分の外にはなく、誰かが与えてくれたり保証してくれるものじゃありません。その答えは自分の中にしかないんです。自分自身と対話するしかないんです。

 

また、同じく自己表現の一環である「怒った顔をしてください」みたいな表情系も苦手な子が多いですね。でも表情で自分の気持ちを他者に伝える、そのために適切な表情を作るというのは非常に大事です。なにせコミュニケーションのうち言語そのものが占める割合は3割以下と言われ、7割は言語以外の表情や声のトーン、身振り手振りなどによるとさえ言われるくらいですから。

 

でも、表情の作り方って自分で観察したり訓練したりはなかなかしないですよね。特に、いわゆる大人しい子というのは表情で伝える(感情に適した表情を作る)のが苦手なせいで損をしていることが結構あります。それは他者への自己主張というだけでなく、他者からの反応とフィードバックが少ないことで自己像の構築材料が少なくなる、という二重の意味で。

 

なので、その基礎になる「自己観察」や「自己表現」といったものを、この「質問」カードで少しでも子どもたちに経験してもらい、彼らの長い人生においてプラスの要素を得てもらえたらなぁ、と思っています。

ちなみにこのカード、うちのオリジナルとして作ってしばらくしてから知ったのですが、なんと市販バージョンがありました。
 

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説明文を読むと、作ったのは「筑波大学附属大塚特別支援学校 支援部長 安部博志」という方で、「ルールはただひとつ、相手の話を最後まで黙って聞くこと。「傾聴と自己開示」と呼ばれるカウンセリングの手法をゲームにしました」とのこと。サンプルを見ると、うちの質問とほぼ同じものも結構あるみたいで。やはり同じようなことを考える人はいるものですね。

 

というか、自分で言うのもなんですが、たかが一介の零細体育教室コーチが、膝立ちやトランプという本来全然違うスタート地点から、心理支援系の専門家とほぼ同じものを作るに至ったって、結構すごくないですか?いくら私が元心理カウンセラー志望だったとはいえ、20年も前の話ですし。

 

…待てよ?うちも「質問」やその他の手作りカード、大量生産して販売したら売れますかね?(笑) ってまぁ、そっちに時間割いたら授業に費やす時間減るのでやりませんけどね。ほしい人は上記のものを買うか、自分で作ってください(そのために前回作り方まで載せたので)

 

 

まぁ、そんなわけで長々とうちの膝立ち練習で使っている各種カードを、その狙いを含めて紹介してきたわけですが、いかがだったでしょうか?保護者の方には膝立ち練習とカードの狙いや意味をわかってもらえれば、教育関係の方には現場において使えそうなものや役に立ちそうなものがあれば使ってもらえれば、その他の方にも家族やイベントでのミニゲームなどで楽しめそうなアイデアのもとになれば、と思って今回のシリーズを書いてみました。

 

また、こういったことからうちの教室が単に体育や運動の技術だけを教える「体育『を』教える」教室ではなく、子どもたちに様々なことを「体育『で』教える」教室でありたいと思って運営していることを知ってもらえたら幸いです。

 

それでは、最後まで今シリーズをお読みいただき、ありがとうございました。

 

今シリーズの第5回です。
今までは市販のものを使っていましたが、今回は手作りのオリジナルカードを紹介します。

まずは「これ何?」または「問題」と呼んでいるカードです。

カードの裏に問題が書いてあるので、その問題に答えるというものです。
問題は主に「運動関連」「勉強・常識関連」「コーチの名前」の3つに分かれています。

運動関連であれば、腹筋ってどこ?アキレス腱ってどこ?という体の部位についての問題や、
体育用具の画像があってその名前を聞いたり、「カイキャク・ヘイキャク、グーはどっち?」という体育関連の指示語に関する問題などです。一応うちは体育教室なのでそのくらいは覚えてほしいな、と。

勉強・常識関連では、学校で使うビーカーや試験管などの画像があって名前を答えさせたり、「お箸の数え方は?」「ウサギの数え方は?」といった常識問題があったり、難しいのになると新旧のお札の肖像画の人物名を答えさせたりといったように、まぁ勉強&雑学的な感じになってます。

コーチの名前とはそのものずばり、画像のコーチの名前を答えるもの。子どもたちは普段「コーチ、コーチ」と呼んでくることが多く(大人でも名前をつけずに「課長」とか「主任」って役職だけで呼ぶこと結構あるかと)、意外ときちんと名前覚えてなかったり、うろ覚えだったりするんですよね…。

まぁ、これらは前回紹介した日本地図などと同じく、楽しく知識を覚えてほしいといった感じでやってます。


次は「干支」「惑星」「星座」と呼んでいるカードです。

その名の通り、干支、惑星、星座が書かれているカードで、膝立ちでカードを1枚ずつ持ってきて、それをみんなで正しい順番に並べるというものです。これも先の都道府県とかと同じ、常識知識系ですね。

とはいえ、さすがに小学生だと、どれもまだ結構苦戦します。でも知っている子は知っているので、知らない子は並べられていくカードを見たり、知っている子が「ネ、ウシ、トラ…」とか「スイ、キン、チ、カ、モク…」と言っているのを聞いて、徐々に覚えていけます。

また、これと同じ要領で「ABC…Z」までのアルファベットを並べるカードもあったり、更にその派生系でローマ字を作成するカードもあったりします。

なお、アルファベット並べなら26枚で済みますが、ローマ字バージョンは皆がそれぞれ別の単語を作るのでとんでもない枚数(特に母音)の用意が必要になります。やってみようと思っている方はご注意ください(苦笑)


ちなみに手作りでこのようにイラスト系カードが作れるということは、実は前回、前々回で紹介した市販系カードも、やろうと思えば全部手作り可能ということです。まぁ、実際にはそれらを手作りしようとすると大抵は買う金額以上の手間がかかるので、市販版があればそれを使った方が楽なんですが。

でも、干支や惑星などのように枚数が少なくて済むものや、こんなのが欲しいなと思いついたけど市販版が見つからないもの、市販版だと微妙に自分のアイデアとズレてて使いにくい、などの場合は自分で作ってみるのも手ではないかと。

イラストや画像の素材さえ集めれば、作り方は簡単です。ここでちょっと、カードの作り方を紹介しておきたいと思います。

まずラベルシートを用意します。うちでは以前別件で買いだめして不要になってしまったものを使っているので結構お値段高めなのですが、シール式&フリーカットのものも百均で売っていますので、そちらでも十分かと。ラベルになってると貼るとき楽ですけどね。

 

次に印刷したい画像や文字をPC上で作り、それをシートに印刷します。フリーカットの用紙ならワードよりエクセルでやった方が断然楽です。ただ、うちが使ってるやつみたいなラベル式なら、ワードでメーカーの指定する設定をした方が楽です。

 

で、印刷したそれをカード用紙に貼り付けます。これも百均で名刺サイズのメッセージカードが売っているので、それを使うと安くて便利です。裏のデザインはシリーズ毎に分けておいた方が、種類が多くなったときに見分けやすくなります。

 

それをラミネートフィルムで挟んで、ラミネート加工して完成です。

 

ね?簡単でしょ?

 

ちなみにラミネーター本体は3000円くらいしますが、名刺サイズのラミネートフィルムは100枚で200~300円程度なので、ラミネートの用途の広さを考えると私用であっても持ってて損はないかと。一応、ラミネーター本体不要でくっつけるだけのラミネートフィルムも百均で売ってはいますが、きちんとラミネートした方がカードも長持ちするのでお勧めです。


ちなみにうちでは、授業外で子どもが遊ぶ用としてこんなのがあります。

はい、人狼ゲームです(笑) 使うカードの枚数は意外と少ないので、買わずに手作りできます。そして手作りだからこそ、こんなこともできます。

うちの人狼ゲームのオリジナル役職、「マッチョな村人」です(笑) もともとは私が村人の中に1枚だけウケ狙いで作ったものだったのですが、そのときに冗談で言った能力がそのまま採用されてまして。

 

能力は、夜に人狼に噛まれても1回は筋肉で跳ね返せる(死なない)。けど脳筋なので本人は噛まれたことがわからない。というトンデモ設定です。でも、やってみると意外とこの役職の使い方が勝敗のキーになったりもして、面白いものです。

まぁ、こんな感じで教育系だけでなく、純粋なゲーム用カードも作れたりします。手作りだからこそ、今回のタイトルどおり「アイデア次第で広がる」わけです。手間を惜しまなければ、教育系でもゲーム系でも、カードを使ったものならなんでも作れてしまうわけですから。

 

今シリーズの第一回で「中には子どもから大人までちょっとしたミニゲームやパーティーイベントとしても応用可能なものもあるので」と書いたのは、こういうことなわけでして。お家で家族でやれるようなミニゲームを作ってみてもいいですし、懇親会や結婚式2次会などでイベントとして使えそうなものを考えて、作ってみるのも面白いと思います。

さて、次回は手作りシリーズの続きにして、たぶん今シリーズ最終回になります。トリに持ってくるだけあってうちの自信作なので、最後まで読んでもらえると嬉しいです。

 

それでは、また♪