え~、前回「歩き方について」を書くと言ったばかりなのですが、
今日は急遽予定を変更しまして別の話題をお送りします(苦笑)


実は昨日、ある保護者の方と
「専門スポーツに専念するということについて」お話をしまして。
ただ、クラスの入れ替え時だったため私が自分の頭を

「授業(指導)モード」から「説明(論理)モード」に切り替えきれず、
イマイチ自分の考えを上手く伝えられなかったような気がしまして…。


そんなわけで、今日は「専門スポーツに専念するということについて」
に対する私なりの考えを述べてみたいと思います。
まず、どの程度を「専念」というかについてですが、
ここでは「練習を一つの専門種目に絞って行うこと」とします。


日本には「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉があるように、
何かに取り組むなら「脇目も振らずに」それ一つに専念することが
そのための唯一の道であり、また美徳であるという考え(文化)があります。
甲子園を目指すなら毎日ひたすら野球の練習をするべきだ、というように。


しかし、スポーツではこれが当たり前とされているのですが、
一般社会では実はその逆のことがよく言われていたりします。
よくあるところですと「教師や大学教授は社会常識に欠けている」とか
「公務員は普通の会社のあり方や働き方を知らない」とか
「政治家には一般庶民の生活などわからない」とかです。


これらは対象(教師とか政治家とか)の知識や経験が
その専門分野に偏っていて視野や見識が狭いことを批判しているのですが

(実際にそうなのかどうかの審議はここでは抜きにして)、
不思議なことに、日本ではこれがスポーツの世界になると正当化されます。
教師や政治家には「専門バカはダメ」と言いながら、
スポーツに関しては「専門バカになれ」と考える人が圧倒的多数です。


ちなみに欧米では、何かの専門種目に携わっていても、
1年中その種目の練習だけを行うという方が少数派で、
シーズン中はその種目の練習を行うものの
オフシーズンになったら「個々に」それ以外の種目を行う方が多数派です。
フットボールの選手がオフシーズンに野球や陸上を行い、
そっちの大会でも優秀な成績を収める、なんてことはよくあります。


まぁ「それぞれの文化に基づく考え方の違い」と言えばそれまでなんですが、
私個人としては欧米型の考え方に賛成です。
(だから、専門種目のスクールではなく「体育教室」をやってるのですが)


こういう風に考えることはできないでしょうか?
今、目の前に水槽があります。この水槽にバケツで水を入れたいです。
しかし水槽の上にはスライド式のフタがしてあります。
さて、皆さんはどうやって中に水を入れますか?
当然、フタをスライドさせるでしょう。では、どのくらい開けますか?
一気に全部開ける人もいれば、とりあえず半分くらいの人もいるでしょう。
しかし、「ほんのちょっと」しか開けない人はあまりいませんよね?


ある専門種目一つに絞って練習(経験)するというのは、
この「ほんのちょっと開ける」のと同じことだと言えなくはないでしょうか?
いろいろな種目を行って運動の窓口を広げる=フタを広く開けることで、
バケツの水をジョウロのようにチョロチョロと流し込むのではなく
ザーッとたくさんの水を流し込めるようにする。


これは「水を入れる=己の内に経験を蓄える」という喩えですが、
「水を出す=己の外に能力を発揮する」という逆のことでも同じです。
蛇口やホースから多くの水を出したいなら、
蛇口やホース(とその元栓)を大きいものに変えればいい。
家庭用のホースで火事を消火しようとする消防士なんていませんよね。


もう一つ例え話をしましょう。
現代建築で使うような特別な材料や測量方法を使わずに
丈夫な高い建物を建てるにはどうしたらいいでしょう?
それは、ピラミッドのように土台を広くとってその上に積み上げるか、
建物を支えている中の柱の数を増やすことです。


これもまた「逆も然り」で、
地面を確実に深く掘りたいと思ったら、地表面を大きくすればいいのです。
特別な器具なくしては地表面と同じ面積のまま深く掘ることはできません。

余程固い地層でない限りある程度の深さで横壁が崩れてきますし、

そもそもそんな固い地層は特別な器具なくして掘ることすらできません。


上へ上へと高みを目指すにしても、下へ下へと深さを求めるにしても、
最初の入り口(土台)部分を広げたり、それを支える柱を増やさねば、
上下どちらに進むにしても途中で行き詰ってしまうものです。


このことは小学校での勉強科目にも見られます。
小学校は義務教育です。
大人になる前に必要最低限これくらいは身に着けとけ、
という知識を学ぶところです。
だから国語・算数・理科・社会という主要4教科や
体育・音楽・図工・家庭科という実技4教科が必修であります。


これが、小学校のときから大学のように科目選択性だったらどうでしょう?
国語は大人用の小説まで読めるけど、算数は九九すら危うい。
理科は力学の計算までできるけど、日本人なのに都道府県を知らない。

もちろん、個々に得意不得意はあるでしょうが、

不得意科目であっても「一応はやったことはある」のと

「やったことないのでまったく知らない」のでは全然異なります。

 

もしかしたら、一つの科目の勉強に徹底的に絞ることで

それはそれでその道のプロフェッショナルになるかもしれません。
しかし村上春樹だって九九ができなきゃ日々の買い物すらできませんし、
九九すらできずにノーベル賞候補になるような小説家になれるとは思えません。


例え話が長くなりましたが、スポーツもこれと同じだということです。
一つの専門種目だけにこだわってしまうと
水を多く入れることも出すこともできず、
高みを目指すことも深さを求めることも途中で頓挫してしまう、と。


もちろんすべての種目を網羅し、すべてを均等かつ一流レベルに仕上げる、
そんなことを言っているのではありません。
人間は時間も体力もそれが可能なほど多くありません。


ある一つをメインとし、しかしそれ以外のサブも用意しておく。
一つのメインだけを動力源とするのではなく、
複数のサブを補助的に効かせることでメインの力を底上げする。
場合によってはサブの作り方とつなぎ方次第で、
複数のサブの連結がメインの出力を上回ることすらあるかもしれません。


更にこうした考え方のメリットとして、
万が一メインの動力源が停止したとしても、
サブの動力源があればそれを使って更に先に進むこともできますし、
引き返して体勢を立て直すことも可能かもしれません。

でもメイン一つだけでサブがなければ、メインが潰れたらそこで終了です。


実際のスポーツにおいても、チーム競技を考えてみてください。
ある一人の選手がずば抜けて優れていたとしても、
それ以外の選手個々の力や、各選手間の連結が上手く機能しなければ
結局チームはレベルの高い場面で勝つことはできません。


個人競技であっても同じで、
どんなにマイクタイソン(古い…)のパンチ力があったとしても、
それを活かす足=フットワークがなければ
自分のパンチを当てる前に当てられてKO負けです。


こうした考えから、私は「一つに絞って精度を上げる」ことよりも、
「より多く、より広い要素をもってそれを連結させていく」ことの方が
結果的に一つの分野の精度を上げるにもメリットが多く、
また人間という「選択肢(可能性)そのもの」とでもいうべき

不確定な存在として、自然なあり方なのではないかと考えています。


あ、あと一つ書き忘れてたことが。
「いつ頃から専門スポーツに専念したらいいか?」
という質問もたまに受けるのですが、
先に述べた欧米流のオフシーズンは別の種目をやるというは
低年齢に限ったことではありません。大人でもそうです。


年齢的な発達に即していうなら、
10歳頃までは様々な動作に対する吸収力が
それ以降の年齢よりも格段に高い時期(ゴールデン・エイジ)なので、
まずこの頃までは一つの種目(動作)に絞るのは勿体ないです。


それ以降についてですが、
まず第二次性徴によって身長や体格、筋力などの
身体的(物理的)特性=適性がある程度ハッキリするまでは
やはり極端に一つに絞ったり拘ったりしない方が良いかと思います。
身長が高ければ重いと不利な体操選手や競馬の騎手には不向きですし、
身長が低ければ上下動が大きいバスケやバレー、高跳びなどは不向きです。
筋肉や脂肪が付きにくい体質であれば、相撲取りや重量挙げは不向きです。


この辺になると種目選びには一種のギャンブル的要素がどうしても入るのですが、
ぶっちゃけて身もふたもないことを言いますと、
いわゆる一流と言われる選手たちはこのギャンブルに勝った人たちです。
身長や体格と、選んだ種目における適性の一致というだけでなく、
一流になるまでに「故障しない身体」を持っていた、という点においても。


特に日本のスポーツ指導は「練習についてこれる=故障しない」
というのがフルイの要素として大きいですからね…。
この点は最近騒がれている指導者の体罰やパワハラと同じく
日本のスポーツ界、特に指導者側の問題点だと私は思っているのですが…。


まぁ、こんな感じで、私は「メインはあってもサブも複数」
「サブを連結させてメインを底上げ」という考え方をしているので、
日本特有の「一つに専念」「一つのためには他を捨てて」
という考え方にはあまり賛同できません。
まぁ、すべてを全面的に否定、というわけでもないのですが。

(もともとは私も「一つに専念」派だったので)

 

メインの種目を持つこと自体は私も賛成です。

自分の中心を作る柱というのはあって損はありません。

自分が打ち込みたいと思える何かに出会えることは人生において幸運です。

ただ、それに固執するあまり他の経験に対して

閉鎖的/排他的になると勿体ないのではないかな、というだけで。

 

まぁ、考え方は人それぞれ、知識や経験に応じて異なりますので、

私の考え方が絶対に正しいなんてことは言いません。

それこそ閉鎖的/排他的で、私自身の成長を狭めるだけなので。

一般的な「一つに専念派」にもメリットやデメリットがあり、

私の言う「サブを連結派」にもメリットやデメリットがあります。

ただ、どちらかしか知らず、いわば「選ばずに」その道を進むよりも、

他の道もあることを知った上で「自ら選んで」その道を進んだ方が、

どういう結果になれ自分に納得できるのではないかな、と思うだけで。


あ、あと最後にもう一つだけ。
もしメイン種目の他にサブ種目を考えるなら、
メインとあまり動作の被らないものの方がいいです。
同系統の動作なら重複する分、サブを備える効果が下がりますので。


というわけで、次回はまた「歩き方について」に戻りたいと思います。
それでは、また♪

 

※追記

今回書いたようなことを述べると、うがった見方をすれば

「そう言った方が教室に人が来て商売になるからな」とも考えられます。

ただ、私にとっては「考え方が先で商売が後」であり、

その逆「商売が先で考え方が後」ではありません。

 

今回の記事のようなことを(今ほど整理されていなかったにせよ)

会社員時代から思っていたからこそ独立して「体育教室」を作りましたし、

自分が本当に良いと思えることを商売にしてメシを食うのでなければ

食えずに野垂れ死にでも上等、という生き方なので。

(今の日本で野垂れ死することは社会的に難しいですが・苦笑)

 

ま、こんな考え方してるから社長なのに対して儲からず、

結婚もできずいまだ独身なわけですが…。

(ぶっちゃけ、必要以上に儲ける気も結婚する気もないのですが・笑)

 

 

 

早いもので前回の記事から1ヶ月、

まだ暑かった時期から、すっかり涼しい季節になりました。

そしてあっという間に寒い冬になってしまうんでしょうね。

時が経つのは早いものです…。

 

さて、今回からはシリーズもの「歩き方について」を

数回に分けてアップしていきたいと思っています。

 

まず「なんで歩き方?」と思われるかもしれませんが、

通常、人間が意識的に行う運動の中で一番多い動作とは

この「歩く」という動作ではないでしょうか?

そしてそれは日常的で最頻度の動作であるからこそ

半ば無意識的に行われています。当然のこととして。

 

それゆえに「自分がどう歩いているか」を考えることは、

特殊な分野や専門性に携わる方や、

ケガ等で普通に歩くことに不都合や支障が生じた場合を除けば、

まずほとんどないでしょう。その必要性がありませんので。

 

それでも最近は健康のためのウォーキングだったり、

腰痛改善などのための歩き方に関する本などもあるので、

多少は「歩き方」を意識する人も多くなったかもしれません。

 

私が「歩き方」を初めて意識したのは

小学校か中学校での卒業式の練習のときでした。

卒業証書授与ってありますよね?

壇上に一人一人上がって校長先生から卒業証書を貰うという

すごく時間がかかって暇なだけの退屈極まりないイベント(苦笑)

 

今にして思えば、あれ、生徒は暇であくびを堪えるのに大変ですが、

単調な動作をロボットのように延々と繰り返さなければならない

校長先生とその横に付く先生はもっと大変なんですよね…。

 

で、なんでそこで「歩き方」かというと、

他の生徒が壇上を歩いている様子を何となく眺めていると、

その姿勢や歩き方は皆かなり異なっているということに気づきまして。

自然体で姿勢良く堂々としている人もいれば、

逆に猫背でもっさりと歩く人もいたり、

姿勢は良いけれど意識しすぎてぎこちない歩き方になっている人もいたり。

 

それまで自分の歩き方がどうなっているかということを

意識したことはまったくなかったのですが、

この卒業式の練習で他人の歩き方を何度も見たことで

「格好悪い姿勢や歩き方にはならないようにしよう」と思い、

初めて自分の歩き方を意識(観察)するということをしました。

 

ただ、そのときは「どういう歩き方が良いのか?」を考えることはなく、

自分から見て猫背などの格好悪い姿勢にならないようにしよう、

というくらいでしかなかったのですが。

 

その後、私が高校生くらいのときですが、

当時はまだ「ガン付けた」とか「お前何校だよ?」と

見ず知らずの同年代に喧嘩を売ったりカツアゲしたりする

迷惑極まりないアホな輩がそこそこ多くいた時代でした。

 

私はそういうのに関係ない真面目な一高校生に過ぎませんでしたが

それでもそうやって見た目でナメられるのはさすがに嫌だったので、

卒業式練習のときに見た「ナメられそうな姿勢や歩き方」を

しないようには多少心がけてはいました。

 

もっとも、友人達に言わせれば

「組長(当時の私のあだ名)のその見た目で喧嘩売るヤツはいない」

ということだったのですが…。

まぁ、角刈りに近いスポーツ刈りで身長や体格もそこそこあったので。

 

ただ、ここで一つハッキリと言っておきたいのですが、

よく「元ヤンっぽい」と言われる私ですが、それは誤解です!

中学では転校前も転校後も生徒会役員をやらされるような真面目な生徒でしたし、

高校生のときにはキックボクシングのジムにこそ通っていましたが、

外で自分からケンカ売るようなことは一度もしませんでしたから。

放課後に部活をする普通の青少年たちと同じように、

放課後にジムに行って練習していただけです。

 

ほら、これが当時の私です。真面目そうでしょ?

左:中学生のとき 右:高校生のとき(まだ道着を着て練習していた頃)

 

学校でもジムでも問題を起こすことのない、

普通の真面目で健全な子だったんです!今と同じように!(←ここ重要)

 

…話が横道に逸れたので本題に戻して。

 

まぁ、子どものときに「歩き方」を意識したのはそれくらいでした。

そしてその後、10数年は特に歩き方を意識することはなかったのですが、

この業界に入って「運動の指導者」という立場になったことで、

様々な運動や動作について勉強し、意識するようになりました。

 

そんな中、本屋でなんとなく歩き方についての本を手にしたのが

再び「歩き方」について考えるようになったキッカケでした。

ちょうどその頃、「自分の指導や運動理論の幅を広げたい」と

武術/武道に関する動作にも興味をもって

そっち関連の本も読むようになっていたというのもあり、

両方が合わさって「歩き方」というものをより強く意識するようになりました。

 

今では一人で歩いているときには、

特に考え事をしていないときにはほぼ確実に

自分の歩き方を意識的に観察したり実験したりしています。

「あ、今日はかかとの接地のタイミングが少しズレてる」とか

「股関節左の動きが悪い。なんでだ?」とか。

だから歩いているときに知人とすれ違ったりしても

こちらからは全然気づけなくなってしまうのですが…。

 

とはいえ、まだまだ勉強の途中なので未熟&不十分なのですが、

それを承知の上で今回は自分の中で一度

「歩き方に関する考え方の整理」をしてみるという意味も含めて、

今現在における私の歩き方に対する考え方を

書いてみようかと思った次第です。

 

ぶっちゃけ、おそらく書くのはかなり大変です。

確実に自分で自分の首絞めてます(笑)

なので、更新は相変わらず遅いかもしれませんし、

途中で行き詰まって別の話題に逸れるかもしれませんが、

なんとか書けるだけ書いてみようと思います。

 

次回からは具体的な「歩き方」についての考察になりますので、

無事完結するよう、暖かい目で見守ってやってください(苦笑)

 

盆休みのお知らせをしてから一ヶ月近く

まったく更新をしていませんでしたが、無事生きています。

単に何となく書くためのモチベーションが上がらなかったというだけで、

体調崩したとか、忙し過ぎて暇がなかった、というわけでもなく。

 

でもまぁ、ある意味体調は崩してたのかもしれません。

なにせ今年の夏の暑さは酷かったですからね…。

例年より1ヶ月も早い梅雨明けでの長い夏。

9月に入っても相変わらず日中30℃越えのまま。

 

実は盆前に少し夏バテ気味だったのですが、

盆休みでしっかり回復したと思っていたけど

その後も軽く続いていたのかもしれません。

そう、更新しなかったのは暑さのせい。私は悪くない(笑)

 

実際、盆前も後も少々食欲減退気味で、

一時はいつも教室で食べている昼食が喉を通らなくなりまして…。

ちなみに私がいつも教室で食べる昼食はこれです。

日の丸弁当~♪(大山のぶ代ボイスで)

 

とはいえ、さすがにこれだけでは夏バテしてなくても喉を通りません。

というわけで事務室には大量の「これ」がストックされています。

見よ!この大量のふりかけ達を!充実したラインナップを!(笑)

 

というわけで、日の丸弁当にふりかけが私の教室での昼飯です。

以前はコンビニでサンドイッチやおにぎりを買っていたのですが、

おにぎりもふりかけご飯も大して変わらなくね?ということに気づき、

コンビニに行く時間とお金の節約両面でふりかけご飯に軍配が上がりまして。

 

栄養的には問題あるんでしょうけど、朝は納豆や卵かけご飯に味噌汁にヨーグルト、

夜はスーパーの半額総菜に豆腐やサラダなど食べているので大丈夫です。

今年は飲む点滴と言われる甘酒も帰宅後に飲んでましたし、

季節問わず風邪予防にR1とビタミンCのサプリも毎日飲んでいるので。

 

しかし、この暑い夏の日中、しかもクーラーはなく

締め切ると日中35℃越えのうちの事務室で

仕事しながらふりかけご飯を食べるのはかなりしんどくなりまして…。

もう固形の米が喉を通らないんですよ…。

でも食べなきゃ体力的にマズいし、どうしよう…と悩んでいたところ、

ある日「これなら普通に食べられるかも…」というものを見つけまして。

 

そう、それこそがこの「冷やし茶漬け~♪」(再び大山のぶ代ボイスで)

試してみるとバッチリ!

冷水なのでお湯と違って熱くなく、米も半固形になるので食べやすいのなんの。

冷やし茶漬け最高!冷やし茶漬け万歳!!

 

というわけで、この夏はこれで暑さと食欲減退を乗り切りました。

今でも暑い日は教室でこれ食べてます。

早くふりかけでも普通に食べられる季候になってほしいものです…。

 

え~、私のことを可哀相な子を見る目で見るのはやめてください(苦笑)

独身男性の食事事情なんてこんなものです。

ちゃんとした弁当を自分用に作るなんて無理です。

そんな時間あったら寝るか、仕事するか、トレーニングするか、本読むか、です。

 

ちなみに今日は、昨日の夜に炊飯器の予約スイッチを入れ忘れてしまい、

起きたら米が炊けてなかったので(たまにやる)、

今教室にストックしてあるカップラーメンを食べながらこれを書いてます(苦笑)

 

というわけで、1ヶ月ぶりの更新だったので

今回はリハビリ兼ねてどうでもいい軽い話でした。

 

 

最後にもう一つ、どうでもいい話。

先日、弟に久しぶりに電話しました。あることの相談に乗ってもらおうと。

そう、私が子どもの頃にやっていた某アニメの

全話入りDVD-BOX4万円を買うべきか否か、と…。

 

返ってきた弟の返答は「どうでもいいわ」。

お兄ちゃんに向かってそれはないんじゃない!?

お兄ちゃんは本気で悩んでいるんだよ!?

さすがに4万円だからねぇ…2万円なら即買いしたけど。

とこちらが真剣に悩んでいることを切々と訴えると、

再度弟から「どうでもいいわ」。

 

唯一の兄弟である弟に冷たくされ、打ちひしがれる可哀相な兄。

もしDVD-BOX買ってもお前に貸してやらんからな!(アッカンベーしながら)

 

…いつも子どもたちと一緒にいるせいでしょうか。

たまに自分の精神が子どもレベルになる気がします(笑)

大人になっても子どもの心を忘れない純粋な人なのね♪素敵♪

 

…これ以上書き続けると私の頭(心?)の中のアホ回路が

更に暴走しそうなので、今日はこの辺で。

 

8/13(月)~18(土)は休校日となっております。ご注意ください。

 

また8/15(水)は13~16時で学習教室となっております。

まだ空きはありますので、ご希望の方はぜひお申し込みください。

 

 

 

暑くなって、猛暑になって、台風が来て、涼しくなって、また暑くなって…。

ただでさえ1ヶ月早く梅雨明けして夏が長くなっているので、

そろそろ夏の疲れが溜まってくる頃です。

 

子どもたちはまだ夏休みが半月ありますが、

保護者の皆様はお盆休みも子どもたちを連れての帰省やお出かけで

「休み」とは言えない状態になるかと思います。

 

かくいう私も、気がつけばテスト期間から1ヶ月半、

完全休業日というものを一日もなしで働いていたため、

あ、気力と体力の蓄えがなくなってきているな…と感じる今日この頃。

まぁ、私はお盆休みは学習教室以外何の予定もないお気楽独身貴族なので

休み中に体調を整えればいいのですが(苦笑)

 

それでは皆様、まだまだ暑さが続きますので、

くれぐれも体調の程、お気を付けください。

 

ようやく教室のテスト期間が終わり、
私も事務地獄から解放されました(笑)

まぁ、まだ事務室の灼熱地獄は続いておりますが…。


というわけで、ようやく今シリーズの最終回、ホントに最終回(笑)、
行ってみたいと思います!

 

 

 

(前回からの続き)

 

Aさんは勉強会の中で「教科書に頼るな」と
何度も繰り返していました。
それは別に「教科書は役に立たない」という意味ではなく、
「教科書より自分を信じろ。教科書より信じられる自分になれ!」
「教科書どおりの現実などない!目の前の現実を見ろ!」
ということを強調したいのだと、私は解釈しました。


私も子どもの補助や指導をする際に、
すでに「教科書的なセオリー」からは離れています。
離れているというか、実際に子ども一人一人の状態を見て、
それに合わせて補助やアドバイスの仕方を変えています。
既存の知識で対応し、それでダメならそれを組み合わせて対応し、
それでもダメなら状況に適した新しいやり方を自分で考えます。


真逆のことを言うようですが、教科書は役に立ちます。
それは各分野における先人たちの苦労や失敗の積み重ねという
偉大かつ膨大な「歴史」に裏打ちされた「知識の集大成」です。
その分野に携わるなら絶対的に必要な最低限の知識です。


しかし「教科書的な知識」を「現実」と混同してはいけません。
教科書的な知識というのは、
複雑な現象を認識しやすいよう特定の恣意的な枠で切り取り、
更にそれを理解しやすいよう抽象化/単純化/平均化したものです。
だからこそ、ある現象を整理して理解するのには役立ちますが、
それゆえに、現実をそのまま表しているわけではないのです。


教科書通りに行うというのは、いわば工場の生産ラインです。
前提として同じ材料から同じ型が作られ、
同じ組み立てをするから、常に同じ商品が出来上がります。


しかし、実際の現場では材料も、型も、組み立て方も、
一つ一つがすべて微妙に異なっています。
教科書的なセオリーすら知らなければ手の付けようがないですが、

セオリーどおりに行うだけでも組み立てられないのです。


セオリーがある上でそれを場面ごとに変形させ、応用させ、
場合によってはセオリーと真逆のことすらして、
それで初めて現実への対応ができるようになります。
そしてそれに必要なのが「目(分析)」と「頭(判断)」です。


前回書いたようにAさんが「マネをしろ」と言ったのも
この目と頭を鍛えることを重視してのこと、
更にその必要性や重要性を端的に「教科書に頼るな」と

いう言葉で表現したのだ、と私は解釈しました。


そういう点で「教科書をアテにするな。自分の頭で考えろ」という
Aさんの意見に「そのとおり」と思ったわけです。

 

 


しかしその一方で「それはすぐには難しい」とも思いました。


私もコーチに成りたての頃は、運動関連の本を買い漁って読みまくりました。
会社で上司や先輩が教えてくれるのを待っているだけでは、
実際に指導をするのに必要な知識量が全然足りなかったからです。


運動関係だけでなく、発育発達関連の本や、
学校の先生が読むような授業のやり方に関する本、
クラス運営、部活運営の本など、自分に必要と思うもの、
自分に足りないと思うものは片っ端から読み漁りました。
いわば「教科書的なセオリーの大量収集」です。


これは、私がコーチになる以前に学者の道を目指していたので
何かを研究しようと思ったらまず先行研究や参考文献を読み漁る、
という作業パターンが染みついていたせいもありますが、
根本的な理由は「経験不足ゆえに自信がなかったから」です。


経験は時間の経過によって蓄積されていきます。
しかし時間の経過を自分で早めたり遅めたりすることはできません。
できるのは自分の経験の質を少しでも高めること(意識や努力)と、
間接的経験(情報収集)によって直接経験の不足を補うことです。


ただ、それも結局はどんなに頑張っても一定の時間が必要になります。
もちろん、直接経験の質を自ら高めた人とそうでない人、
間接的経験を積み重ねてきた人とそうでない人では、
5~10年もすれば同じスタート地点だったとは思えないほどの差になります。
しかし3日や1週間、1か月程度では目に見えるほどの差にはなりません。

(だからそこで諦めてしまう人が多いのですが)

 

その人のレベルとは先ほど述べた
「直接経験(質×量)+ 間接経験(質×量)」によって表されます。
ゲームのRPGではレベルが低いうちは使えない武器や魔法がありますが、
それと同じで「教科書をアテにしない」という武器や
「必要なことを自分で考える」という魔法は、
一定のレベルに達しないと使えない、覚えないわけです。


これは「守破離」でいうところの「破」の段階。
ラダトーム城の周りでスライム相手に銅の剣を振り回してるレベルでは難しく、
ドムドーラの町で悪魔の騎士を倒せるくらいのレベルはほしいところです。
ドラクエ1を知らない方に説明するなら、
最低でも中堅レベルの経験と実力が必要になる、という感じです。
以前書いた「1万時間の法則」で例えるなら、
3000~5000時間程度といったところでしょうか。

 

 


では、なぜそこまで「自分で考える」ということが難しいのか。
これには純粋に知識や技量の問題だけでなく、心理的な壁があるのです。


今回の最初の方で私は
>私も子どもの補助や指導をする際に、
>すでに「教科書的なセオリー」からは離れています。
と書きましたが、これができるのは今までの経験と実績の積み重ねから
「教科書的なセオリーに縛られない勇気と自信」が自分の中にあるからです。


しかし、初心者にはそれが非常に難しいのです。
なぜなら、経験=自信が不足しているので、
何よりも「間違えてはいけない」という気持ちが先行してしまいます。
そのため、思い切った考えや行動がなかなかできず「教科書的」になります。

 

たとえ名目上はプロであっても経験値がまだ足りない段階の人にとっては、
教科書をアテにすることで自分の経験不足と自信の不足を補いたい、
という心理が働くのはむしろ自然であり、それはある種の向上心でもあるため、
その段階であれば「何度も教科書を見返す」というのもある意味アリです。
基本は基本で徹底的に身に着けて損はありません。


自分の中に確固たる自信=根拠がまだ積み上げられていないから、
自分の外部=教科書やセオリーに自分の行動の根拠を求めるのです。

 

しかしそれも質の高い経験を積んでいけば、自然に変わってきます。
経験を積んでいくと、必然的に教科書やセオリーでは
対処できないことにぶつかることが多くなっていきます。

セオリーを十分に身につけたからこそ、それが見えてくるようになります。


そして、そこで初めて
「教科書やセオリーだけでは全然足りない」→「自分で考えるしかない」
という自覚が生まれてくるわけです。
これは重要であるからこそ時間がかかる成長過程なわけです。

 

 

 

と、ここまで偉そうに書いてきましたが、
Aさんならそんなことは百も承知のはず。
では、なぜAさんはそんなレベルの高いことを求めるのか。


今回の勉強会にはまだ新人の方もいるようでした。
となると、初級メンバーには「自分が向かうべき方向性」を敢えて示し、
中堅メンバーには「自分で考える」ことの必要性や現実性を示し、
それ以上のメンバーには後輩や部下の育成方針を示したのかな、と。


そしてその根本には、それだけAさんが勉強会に参加した人たちに対し、
「早く成長してほしい、早く自分で考えられる段階に至ってほしい」と
という気持ちの強さがそうさせているのだろう、と感じました。
そして、そのためなら自分が苦労して得てきた知識や経験を
惜しみなく参加者の人たちに提供するつもりでもあるのだな、と。


世の中には「自分がこのレベルになるのにこれだけ苦労したのだから、
後輩も俺と同じかそれ以上に苦労して手に入れろ」と考える人がいます。
しかし、これは上司や先輩という「教える側」としては失格です。


自分が1年かけた道のりなら半年で、
5年かけた道のりなら3年で相手が到達するように導き、
その上でいつかは自分を越えてくれることを願う。
自分の教えたことを更に良いものへと発展させてくれることを願う。

それが「教える側」の役割であり、覚悟です。

 

自分が追いつかれ、追い抜かれることを恐れる人にはそれができません。
相手が自分を追い抜くことを期待する人だけがそれを行うことができます。


実際、勉強会や研修って受ける側にとっては面倒かもしれませんが(苦笑)、
主催する側はそれ以上に事前準備に膨大な手間暇を
かけなければいけないので、受ける側の数倍面倒なものです。
やらなくていいならやりたくない、というのが本音です。


でも、Aさんはそれを社内で頻繁に行っているというのだから、
経営者としてというより、根本的に面倒見がいい人なんですよね…。
一見するとただの変な兄ちゃんなのですが(苦笑)、
だから私とも20年近く付き合いが続いてるんでしょう。


そんなこんなで、施術してもらって体を整えてもらい、
勉強会に参加させてもらって色々考える機会が得られ…
頑張って苦手な大都会まで出てきた甲斐がありました(笑)

 

 


そんなわけで、今シリーズはこれで終わりです。
真面目な話が続いたので、そろそろバカ話やりたいな~。
でも次回は久々に運動関係のネタを書こうかとも思ってて…。
一応ここ、体育教室のブログですしね(苦笑)


それでは、また次回お会いしましょう♪