明治維新とともに取り壊された尼崎城。急速な都市化が進む中で城下町は姿を変えてしまいました。しかし城があった記憶は失われることはなく、再建を望む声が何度も浮上しては資金不足や景気の影響などで断念することが続いていました。
家電量販店旧ミドリ電化の創業者・安保詮氏が「創業の地に恩返しがしたい」と、約12億円の私財を投じて尼崎城天守を建設し、尼崎市に寄贈。市民や尼崎を愛する仲間も共鳴し、「一口城主」や「一枚瓦」などで寄せられた寄付額は約2億円にものぼります。尼崎城1階の入口付近には多くの方々の想いがつまった「一口城主芳名板」を設置しています。尼崎城復活への道のり より
そしてロケ地であった
映画に魅せられたのもある↓↓↓
実際に行ってみると
え?これだけ?と思うくらい
小さくてびっくりしました。
左の暗いところが入り口。
恥ずかしながら私は、
お城って今まで有名なところしか
行ったことがなかったのですよね。
(姫路城とか、大阪城とか)
実は歴史に詳しくない人や
近隣では?
あるあるかもしれませんが…
尼崎にお城が
あることも知らない人もいる。
私は訪問看護していたときに
患者さんのご家族から教えてもらって
初めて知ったくらいです。
言われて見れば、
城跡の欠片しか残っていない
お城なんていっぱいあるもんね。
実は尼崎城も元々は
甲子園球場3個半分あったらしい。
そして領域は須磨辺りまで。
とってもとっても広いです。
↑今は大阪城はみえないねぇ。
はるか遠くまで見える天守閣から
大坂城の安全を見守る役割として
幕府から期待重要視されていたそう。
当時は
天守閣まであるお城は
少なかったのですねぇ。
それも知らない( ̄▽ ̄;)
譜代大名・戸田氏鉄により
築かれた尼崎城。
かなり期待をされた人物らしく…
初名は
地格13画、外格8画ですが、
改名して地格17画、外格17画、
人格9画…総格26画…なるほど。
この時代は名前がよく変わるけれど
なかなかのやり手だったのでしょう。
明治6年に
廃城令が出るまで250年。
長く役割をしていたのです。
私、あんまり歴史にもお城にも
興味がないのですけど、運勢的には
どんな名前の人が、どんな経緯を辿り
ご活躍をしたのかなど、興味あります。
田村淳さんほどのマニアには
なれないけれど、ちょっとお城巡りも
今後できればしてみたいなと思ったり…
ここにも安保さんのお名前が…
いやぁぁ、残してくださって
本当にありがとうございます。
どれほど当時の歴史上すごくても
残っていくお城、失われていくお城。
人の運命がお城の運命にも繋がり
人類の歴史としてどう振り返るか。
そこを興味深く感じます。
それにしても、
尼崎は物価が安い!
私が住んでいるところと数駅しか
変わらないのに食材やお店などが
本当に安くてちょっと驚きでした。
また来たいな。
お付き合いいただき
ありがとうございました。
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