自分らしく生きるとは「ぱんつを脱ぐ」ということ | 幸せな脳の使い方で、心豊かな人生を

幸せな脳の使い方で、心豊かな人生を

過食とリバウンドで20kg増減
自分大嫌いだった私が、脳、心、体のしくみを学び、自分と向き合うことで人生を大きく変えたその秘訣を綴っています。

衝撃的なタイトルだけど笑

これを実行するとものすごく人生が開ける、というお話。




 

私は昔から

 

過程を見せず

綺麗な結果だけ見せたい

 

それを潜在意識の事情で望んでいて 

そしてそれがその通り現実に反映されていた。

 

だから周りから

苦労してないって思われたり

「真美には真美さんにはわからないよ」

というふうに言われたり

 

そりゃ自分がそう見せようとしてたんだもん

そうだよね笑

 

でも無意識の仕組みを知らなかった頃は


「こんなに頑張ってるのに、周りは私を理解してくれない」

「私の努力を認めてくれない」

 

って思ってて

「なんで伝わらないの?」

って被害者意識バンバンだった笑

 

いやぁ、今ならわかるけど

自分でその現実創ってたってだけなのよ真顔

 

そもそもなぜ私は

 

過程を見せず

綺麗な結果だけ見せたい

 

と望んでいたのかというところで

それは、私が自分を認めていなかったからだ。

 

自己価値が著しく低かったので

「すごい人」に見られたいという気持ちが生まれた。

 

「パッとなんでもそつなくできちゃう人なんだこの人 」

って見られたかった。 

 

でも、実際はそんなんじゃなく

私の人生は

 

どろっどろにもがいてやっと手に入れた栄光! 

 

みたいな人生だった。笑 

 

なぜ自己価値が低かったのかというと

もうこれは遡ると幼少期の頃からの永遠の話で。

 

私は小さい頃から自分の認識する範囲では

色んなことが人と同じようにできなくて

生き辛さを感じていた。

 

漢字読むのも苦手だし

言葉の読み方間違ってること多々あるし

言葉の解釈も自己流で勘違いだらけ

 

特に覚えるということも苦手で

友達の名前、誕生日を覚えることができず

すっごく自分を恥ずかしく思った記憶がある。

 

本や文章を最初から読めず

思いついたところから逆さに読んだりw

 

 「そんな当たり前のことも知らないの?」 

ってことなんて日常茶飯事で

そう不思議そうに言われることも多かった。

 

加えて、自分の細かいこだわりがかなりあって

脳の中が常に言葉で溢れかえっていて

自分で整理するのが困難で

 

対人関係の中で

自分の気持ちを人に伝える

ということがうまくできず

 

結果、言葉足らず、言葉が出てこない

になるので、対人関係で誤解が多かった。

 

特に新しい人と知り合うときは

「この子なんかずれてるけど大丈夫?」

って思われるのが怖かった。

 

そういう自分を

恥ずかしいから隠さなきゃ

ちゃんとしてなきゃ

ってめっちゃ取り繕ってきたんだよね。

 

そこから私の中で

「ちゃんとしなきゃ」という発想が生まれた。





 

もう学校が大っ嫌いだった。

本音言うと地獄だった←


周りの人と共感したり、

同じ趣味を持ったりすることがあまりなく

でも仲間外れにならないように必死に話を合わせてた。

 

だから私は大人になって

解放されて花開いたタイプで

 

学生の頃の友達がたくさんいて

学校生活が青春の思い出として

色濃く残っている人たちが心底羨ましかった。

 

でも大人になってから

自分に合う環境や合う人たちと出会うようになり

特に起業をしてから

 

普通には出会えないような

億を稼いでいるような経営者の方々と出会うようになり

 

人と違うことって

恥ずかしいことじゃなく

むしろ自分の資本なんだ

 

と気づくようになった。

 

資本って、自分の特別な武器というか

魅力というか、むしろ財産みたいな感覚。

 

私はADHDやADS、不思議ちゃん

と色々と言われてきたこともあるし

 

私自身、自分という人間を生きてきて

このこだわりが強い性格とか

本当生き辛い性格してるなって

生き辛さを感じることが圧倒的に多く

正直しんどい時期の方が長かったけど

 

でもこの性格って見方を変えれば

 

自分の本音にとことん忠実

ってことだと思った。

 

自分の本音にとことん忠実になるということは

人と違いが生まれるということ。

 

この、人と違うということを

特に日本の社会では

白い目で見られる傾向があるから

 

「嫌われるのが怖い」


になる。

 

というかそもそも

人と違うのなんて当たり前の話でw

なるべく同じになろうということがそもそも苦しみの始まり。

 

※ここでいう「同じになろう」とは

「協調性」とはまた違うこと、今はちょっと割愛。

 

でも冷静に考えて

人と違うことが、もう魅力なのだ。

 

例えば渡辺直美さんがいるのに

渡辺直美さんの全部を完コピして生きてたら

 

渡辺直美さんという役割は

1人でいいはずなのに、足りてるのに

そのポジションはもう確立されているのに

 

似たようなものが1つ増えたら

むしろそれって価値が下がることになると思うのだ。

 

この世の中は役割分担で成り立っていて

 

渡辺直美さんという役割は

渡辺直美さんがやれば良くて

 

例えば

大久保佳代子さんが

渡辺直美さんの真似してたら

それは面白くない!って思うわけで

 

大久保佳代子さんには

大久保佳代子さんを全うしてほしいのだ笑

大久保佳代子さんだから面白い。

 

という感じで

人と違うことはむしろ自分の魅力で

 

逆に誰かと、みんなと同じになろうとすることは

その誰かの役割を奪ってるかもしれないということで

 

人はできて、自分はできない

 

できるか、できないか?という視点で見ると

「劣ってる」の発想になるけど

 

どんな魅力があるか?という視点で見ると

自分が輝ける、力を注げる役割が見えてくる。

 

そして

色んな素敵な方々と出会ってきて感じるのが

 

 【そのまんまを出した方が 人もお金寄ってくる】 

 

ということ。 

 

例えばインスタで

 『何この人美しい〜〜〜』 

『きっと非の打ち所がないんだろな』 

って思った人が

 

黒歴史を語ってたり

弱音とか悩みとか

 

ある意味ギャップがある

人間らしい部分が見えたとき

 

それを見ると一気に

『仲良くなってみたい』 って親近感が湧く。 

 

前の私は、人に好かれるためには

人気になるためには

 

「いかに完璧でいるか?」

「いかにいいところを見せるか?」

「いかに万人受けするか?」

 

と考えていたけれど

今は全くそう思わなくて

 

その完璧という名のぱんつを脱ぐことが

人に好かれ、愛されるということだと思う。

 

ぱんつを脱ぐって言わば

生まれたままのありのままの姿になるということ昇天

 

親の前でもぱんつを脱ぐ

友達の前でもぱんつを脱ぐ

パートナーの前でぱんつを脱ぐ

子供の前でもぱんつを脱ぐ

 

限りなく多くの人の前で

ぱんつを脱げるようになると笑

本当に生きやすくなる!

 

自分らしく生きる、とは

自分を知る、とは

 

ぱんつを脱いでいくこと笑

 

言い換えると

自己開示をしていくこと。

 

まずは自分の中で自分をさらけ出し

それを身近な人に出していき

世にも出していく

 

「これが私なんです、よろしくね」って。

 

私たちに必要なのは

自分を変えようとするのではなく

そのままの自分を開示していくこと

 

あんなに生き辛かった私が

今は摂食障害の症状がゼロで

何より楽しく人生をやれていること

 

同じように今苦しんでる人には

希望に思ってほしいな^^

 

みんなでぱんつを脱いでいこう♡ふふ


ぱんつ脱ぐと

人にイライラしたり妬み感じなくなるよ照れ

 

真美