こんなにも身体が自由にならなくなることが起こる現実 | 壊れた季節の中で

壊れた季節の中で

私の人生いたって普通のはずでした。それが、結婚した頃からなにかおかしくなったのです。このブログは私の経験を、アレンジ多めに吐き出していくためのものです。#自死遺族 #3児の母

こんにちは、まめしばです犬

今回は線維筋痛症になったときのお話です

 

初めましての方、まめしばと申します犬

このブログにお越しいただきありがとうございますお願い

私は約20年前に夫を自死でなくしました

その時はまだ未就学児だった3人の子達が居たおかげで、私は現在まで生きています

夫のことはこちら↓↓をお読みいただければ幸いですクローバー

 

 

 

#どうぞよろしくお願いいたしますわんわん

 

 

夫を亡くしてから約3年が経った頃のことです

最初はなぜこんな状態になってしまったのか

さっぱり理解できませんでした

 

 

それは、『線維筋痛症』という病気にかかったことです

 

 

ひと月くらいの間、膝の痛みが続いていて

変だなあと思いながらも過ごしていたのですが

思い切って整形外科で診てもらうことにしました

 

膝の曲げ伸ばしや歩く時にズキズキと痛むくらいで

立てない訳では無かったので迷ったのですが

ちょうど時間が作れたこともあり相談に

 

 

初診ではレントゲンを撮り

骨や筋肉には異常がないことがわかりました

 

それでもやはり痛いので、電気療法(リハビリ)を

定期的に行っていくことになりました

 

 

整形外科には高齢の方が多く

治療中隣の患者さんに話しかけられることもあり

その中で楽しくリハビリができていました

 

この時は何故なのか分かってなかったのですが

電気治療のレベルを最低にしても痛くて

それを見たおじいさんに「わしは最高でも足りん!」

と自慢されていました

 

 

しかし、治療を続けるも私の膝の痛みは引くことなく

逆に全身に広がっていったのです

 

 

他の疾患の可能性を考え採血をしたり

大学病院へ精密検査を受けるため紹介をされたり

 

 

けれど、検査結果に異常値は出ませんでした

痛がっている私の方がおかしいみたいに

 

 

それでもどうにかして欲しくて

整形外科には通っていました

 

治療は電気治療と一般的な痛み止めの注射

その痛み止めの注射が痛すぎてかなり恐怖でした

 

 

そんな感じでなんとかがんばっていたのですが

徐々に疲労感に押しつぶされるようになり

体を起こしていることがあまりできなくなりました

 

ちょうどマラソンを走ったあとの

もうこれ以上動けない!という状態に似ています

その状態が回復することなくずっと続いていました

 

 

仕方なく親を頼り、子ども達は預けることに

 

子どもと離れるのはとても辛かったのですが

今の私では育児はできず、それどころか何もできず

 

早く元気になって迎えに行きたいと思っていました

 

その間、手紙を書いたり交換日記をしたりして

子ども達が寂しくならないように

また自分も滅入ってしまわないようにしていました

 

 

原因不明の痛みと強い疲労感はよくなることはなく

どんどん私の身体を動かなくしていきました

 

頭もボーッとしてあまり考えられず

夫が亡くなってからしばらくの状態と

同じような感じでした

 

 

運良く大学病院の痛み専門で診てもらえることになった私は

母親に連れられ、車椅子で受診しました

 

瞼を上げることすらきつくて

先生が話をされているときでさえ

目を開けていられませんでした

 

 

車椅子に座っている時も、周りを気にすることなく

堂々と寝ていました

 

それでも脳は周りの音を聞いていて

先生の話もだいたい理解出来ていました

 

 

自分で調べて『線維筋痛症』ではないか?

と見当はついていたので

医師に言われた時も「やっぱりそうか

と納得出来ました

 

 

そして、入院後、治療が始まりました

 

 

 

ヒトリゴト

膝が痛み始める前は特に何かした訳ではなく

充実した毎日を送っていたのに

何かを我慢してため込んでいた自覚もなく

だから、線維筋痛症になったことは

不思議で仕方ありません

唯一考えられるとしたら

夫を亡くしたことによるPTSD

でも、それを理由にはしたくない

夫が私を困らせる原因になったとは思いたくない







 

長文最後までお読みいただきありがとうございました犬

 
mameshiba455
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