東北地方太平洋沖大地震後の長い一日 | Toyo☆World

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その日は午前中から姉が我が家に来ていた。
午後からわたしの仕事の先輩がスリランカから帰ってきて、
新しいマッサージ技術を取得してきたので、その施術を受ける予定だった。

人にしてあげるばかりで自分自身の身体が悲鳴を上げていた私のために
帰って来たばかりなのに癒しに来てくれる予定だった。

姉が2時くらいまでに帰らなければならないので、
先にマッサージを受ける。
その後、母がわたしも、わたしもと言うのでまたまた先に・・・

母の施術が終わり、私がやってもらう番になった時に、
ぐらぐらと地震が来た。かなり長い。

やばい、すごく大きな揺れになってきた。その時電気が消えた。

もうそれからは外では何かが落ちて壊れる音。二階でもガシャンと大きな音。

急いで逃げ道の確保を先輩がすばやくとってくれ、身をひそめながら
揺れが収まるのを待っていたが、
長い 長い大きな揺れに新しいテレビが今にも倒れそうになり、ずっと抑えていたわたし。

玄関には誰かが帰ってくるとわかるように、ベル付きの金属棒の飾りがあり、
ちゃらん♪と音がなるようになっているのだけど

もうそれがけたたましい音で鳴り響いていた。

長く恐ろしかった揺れもやっとおさまり、
何が起こったかもなんの情報もなく、携帯でブログをあげた。

怖かった~。
でも無事です。

停電中なので何も情報なし。
どこが震源地?
携帯もネットも役にたたない。

情報お願いします。


これにたくさん、コメントがきて助かりました。

こんなに大きな揺れだったので、震源地は東京か静岡あたりだと思っていた。
それが東北地方ということで、想像しただけでも震源地近くの被害の大きさは
はかりしれないのではと不安になった。
東北地方にはネットともがかなりいる。リアル友もいる。


揺れがおさまり、今後に備えて避難セットから懐中電灯や電池、
卓上コンロ用のガスボンベなどを用意するも、ラジオをどこにしまったか
探し物をはじめるわたし。

電池があっても、ラジオの本体がないなんて無意味じゃん(涙目)

しょうがないので携帯のワンセグで情報を得ていた。

その後母が二階の自分の部屋から小さなラジオを持って来てくれた。
小さいのでちょっと感度は悪かったが、ワンセグより音が大きいのでまだましだった。
それに、携帯の電池が切れると困るので。

そのあたりで、無事なのか?の確認に家族に送ったメールの返事がやっと戻って来た。

ただ、車で出かけていた次男だけがメールに返信がこないで心配だった。

一階はあの揺れにも関わらずなにも落ちずにいたのも、
戸棚の全てが耐震設計になっており、
扉が地震とともに自動に開かなくなるように設定されていたお蔭かも。

なのに、少し落ち着いたからお茶でも入れようとして扉を開けた途端、
棚の中で倒れたコップらが開けた拍子にガラガラと落ちてきて砕け散った( p_q)

その掃除をしている最中に、母が二階の自分の部屋から
避難袋に金庫に入ったものを全部いれてまとめていたようだ。
(家の権利書まで持って来てたw)

階下に置いて、何かあったら持って逃げ出せるようにと準備して・・・

そして、その後大変な事態に・・・


長くなるので続きます。