今年もあと2日。
といっても
特にこれといったことをしない我が家。
結婚当初は
仕事を抱えていた上に掃除やおせち
一生懸命やっていたなぁ。
今となっては
まだクリスマスツリーが飾られたままです。
さすが今日片付ける予定www
片付けないでと言ってますw
ナースであり心理カウンセラー
喜怒哀楽溢れる子育てを体現しています
「エデンの森」認定講師
北村 真代(まよ)です。
母親が
去年に引き続き
黒豆を炊くから鍋を貸してくれ
と尋ねてきた。
鍋くらい買えよ
続けて
まよ、紅白なます作ってくれへん?
と謎の単品オーダー。
知らんがな。
なんで作らなあかんねん。
っていうかそれ誰が好んで食べるん?
どうせおせちの見栄えやろ?
もうええやん。
心の中では
こんなブラックな気持ちを垂れ流しつつ
丁重にお断りしました。
昔はね。
母親の期待に応えようとして
黒豆も私が炊いていたし
紅白なますも作ってました。
それ以外も一通り作っていたな。
私、頑張ってた。
お母さんに
仕事も子育ても頑張ってるねと
褒めて欲しくて
認めて欲しくて
喜んで欲しくて
めっちゃ頑張って
できる子アピールしてました。(痛い
けど
いくらやっても
思ったように褒めてくれないし
思ったように認めてくれないし
思ったようには喜んでくれなくて
疲弊していくだけの自分に気付いて
少しづつ
今までとは違うことをやってみることにしたよ。
私が
既に褒められる価値のある子どもで
既に認められている子どもで
既にいるだけで喜ばれているとしたら
どうするか?
疲弊する自分を感じるたびに
自分にその問いをして
そこで見えたやり方を採用してきて
今があります。
クリスマスツリーがまだ飾られているのもそのせいw
いちいち怖いよ。
また怒られるのかな
見捨てられたらどうしようって
昔の傷が疼くからね。
何度も何度も
その怖さを感じてきたし
今も怖いはいっぱい感じるけど
それって
怒られることや
見捨てられることばっかりに
フォーカスしてるから
相手のちょっとした言動を見つけては
ほらやっぱり怒られた!
ほらやっぱり見捨てられるんでしょ!
どうでもいいんでしょ!
となっているだけで
そうじゃない部分を見ようとすることで
怒られない自分
見捨てられてない自分が
あちこちにいることに気付かされるよね。
で、これも
じゃあ気付けたら
すぐさま幸せなんかって言うと
そうでもなくて
愛されてる自分に気付きたくなかったんやなぁ
という
これまた謎とも言える
複雑な自分の気持ちが湧いてくる。
だけど
ここまでいったら初めて
自分が怒られることを選んできたんだなぁ
と思えるし気付けるし
これからはどうしたいの?って
初めて
本当の自分に問うことが出来るよ。
意識って
無意識の部分が大きいから
心の仕組みを知らないうちは
なかなか体感として
感じられないかもしれないけど
見たい世界は自分で創れるんだなぁ
と、今すごく感じています。
褒めて欲しい
認めて欲しい
喜んで欲しい
という期待のこもった願いは
今年のうちに手放してみてはどうでしょう?