余命宣告から1年、父が伝えてくれたこと | 幸せな家庭の作り方〜Happy Family〜

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東京下町で暮らす5人の子沢山ママです。結婚27年目。
長男25歳(社会人・一人暮らし)長女15歳・次男14歳・三男9歳・四男6歳。
非常勤保育士として働きながら、オリジナル家計簿を販売中。



5月の新緑が眩しい雲ひとつない青空の下、なぜ私は泣きながら歩いているんだろう。



病院から呼び出されて、父の余命を聞かされて、逃げることのできない現実と必死に向き合った結果、ただただ涙があふれてきて。



自分の無力さに呆然としながらも、悲しみにひたってはいられず。


前向きな治療の手段のなくなった父を、実家に迎える準備を進めていきました。


1年前のことなのに、あのときの感情は生々しく覚えています。いつか、もっとぼんやりした思い出になっていくのでしょうか?





父の余命宣告の日から、気づけば1年が経っていました。


昨年のGWまで普通に暮らしていた父


そのときは、この先の余命が短いなんて心配したことはなかったんです。


来年も、こうして日常を過ごせるものだと思っていました。


だから昨年のGWに野球がお休みそ子どもたちを連れて実家に遊びに行ったときも「お前たちが来るとうるさいなぁ、早く帰れ」なんて言われて。


「わかったよ〜またね」なんて言って。


「またね」があると思ってた…




でも、1ヶ月後の父の日には、来年の父の日には、父はもうこの世にいないだろうことがわかっていました。


そんな中でも、まだ会話ができて食欲もあった。

私が買っていったケーキを「高級品だなー」と言って笑いながら食べてくれたこと。


そのときの父の姿が脳裏に焼きついていて、思い返すと、すぐに涙が出てきます。


そして、父のいない、今年の父の日を過ごすのはつらいなーって、今から切ない気持ちになります。




あの日、ケーキをペロッと食べたのが信じられないほど、父は日に日に弱っていきました。


かろうじて飲めていたヤクルトも、だんだん減らなくなり、残った買い置きをウチの子どもたちが飲むようになりました。


治療法があるときは、今日は元気がないけれど、明日はよくなるかも?痛みがなくなり動けるようになるかも?という希望がありました。


でも、末期ガンの脳転移からの進行は本当に早く、日に日に人間的な機能を失っていく父を、ただ見ているだけしかできませんでした。


それよりも、生前、父をたくさん悩ませ苦しめた、弟がのこのこと見舞いに来ることに、私ははらわたが煮えくり返る思いを抱え、悲しみに浸りきれない悔しさすら弟への怒りを感じる燃料となり。


そんな自分への情けなさや自己嫌悪、普段感じないようなレベルの、マグマのような強い感情が、次々湧き上がっていましま。



余命告知があると、最後の日までを有意義に過ごせるのではないか?という幻想があると思うんですが…


(そういう方もいらっしゃるかもしれませんが)


元々ポーカーフェイスな父なので、私には、父が自分の残りの命をどれくらい悟っているのか、わかりませんでした。


母の前では、一度だけ「オレはもうすぐ死ぬんだ」と言ったことがあるそうです。


たった一度だけ。



でも、父は、自分の人生をあきらめることなく。


最後まで生きようとしてました。




病院で施せる手立てがなくなり、在宅看護になった後は、眠りから覚めるといつものようにパソコンの前に向かって、シルバー人材センターの仕事をしようとしていました。


でも、脳転移でもう手もマヒしているし、パソコンなんて打てないんです。


それでも、いつも通りに生きようとしている。




命が終わるのを待っているわけではなく、父はただただ、今まで通りに生きようとしていました。




そんな姿を見て


「お父さん、もうすぐお別れだね、今までありがとう」


なんて言えません。





日々、人間としての機能が衰退していく父を前に、何をしたらいいのか?何をしたら後悔しないのか?


全然わかりませんでした。


そのうち食べる意欲もなくなり、痛みに苦しみ、弱っていく父を前に、私もただただ、そこにいるだけでした。



命の期限がせまってくるのに、何もできない。


私の中では、父の娘として過ごした50年を振り返りつつ、ぐっちゃぐちゃに色んな感情がわきあがってきて。


毎日、とにかく必死でした。


月をまたいで生きられるのか?あと何日なのか?わからない。


ホスピスに入ってからは強い薬を使い、苦しむことはなくなったけれど、もう言葉をかえすこともない父の手を握って「ありがとう」と言うしかできなかった。



何にもできなかった。



でも、父は、もしかしたら、命をかけて、私に「そのままでいいよ」って、教えてくれていたのかも知れません。




天真爛漫な弟ばっかり、なんの努力もせず、そのままで愛されていると思っていた。


私は、がんばらないと愛されないと思っていた。




でも、そんなことはなかったのかなーと、今は思います。


父は、自分に似て不器用な私を、愛してくれていました。



あれから1年経ってやっと私は、父が人生かけて伝えてくれたメッセージを受け取れたのかも知れない。



何も付け足さなくていいよ、って。




このままの私じゃダメ、何か付け足さなくちゃ


不足感よりももっと根深い、飢餓感とも言えるものに突き動かされて、私は、学び続けてきたのかも知れません。




なんか、そういうのは、もういらないんだな、って。


足りないから付け足すんじゃなくて、自分の興味のおもむくままに。


自由に楽しんで生きていいんだよ、って。




離れてからも、私に必要なメッセージを伝えながら、見守ってくれている気がするんです。




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