こんにちは
占いやスピリチュアルに依存せずに
自分の人生を自分で決めていく
お手伝いをさせていただきます
![飛び出すハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/610.png)
malikalight(まりか)です
前回からの続き
※前回の記事を読んでくださった方へ
大変お見苦しい写真を掲載してしまった事
心よりお詫び申し上げます笑。
写真は差し替えさせていただきました
3〜4年経つとこれだけ成長するのだな、と
温かい目でみていただけると
幸いです
採卵の予定をキャンセルし、
不妊治療の仕切り直しをした私。
その頃、姉の乳がんが発覚します。
姉夫婦は自営業ということもあり、
医療保険をかけていました。
定期的に
保険の請求漏れがないか
確認に訪れてくれる
担当の保険レディ(保険外交員さん)
がいました。
その保険レディが
「40歳前後から乳がんの罹患率が
増えてくるから。セルフチェックしてみて」
と乳がんチェックのチラシを
置いて行きました。
普段から明るくてパワフルな姉。
3人の子育てをしながら
旦那さんの仕事も手伝い、
家事育児に忙しいワーママでした。
家族が風邪をひいても
イソジンうがい、ガラガラ〜ペッ
で風邪もすぐ治るという。
屈強で強靭な不死身の体を持った女
だと、誰しもが思っていました。
そんな姉が、
乳癌セルフチェックのチラシを見て
お風呂上がりにセルフチェックをしたところ
今まで感じなかった違和感を感じたそうです。
近くの乳腺外科があるクリニックを受診し
検査したところ
乳がんの可能性が高いとの結果。
当時39歳になったばかりでした。
すぐに大きな病院の乳腺外科へ
紹介状を書いてもらうことになりました。
そしてその直後、姉から私に電話が入りました。
診断は乳がんで間違いない事。
その紹介先の病院で、乳がんの名医はいるのか。
と、元看護師だった私に聞くためでした。
その電話を受けた時、
私はかなり動揺しました。
「え?うそ!いやだ!間違いであって欲しい。
いやだいやだ」
そんなふうに言ったように思います。
私は思わず泣いてしまいました。
姉は、旦那さんと共に
たくさんの涙を流し、
気持ちがひと段落着いたところだったそうで
電話口では落ち着いているように聞こえました。
私はすぐにその病院で働く友人に連絡して
乳腺外科の先生の
それぞれの性格や手腕などを聞き、
姉に伝えました。
そして無事受診して詳しい検査や
手術の手続きに進むのですが
当時コロナ禍ということもあり
手術の待ち期間が長く
手術を受けられるのは半年後、
という事でした…
なんでその間に進行してしまったら
どうするの…
と思いましたが、それは手術を待つ全員の方が
その思いだったでしょう。
そしてまた、姉からお願い事の電話が
かかってきました。
「親に乳がんになった事、
これから治療をする事を報告するから
実家に一緒に来て欲しい」
とのことでした。
すでに肺がんを経験していた父は
落ち着いて受け止めてくれる
と思ったそうですが
母はショックで取り乱す事が
あるかもしれないから、
そのフォローもして欲しい。と
しかし、母は私達の予想に反して冷静でした。
「そう…。今、目の前にある
できる事をやるしかない。」
「手伝える事があれば言って。手伝うから。」
と言いました。
私と姉は拍子抜けしましたが、
母のダメージが少なかったわけではありません。
もちろん大きくショックを受け、
私たちが帰った後、泣いたそうです。
やはり母親は自分の子どもの事を
心配して気にかけています。
完治した今でも…
一方私は、同じ県内でしたが、
距離的には母と姉の住んでいるところから
離れた場所に住んでいたため、
身の回りのサポートは出来ずにいました。
しかもコロナ禍でデルタ株が出始め、
なかなか人との接触が出来ない頃でした。
私なりに、できる事を考えた結果
私が大好きで通っていた
お地蔵さんに通って
姉の病気が完全に治ることを
待つこと。
そして私が猛勉強して実践していた
体質改善方法を姉に伝える事。
もし、姉が助けを求めてくれた時は
すぐに家事や育児のお手伝いに向かおう、
と決めました。
長くなったので、
次回に続きます
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最後までお読みくださり
ありがとうございました
malikalight(まりか)