溜めていた俳句みたいなものを整列。



ツバクロの飛び方真似る自転車で


瓜苗を植えて毎日せいくらべ


新緑の影で居眠り自転車よ


青空に新しい雲こいのぼり


五月雨を受ける睫毛の凛と巻く



五月ももう中盤を迎え、あと半月もすれば六月になるんですね。

梅雨が来るのかな……梅雨は鬱鬱としますが、来る夏の為だと思えば、我慢しなくてはいけませんよね。



今までここには、あんまり政治的というか自分の思想的なことは書くまい、と思っていたのですが。

でも、いまの気持ちはそんなことが原動力じゃないので、ここを見ているみなさんの知恵があればお借りしたいなあ、と思い記事にします。


何から話したらいいのか……


見ず知らずの人たちとお金を集めて共同で寄付ができたりしたら便利だなと思うというか。

そこを目指せたらなと思うのです。

口蹄疫の寄付金。

アスタリスク内はこれまでの私の経緯とかなので、すっとばしてもらっても良いです。


* * *


ネットで口蹄疫のことを知り。

何か自分にできることはないかと思い。

でもその時の私の気持ちって、「どうにかして私も協力したい、でも何をしたらいいのか分からない」「誰かどうにかしてよ!」というものでした。

「何かしたい」は「したい」であって、行動に直結していないというか。願望なんですよね。

それでもできることが自分にあるんじゃないか、と募金ができるかどうか検索して見つけたページで衝撃を受けました。

個人で募金活動をしている人がいる……

募金活動ができないかどうか、大学に掛けあった学生がいる……

「何かしたい」「どうかしなければ」から「何かしよう」「どうかしよう」、そして実際に行動に移している人がいる……


愕然としました。

感銘も受けました。


「大変なんだ」「どうにかならないの?」「心配だ……」そういう感情は大切です。

でも、そこで足踏みをしてしまう。してしまうというより、しざるを得ないというのもあると思います。

だけどその先に私たちは踏み込めるんだ、と思いました。

ネットを徘徊していると、「どうにかしたいけどどうすればいいの?」という人も多いように思いました。

中でも、募金について「ふるさと宮崎応援寄付金 」は一口5000円という金額なので払えない、という人はかなりいると思いました。払えないことはないかもしれないけれど、1000円とかそれくらいなら募金しても良い、という人もいるでしょう。

庶民感情としてはあたりまえです。私だってそうです。

なら、そういう人が集まって、足して5000円なり10000円なりにして募金すればいいんじゃいか、と思ったのです。

1000円しか出せない人が5人いるとしたら、そのままだと募金は0ですが、寄り集まれば5000円の募金が可能です。

そういうことを、やりたいなあと思ったのです。


* * *


1000円しか出せない人を集めて、一口5000円の募金ができるように、なんとか取り計らいたい。

そういう野望なのですが、どうすれば実現可能かなと思って。

一番手っ取り早いのは、誰か(例えば私)が募金をするためのお金を募り、その集めたお金で募金する、というものでしょう。

ただ、上記の募金は一口5000円なので、その辺りを調整しないといけません。

また、お金が絡む問題なので、何かしら準備だったりきちんとした対応なりを考えなくてはなりません。

その辺りが経験の浅い私ひとりの力で務まるか、非常に心配ではあります。


タッグを組んで募金をする人たちが集まれるようなシステムを作るのも考えましたが、きちんと機能するか分からないですし(きちんと機能できるシステムがあるかもしれないです、が私が思いつけないだけの可能性も)

私のスタンスは「何かしたい、と思っている人たちのお手伝いがしたい」なので、こういう形を最初は予定していました。


すごくグダグダ書いてしまいましたが、つまりは、私も私のできることをしたい!ってことです。

なんというか、もう「○○したい」で止めるのが個人的に嫌になっただけです。

「ダイエットしたい」「健康になりたい」「勉強したい」「スキルアップしたい」……そこで止めるのが嫌なんです。

「ダイエットする」「健康になる」「勉強する」「スキルアップする」の段階に行きたいんです。

今回の「どうにかしたい」もそれなだけなんです。多分凄くわがままなんだろうな……

今だってここで「どうしよう?」って言っているだけなのですが、今までの私だったらここで「どうしよう?」すら言えなかったと思うので、少しは前進したと信じて。


明日、募金行ってきます!



銀のフォーク 銀のナイフ

銀の食器に銀の杯

食べるがいいよと主は言うけど

私は

ナイフもフォークも持てないのです

納屋の戸の陰で

ないている母親は

果たしてナイフとフォークを持てるでしょうか

あの子が眠っている

白くて柔らかいしとねは

私にも与えられるのでしょうか


分からないことだらけながら

私の手を地面に押しつけてできる

ハート型のくぼみで

誰かの愛を埋めました



りあかるも * 詩文と日常の発露 *


一ヶ月くらいは前の桜。

実は右側が下で左側が上になる、横長の写真なのですが、スキャナで取り込む際に置き方を間違えました。

でも違和感がないので続行です。


今日は午前中とてもいい天気で、午後から少し曇りました。

日差しはとってもちくちくして暑いのに、風は寒いんですよね。変なところでバランスをとってるなあという感じ。

日差しが強くて、日焼けに気をつける季節だなあと感じました。

太陽の光は健康の為に必要なものだから、日焼け対策しつつ陽の光を浴びられるようにしていきたいです。

りあかるも * 詩文と日常の発露 *-100503_1602~02.JPG


名前は知らないけど、綺麗な花が咲いていたので。
ここ数日雨だったのですが、漸く青い空が見えました。天気が良いのはやっぱりいいですね。外を歩いていてもうきうきしてくる。
カメラと本を持って、景色のいいところでお弁当を食べるの。木の下で、花が咲いてたりして。読んでる本に花びらが落ちたりね。
いいなあ。そうしたい。

高校時代、みんなが授業受けてる時間に、部活の関係で電車に乗ったことがあります。
午後のやわらかな日差しがさす車内は穏やかで、しあわせな場所をあげよって言われたら私はこの列車内をあげるだろうなって思うくらい。
きいろい光を片肘ついて眺めながら、将来昼下がりの電車に乗るような生活がしたいなと思ったものです。
それは単なる比喩で、実際に昼間に電車に乗るような環境がいいってわけではなく、そんな些細な日常にふとしあわせを見つけるような生活がしたいということだったのだろうと思います。
なかなかそういうのって難しいんじゃないかな。

あの時の窓際の座席みたいな居場所が早く見つかりますように。