それってあなたの感想ですよね3 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

自分中心のお話。


今回はいきなりの結論。


女性は自分が中心。

男性は自分の信じるものが中心。

てな傾向があるんじゃなかろうか、と
感じたのでした。


オトコハー、オンナハー、なんて理屈
今日日あまりウケないでしょうし。

きちんとした調査結果やエビデンスが
あるわけではないのだけれども。

あくまでなんとなくなのです。


一例。

追っかけ、推し活のお話。

2次元、3次元関係なく、アイドルや
Vtuberなどのイベントに参加したり、
コンサートを観に行ったりするほどの
ファンやその活動の事ですね。


女性の追っかけは、わりかりキチンと
した見た目なのに対して。





男性の追っかけは、それはもう言葉に
するのもはばかられるようなのが多い
傾向にあるのかと思われます。





以前なにかどこかで見た記憶。

女性の追っかけは、追っかけてる人に
「自分を見てほしい」と思うとか。

自分中心なので、見られて恥ずかしく
ないような外見にする…とか何とか。

「推し」に対してあまりに醜い容姿で
いるわけにはいかない、みたいな。

そんな思考があるとか何とか。

曖昧な記憶です。


男性のアイドルファンは、あくまで
アイドル中心。

自分の見た目とか、自分に気づいて
欲しい、とかはあまり考えない。

アイドルに輝いていてくれたらそれで
いいんだ、みたいな。

アイドルのコンサートが盛り上がって
成功するなら、自分はその礎でいい、
みたいな考え…なのかしら。

曖昧な記憶です。


ブログのお話。

私、男ですけど。

ブログを書く際は何かのエビデンスを
拾ってきて、一般論として結論づける
ような書き方をしています。

エビデンスというのは、例えばネット
ニュースや他のブログ記事など、別の
情報源やデータや統計結果です。





他、2chまとめブログやXのポスト
内の不特定多数の第三者の意見を総合
して、一般論の分析をしています。


それは時に、私の意見や感想や願いと
異なる結論である事もあります。

「でもこの結果から見たら世の中こう
なってると言わざるを得ないよね?」

「私の事を信じなくても、私の理論は
一理あるよね?」

という書き方をしているのです。


他の男性ブロガーもそんな感じで、
自分の感想よりデータや分析を用いた
レビュー形式が多い気がします。

自分の感想や我の存在よりも客観的な
情報を前面に出すって感じですかね。


日本には古来より
「それってあなたの感想ですよね」
という名台詞があるのです。





個人的感想で人を説得、論破できると
考えるべきではないのです。


対して、女性がブログやSNSに投稿
する場合、自分の思い、自分の行動を
アピールする内容が多いように見える
のです。

例えば、旅行に行ったという内容の
記事だとしたら。

「どこどこ行きましたー」
「たのしかったでーす」

「なになに食べましたー」
「おいしかったでーす」

「マルマルちゃんと一緒ですー」
「今度はコレコレしたいでーす」

おわり。

みたいな。


男性ブロガーだったら、どういう交通
手段で、どの程度の時間や料金で移動
したか、とか。

どこの何というお店に行ったか、その
土地の食事は他のものと何が違うか、
とか。

そんな感じで「客観的な情報」を付与
していると思うのです。


これ、私なりの考えなのですが。

多分、男性は説得力をつけたいのだと
思うのです。


「私が見た感じだと」
「なんかそう思うから」

なんてフワフワした考えを仕事で発言
しちゃダメだし。

きちんと事実確認をしないといけない
仕事をしている人が比較的多いからと
思うのです。

そうでなきゃ客は納得しません。
そうでなきゃ上司は説得できません。
そうでなきゃ部下はついてきません。


自分に価値はなくとも、自分の仕事、
自分の成果物に信頼性を与えなきゃ
いけないのです。

自分の見た目や経歴を考慮してくれる
仕事相手だけとは限りませんしね。


対して、そこまで厳格な「仕事」を
求められることの比較的少ない女性。

自分の考えに道理がなくても、男性が
配慮してくれる事も多いでしょう。

女性は冷え性が多いから夏場の空調は
程々にしましょうね、とかね。


男の冷え性があっても、多分おそらく
上着羽織れ、で終わるでしょうから。

それだけならまだしも。

「何一人だけ寒がってんだ!」
「皆は汗かく位に働いてんだよ!」
「寒いなら客先歩いて回ってこい!」

位言われるでしょう。

男の扱われ方なんてそんなもんです。


言い替えれば、「自分」に力がある、
人を動かせる言葉や魅力がある、と。

自分の振る舞いや生活にコンテンツと
しての価値があると思っているという
ことなのだと思います。


ちょいと余談になりますが。

夜職の女性の方の意見をSNSなどで
時々見かけますが。

「女性と楽しく過ごせるんだから」
「お酒の料金だけでキャバ嬢と話せる
と思うな」

みたいな、自分と会話する事が特別に
価値があると言える自信が感じられる
のです。


無論、自信があるからキャバ嬢として
働いているわけですし、嬢との会話に
付加価値、料金をつける商売、バーな
わけですからね。

客側も、それに価値を感じたら利用を
すればいいだけなのです。

ただし、お互いその場の会話を楽しむ
だけの付き合いと知るべしなのです。

それ以上を期待したりしちゃダメでも
あるのです。


それ以上が無いとわかるとキッパリと
断った客のXのポストが大バズリして
いましたね。

以下、引用。


 俺、以前ガールズバーで
「一杯よろしいですか?」に
「嫌です」と返答して
 びっくりされたことあるな。

 1%でも恋愛関係になる可能性が
 あるならカネ出すけど
 0%には出せないと説明したら
 口論になって、要するにそんな
 事態になるくらいキャバクラとかの
 インチキ空間が嫌いなんだよ。

https://twitter.com/navisl_zvezda/status/1790841977753293238


ですって。

私も概ね同じ意見です。

同じ意見なのでそういうお店には全く
行きません。


ただ、付き合いで行ったのなら多少は
楽しむ雰囲気を出したり、それこそ、
付き合い程度で和気あいあいにする位
お金の使い方はしなきゃとは思います
けどね。

そこでケチケチして、ギスギス空気に
させてたら、それは付き合いしてると
言わないのです。

でも、そんな付き合いのためにお金を
使って気も使って疲れると思うと全然
楽しくないわけで。

だからこそ行かない…と、堂々巡りを
しちゃうのです。


それに。

男性に「それ以上」を期待させた上、
サービス相当のお金以上をせしめると
末路がどうなるか…

この度明確になりましたね。


「女がだまそうとして、
それに引っかかっただけ」
新宿タワマン“メッタ刺し”事件、
和久井容疑者の父が息子をかばい
訴えたこと
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05151132/?all=1


自信のありすぎる女性も考えものなの
ですね。


自信がなかったり、過度に卑屈な男は
自分の発言で他人が動く事を嫌います
し。

自分の細かい言動や振る舞いに注目を
してもらいたいとは思いませんし。

反応も欲しくないですし。

自分の行動やただの感想を書き連ねる
だけのブログや動画が他人に好意的に
観てもらえるだなんて考えられないの
です。

わたしです。


投稿動画の傾向も同様だと思います。

男性はゲームのプレイ動画のような、
自分が一切見えない動画でも、相応に
評価されたら嬉しい。

むしろ自分よりも自分が創ったものや
自分の技術を見てもらいたいと思って
いるのです。


でも、女性は自分が踊ったり歌ったり
する動画においても、自分をステキと
言ってもらう事で嬉しい。

ダンスの内容ではなく、可愛く盛れた
自分を見てもらいたいと思っているの
です。


自分の姿をみてもらう動画だとしても
男性はそのプロセスや技法などに注目
してもらう動画が多い気がします。

ボディビルなら、その食事や筋トレや
体作りの理論や、成果物として筋肉の
見事さを褒めてほしい。

自分のことは筋肉ダルマキモいと嫌悪
されたとしても。

筋肉の見事さは文句つけさせないぜ!
みたいな感じ。





対して女性のボディビルダーというか
ヨガとかそっちの感じの方は。

ヨガの思想やポーズの理屈はさておき
美しいプロポーションになった自分を
見て!という思いを感じるのです。





犯罪心理みたいなのもそうですかね。

女性の客がホストにひっかかったら、
女性の方が被害者で。





男性の客が頂き女子にひっかかったら
女子の方が被害者になり、支援者すら
現れるのです。


「頂き女子りりちゃん」、
獄中日記を更新
「理不尽人生全部飲みこんで、私絶対
幸せなっちゃうから」
「判決聞いたあの日からずっと
放心状態」
https://news.yahoo.co.jp/articles/87355e26b610a7c5d5616bebef90bda7179a52ff


“頂き女子”りりちゃんを
援護する声。
なぜ被害に遭った“おぢ”が
非難されるのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/d70b58813163f00282eeddee84010183b5a41886


理屈に合わなくても。
法に反していても。

自分が中心、自分は正しい、と、声を
高らかに言えるのです。


これは『伝説の92』と呼ばれ、今なお
語り継がれる、女性の自分中心思考を
表す逸話でも垣間見えるのです。

このお話、もはやドラマなのです。

たとえ嘘話、創作であったとしても、
美しさすら感じさせる流れなのです。


ピクシブ百科事典 伝説の92
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE92


女性側が浮気をした上での離婚なのに


 女性でも払うんですか?
 離婚するんですけど…?


と、女性である事を理由に、慰謝料は
浮気した自分が貰えるものと勘違いを
していた…というお話なのでした。


ここから

「私、女なんですけど?」

という名言が生まれたのでした。

女性が理不尽や傲慢や逆ギレをしたり
する記事や動画によくコメントとして
書き込まれているのを見かけます。


その後の展開も女性中心、自分中心の
思考だったのです。

当人たちは修羅場だし弁護士費用など
お金も発生しているのでしょうけど。

傍からみるだけなら大変趣深い物語と
言えるのです。


これは昔から使われる言葉にも現れて
いるのです。

自分がー、自分がー、と他人に自分を
アピールして自分だけ利益を得たいと
いう考え方は「女々しい」のです。

自分中心の考えを喚き散らして周囲を
変えさせようとする輩は「姦しい」の
です。


対して。

やれる事をやって、どっしりと構えて
多くを語らない考え方は「男らしい」
のです。

周囲がどうであろうと、自分は自分、
揺らがない信念の者は「雄々しい」の
です。


ちょっと余談です。

仕事でも、自分よりチームを優先する
ってのが「男らしい」考え方だと私は
思います。

無論、それで無理をして自分が倒れる
とかになったら元も子もないですが。


だから女性でも、自分よりチームへの
貢献を優先する考え方をする方の事は
「男らしい」と言うのです。

私は一人、この「自分よりチームを」
という考えを感じる名言を言った方を
知っているのです。


前田敦子のあの名言は、
残酷なコールから生まれた
https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/201804230000471.html


多分、女性は「お姫様」になりたいの
だと思います。

自分のために周りが動く。
自分の良いように周りが変わる。

そうなってほしいのだと思います。


で。

それはきっと「美人」だと叶う。

そう思うだろうし、実際そうだと思う
のです。


実際、多くの男は美人に弱いのです。

美人に尽くす事を幸せと思う男は多い
と思うのです。

女王様とその下僕みたいなね。





重ね重ね。

これらはあくまで私の個人的な感想に
過ぎないのです。


普段のブログは、もっとデータを使い
一般的な理屈になるようにしているの
ですが。

今回はなんとなく書いているのです。


こんな「なんとなくや個人の感想」で
話をするのを男は嫌うというか。

何か悪い事をしているような気がして
しまうのです。

ここでいう「男は」ってのもあくまで
私のなんとなくの感想です。


先に挙げたアイドルの様に、男らしい
女性もいれば、男で「自分が自分が」
と我儘に振る舞う女々しい輩もいるの
です。

当然ね。

絶対のお話ではないのです。





これ、どっちが良いとか悪いとかでは
ないのです。

自分の感情に正直に生きることが悪い
とは限らないのです。

自分の感情を正直に発することが悪い
とは限らないのです。

誰かを悪く言う言葉でなければね。


ちょくちょく、誰かに称賛されたとか
誰かより上とかではなく、自分の心が
幸せだと思う事を幸せと思うべきだと
言っておりますし。

何かのデータや理論や一般常識に合致
してない事は話してはならない、とは
限らないのです。


例えば、同性愛のお話だって。

今は民法では「夫婦」になる者同士で
しか結婚ができないから、同性同士の
婚姻届は受理されないんだそうで。





実現への道のり
結婚の自由をすべての人に
https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/why/


法で認められていないから。
過去に例がないから。
一般常識とは異なるから。

だから、そういう事は
「ダメなことである」
「口にしてはならない」
「考えている奴は叩いて良い」
…と、してはならないのです。

多様性の時代ですからね。


ただし。

無論、多くの人に共感を得て欲しいと
いうような場合は別です。

逆に、共感を得られない、逆の考えを
持つ者もいる、いてもいいという事も
容認せねばならないのです。

多様性の時代ですからね。


それに。

「何となく」
「個人の感想」
は叩かれがちですが。

「エビデンスに基づいた分析結果」
「憲法や法律を遵守した考え方」
は叩かれにくいのです。


もし理論的なお話を対する理論なしに
叩いたら、それは「個人の感想」なの
です。

理論を否定するなら別のエビデンスに
基づいた話であるべきなのです。

そうやって「理屈と理屈の比べ合い」
になって初めて「議論」になる訳で。

どちらか一方でも個人の感想を出して
来たら、それは結論なんか出るわけが
ないのです。


結論。

「私がやった」「私が思った」ってな
お話は、「私」の中でのみの正解なの
です。





今日の私のお話もそう。

私の感想でしかないのです。

それだけのものを誰かに共感や称賛を
してなんて貰えなくて当然なのです。

でも。

共感や称賛を貰えないお話は思ったり
書いちゃいけないなんて決まりはない
のです。


みんな自分を出していこうぜ!