「いきる」その2 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

いきる目的のお話。


前回のお話はこちら。


「いきる」
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12568272084.html


前回のお話を読み返してみましたが、
前職を退職した時の所感でした。

仕事が辛いから、お金なくていいから
自分が生きたいと感じて生きていたい
だから仕事を辞める生き方を選ぶよ、
てなお話でした。


人間はワガママなものなのです。


今あるものを「ありがたい」と思い、
幸せを感じて満足するのは、なかなか
出来ないものなのです。

仕事があるだけありがたい。

大手でいい給料だからありがたい。

先人の築いた技術や既存顧客があって
磐石な商売でありがたい…

…とは考えにくいのです。


ありがたいのは「有り難い」のです。

あって当然と思ってしまえば、それは
ありがたくないのです。


前回のお話、つまり退職してから4年
経過した今の私。

約1年の無職と職業訓練生期間を経て
警備の道に進み3年が経過しました。

時間や身体はともかく、メンタル面は
かなり良好な状況になったのです。

お金はほどほど、精神は穏やか。

当時望んだ生き方を手に入れたところ
なのですが。


ここから何をしたら、幸せと、生きて
いたいと、感じられるのでしょうか。


遠い昔、とある人は言いました。


 なんのためにうまれて
 なにをしてよろこぶ
 わからないままおわる
 そんなのはいやだ


人はなぜ生きるのか、みたいな議題は
メンタル病み病みな方や暇人の定番の
お話ですね。

私なりの人生とは、人の生きる理由、
目的とは、の結論は既にありまして。


幸せになることに尽きるのです。


幸せを感じること。

楽しむこと。
楽しいと感じること。

それだけなのです。


楽しくないなら生きている意味もない
とも言えるのです。

「楽しくなければテレビじゃない」
とかなんとかな名台詞(迷台詞?)も
流行りましたけれども。

テレビじゃなくても、楽しまなきゃ、
楽しくなけりゃ人生じゃないのです。





楽しいことのお話。

楽しいことって、何がありますかね。


代表は趣味ですね。

賃金とか、優劣とか。
生きるためとか、義務とか。

そういうのは無関係に、自分が幸せ、
自分が楽しい、と思えることをする。

趣味とはそうあるべきなのです。

それだけ自分が楽しいと思える何かに
出会えるのは幸せなのです。


もちろん、「そういうの」が楽しいと
いう人もいても全然問題ありません。

賃金のお話。

お金を稼ぐのが生き甲斐で楽しい、と
いう方もいるでしょう。

もはや仕事しなくても、食べたいもの
食べて、遊び放題で、どこでも行ける
お金があっても、まだ稼ぎたいなんて
人もいるかも知れません。

楽しければOK!


優劣のお話。

誰かと勝負するのが楽しいってのも、
それはそれで良いのです。

囲碁将棋とか、スポーツとか、あとは
コンテストみたいなのもあります。

勝負するのが楽しいから頑張れる、て
人も、それで楽しいならOK!


承認欲求も、勝負と似てますかね。

なにがしかの点で人より優れていると
結果で見えたり、称賛の言葉として
投げかけられたり。 

それは間違いなく楽しいことでしょう
からね。


他の分かり易い楽しさ、食の快楽。

美味い料理に、美味い酒。

食べる喜びは、文字通りの生きる糧に
なるのです。

タバコやコーヒー等の嗜好品もね。

味覚だけでなく、五感に訴える刺激は
楽しいものが多いのです。


聴覚に訴える、音楽。

いい音楽を聴きたい、いい演奏を習得
したい、ってのも、生き甲斐になるの
です。


視覚に訴える、鑑賞。

いい芸術を見たい、いい景色の所に
旅したい、なんてのは、心にもいい
生き甲斐になるでしょうなのです。


あと、なりたい自分になる、とかも
ありますかね。

昔から目指していた仕事に就くとか、
ボディビルとかもですね。


まあ、何でもいいのです。

やって、楽しいと思える。

そのために人はそれをするわけで。

じゃあ、なぜ「いきる」をするのか。

それは、生きて楽しいと思うためなの
です。


但し、世の中楽しいことだけをしてて
終われるはずはなく。

楽しさを得るためには、我慢も必要に
なることもあるのです。

生きるためのお金を得るために働く、
とか。

働くための力を得るために勉強する、
とか。

でも、トータルして「楽しい」の方が
上回るようにしていくのが人生を良く
生きるってことなのです。


お仕事の加減のお話。

働かなすぎて人生どんづまったら死ぬ
しかなくなりますし。

かといって働きすぎてメンタル病んで
死んでも元も子もないのです。


ダラダラ生きるだけのために働くのも
張り合いがないものですし。

でもあくせく働いてて自由がないのも
社畜人生になるのです。


奇しくも私の仕事人生、山あり谷あり
いろいろあったように思いますが。

トータルしてプラスと言えるのではと
思えているのです。

死にそうなメンタルになった時もある
けれども。

その位に頑張ったという自負は人生の
礎なのです。

20代、30代といろいろ頑張って、
40代でその経験、風格みたいなのを
活用できる良い立ち位置の職場に来た
ってことで。

辛い経験も糧となるのです。


糧にしたのです。

糧になるよう努力したのです。

糧になるような努力をしたのです。


「楽」や「ホワイト」だけが良い職場
じゃないよね、ってお話でした。


唐突にHSPのお話。

私なりの理解ですが、HSPってのは
「不快」を感じることが多い気質だと
思っているのです。

特に、人付き合いに関してです。


人の発言の裏を勝手に想像したり。

棘のあるニュアンスを作り出しては、
一人でイライラしたり。

そのくせ、他人のイライラを敏感に
感じ取って。

それを自分のせいと思いこんだり、
相手のイライラを解消させなきゃ、と
ハラハラしたり。

人付き合いで得られるプラスよりも、
HSPによるマイナスの方が大きくて
人付き合いが億劫になるのです。


もちろん人付き合い以外についても。

些細な痛み、疲労が辛かったり。

雑音やむず痒さみたいなのも不快に
なったり。

プラスよりマイナスが。
楽しいより不快が。
勝りやすいのです。


やったら楽しいかも知れないけれど、
同じかそれ以上に不快や面倒と感じる
のが予想されるとしたら。

「だったらやらなくていいや」という
結論になりやすく、HSPは内向的に
なりがちだと思います。


その対極にあるガサツや自閉症な人は
「不快」を感じにくいように想像して
います。

傍から見るとイライラしているように
見えても、感情を隠そうとしていない
だけで、そこまで怒ってないのでは、
と思うようにしています。

あくまで、私が理解している自閉症と
いう症状から思う偏見ですがね。


HSP者は腸煮えくり返るような時も
「怒りを見せてはならない」と何故か
強迫観念レベルで思ってしまい、我慢
してしまうのです。

「怒るべき時に怒れる人」なんて話を
する人もいますが。

怒るべき時なんてないのです。

怒ってまで、怒りを顕にしてまで、
何かを得たいとは思わないから。

怒りを感じさせるような人付き合いを
するよりなら、一生孤独で良いと決意
しているから。


ま、理由は「自分が傍から見て嫌だと
思うような人間に、自分はなるまい」
と考えるからなのですけれどもね。


例えば。

電車の中など、公共の場で化粧をする
女性がいるとたまに聞きますが。

一部の人、赤の他人の目だとしても、
そういう姿を他人に見られる事を恥と
思わない人間になりたくないのです。

私が、そういうことをして平気な人を
「うわぁ恥ずいわぁ」とか思っちゃう
から、そんな風に見られるような事を
してはならないと考えるのです。

男で化粧なんかしませんけれどもね。

あくまで例えばのお話。


排泄物、排泄行為と同じ扱いです。

誰もが持ってるし、誰もが出すけれど
だからといって今ここで出す姿を公開
して何も恥ずかしくないわけがないの
です。


化粧する姿、つまり家で済ましておく
行為をする姿や、不満の感情や気持ち
なんてのは誰もが持っているのです。

だからといって。

それは堂々と見せていいものではない
のです。

見せていい人なんていないのです。


見ず知らずの人間には、尻まるだしで
ウ◯コしてる姿や、ウ◯コそのものを
見られて恥ずかしくないよ、なんて、
ないでしょう?

だったら。

不特定多数相手になら化粧をする姿を
見られて恥ずかしくないなんてないの
です。

内気でキョドって不快な奴相手になら
怒りの感情を見せつけてもいいなんて
ないのです。

文字通りの「腹のウチ」なのです。


また。

どこかの誰かが見せてきたからって、
同じレベルで見せたら、それは自分も
同じレベルに堕ちるだけなのです。

不躾な輩に対しても毅然とした応対。

それが私、それが警備なのです。


ちょっと話がそれました。

余談はこのへんにして、本題です。


なぜ、唐突にこんな話をしたのかと
言うと、最近楽しいと感じることが
減ってきているのです。

生き甲斐がなくなって来てるのです。


辛いことは確かに減りましたが。

楽しいことも減っちゃったのです。


齢を取って、世間に慣れたというか、
擦れたというか。

いい事も悪い事も
「まあこの程度よくある事だわね」
と思えるようになったのかも知れない
のです。


不躾な奴、理不尽な状況、しんどさも
「まあ稀によくあるよねー」
みたいな。

そのかわり。

楽しい事、旨い物、面白い作品も
「なんかどっかでみたわそれー」
みたいな。


また、新しい刺激を求めようとしても
億劫さの方が遥かに勝るのです。

新しい趣味の分野に手を出すとか。

持っている趣味の中で数を多くこなし
発見の場を増やすとか。

そういう活力が湧かないのです。

むしろその趣味の活動に辛さを帯びて
くるのです。


段段と趣味が出来なくなってきた

勿論継続してスマホゲームを少し遊ぶ
程度にやっているのだが

以前程の量を受けつけず、時間を割く
事もできず、楽しいと感じなくなって
くるのだ

そして

「今回イベント今日分消化したか?」

いいえ…いいえ まだ





思えば、ネトゲ趣味は非常に効率的な
ものだったのです。

定期的にイベントあるし。

年齢性別関係なく仲間ができるし。

それぞれの知識やリアルの考え方など
関係なく「そのゲームの話」が共通の
話題になるし。

会話がほとんど続かなくても、一緒に
戦闘していればコミュニケーションに
なるわけだし。

飽きたりリアルの都合で入れ替わりが
あると一期一会で別れられるし。

楽しい趣味だったのです。


ただ、今から全盛期と同じ位の熱量で
ネトゲ趣味に没頭するのは不可能なの
です。

私はメイプルストーリーってネトゲを
結構やっておりまして。

張り合いのない最近の生活に何か活を
と思い、先日数年ぶりにログインした
のですが。

当時のギルメンは誰一人ログインして
いませんでした…

こういう悲しい結果で終わりですね。





それに、当時かなり頑張っていた様で
アイテムリュックの中が、アイテムで
ぎっしりだったのですが。

効果や価値を全然覚えていなかったの
です。

コレ今から思い出して整理して売って
最新環境の装備を集めるとか。

昔はそれが楽しかったんでしょうね。

でも、もう無理なのです。

億劫にも程があるのです。


コミュニケーションツールというか、
スマホで誰かとお話したり遊んだりが
出来るアプリを探したりしました。

ア◯ーバピグみたいな、クエストとか
アイテム集めをしながら、着せ替えを
しつつ他ユーザーと交流するアプリを
いくつかやってみたのですが。

まあ、つまんないよね。


一日二日でコミュニケーションできる
相手が見つかるわけもないし。

作業のようにタップを繰り返すだけを
毎日やるのは虚無だし。

よしんば会話できる相手と出会えても
話す話題がないし。

そもそも、おしゃべりを楽しむ習慣を
持った事がなかったのでした。


ゲームや漫画などしか趣味のなかった
アラフォー独身男性の末路なのです。





だから仕事に打ち込むとか、結婚して
育児するとかした方がいいのですね。

あとは友人を大切にする、とか。

呼べばいつでも酒を酌み交わせる相手
ってのは、人生通して大切なのです。


それ以外に、明確な生き甲斐を持って
生きていける独身男性は少数派なので
しょうね。

身体はメタボるし。
食も細くなるし。
趣味は若い頃のもので固着するし。
肉体的な性欲も減衰するし。
だから異性交友も減っていくし。

相対的に、ジャンクな食や酒が手堅い
愉悦として残っていくのです。

そりゃ独身男性は抜きん出て短命にも
なるのです。


「いのち短かし、恋せぬおとこ」
未婚男性の死亡年齢中央値だけが
異常に低い件
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/afc7fac67c5e9a7cf41f0c1096096c5851c25872





老後のお話。

本ブログのタイトルでもあり、人生の
目標でもあるお話。

早期退職して花鳥風月を愛でる老後を
目指している私なのですが。

空なんざ今でも見れるのです。


今見たって朝焼けや夕暮れを美しいと
思う気持ちはあるのですが。

それだけを生き甲斐に生きられるかと
言ったら…

きっと無理なのです。

3分で飽きるのです。


今、猫ちゃんがいてくれるのはかなり
人生の救いなのです。

暇を見ては吸っているのです。





不幸ではない…はずなのに。

望んでいた生活…のはずなのに。

何かもう少し欲しいのです。


外反母趾や歯痛や関節痛や胃酸過多や
痔や食道炎や眼精疲労といった、年齢
相当の持病はありますし。

ビタミン剤や胃薬や肝臓エキスや整腸
剤やコレステロール薬といった、年齢
相応に常用薬はありますが。

概ね健康、元気といえるのです。


確実にお金も増えてて、困ることなく
不自由なく暮らしていけてるのです。

仕事も前述の通り、望む姿に近い働き
方が出来ているのです。

限りある短い時間とはいえ、自宅では
自分の部屋で猫とふたりきりの自由な
時間を満喫できるのです。


そこまであって、まだものたりないと
言うのです。

人間はワガママなものなのです。

特に私。





今はまだ良いのです。

問題はこれからなのです。


ちょっと人生を分析してみたのよ。


嬉しい楽しい、生き甲斐となることを
「プラス」として。

プラスがなければ耐えられないような
辛いことを「マイナス」として。

差引き「プラス」になったら楽しいね
って風に計算をしてみたのです。

あくまで感覚的ではありますが数値化
してみたのです。


こんなものだろう。






20代まではオタク趣味のみで楽しく
人生送れていました。

30代で本格的に世界レベルの仕事を
垣間見て到底私では太刀打ちできんと
将来を絶望視して心に闇が支配された
のですが。

40代、転職した結果とりあえず闇は
消え去り、ギリでトントン、プラマイ
ゼロな人生を得たのでした。


但し。

それは大きなプラスと大きなマイナス
でのトントンではなく。

小さなマイナスと、それをかろうじて
消化できるプラスを何とか捻出してる
ギリギリ運営のトントンなのです。


これから老人に向かうにあたっては、
親も自分も健康の不安が増える一方、
楽しさを感じる感受性は衰える一方。

他人からのチヤホヤなんて、期待した
事は人生で一度もなかったのですが。

この右肩下がりの人生を楽しくできる
プラスを独りで見つけていかなくては
ならないのです。

右肩下がりのマイナスになっていくと
いうのはほぼ確定で想定できる一方、
プラスの要因は何も見つかっていない
のです。


飲酒は既に飲める量と酔える度合いが
減少傾向です。
健康には良い傾向なのですが、人生の
愉悦とまた一つ疎遠になってしまった
のです。

ギターは前述の通り、練習するだけの
余力、気力、時間が今は捻出できない
のです。

猫ちゃんとイチャイチャするのが今の
かなり大きな支えなのです。


むむむ…

ここから私が「幸せ」になるくらいの
プラスを得るためのグラフを想定して
みるのよ。





こんなかんじ。

つまり思春期にゲームに熱中した位の
強いプラスを、この干からびた初老の
老体で感じていかねば、今後の人生は
「幸せ」とはならない計算なのです。


これはキツイですよ。

 

 



幸せが、遠くなりますよ。


誰にも甘えられない、誰も甘やかして
くれないのが中年なのです。

自分でどうにかしないとなのです。

何かSNSにでも助けを求めたくなる
気持ちもわからんでもないのです。


VRChat、メタクエスト2で再開
して、おしゃべりしてみようか…

おじさんでもVRの世界で初恋をする
ことが出来るらしいですからね…


VRおじさんの初恋
https://www.nhk.jp/p/ts/GXWGM1YQG1/





それと。

グラビティという「やさしいSNS」
なるサービスがあるらしいのですが。


GRAVITY-心友ができる優しいSNS
https://gravity.place/


そこでおしゃべりでもしてみようか…


話したい事がなかったんだった!

そもそも子供部屋おじさんだし猫いる
から、夜に声は出せないし。


おしゃべりってどうやってするんだ?

友達ってどうやって作るんだ!?

幸せってどうやってなるんだ?

自分がやりたい事なんてどうやったら
わかるんだ!?


たっ助けてくれーっ

ヒィィィィィ孤独だよーっ





か、金ならあるんだ!

だから…

心の平穏と身体の健康と親の穏やかな
最期と猫が病気せず生を全うするのと
私が幸せを感じながら80歳程度まで
生きることだけは助けてくれ!