ベン図とオイラー図 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

重なりと内包のお話。

異なる要素を一緒くたに見ちゃダメよ
ってお話。


先日、安楽死についての動画を観たの
でご紹介。


カナダ「安楽死合法化するわ」
→生活保護をもらうより楽に
申請できる国になっていた…
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43278052


概要。

・カナダでは2016年に安楽死が合法化
 されて以降安楽死希望者が急増した

・当時は終末期の患者限定であったが
 施行5年で対象を拡大した結果、
 2021年の死者数の3.3%が安楽死に
 よるものとなった
 なお多い州では5%超えであった

・安楽死死者の多くはがん患者だが、
 障害ある新生児への安楽死提案や、
 認知症などで意思表示が困難となる
 ことが予想される場合は事前準備で
 安楽死可能とする法案が提出され、
 安楽死は加速する方向である

・カナダの安楽死は政府発案ではなく
 最高裁が憲法に基づき、死ぬことも
 個人の権利と考えたために生まれた
 もの

・最近では生活保護より安楽死の方が
 申請が簡単になってしまった

・1つの事例、ある女性は化学物質に
 反応する症状があり、同アパートに
 住む住民のタバコの煙で症状が悪化
 したため、安全な住まいを探そうと
 訴えていたが叶わず、安楽死申請を
 したら通ってしまい、2022年に死去

・カナダ国内でも議論を呼んでおり、
 安楽死は安直な解決、必要なのは
 支援であると社会に認識してほしい
 と考える医師がいる一方、希望患者
 からの要望を簡単に承認する医師も
 いる


ですって。

みなさまのごいけん(要約)。


・制度があっても使う予定はないが、
 ある事で安心感はあると思う
 乱用は良くないが、延命も苦しいと
 いう時もある

・日本で実装したら歳取ったら安楽死
 しないと迷惑という考えになりそう

・安楽死は賛成だが、厄介者に対する
 圧力になりかねない

・「鬱っぽいからやりたい」レベルの
 ものなら反対だ、議論やコメントを
 見る限りそのレベルの考えのようだ

・安楽死制度が望ましい派ではあるが
 自分の大切な人が「安楽死したい」
 と言ったら尊重できるかわからない

・老人よりも、人生詰んだと思ってる
 だけの若者の減少が加速しそう

・死ぬ権利があると医者が儲からない
 から日本では無理

・認知症の祖父見てたらこうなる前に
 死にたいと思った

・こっわ。コレ意志に反して執行され
 てる人いるやろ

・日本でやったら多分労働者人口激減

・プラン75やん


映画.com PLAN 75
https://eiga.com/movie/96517/





こんなものだろう。


個人的な意見として、

・死にたい人
・終末期の人

を一緒くたにしてはならないと考えて
いるのです。


この説明のためお勉強のお時間を拝借
したいのです。

ベン図オイラー図という考え方です。


ベン図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E5%9B%B3





オイラー図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%9B%B3





両者を比較して、わかりやすく説明を
してくれている記事がありましたので
ご紹介。


数値データを扱うだけが
チャートではない!
「ベン図/オイラー図」と
「フローチャート」を使いこなす。
https://sp-jp.fujifilm.com/future-clip/visualization/vol25.html


記事の図を拝借して、私なりの解説。


ベン図は、複数の条件の「重なり」を
示します。





「犬好き」という条件P。
「猫好き」という条件Q。
これらの条件は全く関係ありません。

しかし、両条件と「重なって」合致と
なる条件「犬も猫も好き」はあり得る
のです。


「犬だけが好き」「猫だけが好き」。
これら同士は関わることのない単独の
条件として考えるべきなのです。

「犬は好きだけど猫は大嫌い!」
という条件も当然あるわけで。

「犬が好きなら猫も好きなんでしょ」
と決めつけるのはダメなのです。


動物好き、ペット好きという意味では
どっちも好きという場合は少なくない
とは思われますが。

重なる場合もあるってだけです。

基本は「別物」なのです。
一緒くたには出来ないのです。


私もどっちも派です。

ま、私のエネルギー的に、犬のように
常にパワフルでアクティブで自己主張
してくるタイプよりも。

基本は勝手に暮らしてて、気が向いた
時だけ膝やスネに寝に来る猫ちゃんの
方が合っているとは思いますがね。

…私のことはどうでもいいか。

余談でした。


このベン図に対して。

オイラー図は複数の条件の「内包」を
示します。





「東京」は関東に含まれ、
「関東」は日本に含まれ、
「日本」はアジアに含まれる。
これらの条件は関わるのです。

「東京だが日本じゃない」というのは
あり得ないわけです。

東京は日本に内包されているわけです
からね。


でも「日本だから東京」は必ずしも
正しくはないのです。

東京は日本に内包される条件のうちの
1つでしかないのです。

北海道も沖縄も、東京と同じく日本に
含まれるという条件ではありますが、
当然イコールではありませんよね。


「同じ日本じゃないか」って気持ち、
もちろんある場合もあるでしょうが。

母集団が同じってだけで、重なる事は
ないのです。

基本は「別物」なのです。
一緒くたには出来ないのです。


こんな考え方。

話を安楽死に戻します。


改めて、

・死にたい人
・終末期の人

を一緒くたにしてはならないと考えて
いるのです。

これはベン図の考え方です。





死にたい人がいて。
終末期の人がいる。

で、両条件が重なる、終末期が辛くて
死にたい人がいるのです。


その人には安楽死を適用させてあげて
良いとは思うのですが。

そうじゃなく、ただ何となくだったり
少し人生つまづいたりモラトリアムを
こじらせた程度の死にたい人が安易に
死という形で命から逃避するのを推奨
したくはないのです。


私がそうでしたから。

闇の心の時代、どれだけ安楽死制度が
あったら救われたことか。

どれだけ安楽死を望んだことか。


でも、安楽死制度があったら。

おそらく私は、死を選択したであろう
から。

今、こうして楽しい毎日の人生を謳歌
することも出来なかったのです。

「今辛いから」でポイポイ死ねるのは
乗り越えられるかも知れないという、
未来の可能性を摘む事になるのです。


乗り越えようとする気持ちを強く持つ
気力を削ぐことにもなるのです。

死ぬか、乗り越えるか。

どちらかしかないけど、死ぬのは死ぬ
ほど苦しかったのです。

死にたいと思っても死ねなかったので
しょうがなく乗り越える方向にシフト
したのです。

死ぬ方のハードルが低ければそっちを
選んでしまっていたのです。


あと、死にたくない終末期の人もいる
でしょうから。

その方に対しての
「早く死ねよ」
「何で安楽死を選ばねぇんだよ」
的な圧力は、絶対発生するのです。

本人も
「そろそろ安楽死しないといけない」
と思いこんでしまったりとかね。


あるいは
「どうせ安楽死しろと思ってるだろ」
と家族を疑ったりとか。

そんな患者に対して、家族も
「本当に安楽死しろなんて思ってない
のに、疑われるなんて…」
と悩んだりとか。

今際の際を穢す制度になりかねないの
です。


言い方に語弊があるかも知れませんが
「本当に死ねばいいレベルの人間」は
おそらく安楽死の制度を使わないかと
思うのです。

「死んでたまるか」ってな感じでね。

逆に、こういう人こそ福祉で救わねば
ならないって人ほど、安楽死の制度を
使うと思うのです。

「迷惑にならない内にね」と考えて。


生活保護の制度もそうですよね。

こういう人は救われて欲しいって人が
救われないでいるのに。

不正受給でギャンブルやるような輩は
いつまでもたかっているのです。


どうしても自立して生きられないって
人のためにある制度であっても。

苦労すんのが面倒くせぇ程度の考えの
輩に悪用される懸念があるのです。

既に実在する生活保護制度がこの有様
ですから。


生きるのが面倒くせぇから死んどくか
程度で選ばれる懸念があるのです。

活かすのが面倒くせぇから殺しとくか
程度で選ばされる懸念があるのです。


選択肢が、制度があるってのは、存外
恐ろしいことなのです。

安易で逃避で非建設的で楽な選択。

それがありながら、それを否定し続け
困難な道を生き続けるのは、辛いこと
なのです。

よく「本当に辛い時はそれを選べると
いうだけで支えになる」的な考え方も
見かけるのですがね。


ちょっと余談というか紹介。

似たお話をされてた方がいたのです。


「酒飲み暴力親父の血が自分にも
流れてて辛い」という相談への、
バキバキ童貞ぐんぴぃさんの回答が
名文すぎる
https://togetter.com/li/2292627


要約。


・父親がアル中で暴れる人間だが、
 自分も暴言を吐いたりイライラして
 しまい、心のどこかで暴れたりして
 人をめちゃくちゃにしてやりたいと
 思う自分がいる気がして将来が不安
 というお悩み相談が投稿された

・それに対する回答。
 父親の殴る暴れるという振る舞いを
 見て育つとその選択肢が脳内に存在
 してしまう。
 自分も親からそういう教育を受けて
 きて、キレた時に殴るの選択肢が
 脳裏をよぎるが、絶対に選ばない。
 その選択肢を覚えてしまっただけで
 あなたに暴力的な素質があるのでは
 ないし、その選択肢を避ける優しさ
 冷静さを持っているとも言える。


ですって。

みなさまの感想もいろいろありますが
本日は割愛。

興味ある方はURLをコピペして見に
行って本文をご確認下さい。


あと、ちょっと話がそれますがとある
問答をご紹介。

元ネタを拾えなかったので、個人名は
出さないようにします。


とある政治家が
「なぜ人を殺してはならないのか」
という質問に対し、
「容認すると社会が成り立たない」
みたいな回答をしていたと記憶して
いるのです。

聞いた時はいまいちピンとこなかった
のですが、意図を想像してみると。

政治や制度ってのはつまるところ命を
持続させるためにあると言ってよいの
です。


憲法第25条にある
「健康で文化的な最低限度の生活」
の営みの持続ですね。

だから、これを他人によって一方的に
害されるようなこと、つまり殺人は、
憲法違反なわけです。

ある種、安楽死は自殺ほう助になるの
です。

人の死や自殺は、社会や命の持続とは
真逆の行為であり、それを政治が容認
するわけにはいかないのです。

人の死や自殺を推進するような制度は
社会や命の縮小を推進させるのと同義
なのです。

余談おわり。


私はこういうのを「ガラガラポン」と
呼んでいます。

「白紙に戻す」「仕切り直す」という
意味で使われるおじさん的なビジネス
用語です。


ガラガラポンって何?
ビジネスシーンで使われる
本当の意味と語源について
https://mamaworks.jp/column/?p=7902


今のままで、前に進むのが辛いから、
やめる、なくす、捨てる、死ぬ…

安易で逃避で非建設的で楽な選択を、
私は「ガラガラポン」と呼ぶのです。


前の職場でもありました。

難しかったり進捗の遅い仕事があると
二言目には
「やんなきゃよかった」
「やめればいい」
というようなことを言う年配者がいた
のです。


若手の私が頑張って少しでも進めよう
としているのに。

私の決断で止められるならすぐにでも
そうするっていうのに。

会社全体の仕事なんだからやんなきゃ
いけないのに。

本当にそう思うんなら上の人間がいる
時にも同じことを言えってのに。

ベテランが何の助言もなく、私にだけ
グチグチと捨て鉢な話をするのです。


…あっと、また余談になりましたな。
余談が余談を生んだのです。


余談のまとめをすると。

イラついたから殴る、とか。
ムカついたから殺す、とか。
働きたくないから生活保護、とか。
面倒な仕事だからやらない、とか。
なんか辛いだから安楽死、とか。

何らかの困難に対し、そんな短絡的で
非建設的な決断は、社会として推奨を
するわけにはいかんのです。

面倒な難しい問題をガラガラポン、と
なかったことにして解決とするのは、
社会では選択してはならないのです。


どうやってその困難を乗り越えるか。
社会を、生活を、命を持続させるか。

そう考えるのが政治だから、おそらく
安楽死制度は認められなさそうだね…

という余談でした。


本当にキッチリと、
「死にたい人」
「終末期の人」
「終末期が辛くて死にたい人」
を分けることが出来て。

安易に死にたい人は死なずに生かし、
終末期でも生きたい人は生きられて、
終末期が辛くて死にたい人だけ安楽死
させられる手段があるのなら。

それは良いことだとは思いますがね。


人はなかなか、そうキッチリと思えん
ものなのです。

オイラー図のように、内包する条件を
別個のものとして分けて見られれば
いいのですが。

ベン図のように、異なる条件に重なる
部分を見出しては同一視してしまう
ものなのです。


先日も似たお話をしていました。


君だけのbig tree
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12836724714.html


有名人に不祥事があると、その人の
過去の作品まで良くないもののように
思えてしまうのです。

その人の人間性と、作品。
キッチリ区別は出来ないのです。


本来は区別すべきなのです。

区別すべきというよりは、一緒くたに
しちゃダメだって言うのが本日の結論
なのです。





例えば、その人の作品を褒めた時に、
「えー、でもその人悪い事したし…」
みたいな話をするような輩です。

この作品はいいよね、って話をしてる
のに、作者の人間性を持ち出し作品を
褒めることを否定するような考え方を
示すのはダメなのです。


逆も然り。

その人の振る舞いが理不尽で社会的に
批判されているような場合。

作品の出来を理由にその行為を正当化
するような考え方はダメなのです。


本人の見た目も同様ですね。

格好いい人の作品だから褒めたり。
格好いい人だから人間性が破綻しても
信頼したり。

逆に、いい作品でも作者が格好わるい
人だからと貶したり。
キチンとした考えを持たれている方で
あっても、本人の見た目でなんとなく
見下したり。

そういう別要素を一緒くたにして見て
関係ない要素の評価に影響させるのは
ダメなことと知るべしなのです。


人を一人救えば人を一人殺していい、
なんて理屈は有り得ないのです。

善の要素と悪の要素は区別すべきなの
です。


どこを悪いと言っているか。
どこを良いと言っているか。

そこを履き違えてはダメなのです。


ここから言い訳タイムです。

本日なぜこんなことを書こうと思った
のかというと、安楽死に関する記事を
見たのもあるのですが。

前回のブログの記述に語弊が生じてる
のではないかと危惧したからでもある
のです。


16万!?うせやろ?
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12837741203.html


私は前回のブログ…のみならず。

とある属性の方を悪く書くような事が
ありました。

改めて、どういう輩を悪く言ったのか
前回のおさらいです。


漫画家を目指しておきながら、漫画を
描かない理由を自分以外に見出しては
自身を正当化しようとする輩。





ダイエットをしておきながら、食べて
しまう自分を被害者の様にいいながら
太りにくい人をズル扱いする輩。





実らぬ片思いを、振り向いてくれない
相手がおかしいと決めつけ凶行に走る
精神異常者。





ちょっと余談。

本記事の執筆時点でのエフ氏の動画の
最新作が、本事件が元ネタと思われた
ので、ご紹介。


僕が一番御社のことを理解している
【1/2】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43304845


Vtuberにのめり込み相思相愛であると
思い込んだ結果、爆発物を身につけて
本人を出せと会社に乗り込んだ学生の
物語です。

観てたら頭おかしなるで。

余談おわり。


ひきこもった事を親や環境のせいだと
考えたり、満足いく支援が得られない
事を社会や政治家のせいにして。

自分は何一つ加点される行動を成して
ないにも関わらず、周囲はどんどんと
上から目線のダメ出し減点して。

自分がそこから健常者になろうとせず
被害者のように振る舞うひきこもりや
不登校などの輩。





環境でひきこもりになっただと?
ちがうねッ!!

他責思考の時点でこいつはゲロ以下の
クズなのです。





だが、生まれついてのクズなど居ない
のです。

クズのように生まれ育ち、今もクズの
様な環境で、クズの様な扱いを受け、
クズの様に生活していても。

不完全でも、底辺でも、0点でも。
弱者でも、障害者でも、童貞でも。

自立して生きている人はいるのです。


たとえ、そんな人間であっても。
たとえ、ひきこもり風情から無能扱い
されたとしても。

社会に出て、お賃金を貰って。

そのお金で家族や知り合いとおいしい
ものを食べたりできていれば。

それは立派な人間なのです。

ひきこもりに比べたら、無限倍です。


一円も稼がないどころか周囲の負担、
身内の恥、社会の問題に成り果てて、
それでなお自身は被害者とのたまう、
価値ゼロの輩に比べたら。

何倍したって足りないのです。


価値ゼロのひきこもりに甘んじたその
他責思考の精神がゲロなのです。

自分が頑張らねばならないと思わずに
今の今までも立ち上がらなかったその
他責思考の精神がゲロなのです。

環境や他人のせいにし続けているその
他責思考の精神がゲロなのです。


文章は割愛しますが、前回記事で記述
した残りの項目についてのベン図を
残しておきます。



 

 

ここまで来れば、おわかりですね?

私がボコボコにしているのが何か。


漫画家志望ではありません。
私も元同人活動屋ですから。

ダイエット挑戦者ではありません。
私もメタボですから。

片思いをする者ではありません。
恋はいいものですから。

ひきこもりではありません。
私もかろうじて労働しているだけで、
性根はひきこもり…というか、働いて
いる事以外はひきこもりですから。
仕事から帰っては子供部屋で酒のんで
猫と寝て動画みてスマホゲーをしてる
だけの人生ですからね。

未熟な新米社員ではありません。
私も二十歳くらいのおこちゃまだった
時代はそんなもん、それ以下だったと
思いますから。

婚活おばさんではありません。
どちらかといえば婚活おじさんの方が
不甲斐ないのが多い気がしますし。

人生で迷っている人ではありません。
迷わない人生なんてそうそうないもの
なのです。


甘えた他責思考なのです。

他責思考の部分を殴っているのです。

ベン図の右側を殴っているのです。


たまたま共通部分をダシにして記事に
しているだけであって。

全体を殴っているのではないのです。

ましてや、ベン図の左側の事はむしろ
認めているというか私も同類と思って
いるのです。


そして、なぜ他責思考を殴っているの
かと言えば…

他人の事などどうでもいいのです。





他責思考を持つ、憎むべきものとは、
私なのです。













 

私も若い頃は

「社会が悪い」
「上司のせい」
「誰も何もしてくれない」
「私は悪くない」

と、他責の考えをしていたのでした。

自分が人より劣っている部分について
何かのせいにしたり、誰かに補って
貰おうとしたり、それが叶わない事も
誰かのせいにして、自分は悪くないと
思っていたのでした。


社会人をそれなりに経験して、世の中
そうそう自分のために誰かが難儀して
くれやしないと知った今は

「自分が頑張ろう」
「自分でどうにかするようにしよう」
「自分が出来る所までで満足しよう」

と思い続けているのですが。


ふと気を許すと、怠惰な方向に流れて
いきそうになるのです。

楽な道があるのなら、そちらを選んで
しまいそうになるのです。


ひきこもりとの違いが仕事している点
くらいしかないおじさんなのです。

お金が許されるなら、仕事辞めたいと
常日頃から思っているのです。

ブログタイトルは体を表す。


でもそうすると、本当に怠惰な人間に
なってしまうのです。

食べて寝るだけの人生になってしまう
のです。

先日引用させてもらった、ひきこもり
支援者の言葉が脳裏をよぎるのです。


有害な救済Ⅰ~
理解のないままの支援が長期化を招く
https://mbp-japan.com/fukuoka/earth-family/column/5101062/


・自覚できているのは、食欲や睡眠欲
 くらいでしょう。


そうなのです。

読書や勉強に興味がなく。
というか人間やメディアやスポーツや
文化や歴史やその他現代社会における
ありとあらゆるものに興味がなく。

仕事以外の人との交流がなく。
というか仕事でも業務内容以外に話す
事も考える事も交流もしたくなく。

もし、健康的に生きて死ぬとしたらの
このあと数十年。

義務が全くなく、過剰な娯楽に散財を
しなければお金の心配もなくなったと
して。

思う存分の時間とお金があった場合。

私は何をするだろうか。


答えは『何もしない』…





一番したいことが「何もしない」なの
です。





食べて寝るだけの人生になってしまう
のです。

最後に残るは食欲と睡眠欲なのです。


猫のような人生になるのです。

猫といっしょに猫のような人生を送る
のです。





無論それは最強の理想ではありますが
ずっと今と同じメンタルとヘルスで
そんな生活が出来る訳がないのです。





きっと、いや、ぜったい。

社会との関わりを継続できなかった
自分を責めたり。

関わりを断ちたいと思わせた社会を
逆恨みしたり。

社交的に人生をエンジョイしている
人間に対し妬みを持ったり。

家族親戚に対し卑屈になったり。

辛いことに耐えたり、自分に出来る
こと以上を目指したり、自分に出来る
ことを今以上に伸ばしたりする精神を
失ったり。

体が訛り、鈍り、免疫が低下したり。

代謝が低下して食欲も低下したり。

お金に対しての不安がよぎったり。


そういうネガティブが心を支配して
いくであろう事が、容易に想像できる
のです。


そのネガティブに耐えきれない時、
きっと私は、責任を自分以外の何かに
押し付けると思うのです。

悪い例として叩き続けた、他責思考の
ひきこもりと同類となるのです。


金を失うが、よいな?





自信を失うぞ。
よいのだな?





健康を害してもよいのだな?





暗闇の中に生きることをお前は望むの
か?

プライドをつぶすぞ。
よいな?





いいわけねえだろ!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!


何を貴様、節約で小銭を貯めただけの
子供部屋おじさんの独身童貞四十代!

何がアーリーリタイヤだ!!
弱者男性が奇麗事ぬかすな!!!





命を賭けて契約先を警備する仕事を…

辞めておめェら、明日飲む酒が美味ェ
かよ!!!





ということで、叩いていたのは。

身を滅ぼしかねないと想像出来ている
のに、ともすれば無職のひきこもりの
身分に甘んじて残りの人生を無気力で
無為な生き様でやりすごしかねない、
自分の内に眠る甘えの事であり。

甘えを甘えと気づかず当然に感じてた
未熟なくせに他責思考の若い頃の自分
だったのでした。

そうなってはならないと厳しく戒める
ことを、明日の仕事を耐える力に変え
またお客様を守護りにいくのです。


おわり。


P.S.
 かなり前に同じ話をした記憶がある
 のですが、もういちど。
(元ネタ拾えなかったので曖昧です)

 心理テスト。

 川を隔てて交際している男女。

 男を便宜上、男Aとします。

 女が男Aに会いに行こうとしたが、
 男Bが権力を乱用して、橋に関税を
 かけたため、女が通れなくなった。

 それを見かけた男Cが一回性行為を
 してくれたら自分の船で渡してやる
 と言い、女はしぶしぶ承諾。

 それを知った、以前に女にフラレた
 事のある男Dは憂さ晴らしで男Aに
 告げ口。

 それを聞いた男Aは女を不貞と罵り
 女をフッた。

 傷心の女をこれ幸いと拾うように、
 男Eが慰めて手に入れた。

 みたいなお話。


 このお話の中で誰が一番悪い男か、
 という心理テスト。

 金か、権力か、情欲か、嫉妬か、
 自分の為の行為を無下にする事か、
 弱みにつけ込むような行為か…


 その「悪い」と思うポイントは、
 本当は自分がやりたいこと、または
 やりたいけど悪いことと思って強く
 我慢していることであるのよ…

 みたいなお話。


 ひきこもる心や、ひきこもりの輩を
 苛烈に叩いてしまうのは。

 本心ではひきこもりたいという私の
 願いを表しているのかも、ですね。

 ただノホホンとひきこもる事なんて
 叶わないのにひきこもれている輩を
 羨む気持ちがあり、ひきこもる心を
 叩くのはその裏返し…

 なのかも、知れませんね。