自己責任論の裏側 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

自己責任論に関係しそうなお話。


過去の自己責任回はこのあたり。


自己責任論おまけ
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12732884142.html?frm=theme


自己責任論おまけ2
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12735287195.html?frm=theme


詐欺は自己責任ですか?
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12122016786.html


詐欺は自己責任ですか?2
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12748614885.html?frm=theme


私はよく「世の中は自己責任」とこの
ブログ内で書いています。

上述の通り、それに関する記事も複数
ありました。

今回のお話も自己責任に関係するもの
なのですが、ほか記事とのつながりは
ありません。

以前の記事は見なくていいよ!


私の自己責任の考え方と深く関係して
いそうなお話を見かけたのでご紹介。

「公正世界仮説」と言う考え方がある
らしいのです。





【公正世界仮説とは】
その意味をいじめ・努力の具体例から
解説
https://liberal-arts-guide.com/just-world-hypothesis/


概要&引用ここから。


・公正世界仮説
(just-world hypothesis)とは
 良いことをした人には良い結果が、
 悪い事をした人には悪い結果が
 もたらされる、と考える心理的
 バイアスのことです。


・基本的な考え方として、次の3つが
 あります。

 1.この世界は平等で安全な、
   公正な場所であること

 2.人間は平等で公正な世界で
   生きているため、その人に
   相応しい成果を必ず手にする
   ことができること

 3.未来を自分の行動によって
   コントロールできる存在と
   捉えること


・公正世界仮説に基づくとこの世界は

 正義は必ず勝つ
 悪事は暴かれる
 努力は報われる
 悪いことをした人には災厄が訪れる

 世界であり、正しいことは必ず
 正しいと証明される公正な世界です


・人間が自然と抱く不透明な未来への
 恐怖心を克服するために打ちたてら
 れた仮説が「公正世界仮説」です。

 つまり、公正世界仮説によって、
 人間の行いに対する公正な結果を
 信じることで、人間は必要以上の
 警戒をせずに生きることができる
 ようになるといった心理的効果が
 あるとされています。


・公正世界仮説的にいえば、
 悪い行いはその人の行動に原因が
 あると解釈されます。

 たとえば、交通事故を起こして
 しまった人がいたとします。
 この場合は、

 事故の原因が、運転手のスピード
 超過や前方不注意等に還元される

 運転者のミスによって交通事故と
 いう悪いことが起こったとされる

 そのため、運転者が十分に気を
 付けていても事故にあってしまう
 リスクは検討されにくい

 という考え方がされます。


引用ここまで。


こちらを解説されている動画もあるの
で、あわせてご紹介。





【解説】世界は平等にできている
【ずんだもんの心理学】公正世界理論
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40983674


茶番ふくめて面白いので、本編を視聴
されることをおすすめします。

以下概要はあくまで私の理解した趣旨
のみをまとめたものです。


概要ここから。


・女子学生が夜中に不審な男性に声を
 かけられたような場合に、私が遅い
 時間に一人で出歩いたのが悪いのだ
 というような、悪い事が起こるのは
 悪い事をしたからだ、と考える事は
 人間の誤謬のひとつである


・老人に優しくしたり、努力したりと
 良い行いをしたら幸せになる

 動物をいじめたり、怠惰にしたりと
 悪い行いをしたら不幸になる

 そういう考え方が「公正世界理論」
 である

 これは「世界は公正にできている」
 という勘違いではない
 現実の世界は公正ではないのに、
 人間は世界は公正であると信じて
 しまうことで、これは怖いことだ


・善い行いをすれば善い結果となる、
 これを真とするならば、善い結果が
 得られないなら善い行いをしてない
 となり、障害や貧困はその者が善い
 行いをしていないのが理由とされて
 しまう

 悪い行いをすれば悪い結果となる、
 これも同様で、悪い結果が得られな
 ければ悪い行いをしてないとなり、
 犯罪者も捕まらなければ悪い行いを
 してないという理屈になる


・頭では「こんな世界ではない」とは
 理解していても世界は公正であると
 信じてしまう事を「公正世界信念」
 と言う


・アメリカの黒人の刑務所収容率は、
 人口比率を考慮すれば白人の5倍も
 ある

 白人なら刑務所収容とならない罪も
 黒人なら収容となるような不公平が
 起きている可能性があるが、黒人の
 方が悪い事をすると公正世界信念に
 より解釈されてしまい、黒人は白人
 より野蛮であるとの偏見を助長する

 無論これの真偽は定かではないが、
 このデータの方が誤っているとか、
 黒人が不当な扱いを受けているとの
 不公平が世の中であると思うより、
 黒人が不遇なのは黒人が悪い奴らで
 あるからだ、と考えてしまう


・これは病気を持つ者にも当てはまり
 糖尿病=本人の不摂生、太っている
 =自分に甘い、依存症=だらしない
 といった様に、本人以外が原因で
 あるとは考えないようになる


・いじめも同様で、いじめを目撃した
 者がいじめられている者が変だとか
 仕事ができないから仕方ないんだと
 考えてしまう

 ここで実際の仕事の出来具合は関係
 なく、一方的ないじめという不公平
 な状態を納得させるため、いじめら
 れている奴は仕事ができない事に
 しておこう、という判断をするよう
 にすらなる(理由のでっちあげ)


・例えば「努力が必ず報われる世界」
 と「努力が報われる事もある世界」
 なら、前者の方が公正で安心できる
 世界である

 しかし現実は公正ではなく、そんな
 世界は悲しく不快である

 人間はその不快感を解消するために
 公正でない事に納得できる理由を
 こじつける

 黒人の有罪が多いのは黒人が犯罪を
 多くしているからで、難病に苦しむ
 人は本人の怠惰が原因で、いじめは
 いじめられてる側にも責任がある、
 そう思えば世界は公正であると納得
 できるのである

 世界にいる可哀想な人を自業自得と
 してしまえば、可哀想な人はいなく
 なるし、不快は紛れる

 悪いことをしていない自分には悪い
 ことは起きないだろう、と安心する
 ことができる


・冒頭の話に戻り、夜中に男性に声を
 かけられた件について、事件に巻き
 込まれないため用心するのは大事だ
 が、事件に巻き込まれかけた原因を
 用心しなかったせいにするのは合理
 的ではない


概要ここまで。


なるほどねー、なのです。


私が自己責任、自業自得、因果応報と
言いたがる心理はこれが理由のように
思われます。


私がいい会社に入れたのは、ラッキー
だけではなく、自分が勉強を頑張った
からなのだ、と思いたいのです。

そうすれば、私だけズルしたり楽して
今の生活を手に入れたのではなく。

公正な世界で努力を重ね競争に勝った
からであり、正当な報酬として幸せを
享受できるのだ、と思えるのです。


逆に、いい仕事に就けなかったり、
お金に苦労している人間は、本人の
怠惰が原因だ、と思いたいのです。

スタートは平等で対等な状態であり、
そいつが真摯で健全にお金を稼ごうと
しなかったから、今貧乏であったり、
リスクや危険がある安定しない仕事を
しなければならない事態にあるのだ、
と思いたいのです。


詐欺に遭ったり、ギャンブルや投資で
失敗するなどしてお金に苦しむ奴も、
楽をして、他人の力で稼ごうとなど、
悪い事を考えたから悪い結果になった
のだ、と思いたいのです。

勉強を頑張り、節約を頑張り、贅沢を
せず、自助努力をして、お金に対して
謙虚で善い行いを続けている私が、
今後お金に困るような悪い事が起こる
わけがないと思いたいのです。

そんな私にお金の不幸が起こる様な、
そんな不公平、不公正な世界ではない
と思いたいのです。





合わせてもう1つ同じ投稿者の動画を
ご紹介。





なぜ他人の不幸はおいしいのか
【ずんだもん】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42823234


概要ここから。


・有名人の結婚のニュースに対し誹謗
 中傷の書き込みをする人間がいるが
 それは当たり前、通常の脳の状態と
 言える


・人は自分が属する(と感じている)
 グループが得をすればいいと考える
 傾向がある

 例えば貿易では自分の財布や会社の
 事でなくても、日本に得になる様な
 状態だと安心する

 ただ、それは回り回って自分の得に
 なり得る事だが、そういう合理性が
 ないとしても感じる事なのだそうだ


・例えば、過去の日本で鎖国が開けた
 際、金が日本から外国に多く持って
 いかれたのだが、それに対して何か
 嫌な気持ちになってしまう

 それは合理的ではないが、自分の
 いる日本の損となる事が起こったと
 感じてしまう


・とある実験がある

 子供に対し、自分と別の子がアメを
 貰う際、自分で条件が選べる場合、
 自分が1個、別の子が2個となるか
 二人とも0個になるかを選べるなら
 後者を選ぶ確率が高かったらしい

 別の子の方が得をするよりなら、
 自分がゼロになった方がマシ、と、
 幼い子でも考えるようなのだ


・人間は相対的な優位性に執着をする
 傾向があると言える

 「他の人」より「自分たち」を良い
 境遇に置きたがる


・冒頭の話に戻り、ネット等で他人が
 幸せになったという情報を見ると、
 怒りを感じるとしても仕方がない

 これは自分の損得に関わらずなのだ


・人間の脳は自分が得をすると活発に
 なる領域と、損をすると活発になる
 領域がある

 この領域は、損得だけでなく優劣の
 比較によっても活発化する

 自分より裕福・美人・有名のように
 優れた者を見ると、損をすると活発
 になる領域が反応を示す

 逆に自分より恵まれない者を見ると
 得をすると活発になる領域が反応を
 示す


・言い換えると、脳はお金を貰う事と
 自分より劣った人を見る事の区別が
 つかない

 つまり、人間の脳にとって、他人が
 幸せになる、自分より優位になると
 いうのはお金を失うのと同じような
 反応を示す

 結婚できる人間は優れていると思う
 人間にとって(自分が幸せな結婚が
 叶っていないグループ側だとして、
 別グループ側である)他人の幸せな
 結婚は金をドブに捨てるのと同様の
 不快感があるはず

 だから相手を劣っている立場にする
 ため、あら探しや誹謗中傷といった
 攻撃的なふるまいを見せる


概要ここまで。


なるほどねー、なのです。


先ほど詐欺や投資やギャンブルで失敗
した者を自業自得と思うお話をしたの
ですが。

じゃあ成功した方を見たらどう思うか
なのですが…


「アレは運が良かっただけの存在だ」
「物の幸せしか見られない愚か者だ」
そんな感じかと思います。


例えば、仮想通貨や株などでたまたま
大金持ちになった奴とか。

親の遺産とか宝くじとかで何億貰えた
みたいな奴が該当しますかね。

そこまでいかずとも、新商品みたいな
ものに飛びついてキャッキャと出来て
散財する程度の金持ちも、物の幸せを
優先する側に含めて。


彼らは「楽して稼ぎたいグループ」で
すらなく、「人生勝ち組グループ」と
みなすのです。

もう私の負け以外ないわね、と言える
ほど、勝ちたいと微塵と思わないほど
特別製として別のグループに入れるの
です。


この理論の最強なところは、楽したり
強運を発揮して金持ちになった相手を
見た場合には、

「アレは私には手の届かぬ成功者だ」
「金しか幸せのない奴らよ」
「どうせ金で繋がる人脈しかないぜ」

と思い、彼らに貧しい心を創り出し、
それと自分の心を比較をするのです。





逆に、楽しようとした結果損を被った
者を相手と見たら、先のとおり、

「ホラホラ自業自得ぞ俺の勝ちぞ」
「成功者なんか目指すからだ」
「楽するためには苦労するんだよ」

と意気揚々と金で比較するのです。


勝てる所での比較しかしないから、
いつでも私が上なのです。

勝てる相手がいたのなら、喜び勇んで
勝ちを拾いに行くのです。





更にもうひとつ動画のご紹介。





【解説】
W杯で選手や監督にキレる
サッカーファン
【ずんだもんの心理学】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41501742


概要ここから。


・世界サッカーで日本を応援するが、
 負けた途端選手監督を誹謗したり、
 こうするべきだったとたらればを
 言ったりして選手監督を無能扱い
 する姿は滑稽であり、人間の誤謬が
 いくつも含まれている


・自分の所属する集団によって自己を
 認識することがある
 性別、年齢、国、勤め先、趣味など
 さまざまなもので「集団」を認識
 し、これを社会的アイデンティティ
 という

 自分のアイデンティティである事を
 褒められるのは強い肯定になる
 日本人がアイデンティティの人は、
 日本が褒められると自分も嬉しいと
 感じるし、だめじゃない若者でも
 最近の若者はだめだと言われると
 なんだか不快な気分になる

 だから、サッカー選手ではなくても
 日本のサッカーチームが勝つことは
 自分の所属集団が評価されているの
 と同じく嬉しく感じる場合がある


・ならば普通は日本のサッカー選手を
 勝っても負けても応援するはずだが
 なぜ負けた途端に攻撃的になる者が
 いるのだろうか

 社会的アイデンティティに満足でき
 ない者の行動は大きく3つに分けら
 れる

 1つ目は社会変動
 自分の所属する集団をよくするため
 働きかけること
 女性の立場向上のために活動をする
 フェミニストなど 

 2つ目は社会移動
 田舎が嫌だから都会にいくなど

 3つ目は創造的反応
 自分の集団は酷いけど、もっと悪い
 例もある、と心理的に逃避すること
 ブラック企業務めがもっと酷い他社
 よりはマシと思い務め続けるなど


・3つ目は最悪で、自分で労働環境を
 改善する社会変動はできないし、
 とはいえ退職という社会移動をして
 今の収入を手放すのも不安だから、
 自分たちよりも悪い存在を創造して
 心を防衛している

 実際の状況は何も変わっていない

 他の人も苦しいから自分も苦しくて
 仕方ないという思考は破綻した理屈

 それでも納得するほどにストレスに
 より思考力が鈍っている状態で選択
 される手段である


・悪化すると「昔はもっと酷かった」
 と時代感も支離滅裂になる

 これは理屈が破綻してるだけでなく
 昔は酷かったのも妄想である可能性
 も出てくる

 この理屈で心を守ろうとするのは、
 こんな理屈にすがらないといけない
 ほどアイデンティティが危険である
 証拠である


・社会的アイデンティティに絶望した
 人は、このように創造性を働かせて
 心を守ろうとするが、一部の人間は
 攻撃的なふるまいを示す

 自分のアイデンティティとしている
 集団をさらに分割して外集団を創り
 出し、見下すようになる

 例えば同じブラック企業の中にでも
 仕事の出来不出来など自分の裁量で
 カテゴリ化して、自分をより優位な
 グループに所属させることで、自尊
 心を保とうと避難する


・これが冒頭のサッカーファンに当て
 はめると、自分が選手監督になって
 チームを勝たせる事はできないし、
 自分が日本人であることやサッカー
 好きであることは変えられないが、
 サッカーの敗北はアイデンティティ
 において不満だから、日本サッカー
 界を自分基準で有能と無能に分割し
 更に自分を有能な方へ移動させて、
 無能な方の選手監督を誹謗中傷する
 ことで優越感に浸る、となる

 これは人間の本能であり、誹謗中傷
 している連中に悪意はなく、自分の
 自尊心を守るため無意識に行うもの
 である


・アイデンティティがないと、行動に
 一貫性がなくなり問題となるが、
 あったらあったで非合理的な行動で
 周囲を意味なく傷つける

 人間なんてどうしようもない


概要ここまで。


なるほどねー、なのです。


私は以前は良い会社にいた、と何度も
言っているのです。

そのおかげで「ある程度」お金に余裕
ある生活ではあるのです。


いい会社務めの経験者。
お金のゆとり。

それが私のアイデンティティなのでは
あるのですが。

やっぱりずっといい会社にいるような
連中や、本当にお金にゆとりがあり、
為になるお金の使い方ができる人とは
違うという、卑屈さや劣等感があるの
です。


それがあるので、自尊心を保つために
自分を貧乏人側に置いた上で。

金持ち側にはなれないから、そっちは
「お金の有り難みがわからん哀れ者」
として。

だめな貧乏生活をしている者を見つけ
「努力をせずに楽を目指した愚か者」
として。

「努力して身の丈にあったお金を得た
私の人生は最も成功だ」と思いたい…





そんな心理なのかもしれませんね。


私はこんな分析、するのもされるのも
大好きなのです。

行動心理学とでも言うのかしら。
それともただの心理学?

人の行動やしぐさから、心理や本音を
解き明かすって感じのやつです。


HSPもこの心理学の一部なのです。

というかそもそもHSPが心理学者に
よる提唱でしたね。

アーロンさんという方だそうで。


 




改めて、HSPとはどんなものなのか
適当なところをご紹介なのです。


無神経な人に傷つけられないために
「自分より他人のことが気になって
仕方がない!」
が今すぐやめられる心のリセット法
https://diamond.jp/articles/-/275005


ここでもHSPについて「生存本能」
という言葉を以て説明されています。

私が以前読んだ書籍でも書かれていた
のです。


大きな音、大きな声、強い匂い。
急激な環境の変化、寒暖や刺激。
精神へのプレッシャー。

そういう命の危険を感じさせる状況に
対し大きなストレスを感じるのです。

「このままじゃ死んじゃうかも」

そんなシグナルを感じ取るアンテナが
敏感なのです。


ま、現代日本において、刺激の割には
本当の命の危機は訪れにくいもので。

例えば原始時代に自分に大声で敵意を
向ける存在なんか居たとしたら本当に
命や血肉を狙われているかも知れない
でしょうけれど。

現代では、そこまで命の危機が身近に
あるものではありませんよね。

「命の危機でない大声」がありふれて
いて、でもその度に命の危機を感じて
逆に「生きづらい」のです。


これはウサギなど動物でも持つ個体が
いる事が分かっているらしく。

カサッという、ちょっとした音にでも
敏感に反応する個体がいたら、外敵の
接近を感知して逃げられ、集団が生存
できる可能性が高まるのです。


動物にもHSPが存在するって
ご存知ですか?
https://coconala.com/blogs/2759246/158728


ここからは私の持論なのですが。

この「命に関わりうるストレス」は、
頭や感情で分かっていても、なかなか
それを解消したり、そこから離脱する
事は難しいものです。

前述、ブラック企業務めを辞められず
社内の誰かを悪く言って自分を慰めて
耐えるような例もありますし。


それに対しHSPは「強い不快さ」を
与えて、強制離脱させる機能なのでは
ないか…

そう思えて来ているのです。


強制離脱させられた私が言うのです。

間違いないのです。





快楽か不快かってのは人間の存在理由
みたいなものでしょうからね。

例えば、趣味を楽しんだり、人と交流
したり、飲食や飲酒や嗜好品にハマる
事もですが。

世のため人のために動く事が生きがい
だという方だって。

そうする事が、自分にとって心地よい
から、そうするのです。


人のためになる事が自分の快楽になる
からするのです。

人は快楽を得るため行動や努力をする
のです。


私が大手企業の前職を退職したことを
後悔してないと言えるのはこれがある
からなのです。

職場の環境に「強い不快」を感じたの
でした。

ここに居ては死んでしまう。
ここの不快に居続けるよりなら死んだ
方がマシだ。

そう思えるほどに。

だから逃げ出したのでした。


もちろん給与や条件の面での心残りは
多少なきにしもあらずなのですが。

「不快」の方がぶっちぎりまくっての
上位存在だったのです。

あの不快に比べたら、金の問題なんか
大したものではないのです。





重ねて、だから「お金なんかいらん」
とか「安い給料で良い」というのは、
あくまで相対的なお話であって。

いい給料の人間に対しての卑屈な心や
羨望、恨みみたいなのがゼロと言うと
そういう訳ではないのですね。


ま、そんな葛藤みたいなのは、未だに
あるっちゃあるのですが。

最終的な出力、結論としては

 辞めた事による不快の解消、人生に
 対する楽観視・幸福感の構築成功は
 金銭的な問題より大きいからヨシ!

となるのです。


おまけの持論なのですが。

だから、HSPは禿げない!


ちょっと自慢というか安心なのですが
ダメな男の例として、チビデブハゲが
あるのです。





私の話。

私は172cm。
とりあえず170cmあるから、女性
から人権は貰えるんですかね。
やったね。

私は83kg。
デブというかお酒メタボになったので
コレステロールのお薬治療を進めてる
のです。
薬飲みながらお酒も飲んでるのです。
陸上部員の面影は四半世紀前において
来ました。
ざんねん。

もう1つ、ハゲですが…
私はハゲてはいないのです。
もっさりなのです。

2勝1敗、勝ち越しです。


ハゲの原因は、遺伝とか生活習慣とか
色々言われているかと思いますが。

ハゲるほどの肉体的、精神的に負担と
なるような環境に対して。

HSPは強い不快を感じて、そもそも
耐えられないのです。


非HSP、特に我慢強いタイプの人は
そんな負担を強いる生活環境を不快と
感じず、耐えられてしまうのです。

睡眠不足とか、風呂に入らないとか、
偏った食生活とか、布団でなく椅子で
寝るような身体的な休息の不足とか、
長時間の作業や学習とか、ストレスの
多い職場とか。

もちろんそれを良くない状況と認識は
しながら眉をしかめ苦笑しながらも。

耐えてしまうのです。

耐えられてしまうのです。





HSP者は、そうまでして報酬を得る
よりも、不快を回避する方が幸福度が
強いのです。

ゲームとかですら、黙々とストレスの
たまる作業をするよりなら、ゲームを
辞めて目や精神や時間のゆとりを得る
方が幸福なのです。


睡眠や風呂や飲食といった生命維持に
必要な行動を「快楽」と感じさせて。

そういう行動を満足にできなかったり
頭髪や胃や肌に現れる程の環境負荷を
「不快」と感じさせる。

でも、やらなきゃマジでやばいことを
やらないでいると「不安」を与えて、
最低限の負荷で生命維持させる…


私はこれを総じて「HSP」と呼んで
いるのです。

生存本能機能として見ているのです。


やりたい事だけ選んでやっていれば、
幸せに生きられる機能なのです。

すごいね、人体!


今日は特に結論はなし。

私は心理学で分析される幸せを求める
行動を取ってたね、ってお話でした。