濁貧のお話のおまけ。
価値の合理性のお話。
前回のお話はこちら。
濁貧の心
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12817962102.html
前回の記事中でも言いたかったけれど
冗長になりすぎると思い辞めたお話が
あるのです。
書いてまとめておかないと気分が良く
ないので、ここで消化しておきます。
前回のお話で、
「高価だから良いものだと考える人は
価値判断をしていない」
というような旨の記述をしました。
これ、ある意味では逆なのです。
Aの買った5百万円の車。
Bの買った5万円の車。
わかりやすく、高級外車と軽自動車と
しましょうか。
高級外車は見た目が豪華ですけれど。
サイズがデカくて小回りが効かず。
燃費も車検費用も高くて。
ディーラーが近くにないから修理にも
一苦労。
運用を考えたらメリットなしです。
対して。
軽自動車はそれら全てにおいて有利。
しかも本体価格も安価と。
全ステータス有利なのです。
それでも、5百万円出して高級外車を
購入する層がいるのです。
これはもう、愛と呼べるのではないの
でしょうか。
合理的でなくても、自分が好きで手に
入れたい気持ちを優先したのです。
逆に、ステータスで有利だからと軽を
選ぶ人間は、車に対し愛や思い入れが
ないのです。
安さや小回りといった、実用性のみを
評価したのです。
例えが良くありませんが、子のお話。
顔も成績も良くなくて、素行も性格も
悪くて、障害持ちの我が子。
そんな子でも愛せますか?
お利口さんだから可愛い。
見た目が可愛いから可愛い。
優秀でお金を稼げるから可愛い。
そんな基準で子供への愛を持ってたり
しませんか?
客観的に見て、褒められる部分が何も
無いような子でも。
それでも愛せてこそ、真実で無償の愛
…そう言えるとは思いませんか?
私が人付き合いを嫌うのは、そこまで
真実の愛がないからなのです。
「お付き合いして何するの?」
「お付き合いしてもしなくても、変化
ないなら、しないでも良くない?」
「お付き合いして何になるの?」
「何にもならないし、疲れるし、気も
時間も使うし、いい事なくない?」
みたく合理性を考えてしまうのです。
やっかいな性根です。
こじらせおじさんです。
それと。
合理性を好む人は、逆に言うと、何か
入手した時それが合理的でなかった際
急に「損した」と感じるようになって
しまうのです。
もっと合理的な物がもっと安価で販売
されていたりすると、前に買った物が
割高に感じてしまうのです。
ウチの母親がそうです。
あちこち見て回って、一番安そうだと
思って買った物があったとして。
同じような機能を持っていて、もっと
安価で売っていたとしたら。
一週間くらいもガッカリするとか。
買った物を見る度に思い出すとか。
そんな性根の持ち主なのです。
私もそうです。
そういう見方では、合理的ですらない
高価なものを買って後悔しないのは、
自分に揺らがない価値観があるからと
言えるのかも知れませんね。
私なんか、合理性くらいしか価値観が
ないし、自分のセンスや目や舌を信頼
していないので。
自分で「良い」と判断した物が良いと
胸を張って言えないのです。
「良い」と判断する基準が合理性しか
ないのです。
改めて。
こういう価値観を「人間付き合い」に
当てはめるような輩は、友達も恋人も
伴侶もできないんですね。
人間関係を損得で見たりするのです。
別にお金とか協力みたいな「得」が
欲しいわけではないけれども。
じゃあ何のために人付き合いするの?
みたいに考えちゃうのです。
「コイツと付き合っても良い事ない」
「あっちの相手の方が良かったかな」
「結婚しない方が幸せだった」
そんな風に、より合理的な方を考えて
目移りして後悔するのです。
一生独りがベストなのです。
モノのお話に戻りますと。
もちろん、財力にモノを言わせて、
自分の感性に頼らず、値段だけを見て
高額な商品で身の回りを固めるのは、
イヤミな成金野郎ですが。
大したお金もなくて、他のモノは安く
済ませるのに。
自分の好きなモノには大金をつぎ込む
ってのは、人生において潤いであり、
大切にすべき価値観だと思うのです。
好きというのは幸せ。
好きはお金では買えないのです。
お金をかけたからと言って好きでない
モノを好きにはならないのです。
これにならお金をかけてもいいと思う
程に好きなモノに出会えるのは、幸せ
以外の何者でもないのです。
好きだといえるモノを見つけられて、
それにお金を使って、幸せをお金で
買えるのなら、それならそれで良いの
でしょうね。
あと、なにがし鑑定団のお話。
あれ、番組としては面白いのですが、
どうしてもああいう骨董品の価値って
のは信用ならないのです。
素人だけど、知人から貰ったもので、
価値を知るため応募したタイプの方。
古ぼけた物で高価そうには見えなくて
雑に扱っていて偽物だと思うけれど…
みたいな状態で鑑定してもらって。
100万円!本物!
これは凄いー!(CV.銀河万丈)
となった途端に大切にしようと思う…
みたいな。
気持ちは分からんでもないし、私でも
その場にいたらそうなっちゃうのだと
思いますが。
やっぱり、どこかのオッサンが高価だ
と言ったから価値のあるものだ、って
のは、胡散臭いと思っちゃうのです。
現物が手元にあっても、そのものには
何の魅力も愛もないのに。
誰かが「それ高価な物だよ」と言った
途端に大事にしようと思うってのは、
あんまり良くない気がします。
逆も然りですね。
大切にしている一番のお気に入り!
きっと本物!
みたく意気込んで出てきたジジイが。
5千円!偽物!
あちゃー!(CV.銀河万丈)
となったからと言って、大切にしてた
物が急に要らなく感じるとか。
そんな曖昧な価値観で所有されては、
物も可哀想な気がするのです。
というより。
「合理性」以外の物の「高価さ」は、
私は信用していないのです。
歴史的価値とか、偉人の品だからとか
そういう理由で高価なものは持ちたく
ないし、嫌いなのです。
パソコンやスマホなんかは妥当な気が
します。
順当に高スペックの最新機種が高値で
発売から時間が経つにつれて値下がり
していく。
それでいいのです。
合理性と価値が釣り合ってるのです。
釣り合っていなくて叩かれたスマホが
あるんですよ。
バルミューダ、スマホ事業撤退
失敗の根本はどこにあるのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2305/16/news075.html
これまた叩かれそうな気がしますが、
昨今の大谷フィーバーも行き過ぎィと
思います。
サインやカードが何百万円もの価値に
なったり。
原価に比べて高くなりすぎなのです。
大谷翔平サイン入りルーキーカードが
2000万円超、“1枚で5億円超え”した
選手名は…
MLBトレカ市場バブルの理由
https://number.bunshun.jp/articles/-/847806
彼が登板するか否かで試合の価値が
大きく変わったり。
大谷を見に来た、大谷の出ない試合は
ハズレ、みたいに言われては、チーム
メイトが可哀想なのです。
正に「フィーバー」、過熱なのです。
ケガして良かった…とは言いませんが
ケガでもしなきゃみんな出て欲しいと
思ってしまいますからね。
これが冷や水になればと思います。
価値観が醸成されるきっかけのお話。
こういう考え方って、どういう背景が
あれば、どっちの方向に形成されるの
でしょうね?
私は子供の頃、収集が大好きでした。
カードやガチャガチャ、本にゲームに
CDにプラモデル…
部屋中ゴミゴミしたおもちゃで溢れて
いたのです。
なけなしのお小遣いの大半がそういう
娯楽商品に費やされて行ったのです。
大人になり、財力も得た今。
その手の収集物はクオリティも上がり
通販などでコンプセットみたいなのも
買えるようになったのに。
思う存分買えるのに。
今では物欲ゼロなのです。
現実の身の回りにゴミゴミしたものが
あるなんて鬱陶しいだけなのです。
セクシーなフィギュアとか1つくらい
欲しいな…なんて思う事もありますが
数分眺めたら邪魔になるだけだな、と
思うと、買いまではしないのです。
でも、たまに聞くのは。
子供の頃に禁止されていたために、
大人になって反動でやりだした、とか
そんな事もありそうなのです。
冒頭の車の話でも。
お金がたくさんあるわけではなくても
お金のかかる車が好きになる事もある
のに。
お金が余ってても車になんか使いたく
ないって人もいるのです。
生まれや親や環境や子供の頃の経験や
自分の財政状況によらず、散財グセは
唐突に湧いたり消えたりするもんなの
でしょうかね。
やっかいなもんですね。