等身大のお話。
等身大の自分で生きようねってお話。
ここ数ヶ月くらい言い続けている事の
総決算な感じがします。
等身大、あるがまま、ありのまま。
タモリさんが等身大という言葉が嫌い
だと以前にテレビで言っていた記憶が
あります。
タモリ - アニヲタWiki(仮)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/41343.html
ま、タモリさんはテレビに出てる姿が
等身大みたいなものでしょうから。
等身大でない自分で生きざるを得ず、
わざわざ言わなきゃ等身大になれない
人の気持ちがわからないのかも知れま
せんね。
そうでない、人生を藻掻く一般人には
等身大に生きるのは簡単ではない様に
思うのです。
私なりの等身大の意味とは、
・過度に自分を大きく見せず繕わず
・現実の自分を客観的に受け入れて
・誰かとの比較に左右されず
・不遇を誰かや何かのせいにせず
・『自分で』自分のやりたい事をやる
・『自分で』なりたい自分になる
のです。
過去にブログに書いた事の繰り返しに
なる部分もあります。
まあ、基本の考え方は変わってないと
いう事なのです。
むしろ総決算なのです。
仕事のお話。
ブログタイトルにある通り、私は以前
大手企業に在籍していました。
ですが、諸々メンタル的な不具合など
あり、今では年収300万に満たない
警備員。
でもそれでいいのです。
私は大手企業で管理職になれるような
器の人間ではなかったのです。
若い頃、そんなエリートを目指す事に
挑戦できただけでいいのです。
自分を知れたのでいいのです。
大手企業で進捗管理者みたいな業務を
任され、そこで自分を知る事ができた
のでした。
自分の能力を過度に超えた立場に居て
消耗していくのは辛い経験でしたが。
それを経て、今があるのです。
無理をして頑張る歳は過ぎたのです。
現実問題として、仕事をありのままの
繕わない姿で勤めるなんて、叶わない
ものではあるのですし。
ある程度無理をしていかないと成長も
ないのですが。
私はたまたま若い頃に挑戦する機会に
恵まれたのでした。
「恵まれてたな」と思える様な人生を
歩めたのでした。
その機会がなかったら、現在の年齢の
自分は人として大変ポンコツだったに
違いないのです。
現在が優秀とまでは言いませんが、
少なくとも、今の職場では年齢相応に
振る舞えていると感じているのです。
年齢相応、ありのまま、等身大。
そんな自分でいい。
そんな自分がいい。
そんな自分になれたと感じられるので
す。
もちろん、そんなポンコツだった私を
怒鳴って叱ってくれた上司がいたから
今の私があるのです。
それを恵まれたと言っているのです。
私だけの力で成長したとは思ってない
のです。
ちょっと厳しくされたからと言って、
すぐ辞めたり逃げたり陰口叩いたりで
忍耐しないでいたら、いつまでだって
恵まれない人生なのです。
手取り足取り教えてもらって成長した
わけではないのです。
誰かの成果を横取りしてレベルアップ
したつもりなわけではないのです。
叱られてへこたれて消耗してそれでも
仕事して徹夜して悩んで病んで。
死んだほうがマシレベルに一度自分を
追い込んで、そこを耐え忍んだから、
今があるのです。
そんな苦境も、過ぎてしまえば恵みと
思えるのです。
恵みと思えるようになった事が恵みな
のです。
大事大事にされる環境だけが恵みでは
ないのです。
車のお話。
前の会社に居た頃、高い車を買おうと
した事がありました。
それは完全に「なんとなく」でした。
自分が欲しいと思った訳ではなく。
今乗っている軽自動車に不満がある訳
でもなく。
今くらいの歳なら、ちょっと車にお金
かけてみようか、買ってみようかな…
程度の思いしかなかったのでした。
その程度の思いに5~600万も出す
のは過ぎた見栄だったのです。
結果、買わずに終わったのですが。
それで良かったのです。
自分の魅力ではなく、値の張る車の
魅力で何かしらの注目や大人っぽさや
幸せを得ようとか考えてしまっていた
のでした。
そんな見せかけの価値に群がるような
輩からの好奇の目という注目など不要
なのです。
いらない見栄はいりません。
ちょいと余談。
実は、その頃に結婚相談所で出会った
方と交際がスタートしたのでした。
もし結婚することになったら、家族の
ための車を買わなきゃと考えていて。
嫁になってくれたら、それから相談を
して、家族のための車を選ぼうなんて
思っていたのでした。
ま、そっちも結局買わず終いでした。
オシャレのお話。
私は過度なオシャレを嫌うのです。
プロのスタイリストさんは、そういう
お仕事ですし。
飾った姿を見せるモデルさんなんかも
仕事ですから仕方ないのですが。
一般人で普段にそんな特別に着飾った
格好をしたり、アニメキャラみたいな
髪の色をしたり、金属や宝石を纏った
り、ジェル的なのを顔や髪に塗ったり
つけもしないグラサンを胸ポケットに
入れてオシャレとか言ったり。
そんなとってつけたようなガワの魅力
なんていらないのです。
不自然なのです。
自分以外のものを使って、自分以上の
姿になったって滑稽に思えるのです。
オシャレに興味があって、そういう
オシャレが好みな人は良いのです。
オシャレである事が自然体、等身大で
あればね。
聞きかじりや雑誌か何かの受け売りで
「そういうのが好きな女を釣ろう」
的な打算でオシャレするのがダサくて
不自然なのです。
アンチエイジングのお話。
不必要に老いに抗うのもしないです。
もうアラフォーも後半戦。
結構白髪が目立つようになりましたが
染めるつもりはないのです。
自然に任せるのが自然体。
自分の人生そのままが等身大。
誰かが言ってました。
「美魔女」とかになったって若い子に
モテるものじゃない、と。
20代みたいな40代よりだったら、
普通に20代が良いわ、と。
年上好みの20代にモテたいのなら、
キチンとした40代を目指すべきなの
です。
年齢相応の魅力を身につけるのもまた
オシャレなのでは、ないかね?
私は年齢相応のオジサンなだけで魅力
あるとは言えないのですが…
ま、オシャレじゃなくてもね。
年齢相応でいいでしょ、ってお話。
自ら進んでヨボヨボになれって事では
なくて。
あくまで等身大って事です。
お金かけて、他の人がやってない様な
珍妙な小道具を使ったり、手術したり
そうやって過度に若さに固執するのは
逆に滑稽で不自然なのです。
自分の生きた人生が髪やら顔やら腹に
現れるのです。
そうやって現れてくる自分でいいと
思える生き方をしたらいいのです。
それを無理に不自然に隠したり、隠す
ほど卑下したりしないでありのままを
受け入れて生きようぜ、ってことなの
です。
結婚のお話。
結婚相談所の方と交際した、と前段で
書きました。
しかし結婚はしたくてするのではなく
そろそろしないとかもな、位の認識で
何の覚悟もなかったのでした。
みんなしてるから…みたいな心構えで
人の人生を預かるのは犠牲者を生むの
です。
誰かが言いました。
何となくとか、今がつまらないからで
結婚を目指すから、現実の結婚生活が
つまらなければ、今度は離婚を目指す
ようになる、とかなんとかかんとか。
結婚をすれば何もかも満たされる…
素敵な相手が自分の何もかもを認めて
くれて、幸せにしてくれる…
結婚してない、結婚できない奴は何も
かもが劣っている…
結婚できたら全てにマウントとれる…
そんな幻想や虚構を抱えてする結婚は
不幸に直行なのです。
結婚とは、むしろ逆、自分を棄てて
他人の負担をも背負うようになるのが
結婚なのです。
自分が疲れている時でも、相手や子の
事を優先しなければならないのです。
自分が欲しいモノも買えなくても、
相手や子に買い与えなければならない
のです。
自分の体調がすぐれなくても、相手や
子が体調不良を訴えてくるのです。
そんなのは、結婚した事のない私でも
結婚する前からでも推測できる事なの
です。
それなのに、そういうのを受け入れる
覚悟なく、結婚を何かのステータスの
ように考えて、見栄を張って結婚する
ペアが問題を起こしたり、子を不幸に
したりするのです。
ちょっと余談。
以前とあるところで見かけたお話。
独身の中年男性の悲哀のお話をご紹介
いたします。
【悲報】35歳独身、本気の警告
狂ってきたので今のうちに書き残して
おく
お前らも早めに結婚した方がええぞ…
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/6021498.html
~引用ここから~
趣味に生きて独身を謳歌するはずが、
ある日突然興味が無くなってしまった
寝食を忘れてのめり込み、人生を捧げ
て良いと思った趣味が、それも複数。
全く興味が無くなってしまい、途方に
暮れている。
人生の楽しみが突然消えてしまった。
加齢で胃腸が弱ってきただけとも思う
のだが、とにかく食事の味がしない。
油物は胃に収めるのがきつい。
平日は昼と夜だけ頑張って食べるのだ
が休日になると1回食べるかどうか。
空腹感はあっても食欲が無くなり、
むしろ次に続く問題の方が大きい。
結婚の限界年齢が35歳というのは、
本当に理にかなっているラインだった
体力、思考力、感性。そういうものが
衰え始めてからの結婚や子育ては、
そう簡単にできるもんじゃない。
そして何より醜く狂った中年に家庭を
持ち人並の幸せを手に入れるチャンス
など来ない。
20代の内に、恋愛して、結婚して、
子供を産み、家庭を築く。家と車を
買い、資産形成もする。
そういう当たり前の道を早くから目指
さなきゃいけなかったんだ。
~引用ここまで~
みなさまのごいけん。
(男性否定・結婚否定派)
・出来るのであればもうしてる
・狂ってるから独身なんやろ
・こういう奴は結婚してても地獄とか
いうしな
子供に興味ないとか楽しくないとか
言い出すだけや
・年齢とかじゃなくてネットで独身=
悪、悲惨みたいな風潮が流行りだし
たのに当てられたんちゃうの
親戚に中年独身貴族いっぱいおるけ
どみんな快活やで
・でも結婚しないほうが幸せな奴も
いるわな
結婚生活も向き不向きは絶対あると
思うわ
結婚しないと後悔すると思うやつは
やっぱしたほうがええやろな
(結婚肯定・結婚否定の否定派)
・結婚はした方がええ
否定してる奴は結婚できなかった
やつの嫉妬や
・趣味の合うババアと結婚して楽しめ
ばええやん(適当)
・とりあえず結婚してみたらええとは
思うわ
会わなきゃ離婚すればええわけで
子供さえいなきゃ何とでもなるやろ
・20歳そこらで
「趣味に生きる!
他人の趣味を否定するな!」
(謎ファイティングポーズ)
ってなってるのはかわいらしいけど
そのまま中年に突入する幼い奴は
なんなんやろな
・結婚~子育てなんて楽しい事しか
ないけどな・・。
ネガティブな要素なんてゼロだよ?
まあ物事の捉え方が最初から
ネガティブなヤツは知らんが。
(こいつ病気だよ派)
・鬱病やんけ
・多分この人は鬱だと思うが、まあ
結婚はしといた方がええんやろなと
思う
・まあこの将来鬱自体もはしかみたい
なもんだからな
しばらくしたら治るで
治らなかったらそれはもうただの鬱
・間違ったことは言ってないと思う
けどそれとは別にメンタルヘルスに
掛かった方がいい気がする
・結婚すればそれらが全部解消して
上手くいく幻想を抱いている時点で
例え結婚しても確実に地獄になる
だけだぞ
これら全てを背負った上でさらに
嫁と子供を養うという重責を担う
ことになるんだから。
独身でこれだけ弱音を吐いて体も
弱くて、結婚すれば解消~wなんて
なるわけねぇだろ
ただ単にコイツが弱者なだけ。
結婚すればさらなるストレス耐性と
忍耐が必要で、人への気遣いも必要
になる。
コイツみたいに自分の後悔を嘆いて
結婚すれば相手が自分を幸せにして
くれるって勘違いしてる奴は確実に
失敗する。
・自分の健康の問題を年齢や家族構成
のせいにする典型的な病院いかない
で手遅れになる人やね。
・結婚してるけど同じような感覚持っ
てるから結婚とか関係ないぞ…
病院いけ!(自分もいく)
・精神科行ってくれ、マジで重症化
するまでに。
(その他派)
・でも会社で40過ぎで結婚歴無い人間
って男女ともにちょっとアレな人
多くないか
勿論結婚しててもヤベー奴はおる
けど
→基本的には異性だけじゃなくて
同性からも距離置かれて浮いてる
人が目立つね
→分かるわ
仕事はできるのになぜか出世して
ない人とか多い
・子供とか全然興味もなかったし
可愛いとか思ったけどなかったけど
甥っ子見たら考え変わったわ
あれは可愛いわ
・結婚したところで油ものをもりもり
食べられるようになる訳でもない
だろ?
ですって!!
今の自分が満たされていないのは結婚
していないせい…
結婚すればすべてが救われる…
そんな考えは幻想、妄想なのです。
そんな考えに至った時点で、そいつは
何か別の病なのです。
そんなメンタルやば男さんやば子さん
である時点で、結婚相手としてはもう
ノーサンキューなのです。
今日私が言いたいのは、結婚できない
自分でいいじゃない、って事です。
結婚できないのを異性のせいにしたり
結婚できない自分を卑下したり
結婚できないような自分なのに無理に
結婚しようとしたり
自分にとって過ぎた人間との結婚を
望んだり
ダメな自分の人生を他人に持ち上げて
もらおうとしたり。
そういうのがダメなんです。
自分のダメさを他人の手でどうにか
してもらおうという精神が一番ダメな
のです。
今のあんたが一番ダメダメだぜ!
ひきこもりや無職支援のお話。
とある所で、とあるひきこもりさんの
考えを読む機会があったのですが。
やはり
「支援が足りない」「社会が悪い」
てな認識をされているご様子だったの
です。
以前から書いている通りなのです。
じゃあ「支援」って何だ?
何が欲しいんだ?
って話なのです。
何をしてもらって、どうなりたいんだ
って話なのです。
何も築いてない無職からスタートで。
大した苦労もせずに。
他の奴らを追い越して、いい給料で。
楽してチヤホヤされる仕事を斡旋して
もらう…
それが支援だとでも思っているのか?
そんなのが与えられるのを待っている
のか?
そんなオイシイ話が
………あると思うのか?
おまえの様な人間に
そんなだから無職なのです。
「底辺」と呼ばれる仕事で頑張ってる
人間に追いつく事も不可能なのです。
死にものぐるいで頑張った結果底辺で
いる人間だってゴマンといるのに。
頑張りもせずに、他者や他人や社会に
責任を転嫁して自己を正当化している
のです。
底辺の人間にすら劣るのです。
底辺以下、地の底より深い地獄で蠢く
餓鬼畜生なのです。
今日私が言いたいのは、底辺職からの
スタートでいいじゃないって事です。
仕事できないのを時代のせいにしたり
就職できない自分を卑下したり
成長できないような自分なのに無理に
褒められようとしたり
自分にとって過ぎた勤め先への就職を
望んだり
ダメな自分の人生を他人に持ち上げて
もらおうとしたり。
そういうのがダメなんです。
自分のダメさを他人の手でどうにか
してもらおうという精神が一番ダメな
のです。
今のあんたが一番ダメダメだぜ!
SNSの承認欲求のお話。
SNSの閲覧数やフォロワー数を人の
価値と思っている人が居るようです。
誰でも出来るようなバカな事とか。
他人に迷惑がかかるような方法で注目
される事とか。
そういうバズり方は自分の能力がない
人間でも出来る愚行なのです。
現実の面白さ無しに、ただバズりさえ
すれば価値があるという考え方はもう
通用しないのです。
現実でも面白い奴が現実でも称賛に値
されるネタをたまたまSNSに上げた
から、たまたまSNSでバズったとか
なら良いのですが。
現実で嘲笑されるような事でSNSで
だけバズってもそれはその人間の価値
ではないのです。
以前も書いた記憶のお話。
ある漫画の中のセリフですが、子供を
殺害した犯罪者が
「俺は殺人という大それた事をした」
的な事を言っていて。
その犯罪者を粛清しようとした奴が
「殺人なんて俺の様な屑でもできる」
的な事を言っていたのでした。
愚行で注目を浴びたり、悪行で世間に
影響を与えるなんて、誰にでも屑でも
できるのです。
でも普通は誰もしないのです。
そんな注目はそいつの実力でも何でも
ないと普通の人間は知っているから。
Youtuberのお話。
私はなんとなく、少年の夢がYoutuber
である事に不安というか憤りを感じて
いたのでしたが。
多分、この等身大理論が関係している
ような気がしてきております。
YoutuberってのはYoutuberになろうと
してなるものではないのです。
現実世界でなにがしかの注目や称賛に
値するスキルがあって。
更にそれに人を惹き付けるトーク力が
あって。
その上で動画として面白くする編集の
能力があって。
その面白動画を週2回程度は配信する
継続力があって。
それをYoutubeという、広告収入を
得られる動画投稿サイトに公開したら
一般的な仕事の収入以上になりました
てのをYoutuberと呼ぶのです。
と呼ぶべきなのです。
現実がスカスカな人間が、Youtuberと
してだけ、動画編集方法だけ何かから
学んで、唐突に成功するなんざ、夢の
また夢なのです。
事実、成功したYoutuberさんたちは、
企業に所属したり他人とコラボしたり
リアルなイベントを企画したりしてる
わけで。
現実社会で生きるコミュ力や見た目や
話術や売り込める自分があるのです。
自室に篭って、ただ動画配信だけして
ただ再生だけされての広告収入で生活
していくのは所詮叶わぬ夢なのです。
こちらの記事で似た事が書かれていた
のでご紹介。
1247万回再生だったのに収益は328円…
ユーチューバーが「稼げない仕事」に
激変してしまった根本原因
https://president.jp/articles/-/66112
記事から抜粋。
・専門性の高いYouTuberや他にはない
特別なコンテンツを持つYouTuber
などは収益を上げ続けているようだ
・大量に発生した迷惑系YouTuberの
ようなバズればいいというやり方で
はなく、オリジナリティーのある
コンテンツが求められている
・中高生がYouTuberに持つイメージは
「楽しそう」「影響力を持っている」
などのポジティブなものが多い。
大学生が持つイメージはポジティブ
な意見も多い中で「大変そう」や
「一握りの人しか人気になれない」
などマイナスが多くなっていた。
YouTuberに対するイメージが現実的
になってきたということではないか
・二極化している可能性がある。
YouTubeの動画投稿だけではなく、
YouTubeライブの投げ銭で別収入を
得たり、知名度を生かして事業展開
したりするYouTuberも目立つ。
ですって!!!!
私の考えそのままなのです。
現実世界で魅力や才能のある方。
それこそ、等身大の自分を配信して、
それで人気が出るような方。
そんな方だからこそ、Youtuberとして
成り立つと知るべきなのです。
何も持たない人間が、Youtuberとして
だけ成功するなんて事はないのです。
くれぐれも、今日の結論は、持たない
人間でもいいじゃない、って事です。
持たないくせに、付け焼き刃の虚像で
注目を得ようとするべきではないって
お話なのです。
苦労せずにチヤホヤされたい、楽して
大金稼ぎたい、なんて思うべきでない
ってお話なのです。
子供の夢の話だから、と言うなかれ。
むしろ逆に夢だからこそ、夢みたいな
デカい話や高い目標を持って欲しいの
です、オジサンは。
楽してチヤホヤされて笑って生きたい
なんて子供のうちから思うなかれよ、
なのです。
今からでも、夢の第一歩を踏み出す…
千里の道の一歩目を応援したくなる…
そんな夢を見てほしいのです。
ま、私も小学生の頃は夢なんぞなくて
サラリーマンとか書いた記憶があるの
ですが。
子供の頃から、無意識レベルで現実を
生きるってのを最優先していたのかも
知れませんね。
百歩譲ってYoutuberでも良いとして。
何を配信する人になりたいか、的な、
もうちょっと具体的に考えてほしいと
思うのです。
上の記事でも、予備校講師の方とか、
語学のチャンネルを持つ方とか。
そういう現実の専門性な学のある方が
たまたまYoutuberとして活動をしたら
収益が上がるほど注目されたってお話
なのです。
結局は、現実の自分を成長させなきゃ
Youtuberとして成り立たないのです。
例えば、医療系なら。
こんな病気があるよ、とか。
こんな症状が出たら要注意、とか。
健康に生きるための食事と運動とか。
そういう配信をしたいのなら、医学の
道に進み、自分のクリニックを持って
いても出来るのです。
そういう現実の「ハク」がないような
訳のわからんニートがwiki情報の転載
みたいな事をしてやっていけるような
業界ではないのです。
音楽配信をしたいなら、楽器を始める
事は子供のうちから出来るのです。
いろんな曲を練習して、まずは身内や
友達に聴かせられるレベルを目指せば
いいのです。
おもしろ企画屋なら、テレビマンとか
芸人とか目指せばいいのです。
テレビやお笑いを見て、まずは身内や
友達を笑わせられるよう明るく元気に
学校生活を送ったらいいのです。
ま、今のテレビマンは炎上系Youtuber
と似たりよったりのようですがね。
“ペンギン池” 炎上で『スッキリ』
謝罪も…
「煽った加藤浩次は謝らないの?」
悪ノリした演者の責任を問う声
https://news.yahoo.co.jp/articles/06e8b414f5a65035cf213db23760d2116cf40490
【炎上バカッター】
日テレ"スッキリ"大炎上w
悪ノリでペンギン池にオードリー
春日を飛び込ませスタジオ
手を叩いて爆笑www
【と同類】【ゴシップ】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41992768
面白くないのに、無理やり背伸びして
面白くしようとするから。
こういうひんしゅくを買うような事に
なるのです。
面白くできない人間に向かって、
「何か面白いことをやれ」
「面白くしろ」
とフリをしたって、面白くなるわけが
ないのです。
後輩イジメや馬鹿騒ぎで周りの迷惑を
顧みず、内輪でだけ爆笑して良かれと
するのは、お笑いを生業にするものと
してだけでなく、人として未熟。
まさに、寿司ペロやおでんツンツンの
ようなバカッター行為で注目を集める
レベルと同等なのです。
現実であくせく仕事をするのが嫌だ…
何かみんなでワイワイしながら笑って
大金持ちになりたい…
みたいな逃げの精神で夢を目指さない
で欲しいのです。
記事の通り、大学生くらいの年齢とも
なれば、簡単に出来るものではないと
感じるのです。
偉いね。
むしろ最近じゃ、YoutuberやVtuberを
見てると厳しい現実を見せつけられる
のです。
ミライアカリ「オワコンでごめんね…
頑張ってるんだけどね...ハハ...
なかなかさ... 」←これ
https://sunri2525.blog.jp/archives/11517616.html
【VTuber四天王】ミライアカリが
活動終了を発表。
3月31日の生配信を最後に引退
https://www.famitsu.com/news/202303/24297270.html
ミライアカリさんの動画配信を視聴
したことはありませんが。
VtuberやVRが好きな私としては、大変
悲しい結果なのです。
こういう悲しい結果で…
終わり…ですかね…?
ちょっと余談。
「バーチャルさんはみている」という
Vtuberが総登場するアニメがあって。
元気に演じるミライアカリさんが素敵
だったのを覚えています。
2019年の1月から3月の放送だったとの
事です。
4年前ですね。
あれから4年しか経っていないのに、
もうVtuberブームがかなり下火に感じ
られるのです。
トップを牽引していた、通称四天王と
呼ばれる5名いずれもブームは過ぎた
ご様子なのです。
VTuber四天王の衰退が止まらない…
『にじさんじ』『ホロライブ』の影で
数字低迷
https://myjitsu.jp/enta/archives/109953
ミライアカリさんほどの人気や実績が
あっても、一生Vtuberとして活動して
一生飯の種にするってのは叶わないの
でした。
まあ、一般人の生涯年収くらい稼いだ
のではないかと思いますけれども。
晩年が上の通り、オワコン呼ばわりの
上に面白い反応も出来ず乾いた笑いを
して配信終了なんて姿を晒す…
お金を稼ぐのって、続けるのって。
難しいわね。
せちがらいわね。
だから楽してチヤホヤされたり大金を
稼いだりなんか出来ないってお話。
底辺で怒られながら薄給で暮らしても
挫けず落ち込まず、くよくよしないで
受け入れて生きようって事なのです。
どうでもいいお話。
弱ったミライアカリさんの配信なんて
ちょっと惹かれるのです。
その回のアーカイブがあるのなら見て
みたいのです。
病み系の美女が嫌いなやつなんて…
いねえよなぁ!!?
声優のお話。
もう何度もネタにし続けております。
声優志望ネタ。
学業ができなくても。
見た目が悪くても。
声優だったら何とかなる。
声だったら学校で何とかしてくれる。
そしたらチヤホヤされる…
そんなレベルの認識で声優になりたい
と言う輩がいるんじゃないか?
そんな認識で声優という職業を見てる
輩がいるんじゃないか?
それはベテラン声優ご自身も話されて
いるのです。
大塚明夫
「声優を夢見る若者が陥りがちな失敗」
努力せずちやほやされたいだけじゃ
ないか?
https://toyokeizai.net/articles/-/323636
本人はチヤホヤされるような人間では
ないのに。
本人がコミュ障でも、ブサイクでも。
「声優」になりアニメキャラのガワを
被ればチヤホヤされるのではないか。
そんな思いが見え隠れなのです。
見え見え隠れ見え見えなのです。
世の中すべて自己責任。
自分でやった事以上を求めてはダメな
のです。
自分でやれる事以上を望んではダメな
のです。
自分にないものを望んで挑んでそこで
失敗したり得られなかったり無駄足を
踏んだりしても…
その道を選んだ自分のせいなのです。
誰もその後の無為な人生をサポート
してくれやしないのです。
上の記事でも書かれていました。
・自分の選択の結果として現状がある
のにそれがわからない。
こうなるともう、ひたすら予想屋の
言うとおりに馬券を買い続けている
にわかギャンブラーの世界です。
「チッ外れた、あの野郎が予想を外し
たからいけないんだ」
とぼやくようなものです。
その予想屋の言葉を信用したのは
誰だったでしょう。
更に続いて、こんな事も書かれていた
のでした。
・人は、「誰かのせいで自分は満たさ
れていない」と考えているときが実は
いちばん不幸せなものです。
自分にはどうにもならない事情で
こんな目に遭っているんだ、と思う
からふてくされる。
人生の主導権を自分で持ち、
「これもすべて自分の生き方だ」と
思っている人は、たとえ苦しくても
本当に折れてしまうことはないので
す。
私の言いたいことそのままですね。
満たされず、チヤホヤされない人生を
自分はそういうものだと受け入れよう
ってのが今日の主題ですからね。
本音はこっちのほうが大事なのです。
満たされなくても幸せになれますよ、
の方じゃなくて。
満たされないのを誰かのせいにしたり
誰かに満たしてもらおうとする時点で
無様で不幸せだよ、って方。
ま、「自分の生き方の主導権を自分で
どうにかできないから不幸せなんだ」
って思っちゃう人もいるでしょうね。
だから「主導権を自分で持てるような
生き方を考えたらいいんだ」てなって
堂々巡りのいたちごっこなのです。
主導権を握れない事で不幸せと感じる
なら、今の生き方を思い切って捨てる
のも勇気なのです。
私が大手企業の地位を捨てたように。
過大評価を求めて自分ではない自分で
生きるのは等身大とは言えません。
最後に自己責任のお話のおまけ。
とある方のツイートをご紹介。
~引用ここから~
自己責任論は滅びるべき。
貧困をはじめとするその他の様々な
不運な状況を自己責任の一言で片付け
るのは想像力がなさすぎる。
すべて自分の努力で勝ち取ってきたと
思っている人も、それがどれほどの
幸運が積み重なって成り立っている
ものなのか考えた方がいい。
家庭環境。良き友人。良い教育。
そもそも良い教育が大切だという
認識が持てた事、努力できる環境など
など、すべてが運です。
それらの自分が持っていて当たり前
だと思っているものを持っていない
人たちがたくさんいることに気付く
べきです。
「先進国である日本に生まれた時点で
幸運」とか、「日本ほど恵まれた国は
ないんだから甘ったれるな」とか言う
人もいるけどそんなことはないでしょ
う。
非正規雇用が増え、親もお金ないし、
親を支えるために若い時から家事や
バイトをして学業に集中できず、大学
行きたきゃ奨学金という名の借金を
背負わされ、働いても給与は低く、
でも働かないと食っていけないから
劣悪な労働環境でも働くしかないって
状況、これはあくまでも一例だけど、
これを自己責任って言いますかね?
絶対に違うよね。
これって資本主義をベースとした日本
社会の構造的な問題ですよ。
自己責任論を振りかざすのはもう
終わりにしましょう。
誰も取り残されない社会にしていきま
しょう。
https://twitter.com/badassceo/status/1633663246061420545
~引用ここまで~
不遇な状況にある者に対して。
自己責任と言う者。
そう言ってはダメと言う者。
それだけではありません。
「自己責任と言うな」に賛同する者。
「俺は乗り越えたぞ」と言う者。
「だからお前も乗り越えろ」と激を
飛ばす者。
「私も耐えている」と言う者。
「だから貴方も頑張って」とエールを
送る者。
それらの激やエールを圧力や叱責と
捉える者。
「アンタなんかまだマシ」と言う者。
まあ様々ですね。
私の「自己責任」についての見解は、
既に以前書いたことがあります。
(参考)
詐欺は自己責任ですか?
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12122016786.html
自己責任論おまけ
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12732884142.html
繰り返しになるかもですが、改めて
上に引用した方への私なりの反論、
自己責任論の解説。
1.幸せ力は上げられる
2.でも受け入れないよね?
3.因果応報、それも含めて自己責任
1.幸せ力は上げられる
一般に「自己責任」と言われるのは、
生まれや不遇な運命の影響が比較的
小さい「普通の」人生を指すのだと
思います。
そうではなくて。
例えば、暴漢に遭う、生活できない
レベルのネグレクトをされるなど、
理不尽な事件や事故で人生が大きく
狂うのは自己責任ではないのです。
例えば、先天性の五体不満足な病気も
自己の責任とは言い難い不遇です。
例えば、バイクに乗って停車していて
後ろから追突されて半身不随…
そんな事例は他責の事故によるもので
あり、自己責任ではないのです。
そんな境遇の人に対して、
「バイクは危険ってわかるでしょう」
「それでも乗るなら事故は自己責任」
なんて考えの輩がいたら。
それはソイツが精神異常者なのです。
自己責任論が悪いのではありません。
それは文句をつけるための道具でしか
ありません。
不遇な事故に対して追い打ちの文句を
つけにいく輩の精神と価値観が異常な
のです。
そうじゃない程度の「普通の」不遇で
ウジウジと誰かや環境のせいだとか、
自分は悪くないとか言い訳をしていて
自ら幸せになる事を放棄しているから
「自己責任」と言われるのです。
不遇でも不遇なりに幸せになる方法は
あるはずです。
不遇なりの幸せで満足しなさいてのが
何度も言う今日の結論なのです。
恵まれた人を飛び越して贅沢な幸せを
得られると思う事が勘違いなのです。
少なくとも、自分以外に責任転嫁して
世を呪う末路に幸せが待つわけがない
のです。
2.でも受け入れないよね?
残念だけど、自己責任論を封じても、
社会は自己責任で成り立ってるので、
なくなりはしないのです。
世の中、世知辛いのです。
上の方が言う「自己責任じゃない」
不遇な環境で育ったが為に。
能力や見た目が劣っていたり。
金銭感覚がズレていたり。
粗暴だったりモラルが無かったり。
悲観的だったり。
そういうハンデを持つ人を受け入れる
事ができますか?
どんな境遇、どんな環境であれ、その
人の出来上がりがダメなら、ダメだと
言われちゃうのです。
「自己責任とは言えないような境遇」
を理由に、特別扱いしてくれる人など
どこにもいないのです。
秀でた人との差を無かった事にして、
心から認めてくれる人など、どこにも
いないのです。
境遇を理由にウジウジと誰かや何かや
親や社会や学校に自分の不遇の責任を
押し付けている時点で、もうその人の
性格の悪さが疎ましく思われているの
です。
逆に言えば、境遇や環境が悪かろうと
その環境を悪く言ったりせず生きて、
その人に魅力があり幸せにしていたら
自己責任と言われないのです。
例えば、外見だけでも磨いたりすれば
相応の評価の対象になるのです。
恵まれた人間への妬みや疎外感がある
のなら、似た境遇の仲間と付き合う等
して、自分の人生を良い方向に向ける
努力はするべきなのです。
「私は」そういう外見や他者に頼る事
なく生きる事を選びましたが。
そういう方法でそういう幸せを求める
事もできるでしょ、ってお話。
逆に言ったら、私は外見や交友で勝負
できず、恋多き人生を歩む事に対して
ハンデがあったわけで。
そのハンデを抱えて生きたのです。
誰もそれを不遇と哀れんで特別扱いは
してくれなかったのです。
非モテは非モテのままなのです。
だから私はモテ以外の幸せを見つける
努力をしたのです。
境遇や環境を理由に、前向きに生きる
事を辞めている時点でダメなのです。
見た目って話が出た所で余談。
こんな例えをすると非難されそうなの
ですが…
人種差別をなくそうという意見は賛成
なのですが。
黒人差別は無論なくすべきではあるの
ですが。
デブな黒人を「美しい」に据えるのは
受け入れられないのです。
【悲報】『美女と野獣』、ポリコレの
影響で凄いことになる…
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/9932687.html
差別されてきた不遇を理由に美しさに
対するセンスまで変えさせられるのは
受け入れられないのです。
あと、諸々の障がいに対して、社会に
寛容になってほしいとその親御さんは
望むでしょうけれども。
あなたは障がい者を伴侶に選んでない
よね、と。
少なからず見た目や振る舞いが整った
人を選んでるよね、と。
やっぱり障がいがある人より、無くて
素敵な人を選びたいよね、と。
選んで結婚したよね、と。
外見や仕草にハンデがない人に魅力を
感じるよね、と。
ハンデがある人を敬遠したくなるよね
と言いたくなるのです。
こっちから言いに行きゃあしませんが
そっちからグイグイと障がいに理解を
と来られると、ね。
障がいだけがハンデじゃないし。
他の人が他の不遇やハンデを非難する
のはいいのかしら、とか言いたくなる
のです。
低身長を揶揄したりね。
低身長に「人権ない」のゲーマー
たぬかながやっぱり差別発言を
繰り返す理由
https://news.infoseek.co.jp/article/bucchinews_7076/
障がいのお話が出た所で追加の余談。
警備のお仕事で感じた障がいのお話。
障がいに理解を…とは言うけれど。
大声を出したり、おかしな様子で話し
かけてきたり、被害妄想を持って人を
敵視するような人間が近くにいたら、
誰だって普通は嫌なのです。
「アイツをどうにかしろ」と警備員に
「処理」させようとするのです。
そういうのが抑えられない状態なのを
「障がい」と言うのにね。
結局、障がい者のままで、障がい者を
受け入れてくれる人はいないのです。
「普通」にするなら障がい者でも可、
というムチャクチャな理論なのです。
「普通」にできないのを「障がい」と
言うのにね。
まあ、ぶっちゃけ。
私も警備の立場になって、障がい者の
施設の利用の権利を保護するのも仕事
みたいな意識を持ったり。
実は身内に生活保護の障がい者がいる
ってのもあって。
あと忘れがちだけど私がHSPという
障がいとまでいかないにしても普通の
健常ではないメンタルを経験したのも
あって。
私自身はそんな普通でない状態の人に
対しての理解は平均以上にはある、と
自負しております。
逆に言うと、普通の人が過度に恐れる
のは、そういう方と疎遠な人生だった
のだろうな、と。
自分らとは違う存在と見ているから、
疎遠だから、理解もないのだろうな、
と思う所もあるのです。
海外の移民を受け入れないのも同様。
都会から田舎に来た人間が疎外される
のも同様。
「自分らと同じになったら」
「自分らに迎合したら」可なのです。
どんな境遇、どんな事情があれど、
異端な人間は排除されるのです。
所属する社会に迎合できなければ排除
されるのが世の中なのです。
不遇だったからと言って、おかしな
振る舞いの人間は排除される運命なの
です。
「自己責任」という言葉だけ刈っても
異端を受け入れない人間の本心を封印
させる事はできないのです。
3.因果応報、それも含めて自己責任
以前も書いた結論です。
私にとっての「自己責任」の本質。
例えどんな理由があれど、その結果を
背負って生きるのは自分なのです。
誰もその結果で生じた不利益を補って
くれやしないのです。
「詐欺は自己責任」と書きました。
それは騙されて詐欺にあったとしても
お金を失った状態からその先の人生を
生きるのは自分なのです。
『詐欺にあったの可哀想でちゅねー』
『盗られた分のお金あげちゃうー』
と、擁護や補填をしてくれる人など、
いるわけがないのです。
だから、騙されないよう警戒しながら
人生を生きなきゃいけないのです。
マツコの食べ過ぎ理論のお話。
食べ過ぎをストレスのせいにしたい、
という旨のお話をされていました。
ストレスのせいにしたからといって、
『なら太っても仕方ないでちゅねー』
と、プロポーションの良い方と同じく
魅力を感じてくれる人などいないので
す。
デブな腹を抱えて、周りからデブだと
見られて生きる人生を背負うのは自分
なのです。
引用した自己責任論否定の方のお話で
あっても、自己責任なのです。
親が貧しいから、自分も若いうちから
働かなきゃいけなかったから、だから
学力がありません…て人を受け入れる
事ができますか?
って話。
例えば、仕事で相手先の輩に電話口で
クソ失礼な応対をされたりして。
「スンマセン親が貧しかったんで」
「礼儀とか教えて貰ってねぇっス」
てな風に言われたり。
例えば、仕事で相手先の輩に依頼した
仕事が不履行だったりして。
「親に暴力ふるわれて寝てねぇんで」
「やっとく手続きやれてねぇっス」
てな仕事しかできなかったり。
それを
『なら仕方ないでちゅねー』
『自己責任じゃないでちゅよー』
て言ってくれますかね?
誰も言ってくれませんよね。
特別に良い評価はくれませんよね。
評価されない人生を歩むのは自分なの
です。
結局、どんな不遇な境遇であろうが。
結果出せなきゃ認められないのです。
他人に、社会に、認められない人生を
生きるのは自分なのです。
認められたかったら不遇や不運を乗り
超えて結果を出さなきゃなのです。
不出来を境遇や社会や自分以外の他の
何かや誰かのせいにして自己を正当化
しようとしたり。
境遇だろうが、努力の結果だろうが、
出来の良い人間を妬んだり、揚げ足を
取ったり。
努力なく出来の良い人間を超えようと
したり、同等以上の評価を望んだり。
それが叶わないのを自分以外の誰かの
せいにするから、自己責任だろうと。
結果を出せない自分が悪いだろ、と。
結果を出せない舞台に上がってきたの
が悪いのだろうと言われるのです。
本人が不出来なのが悪いのだから。
生まれや過程や方法がどうあろうと、
結果を出せないのが悪いのだから。
何度でも言います。
何度も言います。
別に出来の良い奴になれなくてもいい
じゃない、ってお話なのです。
不出来の中でも幸せにはなれるでしょ
ってお話なのです。
誰にも勝てなくても笑顔にはなれるで
しょ、ってお話なのです。
さて。
いつも通りの事をたくさん書いてきた
のですが。
結論もいつも通り。
過ぎた理想を求めるな!
他者に理由を擦り付けるな!
なのです。
上を目指すのはいいけども。
上に行けない時もある。
それで無駄に苦しんだり。
上の誰かや世界を恨んだり。
上に持ち上げてくれないのを誰かや
世界のせいにしたり。
それは上に上がれない事よりも愚かで
醜い人生なのです。
上に上がれないのが醜いのではない。
不相応な見返りを求めたり。
それを得られない事に理不尽な不平を
説いたり。
「努力」の藻掻きで手を動かす事なく
「グチ」の足掻きで口だけ叩いたり。
そんな姿や心が醜いのです。
それは下、底辺で必死に生きる者より
ずっと醜いのです。
今のあんたが一番みにくいぜ!
底辺なら底辺で底辺を謳歌しようぜ!