提言にふさわしくないパターンを知る


提言として盛り込むとかえって評価を落としかねないパターンというのもある。

中でも、絶対に避けたいのはこの3つ。


行政任せ・学校任せ・個人任せ」だ。



まずは、「行政任せ」。


もちろん国や自治体にも役割はあるし、果たすべき役割を指摘すること自体はよいのだが、それだけで終わってしまっては、国や自治体が何とかすればいい、というような姿勢に見えてしまう。


特に気をつけなければいけないのが、「法律の制定」を主張すること。
何らかの禁止や強制で社会を変えるというのは、誰でも簡単に思いつくが、ではなぜこれまでそのような法律が作られなかったのだろうか。
現実にそうした法律が制定されていないのには、それなりの理由がある。
そもそも世論がそのような法律を求めていなかったり、新たな法律が憲法や既存の法律に抵触するおそれがあったり、立法は可能でも実際の取り締まりにはコストがかかりすぎたり、法の抜け道を見つけやすくイタチごっこになる可能性が高かったり。
このような事情を考えれば、法で縛って何とかしようとしても無理だという指摘に反論しにくく、説得力を持たせにくい。
だいたい、新しい法律を作ればそれで済むような問題は、出題者のレベルが疑われるので、最初から出題されないと思ったほうがよい。


分野によっては、法整備が不充分であるために問題が放置されてしまっていたり、既存の法律が社会の変化に対応できなくなっているために対応できていなかったりすることもあるので、そうしたケースでは、遅れている法整備を進めるべきだとの主張を盛り込むのもOKだ。
たとえば、性同一性障害や同性婚など、これまで積極的に議論されることの少なかった性的マイノリティーの救済や、代理出産や臓器移植など、先端医療と生命倫理に関わる分野では、近年、実際に法整備が進められてきて、それによって事態の改善が期待されている。
ただし、そうした分野であっても、法整備だけで何とかなるような問題はない
したがって、法整備は具体的提言の中ではおまけ的なものであり、それを提言の核にすべきではない。法整備が遅れている場合は、その問題に対する社会の理解自体が遅れていることが多いので、どのようにして社会の理解を進めるべきかを核にするほうがよい。



次は、「学校任せ」。


次世代を担う子供たちを育てる場所として、学校の果たすべき役割は確かに大きい。
しかし、学校で教えればいい、学校でやればいいと、すべてを学校に押し付けているだけに見えるような形の提言はNGだ。


もちろん、正しい知識を学校で教えることも、机上の学問ではなく実際に体験してみることも大事なので、それらを盛り込むことは大歓迎。
どのような知識が必要かどのような形での体験の場を提供すべきか、具体的な提言は得点につながる。


だが、学校や教師の役割しか書いていないと、まるで何でもかんでも学校がやってくれればいいと、家庭の責任を放棄したモンスター・ペアレントのように見えてしまう。
学校が取り組むべきことを見つけたら、それだけでなく、家庭や地域での取り組みもあわせて考えるようにしよう。

たとえば体験学習に関して、学校と地域の連携のあり方についても説明するなど、学校任せにならないように気をつけるとよい。



最後は、「個人任せ」。


社会を構成する個人の努力や意識、資質に過度の期待をかけるのは危険だ。
どのような問題でも一人一人の心がけ次第だ、というのは、ある意味正論ではあるのだが、小論文では禁句と言ってよい。
仮に個人の役割が大きい場合でも、価値観の異なる人々をどうやってその方向に導くことができるのかどうやればみんなの意識をその方向に向けられるのか、そこまで考えなければ、提言としての意味を持たない。


「みんなで頑張る」という漠然とした努力宣言や、「まず私から始めていきたい」という個人的決意表明も同様。
そんなことは誰でも言える。
その手のフレーズは、小論文では使わないようにしよう。


そのように問題解決に積極的な一部の人間だけでなく、そこまで関心も熱意も持っていない多くの人々を巻き込んで問題解決に向かわせるために、社会としてどのような取り組みが必要なのか、そこを考えることが大切なんだ。

よく使うパターンを使い回す


使い回しというと聞こえが悪いけれど、わずかな手直しでさまざまな問題に当てはめられる、応用範囲の広いパターンとしては、以下のようなものがある。


ほかにも、自分が以前使った提言や解答例にあった提言を見直して、使えそうなものがあれば、遠慮なく盛り込んでみよう。



正しい知識と理解を広げる


提言の基本理念③で示した「教育」の一環といえるが、たとえば、これまでは正しい知識が欠けていて、誤解が問題の悪化を招いていたのであれば、正しい知識を持つために、どのような教育や広報活動が必要かを説明しよう。
あるいは、単なる知識だけでなく、体験を通じて実感することが大事だというのであれば、どのような形で体験の機会を作るべきかを述べよう。



対話の重視」・「国民的合意形成のための議論の必要性


小論文の題材の大半は、異なる立場からの主張がぶつかり合い、どちらか一方のみが正しいとはいえないような問題だ。

こうした問題では、それぞれの主張のどの部分を重視し、どの部分を問題視して、どのような妥協点を探るべきかを考えることが重要だが、そこに至るまでの対話や議論の必要性を説くというのも一つの手だ。
特に、脳死や生殖医療など、受験生個人の好みよりも、社会全体が納得して受け入れられるかどうかが問われているような問題の場合、双方の理解を深め、譲歩を引き出すために、どのような話し合いの場を持つことが必要なのかを論じるだけでも立派な主張となる。



役割の見直し


これまでその問題に関わってきた当事者たちそれぞれの役割分担がよくなかったのであれば、今後は誰がどのような役割を果たしていけばよいのかを指摘しよう。
あるいは、これまでその問題に関わってきた当事者だけでは解決できそうにないと思われるなら、新たにどういう立場の人間がどのような形でそこに関わっていくべきかを提案しよう。



ここまで説明してきた提言の基本理念を頭に入れたら、実際に自分でも提言らしいものが書けるかどうか、練習してみよう。


基本理念はわかっても具体策が出てこないという人には、①官庁が発行している白書から、自分が共感できる施策を書き出してみるという練習と、②以前ほかの問題で自分が使った提言や解答例の提言を手直しして使い回す練習がオススメだ。

また、③提言にふさわしくないパターンというのもあるので、うっかり書かないように憶えておくといいよ。



官庁による白書や広報資料を利用する


社会問題の改善策としてどのようなものがあるのかわからないうちは、官庁が発行している白書や広報資料を参考にしよう。


環境問題なら、環境省の「環境白書」、少子高齢化なら厚生労働省の「少子化白書」と「高齢化白書」、教育問題なら、文部科学省の「文部科学白書」や「青少年白書」といった具合に、関係省庁が分厚い白書や薄いリーフレットを作っており、公式サイトからダウンロードできるものも多い。
これらには、すでに取り組みの始まっているものや、これから取り組もうとしているものなど、抽象的な理念具体的な施策が満載だ。


たとえば、少子化問題の解決のためには、「産みやすく、育てやすい社会づくり」が大事であることは間違いない。
そして、その実現のために必要な取り組みに関しても、多くの人が思いつきそうな方法はほとんど白書にも挙げられている。
その中でも特に力を入れるべきだと思うものを選んで、自分の提言に利用しよう。


官庁の出す白書は、自分たちの進めている取り組みの自画自賛的な面もあり、楽観的すぎるきらいもあるが、前向きさをアピールする小論文にはぴったりといえる。


ただし、少子高齢化や環境問題のように頻出の話題であっても、設問によっては、用意しておいた提言のどれも当てはまらない場合もあり、無理にそこに持っていこうとするとかえって評価を落としかねない。
実際、大学関係者へのアンケートでも、いかにも事前に準備した内容に強引に持っていた感がある答案というのは、非常に嫌われている。

(参考サイト:http://www.daiichi-g.co.jp/ron-net/free/zemi/03.html


出題する側も、ある程度の小論文対策をやってくることは予想しているし、望んでもいるが、同時に、受験生がその場で考えることを期待しているので、あらかじめ用意してきた答えをただ出してきただけという印象を受ける答案に対しては、かなり厳しい目が向けられるようだ。
準備は必要だが、準備に頼りきって、設問の意図から外れることのないように気をつけよう。


具体策に困ったら、「教育・地域社会・心のケア」


ここまでの2つの基本理念で、提言の方向性は見えてきたかな。


しかし、小論文の結びでは、抽象的な理想だけではなく、その実現のための具体的な方策を盛り込んだほうが評価が高くなる。


社会問題の改善にはさまざまなアプローチがあるが、具体策を思いつかないときは、とりあえずこの3つの分野から考えると見つけやすい。



まず、「教育」は、いわゆる学力を身につけるための勉強に限らない。


問題を解決するためには、それについての正しい知識や新しい認識を持つことが必要なので、たいていの場合、周知の必要性を訴えることができる。


知識でも技術でも、多くの人々が充分身につけていないもの全般について、これからどうやってそれらに触れる機会を持たせられるかを考えてみよう。


子供のうちから、と考えると、ついつい何でも学校で教えればいい、と考えがちだが、すでに学校を出た世代への周知が必要な場合もあるので、教育の場も、学校に限定せず、家庭や地域社会に広げて考えてみるとよい。
どういったことを、どういった形で、人々に知ってもらうべきなのか

これが、教育の面からの提言だ。



次に、「地域社会」というのは、現代では失われつつある人と人とのつながりの象徴のようなものだ。

多くの要因により、地域社会の弱体化が進み、同じ共同体に生きる人々の結びつきが弱くなったために、これまで共同体内で支え合ってきたものごとが、うまく機能しなくなっている。

さまざまな問題に絡んで、地域社会の再生が叫ばれているが、小論文で取り上げられる社会問題でも、地域社会の果たすべき役割は大きい。


また、「国全体で進める」というと規模が大きすぎて、現実味が薄れるような提言であっても、「地域社会での取り組みから始める」というと、地に足のついた提言に聞こえやすい。
環境問題など、大規模な取り組みが必要とされる場合でも、国任せではなく、住民一人一人の参加による地域レベルでの取り組みからのスタートを考えてみよう。



最後の「心のケア」は、どの問題にでも当てはまるというわけではないが、闘病中の患者やその家族、育児中の女性、思春期の青少年、過労気味の社会人、定年後の高齢者など、ストレスに苦しむ人が多い現代では、カウンセリングをはじめ、心の重荷を軽くするための場が求められている。


社会問題の中で苦しんでいる人の置かれている環境に目を向け、ストレスを抱えた人が周囲から隔絶され、孤独になっていないか、また誰かと話をしたり交流を持ったりすることで、その苦しみを緩和できないか想像し、どのような心のケアが有効か考えてみよう。


ただし、カウンセリングさえすれば誰もが悩みから解放されるというわけにはいかない。
カウンセリングというのは、多くの場合、言葉にできずにいたもやもやした思いを吐き出すことで、自分の感じていたことを改めてはっきりと見つめることができるようになったり、自分を苦しめているものの正体に気づいて、それに向き合うきっかけをくれたりするだけで、悩みの原因になっている状況を直接変えてくれるわけではない。
したがって、カウンセリングは、提言の一部としては有効だが、悩みの原因になっているものをどう変えていくのかといった、より直接的な改善策とセットで示すことが必要だ。



このように、「教育・地域社会・心のケア」の3つから具体策を考えてみるというのは、理解できたかな。

さすがにこの3つだけでどんな問題でも解決できるというわけにはいかないけれど、「正しい知識を共有すること」、「身近な人と人とのつながりを大事にすること」、「苦しんでいる弱者への配慮を忘れないこと」というのは、たいていの問題解決に必要なものであり、押さえておいて損はない。
またこの3つは、多くの大人がこれからの世代に期待するものであり、これらの大切さを理解していることがわかる小論文のほうが、やはり好印象を得やすいんだ。

一つのものさしにとらわれず、価値観を問い直す


世の中のものごとは、それぞれさまざまな面を持っており、決して一つの価値観だけでその優劣を計れるものではない


詳しくは改めて説明するけれど、産業革命以降の近代社会は、生産性や効率といったものさしでものを見ることを人々に突きつけてきた。
生産性が高いこと、効率的であることが求められ、生産性が低く、非効率なものはその価値を否定された。


このたった一つのものさしは、物質的な豊かさをもたらした一方で、大事な何かを奪ってしまった。
この問題を扱うのが、「近代化」と呼ばれるテーマだが、そこで考えなくてはならないのは、生産性や効率というものさしだけでなく、もっと違ったものさしで価値を計ることも大切なのではないか、ということだ。


生産性や効率という点では劣っていると思われるものにも、違った視点から見れば優れている点があるかもしれない。

一つのものさしにとらわれずに、ものごとを見つめ直すこと、それが今後の課題となってくる。



この考え方は、近代化に限らず、さまざまな問題に当てはまる。


たとえば、「よい学校」とは何だろうか。

進学実績の高さだけで優劣を決められないのは、今さら言うまでもないだろう。
生徒が何を学べ、何を身につけられるのが「よい学校」なのだろうか。


あるいは、「よい病院」とは何だろうか。
手術の成功率や先端医療の提供だけで優劣を決められるほど単純なものではない。
患者に対して、何をどう提供できることが重要なのだろうか。


こんなふうに、これまで何らかの基準や価値観に従って優劣が決められてきたものについて、別の基準や価値観から再評価を行ってみる、あるいは、今まである一方向からしか見ていなかったものごとを、別の新たな視点から見つめ直してみることが大切だということだ。


このように、一つのものさしにとらわれず、価値観を問い直すことが求められる場面は実に多い。
これまでのやり方に問題があるとしたら、その「ものさし」に当たる価値観や意識といったものに問題がなかったのか考えてみて、新たな視点や複数の「ものさし」を持つことの必要性を論じてみよう。



任せないで、共有し、分かち合う


何をどうしたらよくなるのかわからない、という問題を考えるときは、まずこの基本理念に従って考えてみよう。


多くの社会問題では、本来、社会全体で取り組まなければいけない困難が、一部の人に重くのしかかっている
そして、それ以外の人は、その問題を意識せず、他人事のように感じていることが少なくない。


提言を考えるときは、まずこうした点に目を向け、現状では何任せになってしまっているのかなぜそれではいけないのかを考えるところからスタートしよう。


そして、情報や知識、意識や認識など、何を共有していくことが大切なのか、またそのために、異なる立場の人の声を聞いたり議論したりする、どのような機会を増やしていくことが必要かを考えてみる。


さらに、一人で、あるいは一部の人だけで抱え込まずに、どのような役割や負担を分かち合うべきか、また、どうすればそのような分かち合いが可能になるかを具体的に考えていく。



なお、「協力」、「連携」といった単語だけでは、具体的にどのようなものを思い浮かべているのか伝わらないので、どういう人々とどういう人々が、どういった取り組みにおいて、それぞれどのような役割を果たすことによって、どういった効果が期待できるのかといった詳しい説明も添えておこう。

何度も繰り返しているように、小論文では、自分なりの提言を示すことが大事だ。


といっても、前に説明した通り、一受験生にそれほどたいした内容が求められているわけではないし、ほかの人々が思いつかないような画期的なアイデアを盛り込む必要もない。

大学関係者が新入生に期待する、「若者らしい前向きさ」を感じさせる、常識的な内容で構わないのだから、自分の個性や発想力に自信がなくても、まったく気にしなくていい。


とはいえ、考える時間はせいぜい数分間。
そのわずかな時間の中で、目指すべき方向性を示した抽象的な理念と、問題改善のための具体的取り組みを書き出さなくてはいけない。


試験会場で課題文を読んで初めて知った社会問題であっても、「なんとなくそれらしい提言」をひねり出すためには、小論文における提言の基本理念を頭に入れておき、それに沿った方向で考えることが大切だ。



基本理念はたった3つ。


任せないで、共有し、分かち合う 


一つのものさしにとらわれず、価値観を問い直す



具体策に困ったら、「教育・地域社会・心のケア」


では、これらの理念をどう応用すればいいのか見ていこう。




課題文が提示した問題について論じる際には、課題文では触れられていないような独自の考察を盛り込むことが求められる。


では、いったいどこを掘り下げれば「深い考察」をアピールできるのか。


答えは簡単。

どんな問題であろうと、①問題の推移と地域差、②問題の影響と効果、③背景にある意識・価値観という3点に注目すれば大丈夫だ。



まずは、①問題の推移と地域差


その問題が、時代とともにどのように変化してきたか、そして変化の原因は何だったのかを考えよう。
それが日本と外国、あるいは都市と地方とで、違った様相を見せる場合には、地域差とその原因を考えてみる。
こうした時間や空間における2点の比較によって、問題の原因が明確になることが多い。



次に、②問題の影響と効果にも想像を広げてみよう。


一つの社会問題は、それだけにとどまらず、いくつもの問題と関連性を持っていることが多い。
その問題がほかのどのような面にどう影響しているのかを説明すれば、問題の複雑さや深刻さを指摘できる。
また、その問題に取り組むことでどのような効果が期待できるのかを説明すれば、対策の必要性や有効性をアピールすることができる。



さらに、③背景にある意識・価値観にも目を向けよう。


表面的な問題の背景には、それを引き起こした人々、あるいはその現状に気づいていながら看過している人々の意識の問題がある
日本人あるいは現代人のどのような意識がその問題につながっているのかを考えることで、根本的な解決のために、どういった意識改革が必要なのかを考察することができる。



生活の中で目に映る表面的な問題と、その背後にある意識や価値観など形のないもの。
そして、昔と今の違いのような時間軸での比較(推移)や、日本と外国の違いなど空間軸での比較
さらに、その問題を引き起こした原因やその問題の影響や効果など、因果関係でつながっているものごと。


このような3種類の分析を試みれば、たとえ予備知識が不充分であっても、どこにどんな問題があり、どんな対策が求められているのか、掘り下げることができ、必要な材料を集められるんだ。

もう一つ、例を挙げておこう。

これまでもよく出題されてきた、ケータイに関するマナーなら、こんな感じだ。



問題提起


与えられたキーワード

 携帯電話(スマートフォンを含む)のマナー


キーワードの意味

 迷惑をかけたり不快にさせたりしない、周囲への配慮ある使い方



問題の例


身近な例

 電車内でのマナー違反の例(身の回りで頻繁に見られる、無神経な使い方の具体例)


問題になっているもの・問題があると思う部分

 マナーが統一されていないため、ルールで縛るというより、場に応じて利用者自身が判断して自制することが必要になる。



問題の考察


問題の影響

 マナー違反をめぐるトラブル(暴力事件など)


問題の背景

 他人の迷惑を考えない利用者のモラルや想像力の欠如



自分の提言


問題の改善の方向性

 自分の言動の影響を考える力と、状況を読む力を育てる。


具体的な改善策

 家庭のしつけと学校教育(家庭や学校で甘やかさず、我慢や他人への気遣いができるようにしつける)
 認識を共有するための広報活動(実際にどういった行為が迷惑や不快さにつながっているのか、調査結果などをケータイ・スマホ利用者に広く知らせる)


※しつけは本来当たり前のことなので、結論がこれだけだと物足りない。
 そのようなしつけを徹底する方法まで踏み込まないのであれば、「~が必要なのはもちろんだが」のように、当然のものとして示すにとどめ、ほかの提言を中心にしよう。


※「自分は気にならないから、他人も気にしないだろう」というように、自分中心で、他人のことをきちんと考えることのできない人も少なくない。
 そういう想像力が足りない人々に対しては、「自分で想像して」といくら言っても効果がないので、ほかの人々がどんなことを嫌がっているのかをはっきりと知らせる必要がある。


※改善策として、「自動車・電車・劇場内で自動的にマナーモードになる・通話できなくなる端末」など、新製品の開発に期待を寄せるようなものも考えられる。
実際、盗撮が問題になった結果、設定でシャッター音を消せないように改良が加えられたという歴史もあり、マナー違反を減らす新技術の導入にも、一定の効果は期待できる。
しかし、マナー違反は車内通話に限らず、無断撮影や、電源を切るべき場で切っていないなど、ほかのマナー違反には対応できないため、それだけでは解決できない。

冷めた見方をすれば、「人々のモラルを向上させるより、新端末を開発するほうがはるかに簡単なんじゃない?」と言いたくなるかもしれないけれど、小論文では、人々のモラル向上を諦めたような姿勢は慎んだほうがいいので、そこはぐっとこらえて。


そもそも小論文の出題者というのは、新技術頼みの解答を期待していない
「~な機械が発明されれば万事OK」のような解答では評価は得られないので、改善策を考えるときは、将来可能になるかもしれない新技術(技術的には既に可能であっても商品化されていないものも含む)をあてにするより、今の社会で取り組めることを優先しよう。