4月も終わりになりますが、すっかり2ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
ちょっと最近強く思うことがあったので、こちらのブログにも記しておきたいと思います。
10日前のこと、突然「Facebookのコミュニティ違反により使用を制限します」という通知が届きたのです。
実は同じことが年始にも起きており、今回が二度目。
一昨日ようやく制限が解除され、ようやく再び投稿できるようになりました。
しかし今回、私の中に残ったのは「不便だった」という感想よりも、もっと根源的な違和感でした。
表示された違反内容には、「9回の事前警告にもかかわらず改善がなかった」と記されていました。
けれども、実際にはそのような警告を受けた記憶は一度もありません。
そもそも違反に該当する投稿をした覚えもない。
それでも、判断は下され、利用は止められ、そして異議を申し立てる窓口も見当たらない。
この出来事を通して、私は一つの問いを突きつけられたように感じました。
「判断する主体は、いったい誰なのか」
AIによる自動判定は、効率という点では圧倒的に優れています。
しかしその一方で、「なぜその判断がなされたのか」という説明責任は、どこへ行ってしまうのでしょうか。
もしも、理由を知らされないまま「あなたは違反者です」と宣告される世界が当たり前になったとしたら。
そこでは、事実よりも「判定」が優先されることになります。
それは極端に言えば、罪を犯していない人が、罪を犯したことにされてしまう世界でもあります。
少し大げさに聞こえるかもしれません。
しかし今回の体験は、その入口に立ったような感覚を私に与えました。
同時に、もう一つ痛感したこともありました。
あらためて、人間同士が直接言葉を交わすことの価値を痛切に感じたのです。
最近では、さまざまな業種でサポート窓口がAI化され、
「人と話す」こと自体が難しくなってきています。
かつてFacebookは、顔の見える人同士がつながる場所でした。
しかし今、その方向性は「メタ(仮想空間)」へと移りつつあります。
もちろん、技術の進化そのものを否定するつもりはありません。
むしろそれは、これからの社会にとって大きな可能性を持っていると感じています。
ただ、その中で私たちが見失ってはならないものがあるとすれば、
それは間違いなく「人と人との対話」ではないでしょうか。
そんなことを考えていた矢先、Facebookの制限が解除されたその日の夜に、キャリアコンサルタントの中村 浩一郎さん、通称「こーちゃん」と、無事にSNSでライブトークを行うことができました。
3年前にご縁をいただいて以来、親しくさせていただいている方で、
来月には『幸せな転職』という書籍を出版されます。
彼は4月13日からなんと5月31日まで、毎晩21時から、異なるゲストを招いて対話を続けています。
多くの人のキャリアや生き方に触れられる貴重な機会を提供してくれていて素晴らしいです。
そして私も、明日29日(水)21時から、小河園子さんとライブトークをさせていただきます。

園子さんは、『気がつくと子どもの英語力がぐんぐん伸びている おうち英語』の著者で、とても気さくで聡明、本当に素敵なお人柄。
実は先週予定していたのですが、私のFacebook制限の影響で延期となり、今回あらためて実現することになりました。
教師歴もお互い40年以上と長く、英語についてじっくり語るのは今回が初めてなので、とても楽しみにしています。
ご興味のある方は、ぜひご覧ください。







































