令和6年8月18日
仙台キリストの教会礼拝説教
「みんなで食卓囲んで」
細井 実
8月も中旬になりました。相変わらず異常ともいえる蒸し暑い日が続いています。いつも繰り返し言っていることですが、このような日々がごく当たり前の事となり始めているのです。温暖化ガスの根本的な削減が一向に進まず、現在の産業や労働を維持するという目先の利益にこだわり、温暖化を阻止するのではなく、逆に進めてしまいかねない政治の潮流が世界に広まっています。
この愚かな人間の所業を前にして、私たちはどのようにふるまったらよいのか。いくら個人としてリサイクルや省エネに取り組んでも、その努力は、政治の行方によっては、無に帰してしまうかもしれません。
でも既に身に付いた、環境に配慮するという意識、そして微力でも家庭等で発生する温暖化ガスを抑制しようとする私たちの生活は、少なくともこの日本では、きわめて当たり前の、平凡な日常になっているように思います。
異常な暑さが続き、エアコン等の利用が電力の消費等を押し上げ、いくら抑制しようともしきれないという、悪循環の前でたじろいでしまうことはあるかもしれませんが、日常化した環境への配慮に、自負と、自己満足かもしれないけれど少しばかりの喜びを抱いて、私たちは歩んでいかなければならないのだと思うのです。

NHKのテレビ番組で「病院ラジオ」というのがあります。年に数回しか放送されていないので、なかなか見る機会は無いかもしれません。
NHKによるとこの番組は
「サンドウィッチマンが、病院に出張ラジオ局を開設!
家族や家庭の日ごろ言えない気持ちをリクエスト曲とともに聞いていく、
ー中略―
笑いと涙の新感覚ドキュメンタリー。」
とあります。
確かに個人の病気や入院歴等を記録するドキュメンタリー、病院を舞台にして医師や看護師、患者や家族の関係を描いたドキュメンタリー等は数多くあったと思いますが、このような発想でインタビューを行う、あたかもバラエティー番組かと思わせるような構成のドキュメンタリーは今まで見たことはありませんでした。
少し前のことになりますが、昨年の3月29日に、仙台の東北大学病院に一日限りのラジオ局が設置されました。その中にこんなインタビューがありました。

サンドウィッチマン「さあ、みんなの夢を聞きたいなと思って。これから生きていくうえでの。
お父さん「毎日家に帰って、ただいまと玄関開けたら、家族がいて、みんなで食卓囲んでご飯食べたられたり、というのは当たり前のことなんだけど、続けるのは本当に難しいことだから、これが続いてくれることだったり、これがいつまでも続いてくれることが夢のひとつであり。」
お母さん「明日が来るのが当たり前でない私たちに、毎日毎日、一日一日が奇跡の連続だと思っているので、今日の一日が奇跡だったと感謝して。」

このご両親の、4月からは特別支援学校高等部に進学する娘さんも同席していました。娘さんは東北大学病院で生まれましたが、低体重で生後二日目には脳出血が起こり、水頭症と診断され、更に2歳半までに4回の手術をしたということです。またお母さんは娘が2歳半のとき肺腺癌を患い、リンパや脳にも転移していると診断され、現在まで5回も手術を受けています。
娘さんが2歳半の頃、子こどもをどうしようか悩み、あげくに、このお母さんはお父さんに「分かれてくれ。」と言ったそうです、まだ若いのだから解放してあげなければならない。私とは離婚し、別の人と再婚した方が良いと考えたからだそうですが、お父さんからは「愛(娘さんの名前)を自分の物だけのものにしようとしているのか。お前だけの子どもではない。俺の子どもでもあるんだ。」と強く叱られたそうです。お父さんは「これから愛をどうやって育てていくか考えている時に、ふざけるな。」と思ったと言っています。その叱責の強さに圧倒され(多分です。)離婚することはなく、今に至り、この病院ラジオに登場しているのです。
夫婦の離婚問題で話が弾んでいるところでしたが、サンドウイッチマンが「夢は」と語りかけたのです。その答えは、家族でのごく平凡とも思われる日々、特に家族が食卓を囲んで食事ができること、それが続くこと、また今日の一日も奇跡だと感謝できること、ということでした。
夢をどう語るか、何を夢と考えるのか。その答えはそれぞれがいままでどう生きてきて、今どのように生きているのかによって異なるでしょう。きっと各々が別の夢を抱くのだと思います。ごくありふれた日常と、そのような一日一日が続いてほしいというこの家族の願いは「夢」と言えるでしょう、ただ私は、その夢を紡ぎだす、その根元には、その日の、その一日に、多分、「喜び」を見出し、「しあわせ」と感じていることがあるのだと思うのです。「明日も」と願うことは夢ですが、「今日は」と思うことは幸せであるからです。
このご両親の「夢」は何かと問われたとき、私は、夢だから、実現するすることはできなくてもいいから、娘さんとお母さんの病気が快癒し、障害や病の無い家族となることではないかと、そのような奇跡を願うのではないかと、愚かにも一瞬思ったのです。でもそのような浅はかで、愚かな考えは、それこそ一瞬で吹き飛ばされました。
ご両親は、言葉で語ろうとしても語りつくせない苦難の道を歩まれ、明日はどうなるのか、いや、今日さえもどうなるのかわからない、不安と焦燥の日々を過ごしてきたのだと思います。そのような日々の中で、その苦難に向き合うより他にないという覚悟を持たれ、ようやく一日を終えようとするときに、家族と共に食卓に向かうことができる日があり、その時、その都度、その日を無事生き抜くことができたいう充実感、喜びのようなもの感じてきたのではないか。あるいは、今日(病院ラジオの日)改めて、今までの日々を振り返り、やっと、落ち着て家族で食卓を囲むことのできる日々が訪れたことに感謝し、しあわせだと実感し、この時間がこれからも続くようにと願ったのではないか。
と思うのです。
いかに豊かになろうとも、いかに社会から称賛されようとも、あるいは自分自身の抱くいわゆる夢が、例えば、将来の職業とか、スポーツで勝利を得るとかの夢が実現したとしても、それはその時に、充実している、うれしい、しあわせ等と感じることはあっても、またその後の人生を変えることがあっても、その高揚感、幸福感が永続することは無いでしょう。
夢とは何か、夢を抱かせる根元にあるしあわせとはなにか。
それをここで語る資格は私にはありません。
ただ言えることは、この家族が、ただ今日を生き、その生きていることに感謝し、家族と食卓を囲めることを奇跡と思い、ただこの世界に存在し続けることをしあわせだと思っていることは間違いないのだということです。

ここで聖書をお読みします。

ルカによる福音書 24章 29節から31節
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。

ここでのイエスは復活した後のイエスです。
イエスは エルサレムから7マイルほど離れたエマオという村にいこうとしている2人の弟子の前に現れ、近づきます。
そして共に歩くのですが、彼らはその方がイエスであることには気づかずにいます。彼らは、エルサレムでの出来事について話し会うことに夢中になっていたのです。エルサレムでの出来事とはイエスが十字架での犠牲になったことでした。またその三日後にイエスの体が無くなっていたいうことでもありました。なぜ彼らはエルサレムを離れようとしたのか。その真意を探ることはできませんが、神の子であると信じ、数々の奇跡によってそのことを証明し続け、多くの民衆を差別なく癒し、救いの道を説いたイエスが。人の手でいとも簡単に殺されてしまったことに、それも癒し続けてきた民衆の前で、十字架で磔になったことを、どう受け止めて良いか理解できずにいたに違いありません。

ルカによる福音書24章 19節から24節
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。

2人の弟子は、復活のイエスに「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか。」と問われ、悲しそうな顔をして、このように答えるのです。イスラエルを救うであろうと希望を託してきたイエスが殺されてしまったという事実を前にして、彼らは希望を失い、悲しみに耐えようとして、沈黙していることがかえって悲しみを深めてしまうのではないかと、お互い語り続けたのかもしれません。またイエスを信じていた自分たちは、イエスを殺してしまった役人や、それを支持した民衆から迫害を受けるかもしれないと恐怖を感じていて、その恐怖にも耐えようとして、語り合っていたのかもしれません。
また、神のみ使いがイエスは生きていると告げた言葉に、イエスはどこかで生きているかもしれないという微かな希望抱き、いやそんなことはあり得ないと、肯定と否定を繰り返しながら、でも言葉にしなければ、動揺は収まらずに、語り合っていたのかもしれません。
復活のイエスは、そのような、もしかしたら錯乱状態にあって、ただ沈んでいて、悲しそうな顔をしていて、自分が誰か気づかずにいる彼らにこう言います。

ルカによる福音書24章 25節から27節
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。

復活のイエスは、彼らが、自分が誰か気づかずにいることに、すこし苛立っているようにさえ見えます。彼らが気づくように復活のイエスは 聖書において自身のことが預言されていることを彼らと共に歩きながらお話しするのです。どのようなことを説いたのか。私たちが今知っているイエスの死に関する預言はイザヤ書の53編です。

イザヤ書 53章 3節から8節
彼は侮られて人に捨てられ、/悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、/彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、/われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、/彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、/われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、/われわれに平安を与え、/その打たれた傷によって、/われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、/おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、/彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、/口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、/また毛を切る者の前に黙っている羊のように、/口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、/彼はわが民のとがのために打たれて、/生けるものの地から断たれたのだと。

復活についての預言としてよく引用されるのは、詩篇16篇 8節から11節ですが、そのダビデの詩がイエスの復活の預言であることをペテロが使徒行伝で語っています。

使徒行伝 2章 24節から31節
神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。
ダビデはイエスについてこう言っている、

『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、/わたしの右にいて下さるからである。
それゆえ、わたしの心は楽しみ、/わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、/あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない/であろう。
あなたは、いのちの道をわたしに示し、/み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。(詩篇16篇 8節から11節の引用)

兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、
キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。

復活のイエスが彼ら2人に語った自分について記してあることとは、このような預言的なことだけではなかったでしょう。きっとなぜ自分が神の子としてこの世に遣わされ、なぜ十字架で死ななければならなかったのか、そしてなぜ今復活してここにいるのかを切々と解き明かしたのです。しかし彼らはまだ気づきませんでした。彼らは、多分実際に自分の目で見たこと、十字架での死と主(あるじ)のいない墓という悲しみと絶望、そして不思議さにたじろぎ、ただその事実、出来事のみに動揺していて、復活のイエスが「キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」と説き明かすことばには上の空だったかもしれません。
でも、誰だかわからないけれども、自分たちの話を熱心に聞いてくださり、またそれに答えるように また多分悲しみに沈んでいる自分たちを慰め、励ますように、イエスについて説き明かしてくれた復活のイエスに、親しみを感じ 感謝して、一緒に泊まりましょうと誘うのです。
復活のイエスは、これも多分ですが、喜んでその誘いを受けたのだと思います。一緒に泊まることで、自分が復活していることに気づくことができるかもしれないとも考えたのでしょう。まさにそのような復活のイエスの思いは、皆で食卓を囲んだ時に現実のものとなるのです。
先に引用にあったように、「一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」のです。
食卓に一緒につくということは、親しみや身近さを示すことでしょう。彼らは復活のイエスに家族と同じような、親しい友人のような感情をもって誘ったのでしょう。
(これも多分ですが、この泊まったところは彼らの家だったのでしょう、そうすると彼らとは兄弟か夫婦であったのかもしれません。)
でもその食卓での出来事は驚くべきものでした。客であったはずの復活のイエスが、家の主が行なうべきことを行ったからです。普通ではあり得ないことでした。でもこの時の食卓には、そうさせるような雰囲気があったのでしょう。復活のイエスには、きっとそのようにしても不思議ではない、いや敢えて言えばそうせざる負えないような威厳というか、権威というか神々しさというか、そのようなものが備わっていたのです。
食卓でイエスがパンを裂くことの持つ特別な意味は誰でも知っている最後の晩餐で示されています。

ルカによる福音書22章 17節から20節
そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」
食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。

十字架での犠牲を予感しながら、イエスは弟子たちと食卓を囲み、パンを裂き、葡萄液をわけ与えるのです。それは弟子たちとの新しい契約の証でした、それはイエスの体と血に代わるパンと葡萄液をいただくことで、イエスに倣った道を歩んでいかなければならないという契約の証でした。それはイエスを遣わした神を信じ、イエスを神の子として信じることの証でした。イエスによって救われたものは、イエスに従って生きていかなければならないという証でした。イエスに倣って、すべての人びとに癒しと救いを与え続けなければならない証でした。

ただこの2人の弟子はそのような最後の晩餐に預かったものでありませんでした。そのようなことがあったことも知らなかったのだと思います。でも。復活のイエスが、食卓に着き、パンを裂き始めてた時、目が開いて、パンを裂く客が復活されたイエスであることに気が付くのです。
イエスは彼らの目が開くと、姿を消してしまいます。
そして彼らは、復活のイエスと出会ったことを自覚すると、エマオの家を出て、エルサレムに帰るのです。彼らにイエスからの新しい契約への招きがあったのかはわかりません。ただ、彼らはイエスが復活したことを直接目にしたことで、エルサレムから逃れるようにして来たエマオにはいられずに、まだ危険がいっぱいなことはわかっていながらもエルサレムに向かったのです。それは最後の晩餐で弟子たちが誓った新しい契約と同じものを、イエスに倣って神に従って生きるという新しい自分を発見したということだと思うのです。
でも彼らが復活のイエスと分かった時にはイエスは消えてしまいました。
それが何を意味するのか。
現代を生きる私たちは、この弟子たちにように復活のイエスに会うことはできません。同じとは言いませんが、彼らも復活のイエスには気づかずにいたわけですから、実際はほとんど出会っていないと言えるかもしれせん。
もしそう言えるのだとすれば
私たちも復活のイエスに気づかないまま、どこかで出会っているかもしれないのです。私たちにも、イエスが食卓を一緒に囲み、イエスが裂かれたパンをいただき、その瞬間にイエスと出会い、そして消えてしまったイエスに従って生きていくという、そのような時が既にあったかもしれないし、あるかもしれないのです。

「病院ラジオ」に出演した家族が、「ただ今日を生き、その生きていることに感謝し、家族と食卓を囲めることを奇跡と思い、ただこの世界に存在し続けることをしあわせだと思っていることは間違いないのだということです。」と述べました。
無論この家族の食卓に復活のイエスは現れないのかもしれません。でも彼らの食卓にはしあわせが詰まっていて、その食卓でのしあわせが続くことが夢でした。
ここで思うのです。
食卓には、彼らの幸せを祈るイエスが一緒いるのではないかと。
イエスの弟子たちにとって、最後の晩餐にあるように、食卓を囲むことは、イエス亡き後の苦難への旅立ちだったかもしれませんが、イエスと新しい契約を結ぶことでイエスと一体になれるという至福の時、しあわせの瞬間だったとも思うのです。
エオマに向かっていた2人に弟子にとっても、復活のイエスと囲んだ食卓は、イエスと共にいたという感激で満たされたしあわせな瞬間だったと思うのです。
 さらに思うのです。
「病院ラジオ」に出演した家族にとって、家族と囲む食卓には、娘さん(愛さん)そしてお母さん、そしてお父さんがいて、3人がそろっていることだけではなく、それぞれが、自分以外の家族がそこにいることにしあわせを感じているわけです。お互いがお互いを支え合うために、これからも様々な困難を抱えていくわけですが、この支え合うという苦労さえもきっとしあわせに変えていくことのできる原動力が食卓にあると思うのです。

食卓とは何か。それは「共に」生きていることの、その「共に」ということの証です。
それはイエスが「共に」いる、それゆえのしあわせがあるということの証でもあるのです。

今「共に」とは言えない食卓が増えているのかもしれません、家族を持たない人々が増えているからです。自らそれを選んだ人、そうならざる負えなかった人、理由は様々でしょう。気ままさを感じている人もいるかもしれませんが、多くの人びとは孤独や孤立を胸に抱えながら一人で食卓に向かっているのだと思うのです。
でも、たとえ一人だけの食卓であっても、そこに寂しさを感じているならば、イエスは見えないけれども、見ないからこそ、そこに「共に」いるに違いないのです。