令和6年4月7日
仙台キリスト教会礼拝説教
わたしはこのために出てきたのだから
細井 実

新年度が始まりました。
前回は、小坂明子の「あなた」という歌について語ることで始めました。今回もある曲の歌詞から語り始めたいと思います。それは当時まだ荒井由美と言っていた、松任谷由実の「ひこうき雲」という歌です。

白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうがあの子を包む
誰も気づかずに ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない そして舞い上る
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ時も
空を見てたの 今はわからない
ほかの人にはわからない
あまりに若すぎたとただ思うだけ
けれどしあわせ
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
 

この場では歌いませんが、多くの人が一度は聞いていて、口ずさめるような歌だと思います。1973年にリリースしたと言われていますので50年にわたって親しまれてきた稀有な歌の一つであるし、いまだに松任谷由実が歌い続けているので、誰もが知っている歌となっているのでしょう。
前回の「あなた」の時と同じように、うかつにも、聞きなれてはいたものの、その歌詞については考えたこともなかったのです。
2月の末頃、デビュー50周年を記念するという意味があるのかもしれませんが、松任谷由美を特集するテレビ番組がいくつか放送されていました。そこで改めて歌詞のテロップを見ることでこの歌がどのような心情と情景を歌ったものか気づかされ、驚かされたのです。それまで「ひこうき雲」の象徴するものは失われた恋であり、その失われた恋を抱きながら空を見上げる少女のことを描いた歌詞ではないかと、安易に考えていたのです。でもそれは見当はずれでした。
歌われていたのは、若くしてこの世を去った「あの子」のことであり、「ひこうき雲」に象徴されるのは、空に昇り、空をかけている「あの子の命」のことだったのです。それは「あの子」が誰も気づかないうちに、たった一人で 天に昇ってしまったという喪失感を、美しいメロディーで癒すような歌だったのです。さらに、ここには不思議にも、「何もおそれない」で空に舞い上がり、さらに「若すぎたとただ思うだけ けれどしあわせ」と歌われているのです。若くして天に昇ってしまいこの世での命が失われたのは悲しいけれど、でも「あの子」はきっと死を恐れることはなく、その瞬間においても、いやその生涯さえも、きっと幸せだったのだ。なぜなら、今は「ひこうき雲」となってあこがれの空をかけているではないか、という作詞者の「あの子」へも深い思いが示されているのです。
単なる若くして亡くなった「あの子」の無念さや悲惨さを歌い、悲しみや同情をさそう歌ではないのです。そこには死に至るまでの「あの子」とは何だったのかという問いがあるのです。インターネットで調べたところ、松任谷由実はこう語っています。

「(高校生同士の自殺事件があり、そのことを聞いた時に思い出したことがある。)小学校の時の同級生に筋ジストロフィーの男の子がいたわけ。―中略―その子が高校一年の時死んだの。お葬式に呼ばれて行ったら、その写真が、もう知らない写真になっているわけよ。―中略―それでそのことが結構インパクトがあって作った歌が「ひこうき雲」って歌。」(ルージュの伝言 角川書店 1983年)

「あの子」は高校一年で天に昇った筋ジストロフィーを患っている男の子のことだったのです。ではなぜ高校生同士の自殺事件があった時、「あの子」のことを思い出したのか。そして、なぜ「けれどしあわせ」と作詞者は言い切ったのか。松任谷由実はそのことを語ってはいません。

でも私はその時、以前この場で 紹介したことのある岩崎航さんのことを思い出したのです。彼も筋ジストロフィーを患いながら、寝たきりの生活を続け、詩人として活躍しています。1976年生まれですから今年は48歳になります。
彼にもこのような詩があります。

「ただの空が
ただの雲が
ただの風が
こんなにも
喜びになる」

ここには「ただ」という言葉が繰り返し使われています。特別に青かったり、特別に雄大だったり、特別に強かったりしなくても、誰も気づかないような、ただそこに在り、ただ時とともに消えてしまうような、自然の些細な変化に、彼は喜びを見出しているのです。寝たきりという不自由な生活が強いる、鋭敏な感覚がそう強いているのかもしれません。しかし私にはそこには、目が覚めたら、その日の天候を気にしながらも急いで朝食を終え、足早に玄関を飛び出るというような日常では感じ取れない、生きているという実感、本質のようなものが歌われているのだと思います。多分誰もが、忙しい日常から解放され草原や海辺で自然と触れあおうとするとき、吸い込む空気や見あげる空や雲、肌で感じる風の感触に安堵し、喜びを感じることがあるはずです。でもそれは非日常を求めたうえでの特別な時間です。
彼にとっては、自然は特別な時に感じるものでは無いのです。多分朝目が覚めた時に誰もが感じているはずの光の輝き、あるいは聞こえる雨音、空気の流れや淀み、部屋の臭い、それらがきっと今日も生きていて良かったという喜びを感じさせるものに違いないのです。外出が出来て、あるいは開けられた窓から、空を見上げ、雲を見つけ、風を感じたら、それはもう簡単には言葉にできないような「こんなにも」なる喜びなのです。なぜ彼は日々生きていることに喜びを感じることができるのか。それは忙しく日常を過ごしていては感じることの出来ないような喜びかもしれません。私たちにも、いつでもふっと深呼吸をして顔を上げれば、そこには空があり、雲があり風が吹いているのです。その時、それを「こんなにも」という喜びをもって感じることはできるのか。自然は常に身近にあり、私たちはその一部として自然と共に呼吸し、血液を循環させているはずなのに。
それは、些細な自然の移ろいを感じる喜びが、生きているという喜びだからです。
3歳で筋ジストロフィーと診断された彼は、ものごころが付く頃から、病と共に生きて来たのです。それは進行する病であり、その果てには確実に死が訪れるという病でした。そそのことに気づき、自分の死を意識し始めた頃から、彼の生はずっと死と向き合ってきたのです。そこでの葛藤、苦悩を私が推し量ることは不遜であるとも言えます。
彼には、その多くの詩の中で、代名詞ともなっている次の詩があります。

点滴ポールに
 経管食
生きぬくと
いう
旗印

病を象徴する点滴や経管食が、生きている、いやこれからも生き抜いていく証となっている言うのです。そこには、死と向き合いながら、その日、その日一日を、生きている、生きていける、これからも生き抜いていくという、確実な実感をもって、生の実感をもって、喜びの日とする、そうできる一日とする彼の決意、というか、心の在り方が示されているのだと思うのです。先の空も、雲も、風も、それを喜びと思うことのできる、その日を生きている、生きてきた、これからも生きぬいていけるという、生きていることの実感を歌っているのです。
そのような心をいつも私たちは持つことができるでしょうか。一時の悲しみや困難に出会い、それらを何らかの手段で克服できた時、一時は良かった、助かった等と思い、生きていることに喜びを感じる時があるかもしれません。でもそれは一時のこと、記憶として反芻することはあるにしても、また日常に帰る時、そこにはそのような喜びはありません。彼には叱られるし、私が言うことも躊躇があります、ましてや彼の人生と私の人生を比較することなどは許さるはずもありません。でもこう思うのです。
彼は、「けれど、しあわせ。」と。
松任谷由実が「あの子」をしあわせと言い切って、歌にすることができたのは、岩崎航さんが歌う「生き抜く」という心、一日一日に喜びを感じる心を、あまりに短かったけれど、「あの子」ももっていたと思ったからではないかと思うのです。

もう一つの思いがあります。それは岩崎航さんの、喜びを感じる一日は、彼の力だけで感じることのできるものでは無いのだという思いです。
このような詩があります。

くるしみの顔が
感謝の涙に
再起の力に
かわっていった
あなたがいるから

また

何も言わずに
さすってくれた
祈りを込めて
さすってくれた
決して 忘れない

身体の自由がきかない彼に取って、その喜びの源泉となる一日は「さすってくれた」、「あなた」なしには過ごすことのできない一日なのです。この「あなた」とは母親であり、父親です、その「さする」という行為には、彼に注がれた深い愛が示されていますが、そこには一日でも長く生きていいてほしいという必至さ、どうしようもない衝動のようなもの、子を思う本能のような逃れられない思いが込められているように思います。彼は一人では生きていけない自分を一日一日、生きることができるように必死に支える「あなた」に深い感謝を捧げて歌っています。それは自分の命が自分だけのものではないこと、「さすってくれる」「あなた」のものでもあるということです。このような両親への感謝、それも毎日感じざる得ない「感謝」の思いをもって生きていくこと、両親の捧げる「本能」のような「必死」の「愛」をいただきながら生きていくこと、生きていることが、彼の「喜び」の源でもあると思うのです。
だから、ここでもこう思うのです。
彼は、「けれど、しあわせ」。と。

ここまできて、さらに思うのです。なぜ高校生同士の自殺事件のことを知り、「ひこうき雲」を作ったのか。自殺というのは、この世界に、あるいはこの世界で生きている他者に絶望しなければ起こりえないでしょう、いかに自分自身について絶望しようと世界に希望があると感じているならば、その希望にすがろうとするのではないでしょうか。きっとそのような高校生の人生に「ふしあわせ」を感じ、そのことから、死と向き合いながらも毎日を精一杯生き抜き、多くの他者によって支えられ、そして病ゆえに天に召された「あの子」に「しあわせ」を感じたのでないか。その「しあわせな」なままの彼の命を空に伸びてゆく「ひこうき雲」に託して歌おうと松任谷由実は思ったのではないか。そう思うのです。

マルコは、その福音書を次のようなイザヤ書の言葉で始めています。
マルコによる福音書章1節から2節
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
預言者イザヤの書に、/「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、/あなたの道を整えさせるであろう。

イエスはこの預言に従うようにして、ガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、神がイエスの先に遣わしたヨハネからバプテスマを受けます。その時、神は言います

マルコによる福音書1章 11節
すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

福音は、神がイエスを「愛する子」呼ぶことで始まりました。改めて「子」とは何か。それを神は「心にかなう者」と言っています。かなうという日本語は「望みがかなう」とうように何かの思いや考えが実現するということを意味しています。だとするならばイエスは神の心にある思いや考えをこの世界で実現することのできる存在だということです。私が持っている平易な英語の聖書では“I am very pleased with you.”と記されています。直訳すると「わたしはあなたによって大変喜ばされる。」という意味でしょうか。神の子としてこの世に遣わされ、神が喜ぶように、神の心にある思いや考えをこの世で体現していく存在がイエスだということです。福音とは、この神の子としてイエスがこの世に遣わされ、眼には見えない神の心を伝えてくれるということを意味しているだと思います。それはイエスがこの世で体現する数々の言葉や行いが神の心そのものであり、まさに福音であるということです。
イエスはパブテスマを受けた後、荒野で40日過ごし、ガリラヤに至ってこう述べます。

マルコによる福音書1章 15節
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」

マルコはこの言葉を「福音を述べ伝えた」としています。このイエスの言葉が、イエス自身による福音のはじめ、神の心にかなうように発した初めての言葉です。
ただここでは、誰に向かって述べたのかは記されていません。何故神の子として遣わされたのか、そのことを改めて確認するための自身に向けた宣言だったのかもしれません。また誰にということではなく、この世界のすべてに向けて、大空を見上げて あるいは遠くの山に向かって宣言したのかもしれません。「悔い改めて福音を信ぜよ。」この言葉の意味をここで簡単に述べることは私にはできません。ただ「福音」が今述べてきたことであるとするならば、これからイエスがこの世で行うことが「福音」であり、それを見たならば、知ったならば、イエスがこの世に遣わされる前に信じてきたこと、語ってきたこと、行ってきたことのすべてを捨て、イエスを信じ、イエスに倣って生きていかなければならなのだという宣言なのではないか思うのです。
イエスはこう宣言した後、シモンとシモンの兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの4人を招き従えます。
そのあと、聖書にはこう記されています。

マルコによる福音書1章 21節から26節
それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。
人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、
「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」
イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。
すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

イエスは、「福音を信ぜよ」という宣言のこの世での証、神の子としての行いを、このような「霊につかれたもの」からその霊を出ていかせることによって示します。
きっとこの「霊につかれた者」は、そのことに苦悩し、救いを求めて会堂にいたのだと思います。会堂で、その会堂に祭られている神に、あるいはその神の教えを説く聖職者に「霊」を追い出してほしい、助けて欲しいと祈り、懇願していたのです。しかしその彼が信じている神も、聖職職もその祈りや願いを聞き入れてくれることは無かったのです。かえって、「霊」につかれたものは、汚れた者、呪われたもの、あるいは悪行のゆえの罰を受けた者として嫌われ、蔑まれ、排除さえされていたかもしれないのです。きっと会堂の隅で押し黙るように祈っていたのです。しかしイエスが会堂で説き始めると、彼自身ではなくとりついている「霊」の方から声を発してイエスを「神の聖者」と呼び、「私たちを滅ぼしにこられたのか」と恐れ、「何のかかわりがあるのですか」と追い出さないでくれと懇願さえするのです。イエスはそのように叫ぶ「霊」を許さず「霊」を追い出します。
イエスは、会堂に集まっている多くの人々の前で、排除されていたかもしれない、「霊につかれたもの」を救ったのです。これが「福音」の始まりでした。この「霊につかれた者」がどのような境遇にあったのか、なぜ会堂にいたのかは何も語られてはいません。彼が誰なのかは知る必要もないのです。彼がイエスの教えを聞いて信じたから「霊」はイエスを恐れたのかもしれませんが、イエスがそのような信じたかどうかで「霊」を追い出したのでもないと思います。「霊」はそれ以前にイエスが神の聖者であることに気づいていたのです。「神の子」でなく「神の聖者」と呼んでいることは、「霊」はイエスに神の「権威」を感じその使いとして「聖者」であると認識したのでしょう。
イエスは「霊」と語り、追い出したのです。「霊にとりつかれた者」と語ったわけではないのです。そのことは、イエスはどのような人であろうと、誰であろうと、「霊につかれた者」を救うことができるということを示しているのだと思うのです。それが神の「権威」の表れなのです。いまままで、「霊」と「つかれた者」を一体とみなし、「つかれた者」の行いや言葉をその人のものとみなし、その人自身の人格までをも否定し排除してきたのです。イエスはそのような人に寄り添い、その苦悩に共感し、苦悩の源である「霊」を追い出すことで、彼を救ったのです。マルコが記すこの場面でイエスが「霊」につかれた彼に寄り添った、共感していることが示されているわけではありません。でも彼の方から助けて欲しいと言わなくてもイエスはその苦悩を知り、助けるために、救うために「霊」に命令し追い出したのです。「霊」を追い出されることによって、その「霊」のいなくなった者は、イエスが「霊」の言う通り、「神の聖者」であることを知り、今まで「会堂」で神を崇めていたことを悔い改め、イエスが神の子であること信じ、イエスを遣わした神を信じるようになったのです。
この会堂での出来事の後、イエスは多くの人々の病を癒し、悪霊を追い出します。

マルコによる福音書1章 35節から38節
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた
そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った
イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。

イエスのことは広く知れ渡り、多くの人がイエスに癒しと救いを求めるようになります。しかし、イエスはそのことを厭いません。イエスを探す「みんな」に応えようとするのです。ただ、「みんな」は、神のことを知ろうとして、信じようとしてイエスを探しているわけではありません、病の癒しや悪霊を追い出すことを求めているだけなはずです。しかしイエスはそれに応えることを「そこでも教を延べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから。」と言います。そこには人々の思いとイエスの思いに齟齬があるようにも思えます。人びとは「具体的な治癒」を求め、イエスは神のことを教えようとしているからです。でもイエスにとって「具体的な治癒」は神の教えの表れなのです。なぜならイエスの伝えたいことは、自らの姿、行動、言葉を「権威」をもって人々に見せ 語ることで、父である神の「権威」を見せ、知らせることにあったからです。
それは、神の子は、どのような人々であっても、その願いを聞き、その願をかなえることができる、そして神の信仰に導くことができるという、確信でした。「治癒」が必要な病は「霊」につかれた心の病だけでありません。皮膚や内臓が傷む肉体の病だけでもありません。多分それは例えば、暴力や虐待で傷つけられた痛み、家族を失った深い悲しみ、差別されることによる憎しみまでも、この世で生きている限り経験する人間の苦しみ、悲しみ、肉体的にも精神的にも苦悩している状態のすべてではなかったのかと思うのです。
イエスは、どのような人であっても、優位をつけたり、区別したりすることなく、すべての人びとに寄り添おうとし、そして寄り添い、その苦悩に耳をかたむけ、明かされた願いを聞き入れていくのです。あるいは、明かされなくともイエスがその「権威」でもって「病」があることに気づき、癒していくのです。
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」は、イエスが、人々と共にあること、人間が創り上げた偽りの「権威」の側にではなく、無名の弱い多くの人々の「権威」の側に、神の本当の「権威」の側に立つこと、そして無条件にまた無限に人々を慰め、癒すことなのです。
ここまできて、また、岩崎航さんの詩に戻ります。

何も言わずに
さすってくれた
祈りを込めて
さすってくれた
決して 忘れない

安易にアナロジーすることはイエスにとっても、航さんにとって許されることでは無いとも思っています。でも私は思ってしまうのです。イエスは、救いを求める人々に、「何も言わずにさすってくれた」「祈りを込めてさすってくれた」と思われたのではないかと。
母をイエスにしようというのではありません。航さんの母親は 我が子であるから、ただ苦しみから救いたい、ただもっと生きていてほしいと、無心にさすったのです。でもきっと、イエスも、全ての人々を我が子のように慈しみ、苦しみを癒そうとして、無心にさすったに違いないのです。
イエスとは何だったのか。なぜ神の子としてこの世にあらわれたのか。その答えの一つがここにあるように思うのです。「わたしはこのために出てきたのだから」とイエスは言います。イエスがこの世の苦しむ人「さすった」のだとするならば、私たちの一人ひとりもイエスに倣って苦しむ人を「さすら」なければならないのだ。このことを、この不条理に満ちた人間が創り上げた世界に知らせるために、この世にイエスは出てきたのです。
やはり、また次のイエスの言葉に帰るのです。

マルコによる福音書 12章 29節から31節
イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。

「さする」ことは、「隣り人」を愛することの証なのです。