博多の旅(その3)博多旧市街~龍宮寺・人魚伝説の寺 | 大根役者

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貞応元年(1222)4月14日に、博多津に81間の巨大な人魚が打ち上げられた。81間というと、およそ146メートルだ。シロナガスクジラでも30mくらいだから、いかに、巨大だったかがわかる。よくある誇張表現だろうが、巨大な生物の死骸が打ち上げられたのだろう。

人魚の肉を食べると不老長寿になると信じられていたので、地元の人々は鎌倉幕府に報告した後で、食べようとした。鎌倉幕府は、朝廷からの勅使として、冷泉中納言を下向させた。占術家・阿部大富が吉凶を占ったところ、「この人魚は国家長久の瑞兆である」という結果が出た。それを受けて、この人魚の肉は食べられてしまうことなく、手厚く埋葬された。

埋葬された寺は、博多津にあた満潮になると寺の中まで海水が入ってくることから浮御堂と呼ばれた寺だった。

 

開山は谷阿上人と伝わるが開基年は不詳の寺だが、寺内に人魚を埋葬した後は、龍宮寺と称した。

以降、山号は冷泉山。浄土真宗鎮西派の寺院となる。本尊は聖観音だ。人魚は龍宮から、来たのだろうとされ、寺号も龍宮寺と改められた。

山号の冷泉山は、博多津の別名冷泉津にちなむとされているが、冷泉中納言に由来するものとも言われている。

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文明12年(1480)、この地を治めていた大内政広によって博多に招かれた連歌師・宗祇は、ここで連歌の会を催した。この際に詠まれた連歌は『博多百韻』として現在に伝わっている。「秋更けぬ松のはかたの奥津風」

この道中を記した「筑紫道記」はすぐれた紀行文として、応仁の乱後の博多を語る貴重な史料とされている。

 

慶長5年(1600)、本誉利覚によって現在地に再興された。


境内に三宝荒神が勧請されている。三宝荒神は、日本特有のもので、日本仏教の信仰対象となっている仏法、伽藍の守護神である。仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離する物神である。

 

荒神信仰は西日本に集中していることが、特徴だ。町の入り口には荒神を勧請し、火伏の神とし、町の中心に胡神社を勧請し、町の発展を願う配置を多く見かける。竈門の神、台所の神ともされている。

関東の、秋葉権現と同じ御利益を持つ神だ。





大陸に近い商人の町・博多には独特の人々の息吹が綿々と受け継がれている。九州という日本という国家の要衝で、独自の文化を築いた博多の人々の息吹を感じながら、博多旧市街を歩いてみよう。

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