世界遺産・東寺~真言宗総本山教王護国寺(その6)ー八島殿・鎮守八幡宮・灌頂院・小子房 | 大根役者

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南大門から、境内に入る。右側に鎮座しているのが八島殿だ。

八島殿

八島殿は、東寺が建立される前から鎮座する社で、社号の由緒は、日本の起源である大八洲瑞穂国である。祭神は地主神とも大己貴神だ。
弘法大師空海が東寺伽藍建立に先立ち、寺門造立成就、方位安全、法道繁盛の祈願をしたと伝わっている。

鎮守八幡宮

南大門から入って、左側に鎮座しているのが、鎮守八幡宮だ。

東寺が創建されたとき、王城鎮護を願って祀った社で、僧の姿をした僧形八幡神と二尊の女神が祀って在り、弘法大師空海みずからが彫ったものと伝えられている、わが国最古の神像です。と呼ばれる男神・武内宿禰像が付属している。平安時代に薬子の変を鎮めたと伝えられ、戦勝祈願の社として知られ、足利尊氏も祈願に訪れた。

灌頂院(重要文化財)

鎮守八幡宮前に灌頂院(かんじょういん)がある。

灌頂院は、儀式を行うための堂で、床は石畳、内部に仏像は安置されていない。
密教の奥義を伝えるための「伝法灌頂」や天皇の安泰を祈願する「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」などが行われる。

灌頂院には北門と東門があるが、通常はどちらも閉じられている上、定規筋の入った壁で囲まれているために、屋根しか見ることができない。直接灌頂院を見ることができるチャンスは年に2回。1月8日から七日間行われる後七日御修法(ごしちにちみしほ)の結願日にあたる1月14日の12時半からの1時間と、4月21日の灌頂院閼伽井の公開の時の10時〜15時。一年間に6時間しか、見るチャンスがない。

しかも両日ともじっくり見られる訳ではなく、暗がりだったり一部を拝観できるだけだ。

弘法大師空海によって創建が着手され、第二祖の実恵大徳のときに完成した。
その後、焼失と再建が繰り返され、現在の建物は、寛永11年(1634)、弘法大師八百年御遠忌のときに徳川家光によってに再建された。
「御影供」は、835年(承和2年(835)3月21日に亡くなった弘法大師空海の報恩感謝のために毎月21日に行われる法会で、(延喜10年(910)に灌頂院ではじめられ、延応2年(1240))からは御影堂でも行われるようになった。いつしか多くの人が集まるようになり、茶屋が店を開き、「弘法市」となった。

小子房

鎌倉時代に真言密教の修行道場として建てられた庵で、南北朝時代に足利尊氏が光厳上皇を奉じて都入りした際に上皇の御所として使用された。現在の建物は昭和9年に再建されたもの。通常は、非公開。

総檜造り、内部には6つの部屋がありふすま絵は堂本印象画伯によるもので、庭は七代小川治兵衛の作だ。 (写真は東寺H.Pから)


小子房の西側、庭の奥にあるのが、国宝 蓮花門。弘法大師空海は晩年、この門から高野山に向かった。

その日は、多くの人々が別れを惜しむなか、空海自らが念持仏として西院に祀っていた不動明王が、この門に現れ空海を見送ったといわれている。不動明王の足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたといわれ、それに因んで、この門を蓮花門と呼ぶようになった。

 

参道から見ることができるのが、勅使門だ。

勅使門は檜皮葺の唐門で東向きに建てられている。扉には菊の紋章が透かし彫りされ、その周りも細かい透かし彫りで飾られている。扉の柱には葡萄の唐草模様が彫られ、扉の下部にも唐草模様が施されている。



僕は、夏に高野山に上った。東寺から高野山へ至る歴史の線を歩むことで、この国が歩んだ時を意識することができる。
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